海の欠片

わんころがCWのリプレイ置いたり設定置いたりするところです。

天威無縫 5話「旅路」

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2日治療を受け、3日目の朝。クレアの様子を確認すると、まだ身体は痛むが出発できるとのことだった。いよいよピュームを離れ、カルザニアへと向かう日が来たのだ。
元々雨の少ないカルザニア地方は今日も快晴だ。3人は必要最小限の荷物を纏め、旅路に出る。広大なる大地に道というものはなく、看板は口伝で伝えられている自然の目印だけだ。

「ところで、大体どのくらいの距離と日数か聞いても?」
「ん~と……大体2100kmくらいだったよね。『人間らしく』歩いていくと二か月くらいなんだっけ?」
「そこは俺たちサヴァジャーだし、俺もコルテもどっちも足には自信があるからな。1日3時間くらいは『獣らしく』走れるぞ」

野性を宿した人間の身体能力は、宿していない人間と比べると遥かに高い。野性の種類にもよるが、ウサギやイヌといった陸上で素早い動物を宿す二人は人間よりずっと速く走ることができた。長距離を移動するための乗り物も、この世界ではそこまで役に立たないのだ。
クレアは陸を駆ける野性ではないため、人間らしく地面を歩くことしかできない。飛べるようになるまで待とうかと考えたが、じっとしているよりかは歩いていた方がいいだろうと最終的に意見がまとまった。走る間、またララテアの背にお邪魔することになるのだが、彼はそれも笑って承諾した。

「道中で野生動物にどれだけ襲われるかにもよるよね、到着時間」
「あぁ、それなのですが」

コルテの言葉を遮り、クレアは祈りを捧げるように手を組み、瞳を閉じる。不格好な翼が太陽の光を受けて輝けば、3人の周りにオーロラが広がった。

「光の生糸よ羽衣となれ 織り成すは真昼の神隠
 ―― 『天女の悪戯サンライト・ヴェール』」

詠唱が終われば、真昼でもはっきりと見える光のカーテンが音もなく消え去る。幻想的な野性の行使に思わず2人はおぉ、と感嘆の声を漏らした。が、それが何を意味するのかは分からず、言葉を失ったまま首を傾げる。
目で見える変化は何も起きていない。困惑している者を置いてけぼりにしたカラスは、いたずらに口端を上げて人差し指を立てて口に近づけた。

「姿を消す術です。
 太陽の光が一定以上届く場所のみですが。私が解くまで、術を受けていない者から見えなくなります」

クレア曰く、制約はもう少しあり、術を受けていない者と干渉があれば、姿は暴かれてしまう。あるいは術者が意識を失う、あるいは集中ができなくなっても効果は途切れてしまうそうだ。音や匂いも包み隠してしまうため、野生動物の巣窟を駆け抜けるには便利な術だ。
追っ手から逃げる術としては万能ではない。夜に見つかれば、己を隠すための布を織ることができない。凡そ特定できていれば広範囲に効果のある術を使えばいい。浮かんだ疑問はクレアに尋ねるまでもなかった。

「あ! ほんとだ! 全然見つかってない!」
「そうなんですよ、この術はご覧の通り目の前で手を振っても気づかれな……って流石に度胸試しが過ぎませんか!?」

好奇心イヌを殺しそう。その辺を走っていた3メートルほどの水属性ウマ型にヒッチハイクを洒落こんでいた子供を回収。ウマは全く気付くことなく走り去っていったので、実際の効果はご覧の通りとなった。

「と、とりあえず思った以上に順調な旅路になりそうなのは分かった。
 疲れたらいつでも休んでくれ。どのくらい持つのか分かんないからさ」
「大して疲れませんよこれ。この人数であれば日が沈むまで余裕で保てます」
「え?」
「余裕で保てます」

なんということでしょう。一日中維持したところでさほど影響がないと言うではありませんか。
高ランクの野性が規格外だと思い知らされたところで、ララテア達は今度こそ道のない大地を歩き始める。村の方角へ振り返ることはなかった。



旅は恐ろしく順調であった。
雲のない快晴の空の下、風も穏やかで草木を揺らす程度に過ぎない。モンスターによる弱肉強食の世界からは、白いカラスの加護によって切り離される。
時折休憩を挟みながら、一日中西へと向かって歩き続ける。途中で疲労を溜めない程度に野性を解放し、草原を駆ける。急ぐ旅ではないが、時間をかける旅でもないのだ。
そうして何事もなく1日目は夜を迎えた。適当な平地で焚火を囲み、野宿の準備を行った。夜行性のモンスターも多く、クレアの術も解ける。人間である以上、睡眠も必要だ。夜は見張りを立てて、交代で番をすることに

「うーん、ぐっすり」

できなかった。いっそ清々しいまでにぐっすり眠るクレアを、苦笑しながら2人は見守っていた。

「晩御飯食べる段階で半分意識飛んでたよね」
「俺思わず褒めたもん。ちゃんと寝落ちする前に晩御飯食べてえらいって」
「遊びすぎて疲れちゃった3歳児かな」

談笑に交じり、パチパチと木の枝が音を立てて燃え上がる。火の粉が弾け、ぱっと辺りを照らした。白いカラスは寝苦しさに身じろぐこともなく、横向きになって身を丸めていた。座っていた者が寝落ちたなれの果てである。
時折響く獣の遠吠え。夜のハンターが狩りに彷徨う。その獲物が自分たちになるかもしれないのだから、警戒を怠ることはなかった。

「ありがとうな、コルテ。ついて来てくれて」
「ん、急にどうしたの?」
「多分一人だったら、もっと気負いしてたなって思って」

もしもこの旅が自分とクレアだけだったなら、それこそ夜寝る暇もなかっただろう。それだけではない。白いカラスのことも、付きまとう責任も、全て一人で背負わなくてはと脅迫にも似た思いに迫られていただろう。

「ララテアお兄ちゃんが気負いするとこ、見てみたいけどね」
「あ! 楽観的なやつがなんか言ってる~くらいしか思ってないな!」
「だって。何とかなる、で大体生きてるじゃん」

座りながら頬杖をついて、けらけらと笑う。気負いするところを想像できないわけではなかったから、コルテは笑い飛ばしておいた。そんなもの、茶化して火にくべて、煙となって見えなくなればいい。獣避けとなる植物を混ぜたそれは、真昼のカーテンの代わりとして少しは機能をしてくれる。

「じゃ、私が先に見張り番やるね。日付が変わったら交代で。あとクレアさんに毛布の上に置いといて。起きないでしょ」
「急に扱いが雑になるじゃん。起きないと思うけど」

お休み、と言葉を交わしてその場で寝転がる。いつ野生動物が襲ってくるか分からない外では、寝袋やテントは基本的に利用しない。虫などとうの昔に巨大化をして、対策の方法は獣に対するそれと同じだ。
野性を宿し、人間よりも頑丈になった彼らにとって、野宿は火を囲んで毛布に包まれば十分なのだ。すぐに寝息を立て始めたララテアを見て、相変わらずだなぁと和んでいた。
外の世界の夜は早く、そして長い。

 

「ああああああすみませんすみませんすみません見張りをお二人に任せて自分だけ寝てしまうという悪逆非道なことを!! してしまい!! 大変申し訳ございませんでした!!」
「落ち着け!! 大丈夫だから!! 責めないし怪我人に無理させる気ないから!!」

朝、土下座するような勢いで謝られたので全力でララテアが宥めたのは別のお話。

  ・
  ・

旅を始めて8日目の早朝。3人はカルザニア王国まで凡そ半分のところまで来ていた。途中で雨に降られたときは巨木の下へと逃げ込み、小雨になれば雨具に身を包んで歩き続けたこの辺りにも中間地点を示す目印はあるが、草原と森がどこまでも広がるこの大地でそれが見つけられるかは運に委ねられる。
日が昇り始めればクレアが目を覚まし、見張りをしているララテアと暫くの2人きりの時間を過ごす。少しの言葉を重ね、朝食の準備をし、その間にコルテが起きる。3人揃って朝食を食べ、また歩き始める。すっかりとパターン化されて、暫くの日常となった。

(……いない)

辺りを見渡し、すぐ傍に見張りをしているはずの人影はいない。が、視界の開けているここでは、遠くであれど目的の人物を見つけることは容易かった。近くでモンスターが出て追い払いに行っているのだろう。認識できる距離の中に、モンスターと戦っている炎を使う男性の姿を確認できた。
手助けに、と動こうとして思考がクレアを引き留める。翼はすっかり元通りになった。今は自分を見ている者は誰もいない。疑心が冷静さを突きつけて、悪い囁きをする。助けてくれた人が、これからも助けてくれる保障はない。そもそもこの2人が、どこまで自分に付き合うか分からない。カルザニア王国まで同行して、その後は? 自分の不利益にならぬように在るとどうして言い切れる?
今なら逃げられる。姿を隠して飛び去ってしまえば行方を晦ますことができる。詠唱を唱えようと、言葉を紡ぐ。しかし、開かれた口からは一切の音が発されなかった。ぎこちなく動きはするくせに、真昼のオーロラを織り上げるための祈りが出てこないのだ。

「…………っ」

苦虫を嚙み潰したような表情のまま、目を逸らした。それが良くなかった。すぐ傍に、ウサギが吹っ飛んできた。咄嗟のことに、クレアは反応できない。ぶつかる、と身構える暇すらない。

「――ッ!」

ぎゅるん、と空中で身体を捻って着地場所を無理やりずらした。四つん這いで地面を後ずらしし、そのまま力を込めて真っすぐ跳ぶ。たった数秒に、クレアは置き去りにされていた。
あれは、笑っていた。クレアの知っている顔ではなかったが、それが何かは理解できた。
本能のままに、強者とぶつかることを喜びとする者の顔だった。食肉を得るために。縄張りを主張するために。群れのリーダーを示すために。雌へのアピールのために。獣とは、常に生を狩り、死と隣合わせに生きている。
彼は、生粋のサヴァジャーだった。

「さっきぶつかってない? 大丈夫だった?」

そんなウサギが満足して戻ってくる。相手にしていたものは4メートルほどの火属性サイ型だった。ずるずると引きずってくる姿は、仕留めた獲物を自慢する獣と似ていた。

「……いえ、大丈夫です。ぶつかってません」
「そっか、それならよかった」

解体したら朝食の準備をすると伝え、サイ型へ登りナイフを突き立てていく。肉の他にも王国に着いて高く売れそうなものは回収していく。持ち運ぶものを取捨選択しながら、慣れた手つきでみるみるとサイは捌かれていった。

「何も言わないんですね」
「ん、何が?」
「逃げようとしたこと。視認できていたでしょう?」

手を止めて、クレアへと向く。自身の服の裾を握り、自嘲気味に目を逸らしていた。自分の身体よりずっと大きなモンスターは、蹴り下りるための足場にしたところでびくともしなかった。

「もう翼は大丈夫なんだな。それなら本当によかった」
「いや、そうではないでしょう? もっと言うべきことがあるはずです」

問い詰められるように迫られ、ララテアは腕を組んで首を傾げる。血に濡れたナイフからぽたりぽたりとそれが滴り落ち、地面に赤い跡を作っていく。人間のものではないその匂いは、あまり不快には思わなかった。



「何で、何も言わないんですか!?
 逃げようとして酷いやつだとか、助けてもらっておいて恩知らずだとか! もっとララテアから私にかけるべき言葉があるでしょう!?」

責めるように啖呵を切った。地面に転がって寝息を立てていたイヌも、耳をぴくりと動かして眠たげに起き上がった。目に入った光景に目を丸くしたが、口を挟むつもりはないと再び背を向ける。
暫く2人はお互いに睨みめっこ状態になっていたが、先に負けたのはララテアだった。噴き出して、声を上げて笑うものだから、クレアはもう訳が分からなかった。

「俺は、クレアがそうしたいならそうしていいよと思ってるよ。別に俺はお前を縛ろうなんて気はこれっぽっちもない。振り払われたらそれまでなんだと思ってる」

でもさ、と。
ここから先は真剣に、まっすぐと紅色の瞳を見ていた。

「お前は俺たちを信じようとしてくれてる。まだ出会ってたった10日くらいなのに、手を振り払わずにここに居てくれてる。多分、凄く怖いのにさ」

あくまでもウサギはきっかけになることを選んだつもりだった。助けられて彼女を独りにすることは、結局彼女を傷つけて立ち去る行為と同等だから今も共に行動しているだけだ。
もし白いカラスの翼が癒え、空へと舞い戻るのであればそれでいいと思った。人間が傷ついた野生動物を保護し、自然に戻す行いと同じように。彼は、いつだって窓を開けているつもりだった。

「だからあんま自分を責めんなよ」

肩に手を伸ばそうとして、止める。触れられることに強い忌避感を抱くことを思い出して、上げた手を降ろした。これでは何だか見捨てるような気がして、代わりにララテアは満足気に力強く頷いてみせた。
会話が聞こえなくなると、コルテが起き上がって朝食の準備を手伝い始める。そのやりとりを、どこか遠くからクレアは見ていた。
ウサギは色んな側面を持っている。多様な色を見せるそれは、根本は一つに繋がっている。カラスはそのどこにも都合の悪い色を見出すことはできなかった。都合の悪い色を見つけたいのか、見つけたくないから探してしまうのか。悪魔の証明を説けないカラスは、伸ばしかけた知られずの手を仕舞ったのだった。


翼を得て、旅路は急ぐわけではないのに速度を上げる。残り半分の道のりは、たったの5日で駆け抜けてしまうことができた。


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