その日の夜。コルテがララテア達を見つけた頃には日は沈みきっており、ララテアがクレアを背負った状態での再会となった。お互いに情報を共有しながら、暗くとも街灯で明るい街並みを歩いていく。昼間より少し気温は下がるが、肌寒いとは感じない過ごしやすい季節の空気がカルザニア王国を包み込んでいた。
「道理で瞼が腫れぼったいはずだよ。泣きつかれてお兄ちゃんにおんぶされる妹みたい」
「なんなら長男で手慣れてるぞ。何人の弟妹を背負ってきたと思ってる」
「おんぶで百戦錬磨の猛者アピールされても」
サムズアップしてきたので払いのけておいた。カルザニア王国に来る途中もおんぶして移動したことがあったのもついでに思い出した。コルテもお世話になったことがある身であるわけだが。
「それにしても……今回みたいなこともあるだろうから、本当に信頼できるお医者さんを探さなきゃだね」
「かなりの難題だよな、これ。医療関係者全員が喉から手が出るほど欲しい力に目が眩まないやつ……なんて、どうやって探せばいいんだ?」
野性の力を利用し傷を癒すヒーラーに、薬学や医学知識で人を治療する医者。2種類が存在するこの世界では後者を頼るべきだろう。中には野性を利用して治療を行うことに対して否定的な意見を持つ者もいる。しかし、それでもクレアを素材や実験材料のように扱おうとする者は、恐らく半分よりは多いだろう。
サヴァジャーにとって、これらは必ず利用する必要がある者たちだ。それこそ、サヴァジャーという職が成り立っているのは彼ら医療関係者のお陰だと言っても過言ではないほどには。
今回クジャクと決闘をしたコルテは幸いにも大した傷はない。この程度であれば、野性を内包する人間特有の自然治癒力の高さですぐに治り、二人にはそれに加えて応急処置の知識もある。されど、それで今後済ませられるとは思わなかった。
答えの出ないまま朝の陽ざし亭の扉を潜る。キィキィと木材の軋む音が3人を出迎え、次にはシカの亭主が……と思いきや、来客があったらしい。大きな紅色のリボンでハーフアップにしたピンクの髪の女の子らしい、されど肩当や簡易的なガントレット、左肩から降ろした長いマントからサヴァジャーであることが一目で分かる身なりだった。それでもスカートであったりピンクと白のふわっとした身なりから、第一印象は可愛らしいになるだろうか。
「ありがとう、今日も食材調達助かったよ」
「今回もご利用してくれてありがと~! ごひいきにしてくれてとぉ~っても嬉しい! あなたのためにあたし、とっても頑張っちゃったぁ~!」
「ふふ、いつもありがとう。いつもしっかり働いてくれる君にだから依頼しちゃいたくなるんだ」
「えぇ!? ほんとにほんとに!? うっれしぃ~! じゃ~あ、これからもい~っぱいお兄さんだけのためにあたし、頑張っちゃうから!」
「…………」
凄く……きゃるんきゃるんしとるな……あのサヴァジャー……そんであの硬派で素朴な優しいシカの亭主さんも……鼻の下伸ばして……メロメロ状態になっとるな……
戻りました、とも声をかけづらく、だからといってすぐ傍を通り過ぎるのも気まずく、どないするよと目線だけで会話をするしかない。シカの亭主のあんなところ見たくなかったよ、奥さん確か居たよねあれ大丈夫なの? とひそひそと会話をする。目線で。
「あ! もしかしてお客さん!? ごめんねぇ邪魔しちゃってたぁ~……あっあっ! あなたたち、もしかしてサヴァジャー!? きゃあ~かっこいい~!」
「えっ、あ、はい……そうだけど……」
テンションに、ついて、いけない!すっかり置いてけぼりになっているララテア達にお構いなしで、全体的にピンク色のサヴァジャーらしき女性はきゃっきゃっとはしゃぐ。握手しよ~と駆け寄り、はいだろうがいいえだろうがお構いなしの問答無用シェイクハンドをララテアとコルテにかました。
「あれれ? もしかして後ろの子お休み中だった? わわ、ごめんねぇ! あたし煩くしちゃった! ささっと撤退するから許してねっ、ねっ!?
それじゃあ御代金ありがとぉ! またいつでもあなたのために駆け付けちゃうから!」
眠っているクレアがピンク避けになった。ピンクのサヴァジャーは慌てて手を放し、一度振り返ってぶんぶんと手を振ればそのまま去っていった。ただでさえ疲労困憊だというのに更に疲れさせられた。ゆっくりシカの亭主を見れば、それはもう恨めしそうにこちらを見つめている。どうしてもう5分ほど後に帰ってきてくれなかったんですか? と、言葉にされなくても圧で伝わってくる。
「あの、い、今のは……?」
「えっ君たちあのサヴァジャーを知らないの!? フィリアたんだよフィリアたん!」
「フィリアたん」
「フィリア・バルナルスをお知りでない!? 最近だとあの女性の祭典とも言われるヴィーナス杯を優勝した人だよ!?」
「いや、フィリアは知ってるんだが……、……?」
ラジオで闘技場の様子を聞いている者に時々起きる現象だ。
闘う様子が聴覚としてしかお送りされないため、声を聞くことがあっても容姿までは把握できない。テレビなんて高級品は持っていない。ピュームからカルザニア王国まで見に行くこともなかった。ラジオの向こうでは大変覇気に満ち溢れた声を上げ、力とスピードで相手をねじ伏せ、まさに暴風と表現するにふさわしい戦い方をする人であった。
それが、あれである。ララテアの憧れが、あれである。
「でぇぇええええええええええ!!? あれがフィリア・バルナルス!?!?」
「ぴゃっ て、敵襲ですか!?」
近所迷惑以上に寝ている人の鼓膜にクリティカルダメージ。ウサギの背中で眠っていたカラスがガバァッと起きて辺りを見渡す。勿論そんなことをすればバランスを崩し、転げ落ちる ―― ことはなく、しっかりとララテアが踏ん張り、体幹の強さを見せつける。
ララテアの憧れていたサヴァジャー、フィリア。彼女は戦いに向いていないと言われるウサギの野性を、戦闘において最も弱いと言われる共鳴型ランク1で保有する者だ。野性という生まれつきの潜在能力がある程度定められる世界で、彼女は潜在能力以上の功績を残している。全サヴァジャーの中でも上の下くらいに位置するほど、彼女は強いのだ。
「そんな……R1とは思えないほど……雄々しくて力強く、獣らしく戦う……フィリアが……」
「何を言っているんだい? 華奢で華やかで、愛らしい……彼女はそういう戦い方をするんだよ!」
「それはない! 絶対ない! な……え、いや、ある、のか……?」
人は見かけによらない、という言葉がある。もしかしたらあの見た目と性格で、意外と野蛮で暴力的な戦い方をするのかもしれない。と、思いたいのは、今まで信じてきた偶像があり、それをたった今粉々にされたからだろうが。
「酷すぎる現実に夢壊されてるとこ悪いんだけど、とりあえずご飯にしよっか。亭主さん、お願いしてもいい? あとララテアとクレアさんは食べれそう?」
「…………食べる」
「……私も、目が覚めたのでいただきます」
混沌としたまま食事の準備へと進む。待っている間に、いくつかフィリアに関する話をシカの亭主から聞いた。相当応援しているらしく、料理を作る手を止めそうになっていたのを注意しながら。
ここでは10日に1度、食材の調達をフィリアに頼んでいた。サヴァジャーの中には街の外でモンスターを狩ることで生計を立てている者もいる。野外調査の仕事を受ける、あるいは自らモンスターを狩ったり天然素材を売って生活する人を『レンジャー』と呼ぶ。彼女はサヴァジャーとして試合に出場するだけではなく、レンジャーとしても仕事をしているのだと言う。
サヴァジャーの資格があれば誰でもレンジャーを名乗ることはできるが、サヴァジャーの数に対してレンジャーの志願者は少ない。戦いの腕は勿論、外で生活する、モンスターを解体する、利益になる野草や鉱石を見つけるなど、戦闘とは異なる知識も必要となる。また、モンスターを相手にする場合は決闘とは違い命がけになることが多く、環境も過酷で数日~数か月帰れないなんてことも多い。以上の理由から、近隣で鍛錬を兼ねてモンスターを討伐し素材を調達する者は多いが、その程度に留まりがちであるのだ。
彼女はウサギの野性と風属性から大変身軽であり、風に乗るかのように移動することができる。戦闘でも役に立つが、遠出をする際にもこの移動術は役に立つ。街から離れた辺境の地であれど、風さえあればすぐに向かうことができる。故に彼女はレンジャーを副業とできるそうだ。
「……凄いやつには変わりないんだろうな」
本日の夕食はベーコンチーズリゾット。この場所のチーズは牛乳の代わりとなる植物のガルムを絞り、液体を煮詰めて粘度を高めたものだ。レモンなど酸味の強い果物を混ぜて更に粘度を調整し、用途に合わせたチーズを作る。殆ど液状に近い状態で作られたそれは米とよく絡み、スプーンで掬いあげればとろとろと落ちた。黒胡椒がぴりりと良いアクセントになる。
「そう、性格がどうあれ……実力は、本物……だよな?」
「揺らいでるなぁ。あのヴィーナス杯を制するだけあるんだから、そこは信じていいんじゃないかな。性格はあれだったけど」
「だよ、な……性格はあれだっただけで……」
よし、と顔を一度両手でぱちんと叩く。それから手の感触を思い返すように、自分の手を数回握っては開いてを繰り返した。握手をして握られた手は、確かに闘う者としての掌だったと首を縦に振った。彼女の手はマメが何度も潰れた、皮が厚く固い手であった。あれは相当鍛錬を積んでいる者の証だ。
「ララテアはフィリアに憧れてサヴァジャーになったのですか?」
凡その経緯は話を聞きながら理解したクレアは、ララテアに尋ねる。首を横に振ってから、んんーと悩む声を上げた。
「サヴァジャーに憧れたきっかけは覚えてないな。憧れてサヴァジャーになったんじゃなくって、戦いたいって思ってサヴァジャーになったようなもんだから。だからサヴァジャーになるきっかけ、というよりかは……カルザニア王国に出ることの夢を作ってくれた人、かな。こう、不可能じゃないと示してくれたというか」
街に出たとして上手くやっていけるかどうかの自信はなかった。だから街から出られずに居た。一方で、カルザニア王国へ独り立ちして旅立つ夢があった。それは紛れもなく、R1-W Rabbitというサヴァジャーを諦めざるを得ない人間が活躍し、可能性を示したから。風に乗って飛び跳ねるウサギは、間違いなく数多の動物に夢を見せたエンターテイナーだ。
「なるほど。ならば、どんな人であれ、ララテアにとっていい影響を与えた人だという事実は変わりませんね。思っていた性格ではなかったかもしれませんが、憧れた後悔はないでしょう?」
ふわり、穏やかな笑みを浮かべる。目を細め、胸元に手を当てて。ならばそれでいいじゃないですか、と言葉を重ねた。
その表情に、思わずララテアはリゾットを食べる手が止まり、コルテもぴくりと犬耳のような毛が反応する。
「……え、何ですかそのリアクション」
「いや……雰囲気変わったなぁっていうか……クレアさんからクレアになったなぁっていうか?」
「どういう意味ですか!?」
ね、とララテアに向けて同意を求める。クレアが寝ている間に情報を共有していたため、彼女は凡そを察していた。
羽に関する話をクレアから聞いた。それを伏せていた理由を聞いた。彼が話したことは、所詮その程度。しかしイヌというものは、隠されたものを鋭い嗅覚で暴き、捉える生き物だ。さも満足げにニコニコとしていた。
「……あぁ、全くその通りだな!」
そして二人の言葉に、ウサギは明るく快活に答える。ララテアまで!? と声を響かせるカラスがいる食卓は、帰り道のほの暗さを感じさせない暖かなものであった。
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