海の欠片

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天威無縫 10話「天風」

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カルザニア王国に到着し、一週間が過ぎた。あれからは特に目立った問題は起きておらず、闘技場の利用者と戦い資金稼ぎを行っている。
大会が行われていなくとも、闘技場ではサヴァジャー同士が日々闘うために利用している。来場した者と1対1で試合を行う場所もあれば2対2のタッグ戦を行う場所もあり、複数人で乱戦を行う場所などルールや人数は様々だ。大会となれば実況が行われ、賭けも発生するがフリーの試合では試合の監視者が居る程度だ。これらの見学は自由で、観客席は誰でも利用できるように解放されている。人数は決して多くはないが、常に闘争に飢えている者たちにとっては家でテレビ観戦を行う程度の気軽さで戦いを見に来る
ようだ。
カルザニア王国の闘技場では、戦った数と勝利した回数だけ賞金がもらえる。サヴァジャーが負担することになる金銭は、戦った後の治療費程度だ。というのも、闘技場ではサヴァジャーが戦うことでぶつかり合う野性をエネルギーに変換し、各地へと送り届ける重要な機関を担っている。それはスドナセルニア地方全域どころか、和平を結んでいる他の地域でも利用されている。こうして供給されるエネルギーで家庭では明かりを灯し、研究所ではモンスターや鉱石などから作成された機械を動かす。利用者は利用しただけの金銭を支払い、それが闘技場の運営へと当てられる、といった仕組みになっている。

「―― 炎兎蹴ラビット・フット!」

ゴウ! と焔が盛る鋭い蹴りの一撃。対戦者を軽々と吹っ飛ばし、壁へと叩きつける。ガン! と大きな音を立てたが、壁には傷一つついていない。炎のウサギを真正面から受けた対戦者はよろよろと立ち上がり、手でバツを作って首をゆるゆると振った。降参の合図だ。

「お前めちゃくちゃ強いな……ほんとにピューム出身の、それもルーキーのウサギか?」
「へへっ、いい試合をありがとな! 生粋のピューム生まれのピューム育ちだぞ」

お互いに近づき、固い握手を交わす。観客席からぱちぱちと拍手が響いた。数十人程度の拍手は盛り上がりに欠け、試合に対して随分と味気ないものだった。大会ではない闘技場は、よほど有名な者が出ない限りこんなものだ。

「あのウサギほんとにつえーな……」
「最近ここで見かけるようになったけど、今んとこ負け知らず、って感じだぜ。大会に出てくれねぇかなー、勿体ねぇもんフリー試合だけで終わらせんの」

フリーの試合では一撃、二撃ほどの有効打を相手が認めれば試合終了になることが多い。手負いすぎると治療費の割が合わなくなる上、戦えなくなる期間もできる。手加減こそしないが、叩きのめすことはしない。それが暗黙のルールとなっていた。
周囲の反応はララテアに届かないまま、太陽が最も天高く空に現れた頃に外に出た。何人か出入りする姿を眺め、6人ほど無意識に数えたところで客席で見ていたクレアとコルテが合流する。金銭を稼ぐためララテアとコルテが二人で闘技場に参加することも考えたが、クレアを一人にするリスクを考え、一人ずつ参加し一人を護衛にすることにしていた。

「お疲れ様でした。いつ見ても、楽しそうに戦いますね」

労いを込めて、ヒヨス草をすりつぶして混ぜた水を入れた水筒を手渡す。ヒヨス草は一般的に流通している薬草で、かつては毒性があり民間での利用は危険視されていた植物だ。その毒性は野性持ちの人間には意味を成さないようで、現在では毒性のない鎮痛剤や鎮静剤として利用されている。水に少量溶かし飲むことで治癒能力も高められる効果が認められ、試合後にアフターケアとして飲水することも多い。
ありがとう、と受け取れば。人が獣を飼っていた頃の猫がすり寄るように。そよ風に乗ってごくごく自然に、ふわりと現れる人影が一つ。

「でもでもぉ、ちょ~っと歯ごたえがなくってつまんない~、って……思ってるでしょ?」
「!」

左腕にするり、と身を寄せてきたものだから、反射的にララテアは腕を上げ振り払う。それよりも先にトンッと地面を蹴り、後方へ飛べば重力を無視したようにゆっくりと再び地に足を着けた。朝の陽ざし亭で出会ったときと変わらないフィリアが、あざとくピースを作った。

「……あれが、前にララテアの言っていた?」
「あっ、お休み中だった子が今日は起きてる~! 聞いてるかもだけど、あたしフィリアっていうの、よろしくよろしくぅ~!」

遠慮なくぐいぐいと来る様に、迫害を受けてきた白いカラスが真っ向から受け止められるはずもない。顔を顰めてそ……っとララテアの後ろに隠れた。よろしくのよの字もない。握手しよ、と伸ばされた手も威嚇で返す。
現在注目されているサヴァジャーで、更に目立つ容姿と性格となれば通行人は見逃さない。あれってフィリアじゃね? と足を止めて行く末を見守り始める。おかげでどうにも逃げづらい状況となってしまった。

「えぇーっと……俺達になんの用だ?」
「俺達ってゆ~か、あなたに? ララテア君だよね、戦いぶり見てたよ! ちょ~強くってフィリアちゃん感動しちゃったの!」

ぱんっと手を合わせてきらきらとした目線を向ける。炎がごうって出て蹴るやつ凄いね~だとか、あそこのカウンター見事だった~だとか、いくつも戦闘中の動きを取り上げてララテアを褒め称えた。一人の熱狂的なファンだと言わんばかりの熱量があり、同時にサヴァジャーでなければ気づかないような動きの指摘も中にはあった。流石、実力のあるサヴァジャーといったところか。

「……ララテア、もう行きましょう」

耳元で囁き、ララテアの拳から垂れ下がる包帯をくいっと引っ張り、人の居ない方向へ行こうとする。飛んでも構わないのですよ、と翼をはためかせたりもした。
言葉に棘がある気がして、居心地の悪さを察する。クレアとフィリアを2度ほど交互に見て、一度コルテの方を見た。彼女もあの手の性格に不慣れなようで、困ったようにララテアの方を見ていた。

「待って、これから本題なの!」

それを遮るように、フィリアはララテアの腕を掴む。彼女の方が背が高いというのに、わざと低い姿勢を取りしおらしく、上目遣いで甘えるような声を出す。

「あたし、ララテアに興味が沸いちゃったの。だから……あたしと戦ってくれると嬉しいなぁ~、なんて?」

恐らくここでストップしていれば、ララテアは困惑しながらも受けて立ったことだろう。性格はどうあれ、憧れの者には変わらない。そこに悪意がなく、自分に興味を持ち手合わせしてくれるというのであれば、ララテアにとってむしろ嬉しいお誘いだ。
しかし、次に続けた言葉が良くなかった。

「タダでお願いするのも悪いからぁ……ね、もしあなたがあたしに勝ったら付き合ってあげる! あたしねぇ、あたしより強そ~って人を探してるんだ。ララテア君はすっごく強いしかっこいいし、まさに理想の人だぁ~って思ったの」
「は――」

掴んだ腕にぴったりとすり寄り、あなたを運命の人だと定める。頬を赤らめ、どこか潤んだ表情は恋する乙女のそれと似ている。それを聞いて思わず声を漏らし、その場から動けなくなってしまったのは白いカラスだった。嫌な汗が頬を伝う。得たいの知れない不安に駆られ、去ることを催促することも忘れる。
ウサギの野性を持つ者は、ウサギの特性から惚れっぽい者が多いと言われている。誰にでも簡単に惚れてしまい、距離を縮めようとする傾向がある。個人差はあるが、保有する野性の元となった動物の性格がその人の精神性に影響を与える。特に共鳴型は獣の心と同化し力を奮うため、獣に毒され人を見失いやすいのだ。

「そりゃ随分と、魅力的なお誘いだ」

けれど、と逆接の言葉を繋げ。惑うことなく、手でまとわりつくその身を払いのけた。

「本当に憧れだった。俺がピュームを出たいって思ったのはフィリアのお陰だった。ラジオで聞く、フィリアの戦う姿をずっと想像しては実際に見てみたいって思った。そんな夢を通り越して、手合わせできるだなんて身に余る幸せだ。
 けど、俺はそういう目では見れないし、それで深い関係性を決めるのも違うと思う。正直……その憧れが今、揺らいでるんだ」

一つ呼吸をして。深く大きなエメラルドグリーンの瞳を睨んで、言い放った。

「頼む。これ以上俺の憧れを壊さないでくれ」

知らぬが仏とはよく言ったもので。姿も、性格も、こうして知ることがなければララテアはフィリアのことを心から尊敬したままでいられただろう。雲の上の存在は、雲で覆われて姿が見えないくらいがちょうどいいのかもしれない。

「っ…………、そんな……」

ざわざわと、見世物を囲んだギャラリーが囁き合う。あのフィリアの誘いを断っただとか、怖じ気づいたか? だとか。いつだって観客は事情も知らずに好き放題だ。
流石に断る場所が良くなかっただろうか。潤んだ瞳で口をへしゃげ、俯くフィリアに申し訳なさと罪悪感を覚えたところで。

「え、」

諦めきれません、と言わんばかりの強制シェイクハンド。その後、なんということでしょう、人の限界速度なんておかまいなしに、その手を放さず豪速で走り出すではありませんか。

「え、ちょ、はっ う、うわぁあああぁああ!?」
「ら、ララテアーー!?」

走り去った際の暴風が圧となってクレアとコルテに襲い掛かる。地へ縫い付ける風が止んだときには、ララテアとフィリアはもうその場には居なかった。


連れて来られた先は人も通らないような狭い路地裏だった。人がようやく通れるほどの道幅しかないここは、物が詰め込まれた木箱や布袋など、物が散乱していて歩きにくい。流石に光刺さない道は、蹴飛ばさないように慎重に歩いて進んだ。
同じウサギの野性と言えど、走る速度は風に乗れるフィリアの方が速かった。途中から足が追いつかなくなり、引きずられるどころか宙に浮きながら運ばれる図となった。よくもまあこんな細い道をぶつからずに走れるな、と関心こそするが、ララテアにとっては拉致されて一人危険な状態に冒されていた。クレアではなく自分でよかった、と身構えながら向き合う。荒事になる覚悟もして。

「おい、何のつもりだ?」
「っ……ふふ、っははははは……!」

ぞっ、と背筋が震えた。笑い方が豹変し、そこに可愛げはない。到底ウサギとは思えない、獣らしく好戦的で野蛮さが見え隠れする。いよいよ戦うことになるか、と拳を振り上げようとして、

「だっはははははは!! お前ほんっとに誠実だな! 俺のお誘いをあそこまで真っすぐブレねぇで断るやつなんざそー見ねぇぜ!」

なんか思った反応と、全然違うものがやってきた。思わず覚悟した暴力を仕舞っちゃった。

「え、あ、へっ!? え、何!? さっきまでのあのピンクのきゃるんきゃるんしたやりとりは!?」
「いやー、本当に悪かったな。気色悪ぃって思ってたんなら許してくれ。こっちの方が俺の『素』だからよ。あっちはこう、外面っつーか……ウケがいぃんだよ。俺って可愛いからさ」

困ったように手を合わせ、ウィンクしながら平謝りだ。少なくともそこに悪意はなく、彼女なりに誠心誠意頭を下げているようには見えた。
こうして路地裏に連れ込んだのは、観客に素性を見せないため。己の可愛さすらも利用するフィリアにとっては本性は隠しておきたい。同行者と引き離すことになってしまっても、コルテはイヌの野性を持っている。彼女はララテアだけではなく、コルテの戦い方も見ていた。故にイヌ同等の嗅覚を発揮させられることを知っており、連れ去ったとしても合流できると判断した。これはそこまで考えての行動だったようだ。

「助かったよ、お前が『即興劇』に乗ってくれて。サマんなってたぜ?」
「いや、応えたつもりは何にもないんだけど……もしかして、即興劇ってことは、」
「そーいった感情は一切持ち合わせてねぇから安心しな。さっきのも承諾させる餌でしかねぇから、いらねぇなら願ったり叶ったりだ。もしうっかりコロリといっちまったらそんときゃ『喰っちまう』けどな」

そもそも負ける気もねぇし、とにやりと笑みを浮かべる。そのうっかりが起きた回数は、ララテアが思っているよりもずっと多いことだろう。誠実なウサギは、あまりにもウサギらしくなかったものだから。

「けど、手合わせしてぇのは本気だ。ララテア、お前に興味がある。並大抵の鍛え方をしてねぇことは分かってんだ」

右手を差し出し、一度だけぎゅっと握って開く。ひらひらと掌をララテアの方へと向けた。
手には個人情報が隠されている。例えば綺麗な手で怪我一つなければ戦闘とは無縁の人。薬品に荒れてかさついていれば主婦や薬師といった人。ひび割れがあれば水に触れる機会が多い人。そして、何度もマメが潰れて皮がすっかり固くなった手は。

「お前にとっても悪い話じゃねぇはずだ。名のあるやつが決闘のために闘技場を予約すりゃそれだけで周囲は大騒ぎ。俺の名を使って一気に名声を上げるチャンス。こっちに来たばっかのルーキーつっても、これが美味い話だって分かんだろ?」

闘争本能を抑えきれない、雄々しく荒々しい、今をらしく生きる者たちの証。
お互いに無意識に吊り上がる口端。ぎらついた眼球に、荒くなる息。嗚呼、誰がウサギが温厚で獲物から逃げる立場の生き物だと言った。

「分かった、それなら俺もお願いしたい。さっきは断ったけど……ずっと憧れだった、戦ってみたかったんだ!」
「はは、いい返事だ! なら約束だ、一週間後の午後1時、さっきの闘技場でな! こっちで全部手続きは済ませといてやるから遅れんなよ!」

二人分の駆けてくる足音がだんだんと近づいてくる。ちょうどいいタイミングだと、ばさりとマントを翻した。そうして腕組をしてララテアの方へと振り返り、

「嬉しかったぜ、メッキで染め上げたあたしじゃなくて、強さに飢えてる俺を信じてくれたこと。ちゃんと見せてやらぁ、お前の憧れたフィリア・バルナルスの強さをな!」

不敵に笑って見せた、その次にはつむじ風と共に高く飛び上がって見えなくなった。技にも満たない、野性のほんの少しの発現。ランク1の共鳴型ではこのくらいが精いっぱいだが、鍛え上げられた脚力と彼女の有する独特の身軽さを合わせれば、空を跳ぶことくらい容易に成すことができた。
風が止む前に2人が駆け付ける。布一つすら視界に入らないまま、ララテアを見つけて声を上げた。

「ララテアお兄ちゃん大丈夫だった!? 変なことされてない!?」
「言い寄られたり難癖付けられたりしてませんか!? 大丈夫ですか!?」

二人からすれば、突然言い寄られてフったから攫われて実力行使されそうになっていたとしか解釈できなかった。ぼーっと空を見るララテアに駆け寄り、頬をコルテがぺちぺちと叩く。手遅れだったか、と一抹の不安が二人に襲い掛かる。

「か……」
「か?」
「かっこよかった……! めちゃくちゃかっこよかった! やっぱりフィリアは俺の憧れた通りだった!」
「はあ???」

興奮して早くなる語り口は、さながら一週間前のシカの亭主と同じだった。



カルザニア王国リュビ区の東側へ2つ離れた場所に位置するペリド区。スドナセルニア地方を治める者の城が存在するディアマン区と隣接するここは、住宅街が比較的多い。街の出入り口から離れ、最も活気がある中央からも近いここは、住居地として都合が良かった。所謂一般人のための区だ。とはいっても野性を内包する人間が暮らしている場所には変わらず、あちこちに決闘として利用できるバトルコートは点在し、門がある最西端のリュビ区や最東端のサフィール区と比べて闘技場の数は多い。
大通りから離れ、立ち並ぶ一軒家の中に紛れるように立てられた『シャルオーネ診療所』。外観こそ普通の家とは変わらないが、三家族ほど暮らせそうな広い家であるため目立つことは目立つ。何より、入口に建てられた診療所の看板以上に目立つ、赤文字で書かれた『ヒーラーの治療希望者お断り』の注意書きに目が行く。ここを運営する者は、ヒーラーに親を殺されたのかと勘繰ってしまう。

「捻挫ですね。軟膏を出しておきます。貴方の回復力を考えると3日ほど動かさずゆっくりしてください」
「そんなにかかるのか!? ヒーラーだったら一瞬で治んのにあんまりだ!」
「野性ではなく医学での治療はゆっくりだとご存じありませんでしたか。別に診察料を置いて別のヒーラーにかかってもこちらとしては構いませんが」
「しゃーねぇだろヒーラーから野性が不安定で医者にかかれつってきたんだからよ!!」

ぎゃーぎゃー騒ぎながらさっさと薬を作るように促す。知ってますよ、と不満をぶつけられた女性がにこやかに答えれば、乳鉢にいくつかの薬草や薬品類を放り込み、乳棒でつぶしながら混ぜてゆく。口の広い小瓶に詰め込み、どうぞと手渡す声をかけるよりも先に奪い取られる。二度と来るかとご立腹なまま、代金を置いて駆け足で……は去れないため、カメのようにゆっくりゆっくりと診療所を出て行った。

「お客様はひとまず捌けましたかね」
「……さっきの客、もう2ランク強力な塗り薬にしてもよかっただろう。金に困っていたのか?」

診療室の奥から背の高い、異国を思わせる身なりの男性が出てくる。整った顔立ちに長いまつ毛が女性的であるが、体格はがっしりとしており中性的とは言い難い印象だ。いらっしゃったのですか、と先ほど診察と調合を担当した緑の三つ編みと丸眼鏡が特徴的な女性は、顔色一つ変えずに意見を返した。

「草食動物の野性持ちに使うと副作用が酷いでしょう? ですから提案しなかったのですが」
「あぁ、そうだ。草食動物の野性持ちに使うと酷いアトピーが出て、痛みと引き換えに眠れぬほどの痒みに襲われることとなる。それを、お前は理解していることは誉めてつかわすが……」

机の上からぴらり、先ほどの患者の医療用カルテをつまみ上げる。内容を一読すれば、指でわざとらしく音を立てて医療用カルテを弾き、

「これは2つ前の患者の医療カルテだ」

顔色一つ変えず、真実を告げた。

「…………」
「…………」
「…………まあそういうこともありますよね」
「お前はそういうことしかしないがな」

机に突っ伏してあぁ~~~と情けない声を上げ始める女性に、男はそれはそれは冷ややかな目線で刺す。患者に対しての申し訳ない心はどこかへ忘れてきたらしい。あーあ、の一言で終わらせてしまった。

「おーっす。誰も居なかったから診察室に乗り込ませてもらったぜ」
「誰も居なかったら受付で待っていてください。ここ、2人体制という極悪な職場環境なのですから」
「1人体制の間違いじゃね? そいつが働いてるとこ俺見たことねぇぞ?」

そこにもう一人増えるはピンク色の可愛らしい女性。可愛い振る舞いどころか開いている椅子にどすっと座り、椅子の上で器用に胡坐をかいている。客を通り越して一個人として大変態度が悪い。

「で、今日は患者としてきました? なんだか機嫌よさそうですが」
「そー! めっちゃ強そーなウサギを見つけてさあ! ララテアっつーんだけど、そいつと3日後、決闘すっことんなったから『調整』を頼みに来たんだ」
「おや、貴方がそこまで気に入るなんて珍しい。いいでしょう、診察しますよ。とはいえ、することは殆どないでしょうが」

調整といっても、やることは身体に異常がないかを診察し、異常があれば治療を行う程度だ。機械のメンテナンス同様に、獣の力を奮う人間の身体には自覚できないダメージが蓄積されていることも多い。あれこれと道具を用意しながら、女性はフィリアへと問いかけた。

「今回もお節介ですか?」
「まさか。興味持ったからつっつきに行っただけだぜ。けど、あれはぜってー伸びるからよ、これで大会に出るきっかけとかになったらいいなーって。俺の名前を使ってのし上がってくれりゃ万々歳だ」
「やっぱりお節介じゃないですか。戦いたい、が一番なのでしょうが」

2人で盛り上がりを見せる中、男性は診察室から静かに立ち退いた。元々あまり会話には入らないタイプなのだろう、彼が部屋から出ても声をかけることはなかった。そのまま廊下へ出れば、服の袖からケータイを取り出しコードを入力する。
風属性のハト型の嘴には通信能力がある。嘴に任意のコードを保有させ、その任意のコードを打ち込めば遠く離れていても会話することが可能である。かつてあらゆることができた携帯電話の機能は、今や通話することしかできない。最も、彼らにとってはそれで充分だ。

「あぁ、見つかった。会ってはいないがカルザニアに居ることは分かった。発見の目途もついた、以降は私の監視下に置いておく」

ほんの数分の会話。声を潜めて淡々と報告を続け、

「方針が決まれば連絡を寄こすように。いいな、アルテ

そうして、通信を切った。


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天威無縫 9話「憧憬」

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その日の夜。コルテがララテア達を見つけた頃には日は沈みきっており、ララテアがクレアを背負った状態での再会となった。お互いに情報を共有しながら、暗くとも街灯で明るい街並みを歩いていく。昼間より少し気温は下がるが、肌寒いとは感じない過ごしやすい季節の空気がカルザニア王国を包み込んでいた。

「道理で瞼が腫れぼったいはずだよ。泣きつかれてお兄ちゃんにおんぶされる妹みたい」
「なんなら長男で手慣れてるぞ。何人の弟妹を背負ってきたと思ってる」
「おんぶで百戦錬磨の猛者アピールされても」

サムズアップしてきたので払いのけておいた。カルザニア王国に来る途中もおんぶして移動したことがあったのもついでに思い出した。コルテもお世話になったことがある身であるわけだが。

「それにしても……今回みたいなこともあるだろうから、本当に信頼できるお医者さんを探さなきゃだね」
「かなりの難題だよな、これ。医療関係者全員が喉から手が出るほど欲しい力に目が眩まないやつ……なんて、どうやって探せばいいんだ?」

野性の力を利用し傷を癒すヒーラーに、薬学や医学知識で人を治療する医者。2種類が存在するこの世界では後者を頼るべきだろう。中には野性を利用して治療を行うことに対して否定的な意見を持つ者もいる。しかし、それでもクレアを素材や実験材料のように扱おうとする者は、恐らく半分よりは多いだろう。
サヴァジャーにとって、これらは必ず利用する必要がある者たちだ。それこそ、サヴァジャーという職が成り立っているのは彼ら医療関係者のお陰だと言っても過言ではないほどには。
今回クジャクと決闘をしたコルテは幸いにも大した傷はない。この程度であれば、野性を内包する人間特有の自然治癒力の高さですぐに治り、二人にはそれに加えて応急処置の知識もある。されど、それで今後済ませられるとは思わなかった。
答えの出ないまま朝の陽ざし亭の扉を潜る。キィキィと木材の軋む音が3人を出迎え、次にはシカの亭主が……と思いきや、来客があったらしい。大きな紅色のリボンでハーフアップにしたピンクの髪の女の子らしい、されど肩当や簡易的なガントレット、左肩から降ろした長いマントからサヴァジャーであることが一目で分かる身なりだった。それでもスカートであったりピンクと白のふわっとした身なりから、第一印象は可愛らしいになるだろうか。

「ありがとう、今日も食材調達助かったよ」
「今回もご利用してくれてありがと~! ごひいきにしてくれてとぉ~っても嬉しい! あなたのためにあたし、とっても頑張っちゃったぁ~!」
「ふふ、いつもありがとう。いつもしっかり働いてくれる君にだから依頼しちゃいたくなるんだ」
「えぇ!? ほんとにほんとに!? うっれしぃ~! じゃ~あ、これからもい~っぱいお兄さんだけのためにあたし、頑張っちゃうから!」
「…………」

凄く……きゃるんきゃるんしとるな……あのサヴァジャー……そんであの硬派で素朴な優しいシカの亭主さんも……鼻の下伸ばして……メロメロ状態になっとるな……
戻りました、とも声をかけづらく、だからといってすぐ傍を通り過ぎるのも気まずく、どないするよと目線だけで会話をするしかない。シカの亭主のあんなところ見たくなかったよ、奥さん確か居たよねあれ大丈夫なの? とひそひそと会話をする。目線で。

「あ! もしかしてお客さん!? ごめんねぇ邪魔しちゃってたぁ~……あっあっ! あなたたち、もしかしてサヴァジャー!? きゃあ~かっこいい~!」
「えっ、あ、はい……そうだけど……」

テンションに、ついて、いけない!すっかり置いてけぼりになっているララテア達にお構いなしで、全体的にピンク色のサヴァジャーらしき女性はきゃっきゃっとはしゃぐ。握手しよ~と駆け寄り、はいだろうがいいえだろうがお構いなしの問答無用シェイクハンドをララテアとコルテにかました。

「あれれ? もしかして後ろの子お休み中だった? わわ、ごめんねぇ! あたし煩くしちゃった! ささっと撤退するから許してねっ、ねっ!?
 それじゃあ御代金ありがとぉ! またいつでもあなたのために駆け付けちゃうから!」



眠っているクレアがピンク避けになった。ピンクのサヴァジャーは慌てて手を放し、一度振り返ってぶんぶんと手を振ればそのまま去っていった。ただでさえ疲労困憊だというのに更に疲れさせられた。ゆっくりシカの亭主を見れば、それはもう恨めしそうにこちらを見つめている。どうしてもう5分ほど後に帰ってきてくれなかったんですか? と、言葉にされなくても圧で伝わってくる。

「あの、い、今のは……?」
「えっ君たちあのサヴァジャーを知らないの!? フィリアたんだよフィリアたん!」
「フィリアたん」
「フィリア・バルナルスをお知りでない!? 最近だとあの女性の祭典とも言われるヴィーナス杯を優勝した人だよ!?」
「いや、フィリアは知ってるんだが……、……?」

ラジオで闘技場の様子を聞いている者に時々起きる現象だ。
闘う様子が聴覚としてしかお送りされないため、声を聞くことがあっても容姿までは把握できない。テレビなんて高級品は持っていない。ピュームからカルザニア王国まで見に行くこともなかった。ラジオの向こうでは大変覇気に満ち溢れた声を上げ、力とスピードで相手をねじ伏せ、まさに暴風と表現するにふさわしい戦い方をする人であった。
それが、あれである。ララテアの憧れが、あれである。

「でぇぇええええええええええ!!? あれがフィリア・バルナルス!?!?」
「ぴゃっ て、敵襲ですか!?」

近所迷惑以上に寝ている人の鼓膜にクリティカルダメージ。ウサギの背中で眠っていたカラスがガバァッと起きて辺りを見渡す。勿論そんなことをすればバランスを崩し、転げ落ちる ―― ことはなく、しっかりとララテアが踏ん張り、体幹の強さを見せつける。
ララテアの憧れていたサヴァジャー、フィリア。彼女は戦いに向いていないと言われるウサギの野性を、戦闘において最も弱いと言われる共鳴型ランク1で保有する者だ。野性という生まれつきの潜在能力がある程度定められる世界で、彼女は潜在能力以上の功績を残している。全サヴァジャーの中でも上の下くらいに位置するほど、彼女は強いのだ。

「そんな……R1とは思えないほど……雄々しくて力強く、獣らしく戦う……フィリアが……」
「何を言っているんだい? 華奢で華やかで、愛らしい……彼女はそういう戦い方をするんだよ!」
「それはない! 絶対ない! な……え、いや、ある、のか……?」

人は見かけによらない、という言葉がある。もしかしたらあの見た目と性格で、意外と野蛮で暴力的な戦い方をするのかもしれない。と、思いたいのは、今まで信じてきた偶像があり、それをたった今粉々にされたからだろうが。

「酷すぎる現実に夢壊されてるとこ悪いんだけど、とりあえずご飯にしよっか。亭主さん、お願いしてもいい? あとララテアとクレアさんは食べれそう?」
「…………食べる」
「……私も、目が覚めたのでいただきます」

混沌としたまま食事の準備へと進む。待っている間に、いくつかフィリアに関する話をシカの亭主から聞いた。相当応援しているらしく、料理を作る手を止めそうになっていたのを注意しながら。
ここでは10日に1度、食材の調達をフィリアに頼んでいた。サヴァジャーの中には街の外でモンスターを狩ることで生計を立てている者もいる。野外調査の仕事を受ける、あるいは自らモンスターを狩ったり天然素材を売って生活する人を『レンジャー』と呼ぶ。彼女はサヴァジャーとして試合に出場するだけではなく、レンジャーとしても仕事をしているのだと言う。
サヴァジャーの資格があれば誰でもレンジャーを名乗ることはできるが、サヴァジャーの数に対してレンジャーの志願者は少ない。戦いの腕は勿論、外で生活する、モンスターを解体する、利益になる野草や鉱石を見つけるなど、戦闘とは異なる知識も必要となる。また、モンスターを相手にする場合は決闘とは違い命がけになることが多く、環境も過酷で数日~数か月帰れないなんてことも多い。以上の理由から、近隣で鍛錬を兼ねてモンスターを討伐し素材を調達する者は多いが、その程度に留まりがちであるのだ。
彼女はウサギの野性と風属性から大変身軽であり、風に乗るかのように移動することができる。戦闘でも役に立つが、遠出をする際にもこの移動術は役に立つ。街から離れた辺境の地であれど、風さえあればすぐに向かうことができる。故に彼女はレンジャーを副業とできるそうだ。

「……凄いやつには変わりないんだろうな」

本日の夕食はベーコンチーズリゾット。この場所のチーズは牛乳の代わりとなる植物のガルムを絞り、液体を煮詰めて粘度を高めたものだ。レモンなど酸味の強い果物を混ぜて更に粘度を調整し、用途に合わせたチーズを作る。殆ど液状に近い状態で作られたそれは米とよく絡み、スプーンで掬いあげればとろとろと落ちた。黒胡椒がぴりりと良いアクセントになる。

「そう、性格がどうあれ……実力は、本物……だよな?」
「揺らいでるなぁ。あのヴィーナス杯を制するだけあるんだから、そこは信じていいんじゃないかな。性格はあれだったけど
「だよ、な……性格はあれだっただけで……

よし、と顔を一度両手でぱちんと叩く。それから手の感触を思い返すように、自分の手を数回握っては開いてを繰り返した。握手をして握られた手は、確かに闘う者としての掌だったと首を縦に振った。彼女の手はマメが何度も潰れた、皮が厚く固い手であった。あれは相当鍛錬を積んでいる者の証だ。

「ララテアはフィリアに憧れてサヴァジャーになったのですか?」

凡その経緯は話を聞きながら理解したクレアは、ララテアに尋ねる。首を横に振ってから、んんーと悩む声を上げた。

「サヴァジャーに憧れたきっかけは覚えてないな。憧れてサヴァジャーになったんじゃなくって、戦いたいって思ってサヴァジャーになったようなもんだから。だからサヴァジャーになるきっかけ、というよりかは……カルザニア王国に出ることの夢を作ってくれた人、かな。こう、不可能じゃないと示してくれたというか」

街に出たとして上手くやっていけるかどうかの自信はなかった。だから街から出られずに居た。一方で、カルザニア王国へ独り立ちして旅立つ夢があった。それは紛れもなく、R1-W Rabbitというサヴァジャーを諦めざるを得ない人間が活躍し、可能性を示したから。風に乗って飛び跳ねるウサギは、間違いなく数多の動物に夢を見せたエンターテイナーだ。

「なるほど。ならば、どんな人であれ、ララテアにとっていい影響を与えた人だという事実は変わりませんね。思っていた性格ではなかったかもしれませんが、憧れた後悔はないでしょう?」

ふわり、穏やかな笑みを浮かべる。目を細め、胸元に手を当てて。ならばそれでいいじゃないですか、と言葉を重ねた。
その表情に、思わずララテアはリゾットを食べる手が止まり、コルテもぴくりと犬耳のような毛が反応する。

「……え、何ですかそのリアクション」
「いや……雰囲気変わったなぁっていうか……クレアさんからクレアになったなぁっていうか?」
「どういう意味ですか!?」

ね、とララテアに向けて同意を求める。クレアが寝ている間に情報を共有していたため、彼女は凡そを察していた。
羽に関する話をクレアから聞いた。それを伏せていた理由を聞いた。彼が話したことは、所詮その程度。しかしイヌというものは、隠されたものを鋭い嗅覚で暴き、捉える生き物だ。さも満足げにニコニコとしていた。

「……あぁ、全くその通りだな!」

そして二人の言葉に、ウサギは明るく快活に答える。ララテアまで!? と声を響かせるカラスがいる食卓は、帰り道のほの暗さを感じさせない暖かなものであった。


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天威無縫 8話「価値」

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一方、カルザニア王国リュビ区の時計塔の屋根。『天女の悪戯サンライト・ヴェール』で2人の姿を消してから、クレアがララテアを抱えて空を飛んでここまで連れてきた。姿も消しているのでまず見つからないだろうと、コルテが片付けてくれるまでの間やり過ごそうと2人は屋根の上へと座った。
それぞれの区画には時計塔が存在し、区画の名前ごとに屋根の色が異なっていた。リュビ区は深紅色の屋根をしており、元になった名前、ルビーに相応しい色をしていた。長針が0を示せば鐘が鳴り、鳴った回数で現在時刻を知らせる。次の時報はもう少しだけ先のようだ。

「人を抱えて飛ぶことってできるんだな……」
「野性が強いお陰で飛ぶ力も相応に、といったところでしょうか。ララテアのことを力では持ち上げられませんが、抱えて飛ぶくらいはどうということありませんから」

なるほど? と、分かるような分からないような曖昧な返事になる。改めてクレアの方を見ると、普段よりも翼が二回りほど大きくなっていた。やがて役目を終えたと言わんばかりに、それは静かに縮み始め、元の大きさへと戻っていく。飛ぶ際に必要に応じて大きくなるのだと、視線に気が付いたクレアがそう教えた。

「ところで、先ほどの。6つ数えろってどういう意味で……?」
「あぁ、あれ? コルテと決めた合言葉みたいなもんさ。時計盤の数字を見て、6つ後。つまり30分後に合流しよう、って意味だ」

姿を消して逃げることをララテアは想定したのだろう。30分後に姿を現し、探し出せる状態にするという約束だった。同時に30分あれば襲撃者を退け、こちらを追いかけられるといった信頼もそこにはあった。
コルテ自身戦えることは、共に旅をしたクレアは知っている。ララテアに劣らず彼女も戦うことに慣れている。小型のモンスターであれば一人でも十分葬れる実力も見てきた。されど、彼女はまだ子供だ。大の大人に差し向けるなんて、と後ろめたさをどうしても感じてしまう。
ましてや、今回襲撃を受けた理由を考えれば、思うことはあり。暫くの間、お互いに気まずい空気になる。長い針が3度ほど動く音をすぐ近くで聞いてから、ようやくララテアが口を開いた。

「俺さ。何でも無理に聞かない方がお互いのためだって思ってた。無理に聞き出そうとして、傷つけることがあったらお前を追ってきたあいつらと変わらないって」

黄昏に染まる街の眩しいこと。目を細めて光から逃れる。太陽のような瞳孔はクレアから逸れて、街の景色を映していた。日が暮れてきた空と同化するような色の中に、変わらず沈まない太陽が煌々と輝いている。二重の茜色の空は暗く、晴天だというのに厚い雲が覆っているようであった。

「けど、結局そう言い訳して、お前から目を逸らしてた。どこか他人事で居て、踏み込まないようにしてた。そんなので信じてもらおうだなんて……烏滸がましかった」

ようやく白いカラスへと向き直り。ごめん、とウサギは頭を下げた。
本人にとっては気遣いのつもりではあった。自分のペースで前を向いてくれたのであればそれでいい。急ぐ必要はなく、仮に自分のことを信じてもらえず自分の元から去ることがあれば、それでも良いと。
その結果、知るべきことを知らず、彼女を危険に冒すことになった。踏み込んで聞いていれば避けられたかもしれない衝突だった。確かに踏み込まないことが、クレアにとってはありがたいことではあったかもしれない。されど、避け続けて丁度いい距離を保つことが、必ずしも最善とは限らない。

「……どうして」

対して白いカラスは、自分自身の境遇を気遣ってくれていると理解していた。自分は彼に対して踏み込まれないように距離を作り、疑い続け、都合の悪い部分を探し続けた。いくら探しても見つからないから、今もこうして隣に残っていた。
一度だけ突風がララテアを襲った。クレアが強く翼を羽ばたかせたからだ。風の圧にぎゅっと目を瞑り、開けたときにはアルビノ種特融の深紅の瞳がすぐ傍にあった。薄く透き通った水の向こう側にあったそれは、随分と鮮明に見えた。

「どうして! あなたはいつもそうです、私があなたを疑って話さなかったことが悪いのに! 私があなたを信じられないことが原因なのに! 今回だってそうです、まるで自分が悪いことのように言う!」

二人だけにしか聞こえない慟哭が、地上の音を覆い隠して何も聞こえなくさせた。賑やかな地上より遠く離れた場所でも確かに聞こえていた、街に生活を創る音。そもそもここは、誰かが足を踏み入れること自体が稀である天高き場所だ。
突き刺すような痛みを持った言葉に、白いカラスは息を詰まらせて目を瞑った。ナイフを振りかざそうとして、その刃を自分で握りしめているようだった。自傷を堪える姿が痛々しくて、ウサギの眉も下がる。

「……苦しいよな。こうやって疑い続けるも、信じたいのに信じられないことも。
 多分、どっちも悪くないって言うやつの方が多いと思う。俺がもっと踏み込んでいたらって思うことも、俺が俺のことを悪いって思うことも、全部俺のエゴだし自虐的な言葉だとは思ってる」

だけど、と続くは逆接の言葉。
頬に触れて、伝う雫を掬う。払いのけられることも、傷つけることも、考えていなかった。

「これは、持っていていいエゴなんだ。お前を待っているだけじゃだめだったんだ。
 ―― だからクレア、頼む。隠していることを教えてくれ。俺はお前を掴んだ手を離したくない」

ここまで関与して放っておけないだとか、見捨てることはできないだとか、人が持つ当然の善性の部分が強いのだろう。
どうしてもララテアは許すことができなかった。これ以上クレアが苦しむことも、迫害を受けることも。そうして、彼女のためと言いながら踏み込むことを恐れることも。拒絶を恐れてどこか保身的になることも。向き合っているようで、見えないことを諦めて逃げていたことも。
ようやっと、恐る恐る開かれたその瞳と真に目が合った気がした。

「…………」

翼に異形化した耳がぺたりと伏せられる。くしゃりと顔を歪めて、震える声でゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「……私の羽には……病を退ける力が、あるんです」

始めて気が付いたのは、4歳の頃。野性の発現は凡そ3~5歳。3歳の時点で野性が発現して翼を授かっていたが、当初はランクが高い憑依型が起こす異形化でしかないと思っていた。
監禁され自由を与えられなかったある日。食事を運んできた男は風邪を患っていた。せき込み、忌々しそうに白いカラスを見る。自分が病に侵されたというのにそれが健康体であったことが気に食わなかったのか、無理やり押さえつけて翼へと手を伸ばし、腹いせに羽をむしり取った。
そのときだ。ポウ、と淡く白い羽が光り、消えてなくなったかと思えば。男の風邪は嘘であったかのようにたちまち治り、元気になった。当時は何が起こったのか分からなかった。もしかして、と試しに次に病に侵された者に同じことを行った。やはり、病を払い、その者はたちまちに元気になった。
忌み子には、排除するには惜しい価値があることが分かった。

「……今回狙われたのも、多分、それなんだと思います……ウルナヤでも、そうで…………暴力を、受けることは多々ありましたが……特に、羽を、集中的に……」

それ以降だ。過度な暴力を受けるようになったことも。特に翼に危害が加えられ、羊の毛のように刈り取られるようになったことも。危害を加える者の中に、歪に口端を吊り上げて恍惚に笑う者が居たことも。翼が再生することをいいことに、何度も何度も奪い取った。
ウルナヤで迫害を受けていたにも関わらず、追い出されるどころか逃亡して追われる身になる理由がはっきりとした。忌み子だと迫害しておきながら、彼らは利用価値があることを知っていた。それをウルナヤの者が皆知っていたかどうかまでは分からなかったが、誰も知らなければ村に住むことは許されなかったはずだ。
かつて人間は動物を飼い慣らし、肉や素材を得て暮らしていたのだという。食事を与えて世話をし、最後は殺して己の糧としてきた。彼女の扱いは家畜と呼ばれたそれ以下の扱いであった。迫害しておきながら、利用価値があるから殺すことも追い出すこともしない。力で屈服させ、常に反抗する気力を削ぐ。最低限の食事と水だけを与え、自由は決して与えない。

「……なんだよ、それ」

きゅうと丸く身を丸め、震える彼女の言葉を聞いて。
ウサギの握りしめられた拳から、長く揺れる髪から、ぱらぱらと火の粉が落ちる。すぐにそれは風に攫われて見えなくなったが、暗さを増した空の下では夕刻のみ見せる星のような瞬きだった。

「何でクレアがそんな目に遭わなきゃいけなかったんだよ!」

ウサギの慟哭に、白いカラスは大きく目を見開いた。開いた口が塞がらなかった。
目の前にいる人が怒りを発露している。助けに来てくれたときと、何一つ変わらぬ表情で。

「自分たちが勝手に忌み子だって決めつけて! 都合のいいとこだけ利用して! それで何で、今まで誰もクレアを助けようとすらしなかったんだ! 一体クレアが……クレアが、何をしたって言うんだよ!」

白色のカラスとして生を受けた。たったそれだけのことだった。たったそれだけのことで、ウルナヤの人々は彼女を異常として扱った。異常として扱いながらも、奇跡にも等しい力だけは搾取し続けた。あまりの身勝手さに、叫ばずにはいられなかった。すぐ傍にウルナヤの民が居たならば、思わず殴り飛ばしていたかもしれない。やり場のない怒りを向ける矛先が、ここに居ないことはきっと幸いなことだった。
そうして地べたにつなぎ留められ、空を奪われ続けた白に生まれたカラスは。ようやく、己の止まり木を見つけることができたので。

(―― この人は、怒ってくれるんだ)

自分は忌み子だ。されど、利用価値は持っている。価値なく手を伸ばした者が、実は生きる霊薬だと判明したならば。人とは欲深いもので、いくら秩序を築けど強欲を縛る鎖を作ることはできない。あるいはまともな人であったとしても、身に余る富は欲へと転じ、人格を殺す。
ウサギのことをずっと見てきた。誠実で心優しいが感情的になりやすいことも。自分の心に素直で真っすぐに在るが故に嘘をつけない性格だということも。何者かと競うことが好きで強い動物の本能を持っていることも。名を馳せる夢も闘争本能の副産物であることも。

「…………っ!!」

この人は、自分を物だと思っていない。利用価値を知ってもなお、自分を一人の人間のまま変わらず見てくれる。欲は人を狂わせるが、彼にはそんな欲がなかった。
彼は、自分の力で高みを目指すことを喜びとするが故に、この世界の人間としてあまりにも誠実であった。
そうして気が付いたときには、カラスは縋りつくようにウサギの胸元へと飛び込んで、顔を埋めていた。

「えっ……く、クレア?」
「うぅ……っあぁあああぁっ…………ぁぁぁぁああああああっ!!」

触れられること一つで恐怖を覚えていたものだから、ウサギは動揺して手のやり場に困らせる。大声を上げて喚いても、光のカーテンが全てを覆い隠す。世界から隠れて、傷つけられることのない場所で。ウサギとカラスが、2人きり。

「あっあーえっと、違う違う! 怒鳴ったのはお前にじゃなくって! ウルナヤの奴らにで!」

驚かせたか、あるいは怖がらせたか。ウサギが必死に弁解するが、カラスはぶんぶんと首を横に振った。手を振り払われず、ようやく助けを求められたのだと。遅れて理解して、先ほど見せた形相はすっかりと解けていた。気の緩んだ笑みを浮かべながら、妹弟たちにやるときと同じように優しく少女の頭を撫でた。

「あああぁぁっ!! ああああぁ……ひぐ、ぐすっ……あぁっ、うぁああああ……ああああああああぁぁぁぁ!!」
「……よしよし。やっとちゃんと、助けてって言ってくれたな」



いつぞやのベースキャンプでのやりとりを思い出す。あのときは抱えていたものが決壊したようだった。心を許したというよりは、安堵や恐怖、痛みといった感情から。今回は一切の遠慮がない、許すことができた相手にのみに見せられた本心。バケツに溜めた水が許容量を超えてあふれだしたのではなく、自らひっくり返して水を捨てた。ララテアは、それをただただ心から良かったと思うのだ。

間もなく日が完全に沈む時間をすぐ隣の鐘が知らせる。彼らが姿を現して、コルテと合流できたのはもう少し後のことだった。


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天威無縫 7話「強欲」

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「ここあたしのかかりつけ医さんがいるところ。チューナーさんでもあるから、サヴァジャーの診断もしてくれるよ」

案内された場所は細い道を10分ほど歩いた先にある、町医者とさほど変わらないほどの規模の病院だった。治安が悪くなりがちな裏通りにこそあったが、清潔感があり、足を運びやすい印象を受けた。
人もそれなりに多く、サブレニアンもお世話になっているということから警戒はしなくていいのだろう。来訪目的を伝え、呼び出されるまで院内で待つ。やはり白いカラスは珍しく、視線を向けられる。が、それだけで済むとも言える。カルザニア王国内であれば、人口の多さから珍しい野性は『珍しい』で済む。いないこともない、これだけ人が多ければ一定数は居る。追われることも、話しかけられることもなく呼び出されるに至った。

アルビノカラスの野性……これまた、珍しい野性をお持ちですね」
アルビノ?」
「簡単に言うと、羽や羽毛、髪や目などの色素が少ない遺伝病です。弱視などを引き起こすのです、が」
「問題なく見えていますよ」

トリの野性持ちは鳥目になりやすい。身体の構造は人間であるが、内包する野性の元となった動物の特徴が現れることは珍しくない。人間にも起こりうる身体特徴に限るが、アルビノの野性であればアルビノの特徴が現れていてもおかしくない。
現に、アルビノカラスの特徴である体毛や瞳の色はそのままクレアに反映されていた。一方で、アルビノの難病部分は現れていない。野性も強いのに不思議ですね、とクジャクの野性を持つ女性の医者は随分と興味深そうだった。クジャク特融の尾が白衣の隙間から地面へと垂れ下がっており、地面を擦っている。それでも埃が殆どついていないので、この院内の清潔さが伺える。

「では検査をしますので血液採取をします。それから、憑依型の方は変化部分を頂戴します」
「え……それはどうしても、ですか?」
「はい。身体から離れても残るタイプの異形化ができる者にはお願いしております」

毛や羽など、採取しても痛覚が生じない部分を回収して検査をするらしい。異形化した部分から移る感染症もありますので、と説明されるとクレアは渋々承諾した。

「じゃあはい、お願いします」
「……お願いします」

コルテは右腕を差し出し、バチッと一際大きな電撃音が弾けると犬の前足のそれへと変貌させた。最もそれはそのようなかわいらしいものではなく、鋭い爪で強靭な腕を持った、まるで人狼などと呼ばれていたそれのようであった。
そこから毛を採取し、クレアからは直接羽を受け取る。結果は後日郵送されるため、宿へ届けるように頼んでもらった。ララテア達は宿の住所は分からなかったが、幸いなことにサブレニアンのかかりつけ医は今更聞く必要はなかった。

診察が終われば、次はサヴァジャー試験への登録だ。こちらも手続きの場所をサブレニアンに案内してもらったため、すんなりと終えることができた。たどり着く頃には正午を過ぎていたので、案内が終われば彼女は宿へと帰っていった。
手続きはリュビ区の小さな闘技場で行われる。サヴァジャー同士が戦う場所として利用されるのではなく、試験のためだけに作られた場所だ。一般の闘技場と大きく違う部分は観客席が設けられていない点である。そのため関係者も試験中は試合を見ることはできない。これは観客席からサポートするといった不正行為防止のためだ。
試験会場自体はそれぞれの区ごとに4、5か所ほどある。1日で最大5人の挑戦を迎え、戦力の振るいにかけていく。合格率は6割程度で、難しいとは言わないが簡単とも言えない。あまりにも緩ければ軽率に命を落とす者が生まれ、厳しくしすぎた場合は社会が回らなくなる。この合格率が、この世界にとってちょうどいいボーダーラインだ。

「支援型サヴァジャー志願がクレアさん。そして同席者はララテアさん。
 はい、承りました。ちょうど今日から3週間後が最短の予約日です」
「思ったより時間がかかるな……でも、今日作成してもらう診断書の有効期限に間に合うか。じゃあそれでお願いします」

ピュームだったら後日とかで受けれたのになぁ、と呟く。人口が多く、サヴァジャーの文化が特に活発なこの地では、サヴァジャー志願者も多いのだろう。温和な者が住む村と違い、予約は先まで埋まっていた。
すぐに受けられるのも、クレアにとっては問題ではあった。彼女は野性の補助的行使こそ得意だが、戦闘経験は殆ど皆無だ。今から3週間の内に、ある程度の戦闘の立ち回りを身につけなければならない。そう考えると、妥当な日程だろう。

「ところで、サヴァジャー試験ってどうすれば合格なのですか?」
「試験官を殴り飛ばしたら」
「間違っていませんけど違います」

試験官に勝てば合格をもらえることには違いないが、誰もかれも熟練者ばかりだ。彼らに勝つためには相応の努力が必要な上、その時点でサヴァジャーとしての実力は十分すぎるほどだ。

「サヴァジャーの資格って、そもそも不用意な死者を出さないため、ですから。実力のない者が一人で無謀にモンスターに立ち向かったところで、餌になることが目に見えています。そういう無謀者を減らすための資格ですから」
「つまり……勝たなくとも、ある程度実力を示すことができたらいいと」

支援型の場合、明確なアプローチがない場合合格とはみなされない。同伴者と役割の違いを明確化した上で、己の技量を見せつけなければならない。これが回復系の野性であれば分かりやすいのだが、クレアは強化系でより示しづらい。

「よかったよね、ララテアが火属性で。これで水とか土とかだったら目も当てられないとこだったよ」
「まさしく日属性の悪い点ですね。汎用性が低く、できることが限られてしまう。他の一般的な属性より扱い辛い印象は私自身もあります」

一つだけ幸いだったことは、パートナーとなる者が日属性の恩恵を受けられる火属性であることだろう。今から共に試験を受けてくれる者を探すことも、ましてやクレアにとって信頼できる者を探し出すことは困難を極める。
任せてくれ、とララテアはとんと己の胸を叩いた。それにクレアも、頼みましたよと微笑んで小さく頷いた。



そうして手続きを終えて、旅の途中で消費した道具の買い出しなども行い。仄かに空に暖色が混ざり始めた。クレアの活動限界までに戻る時間は十分ある。今から宿に戻れば、夕食も食べられるだろう。
道は覚えてるから任せて、とコルテが先導する。イヌの帰巣本能に転じてか、彼女は各地の地理や場所を覚えることに長けている。未だ人通りの多い道を迷わず歩いていく。
さて。ララテアとコルテは、お互いにサヴァジャーであり『危険』に対する警戒心を持っている。ただし、それぞれの抱き方は異なる。ララテアは街の外や闘技場など、『場』に対して警戒心のオンオフを行う。戦闘が起きうる可能性に対して意識を向けるため、こういった街中では気を緩めて精神を休める傾向にある。
対して、コルテは『個』に対して警戒心のオンオフを行う。街の外で全く警戒しないわけではないが、ララテアのように周囲への警戒意識は薄い。代わりに自身が警戒すべきと判断した者に対し、安全を確信するまで気を緩めることはない。
二人が意識してこのような警戒方法を取っているわけではない。しかし、お互いがお互いの警戒できない部分を見事にカバーし合い、お互いの死角を取り払っている。
だから、こういった場面、例えば。

「―― 走って!」

イヌが唐突に後ろへ駆け、手を異形化させて攻撃をはじく。
街中で、唐突に今朝出会った者に襲われた、なんてことがあれば。ララテアは気づけなくとも、コルテは気づくことができる。

「やっぱり。今朝の……あの、クジャクのお医者さんだね」
「ち、やはりイヌの鼻はよく利くわねぇ!」

コルテが乱雑に手を払えば、水がぱっとオレンジがかった空へと舞った。街中の不意な一撃に、周囲の人間も気が付く。
この世界において、闘争は本能だ。それはルール無用の戦いにおいても変わらない。戦闘や荒事の気配があれば、人は逃げるのではなく、集まってくる。

「お、なんだなんだ決闘か!?」
「イヌとクジャクがやり合うのか! ひゅー、やれやれ!」

人が集まることは、コルテにとっては好都合だった。戦いが至高の世界において、喧嘩を申し込むだけ申し込んで逃げることは不名誉極まりない。このまま戦い、敗北をする方がずっと社会的に人が守られる。野性を宿した人間社会のルールは、平和よりも刺激に飢えている。

「コルテ! 一人で無茶ですよ!」
「だーいじょうぶ。私もララテアに負けないくらい強いんだから。それに、宣戦布告をしたのは私だし……一対一じゃないと卑怯っしょ」

コルテという人物は、明るく振る舞う一方で臆病で怖がりだ。故に『個』を警戒し、彼女が心を許す者は少ない。どこか一歩後ろで構えていて、いつでも逃げ出せるようにしている。
同時に、ララテア同様に誠実であった。信じられると判断した者のために戦うのであれば、その臆病さを殺し、勇猛果敢に立ち向かっていける。ララテアほどに好戦的ではないが、傍で彼の強さを見てきた彼女もまた、まっすぐであった。

「コルテ、6つ数えろ!」
「分かった、6つ数えたらね!」

6つ。意図を尋ねる前に、ララテアはクレアの手を引っ張り、駆けだす。人の壁に阻まれそうになれば、少し遅れてクレアがララテアを抱え、羽ばたいた。やがて2人の姿が見えなくなり、気配が消える。白いカラスの、姿を消す力を発動させたのだろう。
それを見送れば、クジャクの方へと向き直る。待っててくれるなんて律儀だね、と挑発を添えて。

「人の多い場所で堂々と襲い掛かるなんて。観客を呼んで逃げれなくする算段だった?」
「えぇ、あなたに気づかれたおかげで取り逃がしてしまったけれど」

カルザニアでは、揉め事は戦闘で白黒をつける文化が特に顕著だ。あちこちに闘技場とは別に屋外バトルコートが用意されており、お互い引き下がれないのであれば決闘を行う。負けた者は勝った者に従わなくてはならない。
風の副属性である雷と、主属性の水。属性相性では水に特攻を持つ雷が有利だ。一方で風に対して水は相性が悪いわけではない。コルテには有利な武器こそあれど、身を守るための防具はないのだ。
移動をすれば、決闘が始まるぞと通行人や近くに住む者も共に移動した。どっちが勝つか勝手に予想する者、タダで決闘が見られると喜ぶ者、身内同士で賭け事に興じる者、その様々だ。

「最初に聞くね。何でクレアを……白いカラスを狙ったの?」

両手を異形化させ、手を前に出して尋ねる。

「逆に、なぜあなたたちはあれを見て普通で居られるの? 万能薬になるなんて生ぬるい。あの羽があれば、どんな病気だって治すことができるというのに」
(……ウルナヤの関係者じゃなさそう?)

疑問、からの一瞬の気の緩み。気が付けば、目の前に水の刃が飛んできていた。

「!」
「まさか友達だとか、綺麗ごと言うんじゃないでしょうね!」

それでも、回避には充分間に合った。しゃがみ、地を蹴ればすぐにクジャクの目の前へと迫る。挙動の1つ1つが鋭く、敏い。瞬きする内に懐へと入り、腕を振り上げる。

「何のことかわかんないんだけど!」
「とぼけるな! サブレニアンに近づいて、案内させて! 私への当てつけでしょうが!」

イヌの一撃が放たれるより先に、クジャクから周囲に対して激流の暴力が放たれる。振り下ろしたと同時に襲い掛かり、雷は水を通して激しく辺りへ散った。一方で相殺とはならず、コルテは大波に流されて地面を転がった。
ぺっと口の中に入った砂利を唾ごと吐き捨てる。クジャクの美しい尾羽が開き、先端から水が渦巻いていた。

「チョウやガの子供だけがかかる難病って知ってる? まるで身体の中が何かに食われたみたいにぐちゃぐちゃになって、やがて外側を残して死に至る。ムシの野性は、ただでさえ寿命が短くてそんな難病もあって、年々数を減らしている」

それは寄生虫の被害とよく似ていた。幼虫に宿り、食い荒らし、やがて支配し繭を守らせる。宿主となる存在はいなくなったのに、まるで逃れられない呪いのように、身体を蝕み殺していく。人の身体に宿ってなお、理からは逃れることができない。
そしてそれは、未だに治療法は存在しないのだ。

「つまり、なに?
 自分じゃ治せないけどクレアには治す力があってずるい、って言いたいの? そのために傷つくクレアはどうだっていいってことなの?」
「サブレニアンを! 私にはあんなに元気にはさせてあげられない! 他にもそう、未だに治せない病は沢山あって、あの羽にはそれを全部治すだけの力がある! それをどうして活用しようとしない!?」

尾羽の渦はいよいよ大きくなり、コルテへと狙いを定める。声を荒げれば、呼応するように激しさを増した。

「馬っ鹿馬っ鹿し」

構わず、吐き捨てる一言。

「じゃあ聞くけど、君はクレアのこと知ろうとした? 白いカラスに生まれてどれだけ酷い仕打ちを受けてきたか知ってる? 今まで人の手で傷つけられてきた人に、人のために身を捧げろなんて言えるんだ」
「え……、」

悪い人ではないのだろう。イヌの萌黄色の瞳がクジャクを射抜く。助けたい生命があって、それを助ける術を白いカラスが持っていた。元気になったサブレニアンも、きっと彼女が手を施したのだろう。あらゆるヒーラーの力を見下し、頂点に君臨しかねないその力を、このクジャクは羨んだのだろう。
自分では治せない命を、白いカラスは触れただけで救ってしまうのだから。

「私はずるいって言う、君のことをずるいって言っちゃうな。
 だって、自分にとって都合のいいところしか見てないんだもん。一人の犠牲でたくさんの人が救われるとか考えるんなら、お医者さんやめた方がいいよ」

ウルルル、とうなり声をあげる。雷を放ちながら、異形化した腕が二回り大きくなった。クジャクが放つ水を、薙ぎ払い一つでいともたやすく払いのける。重量がありそうなそれは、見た目からは想像もできないほどに速く動く。そのまま地面を蹴り、クジャクへと迫りながら腕を振り上げる。

「う、うるさい……うるさい! あなただって私のことを何も知らないくせに! 病気のことも、あの子供のことも、何も知らないくせに!」
「知らないよ。だから、私は知ってる人しか手を伸ばさないし、伸ばさなくていいと思ってる」

熱するほどに、イヌの頭は冷えていく。クジャクに同情することはなく、冷静に立ち回る。
威烈な攻撃は最初だけだった。1を見捨て多を救う考えに至るには、あまりにもこの医者は中途半端に優しい。
右腕を翼に変えたクジャクが迫りくるイヌに応戦しようとする。しかし、その電光石火の一撃の方が圧倒的なまでに速かった。クジャクは命を救う術こそ心得ているが、奪う術に関しては身についていなかった。

「ごめんなさいが言えそうな人だけど、決闘放棄なんてしちゃったら名誉が傷つくもんね! これで降参してよ!」

コルテは速度に特化した野性の性質を持つ。素早い者が多いイヌの野性の中でも、それは特別秀でていた。一方でいくら速度が速くとも、詠唱を行えば技の発動はどうしても遅くなってしまう。思い描く野性を形成する速度が、身体能力に追いつけるとは限らない。
だからコルテはあえて、詠唱を捨てる選択をした。



「―― 雷鼓ランポ!」

前から突進し、目くらましのように雷が目前で弾けた。その次の瞬間には、クジャクは前方へと打ち出され、数メートル先の地面を転がった。

「――ッ!」

前方は警戒されている。雷で視界を一瞬奪ったとしても、前に対して身構えた姿勢は解けない。通り過ぎるかの寸前でターンし、その勢いのまま背後を異形化した腕で叩きつけた。慣性に従って跳ねた身体の勢いから繰り出され、更に思わぬ場所からの襲撃はクジャクに大きなダメージを与えた。地面に転がったまま、それは雷の痺れもあり口をパクパクとさせていた。
詠唱を行わず、その場で即興の技を作り上げる。再現性をあえて捨てることで、自身の身軽さを最大限に生かす戦闘スタイルがコルテの特徴であった。野性を放つために技に名を付けるが、それ以上の意味を持たないのだ。

「……悔しかっただけなんだろーなって、分かるから。サブレニアンには今日のこと黙っておくよ。だけど次クレアに危害を加えようとしたら、もっと酷い目に遭わせるから」

サブレニアンにとって、この医者は自分を今まで支えてきてくれた者だ。彼女を失望させる気はない。お互いに信頼関係があることは理解しているから、今日襲われたことを黙っている選択を取った。
根からの悪人ではないのだ。罪人であれば然るべき場所へと突き出すが、ここではこの程度のことは『決闘』でしかない。周囲を見渡せば、更に数を増やしたギャラリーたちがわああと盛り上がっていた。

「ちっこいのにやるなぁ、嬢ちゃん!」
「え、詠唱しなかったよね!? いきなりドンって技放ってたよね!? 詠唱なしで戦える子なの!? すごーい!!」
「あ、あの~……誰かこの人、手当してもらっていいかな。ちょっとやりすぎちゃったかもしれないから……」

そうして獣性が落ち着いてしまえば。勇猛性も引っ込んでしまい、明るいながらもどこか臆病なコルテが居心地悪そうにそこに居たのだった。


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天威無縫 6話「方針」

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おおよそかつてのドイツに位置する、カルザニア王国。スペインの文化であった闘牛や、古代ローマの闘技場の文化を取り入れ、人間同士が戦う文化を築いた。この世界の『当たり前』を先駆けて取り入れ秩序としたこの王国は、今や世界規模で人間の生活基盤を整えている。人口が最も多いこの場所はいくつかの区画で分かれており、ララテア達がまず最初に足を踏み入れた場所は最西端に位置するリュビ区だった。

「はい、問題ございません。ピュームからようこそ、カルザニアへ!」

入国のために、高い石垣に用意されている門で簡単なチェックを受ける。カルザニアは商人をはじめ人の出入りが多く、荷物の検査や入国許可の確認が必要となる。とはいえ、人体から無理やり採取した違法な素材を持っていないか、違法薬物を持ち込んでいないかのチェックが主である。それでも怪しい人間の入国を減らすため、出身場所の街や村を取りまとめる者が発行できる『外出許可書』を提示するルールを、大きな街や国では必須とした。
彼らの外出許可書を与えた者はピュームの村長だった。移住先で許可書を発行するパターンはそこそこあり、この行為は違法ではない。秩序を取り締まる者がこの人間は安全だと判断した。それを証明できれば、出身場所などそう問題にならないのだ。

「村長、私の分まで用意してたんですか」
「だから姿を消して石垣を超えようとか考えなくていいって言ったろ?」

この場合は不法侵入でバレたら普通に罰されるので良い子は真似しないようにしよう。バレることはそんなにないけど。
夕暮れに染まる空の下、クレアがほっと胸を撫でおろしたのもつかの間だった。門を潜れば、ピュームやウルナヤとは比べものにならないほど人で賑わっていた。レンガで整備された道の両側には建物が並んでいる。道は人が通る以上に広く整備されており、荷車などで素材や加工品を運びやすくしている。その中に、人同士が決闘を行うために時折広場のように開けた場所が設けられていた。
リュビ区は特に物資の流通が多いため、道を幅広く作られている。また、門と面している場所であるからこそ、人の行き来を想定して宿が多い。商人向けであるが、他の街からの来訪者を歓迎し、長期滞在を可能とする場所も多い。人間的に休める場所を探すことはそう難しくはないだろう。

「流石カルザニア、人が多いな」
「迷子になっちゃだめだよ、ララテアお兄ちゃん」
「俺が迷子になってもお前がイヌの嗅覚で見つけてくれるから安心だな~」

銀貨を一枚、ララテアはコイントスのように弾いた。カルザニアに来るまでに狩った素材を門で売却したこともあり、路頭に迷うことはない。サヴァジャーが狩ってきた素材を門で即座に買い取ってもらえるここは、彼らにとっても気軽にモンスター討伐が行えるためありがたいシステムだ。勿論持ち込むことはできるため、融通したい人間の元へ自ら届けることもできる。この街は、どこでもサヴァジャーを軸に秩序が築かれている。

「じゃ、さっさと宿を見つける……前に、はぐれそうだから手借りるぞ」
「え、あ、ちょっと!?」

有無を言わさず、ララテアはクレアの手を一方的につなぐ。手袋越しであっても、ララテアの手に小刻みな震えが伝わった。振り払おうと手を上げられたが、そのまま無言で自然な位置へと戻されていった。

「私は?」
「お前は俺が迷子になっても見つけてくれるだろ」
「ララテアお兄ちゃんが迷子になる前提だったの!?」

2人が手を繋ぐ姿は自然であるが、3人が手を繋ぐと急にご機嫌な光景になる。ララテアもコルテも流石にちょっと嫌だったため、そう言いながらもお互いにご遠慮した。お互いに街に慣れてはいないが、抵抗があるわけでもないので別に2人が繋ぐ必要はない。
日が沈みきってしまえば、そこの白いカラスは問答無用で寝落ちをしてしまう。やや急ぎ足でララテアたちは宿を探し、即決をする。そうして選ばれたのは、大通りから離れた細い道に建つ『朝の陽ざし亭』だった。10人程度くらいの寝泊まりが精いっぱいといった、宿泊所としての規模は小さい場所だった。外装は整っており、扉を潜った先でも木製の温かみを感じられる場所であった。カウンターにはシカの野性を持つ男性の亭主が朗らかに出迎えた。

「おや、うちに3人も宿泊なんて物好きが来たもんだ。ここ、小さくって変なとこに建ってるから、滅多に団体客は来ないんだよ」
「3人は団体じゃないと思う。あーっと、1部屋開いてるか? できれば長期滞在させてほしいんだけど」
「3人で1部屋でいいのかい? 1部屋ずつでも長期滞在のご利用できるよ?」
「それはちょっと、金銭的な問題でな……」

移住の準備を整えてカルザニアへ来たわけではない。ここから移住の準備を整える必要がある彼らは、少しでも出費を抑えておきたかった。苦笑するララテアを見て、亭主は旅行者ではないことを察した。

「けほっ、こほ……お客様? いらっしゃい……」
「こらサブレニアン! 無理に出てきちゃだめだと言っただろ!」

手続きを進めていると、具合の悪そうな子供が部屋の奥から出てきた。銀髪で空を閉じ込めたような瞳をぱちくりとし、ワインレッドと黒のスカートが宙でふわりと揺らいだ。顔色が悪く、壁を支えにしている姿は誰が見ても体調が良くないのだと察せてしまう。子供なりに、手伝おうとして出てきたのだろうか。

「ご病気ですか?」
「あぁ、この子チョウの野性でね……難病を持ってるらしいんだ。プロアスタル地方からやってきた人間がここに連れてきたんだよ。それも死にかけで……」
「えっ、プロアスタル地方から!? よく受け入れたね!?」

コルテが驚きの声を上げて、亭主と子供への視線を何度も往復させる。そうなんだよ、と話を盛り上げ始めた亭主のおかげで、そこのウサギとカラスは完全に置いてけぼりを食らうことになった。
プロアスタル地方はかつてはアフリカと呼ばれていた大陸のことだ。ここに住む者は過去に規律を守れず迫害された人間や、守る気がない人間たちばかりが暮らしている。犯罪が当たり前に起き、結託して他の地方まで法を犯す者すらいるほどだ。
ムシの野性は他の野性と比べ、寿命が短く特定の難病にかかりやすい。出生率こそ高いが幼少期に死ぬ者が多く、年々人数は減少している。プロアスタル地方では例外的にムシの野性持ちが多いが、それ以外の地方だと殆ど見かけることはなくなっている。
亭主曰く、この子供はプロアスタル地方では病気を治せず、見捨てることもできないままここまで連れて来られたのだと話した。他の子供がどうなったかを聞く前に逝ってしまったため、詳細は知らないそうだ。

「盛り上がってるとこ悪いんだけど、部屋借りる手続き進めていいか?」
「あっ、すまないね! えーと、そしたら名前をまず聞かせてもらえるかい?」

手続きを行っている間、クレアは子供へ意識を向けていた。彼らの意識にないところで、白いカラスは己の翼に嘴をひっかける。ぷち、と一つだけ、色のない羽を袖にしまい込んだ。



「良くなるといいですね」

しぃ、と口に人差し指を当てて、羽を仕込んだ方の手でサブレニアンの頭を撫でる。血は繋がってこそいないが、父親の愛を一身に受けて育ってきた子供は、何も疑うことなくその手を受け入れた。好意を信じて疑わない、純粋な子供であった。だからこそ、真っ先に自責に至る。

「……っ!? 白いお姉ちゃん!?」

どさりとその場に崩れ落ちる音の方が、子供の声より早かったかもしれない。慌ててしゃがみ、揺さぶるが意識は戻ってこない。残りの者たちも気が付き、一方ですぐに駆け寄ったのは亭主だけだった。ララテアとクレアは窓の外を見て、静かに顔を覆っている。

「どっどうしよう、カラスのお姉ちゃん、あたしのこと撫でて倒れちゃった! あたしの病気、もしかして移っちゃって……?」

日が、沈んでいる。つまり。

「すいません、それ……寝落ちなんで……」
「寝落ち!?」
「この人、日の入り入眠スイッチの体質なんだ……」
「日の入り入眠スイッチ!?!?」

睡魔に負けて生きたまま床マットと化したカラスは、それはそれは安らかな表情で寝息を立てていたという。



「あ~ 人の文明最高~!」
「ものすごくふかふかでした……地面とは大違いでした……落ち着かないかと思っていたのに……」
「君そもそもベッドに入る前に床でぐっすりだったじゃん」

部屋にはベッドは1つだけだったが、亭主の好意で3つに増やしてもらった。重い家具の移動も、野性を内包する彼らにとってはなんてことはない。流石に部屋の広さの関係上、床の殆どが見えなくなることにはなったが。
見張りの必要がなく、人の暮らしの中で得られた休息でようやく一息つくことができた。彼らは野性的な人間であるが、人間である以上は文明を頼りに生きている。
朝を迎えると、身支度を終えた3人はカウンターで朝食を食べながら今後の方針を決めていた。追っ手から姿を晦ませるために人口の多い場所に移動した彼らは、ここで暮らす術を確立していかなくてはならない。

「ひとまず俺とコルテはこの辺の闘技場で戦って資金稼ぎ、だな。外でモンスター討伐してきてもいいけど、できるだけ顔を広めておきたいんだ」
「それは危険じゃないですか? 下手に目立つとそれこそ追っ手があったときに見つかりかねませんし……」
「勿論リスクもある。けど、何かあったときの保険になる。名前が知られてるやつと、そうじゃないやつ。何かあったときに、助けを求めて助けてもらえるのって前者だろ?」

名声とは、力だ。人が存在を認知し、記憶に刻み込まれる。スラム街の子供が攫われたとして、誰がその行方を追うだろうか。評判のいいサヴァジャーが突然居なくなったとなれば、対犯罪組織が少なからず事件性を感じて動く。それ以外にも何かしらの縁が生まれ、協力者が増える。悪意なき方法で、自分たちにとっての敵を敵と晒し示すのだ。

「なるほど、理解しました。異論はありません」
「私も異論なし! そしたら今日はチューナーさんを探して検診してもらえそうなとこ探しかな」
「あとは……クレアってサヴァジャーの資格ないんだっけ。取っておいた方がいいよな」

チューナーとは、内包する野性に対する医療関係者の総称だ。身体や精神的な作用をコントロールし、調律する様からチューナーと呼ばれるようになった。現代の精神科に近いが、人間ではなく内包する野性に対して治療を行う。
闘技場に出場する場合、チューナーによる検診が必要となる。人に怪我をさせた際に感染させる病気など、サヴァジャーにとって死活問題となりかねない病気を持つ者を事前に弾くための制度だ。また、野性が暴走し、相手を過度に傷つけかねない場合にもストップをかける。彼らによって、サヴァジャーの存命維持が成されていると言っても過言ではない。

「強化術に特化している私でも取れますか?」
「そういうやつは、戦えるサヴァジャーと共闘で試験に挑めるぞ。ちゃんと分かりやすく力を示す必要があるけどな」

朝食に提供されたクリームシチューのスプーンをララテアはくるりと回す。ガルムというミルクの代わりになる植物を使ったそれは、素朴な味わいで田舎暮らしの彼らにとってはどこか安心感を抱いた。相変わらずクレアはすぐに食べ終わっているし、コルテはすぐに満腹になるらしく器の中に半分ほど残っている。

「じゃあ今日は……チューナーさんを探して診断書作ってもらってサヴァジャー試験の予約をして、って感じ?」
「やることの密度がえぐいな。これが知ってる場所だったらともかく、探し出すところからスタートなんだよなあ。闘技場の場所も把握しときたいし……」

決して食べる速度は遅くないはずの、一人食べ遅れているララテアが残りのシチューを食べ進めながら思案する。地図か何か借りれないか相談しようか、と話し合っていると、昨日と同じく奥からサブレニアンがひょっこりと現れた。

「ね、ねぇ白いお姉ちゃん、昨日あたしに何かした!?」
「いいえ、何もしていませんよ。どうかしました?」
「今日すっごく調子がいいの! 昨日倒れちゃったの、ほんとにあたしに何かしたからじゃない……?」
「昨日のあれはまさしく寝落ちなので忘れてください」

羽に異形化した耳まで真っ赤になる勢いだ。クレアはぷいっと顔を隠し、サブレニアンからの追求から逃げる。何かしたから倒れた、ってことにした方が恥ずかしくなかったんじゃ、とコルテは考えたが言わない優しさを選択した。

「それでね、お兄ちゃんたちあちこち行きたいんだよね?
 今日元気だから、午前中はお出かけしていいよってお母さんとお父さんからお許し貰った! リュビ区でよかったら道案内できるよ!」

えっへん、とかわいらしく胸を張る。昨日の顔色の悪さや咳が嘘のようで、難病を抱えている女の子だとはとても見えなくなっていた。ふらつきもなくなり、すぐに倒れる様子もない。連れていっても問題ないだろう。

「じゃあ……せっかくだから案内してもらおっか。クレアもコルテもいいよな?」

異論なし、と首を縦に振る。やった~ と無邪気にその場でぴょんぴょんと跳ね、クレアへと駆け寄った。イヌの憑依型であれば、今頃しっぽをぶんぶんと振っていたことだろう。

「病気、治してくれてありがと!」
「……ですから、私は何もしていませんよ」

そう答えて、柔らかく笑む姿は確信犯のそれだった。
人は都合のいい事象を奇跡と呼ぶ。白い翼は、人に奇跡を与える偶像のようでもあった。それをララテアは、頬杖をついて遠くから眺めていた。
何をしたのかを、結局ララテアは追及しなかった。何となく隠し通そうとして、それでも子供の苦しみを無視できなくて行動したように見えた。今追及しても、しつこいと一蹴にされて終わりだろうと。

 

 

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天威無縫 5話「旅路」

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2日治療を受け、3日目の朝。クレアの様子を確認すると、まだ身体は痛むが出発できるとのことだった。いよいよピュームを離れ、カルザニアへと向かう日が来たのだ。
元々雨の少ないカルザニア地方は今日も快晴だ。3人は必要最小限の荷物を纏め、旅路に出る。広大なる大地に道というものはなく、看板は口伝で伝えられている自然の目印だけだ。

「ところで、大体どのくらいの距離と日数か聞いても?」
「ん~と……大体2100kmくらいだったよね。『人間らしく』歩いていくと二か月くらいなんだっけ?」
「そこは俺たちサヴァジャーだし、俺もコルテもどっちも足には自信があるからな。1日3時間くらいは『獣らしく』走れるぞ」

野性を宿した人間の身体能力は、宿していない人間と比べると遥かに高い。野性の種類にもよるが、ウサギやイヌといった陸上で素早い動物を宿す二人は人間よりずっと速く走ることができた。長距離を移動するための乗り物も、この世界ではそこまで役に立たないのだ。
クレアは陸を駆ける野性ではないため、人間らしく地面を歩くことしかできない。飛べるようになるまで待とうかと考えたが、じっとしているよりかは歩いていた方がいいだろうと最終的に意見がまとまった。走る間、またララテアの背にお邪魔することになるのだが、彼はそれも笑って承諾した。

「道中で野生動物にどれだけ襲われるかにもよるよね、到着時間」
「あぁ、それなのですが」

コルテの言葉を遮り、クレアは祈りを捧げるように手を組み、瞳を閉じる。不格好な翼が太陽の光を受けて輝けば、3人の周りにオーロラが広がった。

「光の生糸よ羽衣となれ 織り成すは真昼の神隠
 ―― 『天女の悪戯サンライト・ヴェール』」

詠唱が終われば、真昼でもはっきりと見える光のカーテンが音もなく消え去る。幻想的な野性の行使に思わず2人はおぉ、と感嘆の声を漏らした。が、それが何を意味するのかは分からず、言葉を失ったまま首を傾げる。
目で見える変化は何も起きていない。困惑している者を置いてけぼりにしたカラスは、いたずらに口端を上げて人差し指を立てて口に近づけた。

「姿を消す術です。
 太陽の光が一定以上届く場所のみですが。私が解くまで、術を受けていない者から見えなくなります」

クレア曰く、制約はもう少しあり、術を受けていない者と干渉があれば、姿は暴かれてしまう。あるいは術者が意識を失う、あるいは集中ができなくなっても効果は途切れてしまうそうだ。音や匂いも包み隠してしまうため、野生動物の巣窟を駆け抜けるには便利な術だ。
追っ手から逃げる術としては万能ではない。夜に見つかれば、己を隠すための布を織ることができない。凡そ特定できていれば広範囲に効果のある術を使えばいい。浮かんだ疑問はクレアに尋ねるまでもなかった。

「あ! ほんとだ! 全然見つかってない!」
「そうなんですよ、この術はご覧の通り目の前で手を振っても気づかれな……って流石に度胸試しが過ぎませんか!?」

好奇心イヌを殺しそう。その辺を走っていた3メートルほどの水属性ウマ型にヒッチハイクを洒落こんでいた子供を回収。ウマは全く気付くことなく走り去っていったので、実際の効果はご覧の通りとなった。

「と、とりあえず思った以上に順調な旅路になりそうなのは分かった。
 疲れたらいつでも休んでくれ。どのくらい持つのか分かんないからさ」
「大して疲れませんよこれ。この人数であれば日が沈むまで余裕で保てます」
「え?」
「余裕で保てます」

なんということでしょう。一日中維持したところでさほど影響がないと言うではありませんか。
高ランクの野性が規格外だと思い知らされたところで、ララテア達は今度こそ道のない大地を歩き始める。村の方角へ振り返ることはなかった。



旅は恐ろしく順調であった。
雲のない快晴の空の下、風も穏やかで草木を揺らす程度に過ぎない。モンスターによる弱肉強食の世界からは、白いカラスの加護によって切り離される。
時折休憩を挟みながら、一日中西へと向かって歩き続ける。途中で疲労を溜めない程度に野性を解放し、草原を駆ける。急ぐ旅ではないが、時間をかける旅でもないのだ。
そうして何事もなく1日目は夜を迎えた。適当な平地で焚火を囲み、野宿の準備を行った。夜行性のモンスターも多く、クレアの術も解ける。人間である以上、睡眠も必要だ。夜は見張りを立てて、交代で番をすることに

「うーん、ぐっすり」

できなかった。いっそ清々しいまでにぐっすり眠るクレアを、苦笑しながら2人は見守っていた。

「晩御飯食べる段階で半分意識飛んでたよね」
「俺思わず褒めたもん。ちゃんと寝落ちする前に晩御飯食べてえらいって」
「遊びすぎて疲れちゃった3歳児かな」

談笑に交じり、パチパチと木の枝が音を立てて燃え上がる。火の粉が弾け、ぱっと辺りを照らした。白いカラスは寝苦しさに身じろぐこともなく、横向きになって身を丸めていた。座っていた者が寝落ちたなれの果てである。
時折響く獣の遠吠え。夜のハンターが狩りに彷徨う。その獲物が自分たちになるかもしれないのだから、警戒を怠ることはなかった。

「ありがとうな、コルテ。ついて来てくれて」
「ん、急にどうしたの?」
「多分一人だったら、もっと気負いしてたなって思って」

もしもこの旅が自分とクレアだけだったなら、それこそ夜寝る暇もなかっただろう。それだけではない。白いカラスのことも、付きまとう責任も、全て一人で背負わなくてはと脅迫にも似た思いに迫られていただろう。

「ララテアお兄ちゃんが気負いするとこ、見てみたいけどね」
「あ! 楽観的なやつがなんか言ってる~くらいしか思ってないな!」
「だって。何とかなる、で大体生きてるじゃん」

座りながら頬杖をついて、けらけらと笑う。気負いするところを想像できないわけではなかったから、コルテは笑い飛ばしておいた。そんなもの、茶化して火にくべて、煙となって見えなくなればいい。獣避けとなる植物を混ぜたそれは、真昼のカーテンの代わりとして少しは機能をしてくれる。

「じゃ、私が先に見張り番やるね。日付が変わったら交代で。あとクレアさんに毛布の上に置いといて。起きないでしょ」
「急に扱いが雑になるじゃん。起きないと思うけど」

お休み、と言葉を交わしてその場で寝転がる。いつ野生動物が襲ってくるか分からない外では、寝袋やテントは基本的に利用しない。虫などとうの昔に巨大化をして、対策の方法は獣に対するそれと同じだ。
野性を宿し、人間よりも頑丈になった彼らにとって、野宿は火を囲んで毛布に包まれば十分なのだ。すぐに寝息を立て始めたララテアを見て、相変わらずだなぁと和んでいた。
外の世界の夜は早く、そして長い。

 

「ああああああすみませんすみませんすみません見張りをお二人に任せて自分だけ寝てしまうという悪逆非道なことを!! してしまい!! 大変申し訳ございませんでした!!」
「落ち着け!! 大丈夫だから!! 責めないし怪我人に無理させる気ないから!!」

朝、土下座するような勢いで謝られたので全力でララテアが宥めたのは別のお話。

  ・
  ・

旅を始めて8日目の早朝。3人はカルザニア王国まで凡そ半分のところまで来ていた。途中で雨に降られたときは巨木の下へと逃げ込み、小雨になれば雨具に身を包んで歩き続けたこの辺りにも中間地点を示す目印はあるが、草原と森がどこまでも広がるこの大地でそれが見つけられるかは運に委ねられる。
日が昇り始めればクレアが目を覚まし、見張りをしているララテアと暫くの2人きりの時間を過ごす。少しの言葉を重ね、朝食の準備をし、その間にコルテが起きる。3人揃って朝食を食べ、また歩き始める。すっかりとパターン化されて、暫くの日常となった。

(……いない)

辺りを見渡し、すぐ傍に見張りをしているはずの人影はいない。が、視界の開けているここでは、遠くであれど目的の人物を見つけることは容易かった。近くでモンスターが出て追い払いに行っているのだろう。認識できる距離の中に、モンスターと戦っている炎を使う男性の姿を確認できた。
手助けに、と動こうとして思考がクレアを引き留める。翼はすっかり元通りになった。今は自分を見ている者は誰もいない。疑心が冷静さを突きつけて、悪い囁きをする。助けてくれた人が、これからも助けてくれる保障はない。そもそもこの2人が、どこまで自分に付き合うか分からない。カルザニア王国まで同行して、その後は? 自分の不利益にならぬように在るとどうして言い切れる?
今なら逃げられる。姿を隠して飛び去ってしまえば行方を晦ますことができる。詠唱を唱えようと、言葉を紡ぐ。しかし、開かれた口からは一切の音が発されなかった。ぎこちなく動きはするくせに、真昼のオーロラを織り上げるための祈りが出てこないのだ。

「…………っ」

苦虫を嚙み潰したような表情のまま、目を逸らした。それが良くなかった。すぐ傍に、ウサギが吹っ飛んできた。咄嗟のことに、クレアは反応できない。ぶつかる、と身構える暇すらない。

「――ッ!」

ぎゅるん、と空中で身体を捻って着地場所を無理やりずらした。四つん這いで地面を後ずらしし、そのまま力を込めて真っすぐ跳ぶ。たった数秒に、クレアは置き去りにされていた。
あれは、笑っていた。クレアの知っている顔ではなかったが、それが何かは理解できた。
本能のままに、強者とぶつかることを喜びとする者の顔だった。食肉を得るために。縄張りを主張するために。群れのリーダーを示すために。雌へのアピールのために。獣とは、常に生を狩り、死と隣合わせに生きている。
彼は、生粋のサヴァジャーだった。

「さっきぶつかってない? 大丈夫だった?」

そんなウサギが満足して戻ってくる。相手にしていたものは4メートルほどの火属性サイ型だった。ずるずると引きずってくる姿は、仕留めた獲物を自慢する獣と似ていた。

「……いえ、大丈夫です。ぶつかってません」
「そっか、それならよかった」

解体したら朝食の準備をすると伝え、サイ型へ登りナイフを突き立てていく。肉の他にも王国に着いて高く売れそうなものは回収していく。持ち運ぶものを取捨選択しながら、慣れた手つきでみるみるとサイは捌かれていった。

「何も言わないんですね」
「ん、何が?」
「逃げようとしたこと。視認できていたでしょう?」

手を止めて、クレアへと向く。自身の服の裾を握り、自嘲気味に目を逸らしていた。自分の身体よりずっと大きなモンスターは、蹴り下りるための足場にしたところでびくともしなかった。

「もう翼は大丈夫なんだな。それなら本当によかった」
「いや、そうではないでしょう? もっと言うべきことがあるはずです」

問い詰められるように迫られ、ララテアは腕を組んで首を傾げる。血に濡れたナイフからぽたりぽたりとそれが滴り落ち、地面に赤い跡を作っていく。人間のものではないその匂いは、あまり不快には思わなかった。



「何で、何も言わないんですか!?
 逃げようとして酷いやつだとか、助けてもらっておいて恩知らずだとか! もっとララテアから私にかけるべき言葉があるでしょう!?」

責めるように啖呵を切った。地面に転がって寝息を立てていたイヌも、耳をぴくりと動かして眠たげに起き上がった。目に入った光景に目を丸くしたが、口を挟むつもりはないと再び背を向ける。
暫く2人はお互いに睨みめっこ状態になっていたが、先に負けたのはララテアだった。噴き出して、声を上げて笑うものだから、クレアはもう訳が分からなかった。

「俺は、クレアがそうしたいならそうしていいよと思ってるよ。別に俺はお前を縛ろうなんて気はこれっぽっちもない。振り払われたらそれまでなんだと思ってる」

でもさ、と。
ここから先は真剣に、まっすぐと紅色の瞳を見ていた。

「お前は俺たちを信じようとしてくれてる。まだ出会ってたった10日くらいなのに、手を振り払わずにここに居てくれてる。多分、凄く怖いのにさ」

あくまでもウサギはきっかけになることを選んだつもりだった。助けられて彼女を独りにすることは、結局彼女を傷つけて立ち去る行為と同等だから今も共に行動しているだけだ。
もし白いカラスの翼が癒え、空へと舞い戻るのであればそれでいいと思った。人間が傷ついた野生動物を保護し、自然に戻す行いと同じように。彼は、いつだって窓を開けているつもりだった。

「だからあんま自分を責めんなよ」

肩に手を伸ばそうとして、止める。触れられることに強い忌避感を抱くことを思い出して、上げた手を降ろした。これでは何だか見捨てるような気がして、代わりにララテアは満足気に力強く頷いてみせた。
会話が聞こえなくなると、コルテが起き上がって朝食の準備を手伝い始める。そのやりとりを、どこか遠くからクレアは見ていた。
ウサギは色んな側面を持っている。多様な色を見せるそれは、根本は一つに繋がっている。カラスはそのどこにも都合の悪い色を見出すことはできなかった。都合の悪い色を見つけたいのか、見つけたくないから探してしまうのか。悪魔の証明を説けないカラスは、伸ばしかけた知られずの手を仕舞ったのだった。


翼を得て、旅路は急ぐわけではないのに速度を上げる。残り半分の道のりは、たったの5日で駆け抜けてしまうことができた。


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天威無縫 4話「準備」

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陽の力を主とする者は、太陽の光を浴びていた方が傷が早く治る。クレアの申し出により、ララテアは外で朝食の準備に取り掛かった。ベースキャンプに応急処置のための道具を確認したものの、ワシの攻撃で使える状態ではなかった。ベッドの代わりとして使っていた藁の束も、ララテアの炎により全て灰と化していた。
モンスターが跋扈しているこの世界で肉に困ることはない。植物も、スドナセルニア地方は自然豊かな場所だ。人がかつて品種改良した物が野性化し、味はそのままで強靭に育つようになった植物もあれば、全くの新種もいくつも存在する。ララテアは一先ず手頃な土属性ネズミ型を仕留め、その辺に生えていた香草を使用し臭みを取る。近くにリンゴの木があったので、それも焼いて朝食にした。

「もうちょっと食べやすいものが用意できればよかったんだけど」

身体を起こさせ、葉の上に置いた朝食を手渡す。自分で食べれる? と尋ねようとして、クレアが困惑した表情を浮かべていることに気が付く。食べれないものがあっただろうか、と食文化の違いを疑ったのもつかの間。

「こ、こんなに豪華な、朝食……!?」

顔を覆った。ララテアの中で、ウルナヤの人たちへの殺意レベルが上がった。自分の中で間に合わせの即席料理が豪華だと言われてしまった。本格的な料理を振る舞ったら卒倒するのではないだろうか。

「肉とリンゴを焼いただけだぞ。
 せめて塩とか、バターとかあったら良かったんだけど」

それ以前にお粥とか、怪我人が食べやすそうなものを用意したかった。村から追い出されたからどうしようもなかった。
いただきます、と手を合わせて食べ始める。食器を使わず、葉の上から手づかみで食べられるこれはクレアでも食べられた。やっぱり調味料が欲しいなぁ、というのがララテアの感想。

「…………!」



一方で、こんなに美味しいものを始めて食べましたという表情のクレア。嬉しそうに食べてくれるのは作り甲斐があるが、こんなもので感動しないでほしい。そんなに目を輝かせて食べないでほしい。

「あぁーゆっくり! ゆっくり食えって! こんな調味料という文明を使っていない原始的な食事、料理以下だからその感動はもうちょっと別に取ってくれって!」
「だ、だって凄く美味しくて……! これ、本当に焼いただけなんですか!?」
「不思議だよねぇ~。ララテアお兄ちゃんが焼くと、ただのお肉もすっごく美味しくなるの。料理上手の賜物ってやつなのかな」

村長からここに居ると聞いた、コルテとアルテが荷物を持ってやってきた。コルテは旅に必要な、アルテは治療に必要な荷物を持ってきていた。

「改めまして、私はコルテ・ラウット。ほんとはラウット家の子じゃないんだけど、お世話になってるからこの性を使わせてもらってるんだ。
 野性カルテはP4 W-Dog。風属性だけど副属性の雷がメインだよ、よろしくね!」
「私はアルテ・シエルマリア。野性カルテはL2 E-Sheep。土属性のヒツジです。
 私は村から離れることはできませんが、旅立ちまではサポートしますよ」

二人の挨拶に、よろしくお願いしますと硬い表情で一礼をする。少し遅れて言葉の違和感に気が付き、クレアはコルテに尋ねた。

「あの、コルテも村を出る気ですか?」
「うん。お邪魔かな。お邪魔だったらごめんね。
 でも私も村の外に出たかったから。行くのってカルザニア王国でしょ? ピュームに居るより絶対に手がかりがあるもん」

話が読めなかったが、そういえば自分と同じ境遇かどうかを話していたことを思い出した。ラウットの家の者ではない、手がかりを探している。思い返せば、自分のことをはっきりと覚えているかどうかの確認があった。

「私はララテアお兄ちゃんに拾ってもらう前のこと、なんにも覚えてないの。ほんとのお母さんのことも、お父さんのことも。一人で倒れてたことも。だから、ほんとのことを知りたいの」
「ってことで、コルテが大人になったら村を出ようって俺が言ってたんだ。……本当に俺が村を出たかどうか、わかんないんだけどな」

怖気づいて、結局真実を暴かぬまま村で暮らすことを提案したかもしれない。ララテアは、クレアを村に留まる言い訳として使っていた自覚があった。8歳のコルテが大人になるまで、あと2年。果たしてその時自分はちゃんとピュームを離れることができていただろうか。分かる日は一生来ないのだろう。

「なぁ、2つ聞きたいことがあるんだ。もし話しづらいことだったり分からなかったりしたら、無理に答えなくていい」

ララテアの申し出に、クレアは眉に皺を寄せる。断っても詮索はされないだろうが、今後行動をするのであれば話さなければならないことも出てくる。分かりました、と小さく首を縦に振った。

「一つ目。何で連れ帰らされそうになってたんだ?
 忌み子なんだったら、逃げれば村のやつらにとって好都合なんじゃないのか?」
「……それは、」

思い当たるものはあるらしい。食べる手を止めて、俯き気味に視線を逸らせる。ララテアにとっては十分だったようで、それが分かったらいいと頷いた。
追われることに思い当たる節がある。迫害を受けながらも、彼らにとって居てもらわなくてはならない理由がある。だから追われた。

(それはそれでちぐはぐだな)

彼らの言動を思い出す。存在が不吉で、例えば村と同様モンスターを呼び寄せる存在だったとしよう。合理的に考えるならば、忌み子を殺してしまえば被害はなくなる。人口密度が多いほどモンスターは人間の住処を認識し、村へ近づかない。その性質を考慮しても、1人の人間を間引く方がずっと被害は減るはずだ。
ただし、ここにピュームの人間がクレアに対して敵意を持つように仕向けた嘘は必ずある。では、何を持って忌み子なのだろう。少なくとも、酷い扱いを受けていたことは間違いない。一方を考えれば、一方がかみ合わない。
これ以上は憶測の域だと思考を止める。それじゃあ次、とララテアは質問を続けた。

「もう一つなんだけど。戦ってる途中に凄く身体が軽くなったんだけど、あれってクレアの力?」

こちらは答えられる質問だったようで、そうですと縦に首を振る。

「あれは陽属性の強化術です。陽は火の属性を強化させることができるので……ちょうど、あなたが火属性でよかったです。私は野性ランクこそ高いのですが、補助的な術に特化しているため攻撃などは苦手なのです」
「なるほどね。だからやり返せなかったんだ」

コルテの疑問は、高ランク野性であれば追っ手を暴力でどうにかすることができたのでは、というものだった。野性ランクが高ければ、扱う技術がお粗末だったとしても圧倒的な力でねじ伏せることができる。忌み子として暴力を受け入れなくともよかったのではないか、と不思議に思っていたのだ。
野性は気質とも結びついており、それが必ずしも攻撃的であるとは限らない。心優しき者は他者の傷を癒し、冷静な者は上手く従え暴走から遠ざける。これらの在り方こそ、この世界の『信仰』であった。

「天の属性……主に光の副属性で、風属性を強化することに長けた属性なのですが。こちらも一応扱えます。が、陽に特化していると考えてください」
「あっじゃあ私もクレアさんの野性の恩恵もらえるんだ! やったー!」

ぴょん! と跳ねるほどに喜ぶ。そんなにですか? と驚いた表情こそ浮かべるが、悪い気はしていない。表情を隠すように残りの朝食を早食いし、ごちそうさまでしたと手を合わせた。
食べ終われば、次は治療の時間だ。服を脱いでの診察になるだろうからと、ララテアは立ち上がりこの場を離れようとする。が、それを確認するなり慌ててクレアは待って、とララテアのテーピングの紐を掴んだ。

「あ、あの……、…………」

クレアの中で、ララテアはひとまず大丈夫と認識できた。一方でコルテとアルテのことは、まだ強い警戒心が残っている。白いカラスは絶望的なほどに助けを求めることがへたくそだった。
それを察したのはアルテだった。両手でララテアの肩に手を置き、すとんと座らせ、くるりと背中を向けさせる。それからばしばしと肩を叩く。

「ほら~ ちゃんと責任持って傍にいなくちゃ~ ララテアが居ない間に別の追っ手が来るってこともあるんですよぉ~」
「えっいや、そうなったらアルテもコルテもいるからクレアを守ってくれるよな!? ちゃんと傍に人いるよな!? あとなんかその楽しそうな表情ナニ!?」
「いえいえ、気遣いができるのに気遣いができないなぁと思いまして~」

まるで近所のおばちゃんである。ご近所さんだったしあながち間違いじゃないかも。
いまいち納得をしていない声を零しながらも、アルテはそれをスルー。クレアがおずおずと服を脱いでいる間に、治療薬を鞄から取り出し、準備をする。薬品を浸した綿を傷に当てる素振りの中に、耳打ちを混ぜる。

「翼、触わってもよろしいでしょうか?」
「――ッ!」

緊張と恐怖から縮まっていた身が跳ねる。ララテアとコルテは見ておらず、聞き耳も立てずに談笑をしている。顔を顰めたのは、薬品が沁みる痛みだけではなかった。対してアルテは何も返さない。許可が下りなければ手を伸ばさなかった。
白いカラスの素肌は野性の影響からか、随分と白かった。磁器のような肌は、受けてきた暴力によってそれが人形ではなく生命だと立証している。その中の、胸元に瞳の色と変わらぬ直径5センチほどの紅の結晶を認め、手が止まった。

「……獣結晶」

触れるつもりはないが、反応を伺うように手を伸ばすことを試みる。怪訝な表情こそするものの、腕を振り払われることはなかった。

「これ、あまり詳しいことは知らなくて……高ランクの野性の皮膚に出ることがある、くらいで」
「そう。これは、野性の力を制御するための結晶。強すぎる野性をコントロールするためにできる器官だと言われています」

込み入った話をしていると気づいて、ララテアとコルテも耳をそばだてる。この結晶はコンデンサのような役割をしており、野性の力を蓄積することも放出することも可能だ。身体に過剰に野性が侵されれば、人はモンスターにも等しくなる異形化をする、あるいは精神性が獣と同化してしまう『暴走化』を引き起こすことがある。それを防ぐため、身体がこのような器官を作るのだ。
多少の傷であれば、獣化した身体と同様に自然治癒に任せればいい。しかし、取り除いてしまった場合は野性の制御に影響が出てしまい、良くて従来通りに扱うことができない、悪くて暴走化、最悪野性が扱えなくなり死に至る。

「ウルナヤには医学書が少なかったのでしょうか」
「……あそこは、医学を敵視しているところがありますから。自然に生きる者、自然のままに生きよと教えられています」
「因習村じゃん」
「こら」

実際、高ランクの野性を持つ者に発生することがある、程度のものなので存在の認知度は低い。なるほど、とアルテは納得した様子で薬品を仕舞っていく。

「2日ほど治療を続けます。完治には至りませんが、動くことはできるでしょう。
 ただし翼が元通りになるには凡そ一週間くらいかと」
「……何から何まで、ありがとうございます」

安静にすれば治る傷ばかりだった。服を着て、アルテへとぎこちなく一礼をする。彼女は2日間この時間帯に来ることをララテア達に約束した。
去っていくアルテを3人で見送る。ララテアはそんな中、クレアへと視線をやった。感謝や罪悪感でヒツジのヒーラーを見ているのではなく、初めて自分たちが出会った以上の警戒が見て取れた。

「どうかした?」

触れられることに、やはり慣れていないのだろうか。いきなり信頼しろと言うのも難しい話だ。
だから、ララテアは何と返ってきてもいいと思った。

「…………何でもありません」
「そっか」

まだまだどうしたって、道のりは長い。だから急ぐものではない。
それでも少し寂しさを覚えたものだから、ウサギは頑張ろうと思った。

 

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