「人のおうち壊しといてよく言うよね」
サヴァジャーとして、すぐにでもモンスターを倒しに行かなければ。使命感は確かに抱いていたが、ララテアもコルテも立ち尽くしていた。アルテはヒーラーであり、サヴァジャーではない。戦いの心得はないが、二人を導く必要があった。それが無謀だとしても、無責任だとしても、アルテは構わないと思った。
「ララテア、コルテ。
私はあなたの二人がやりたいようにやるべきだと思っています。助けたいと思うなら、助けにいくべきだと」
「……うん。それは、そーなんだけど」
イヌがウサギをのぞき込む。ウサギの耳のような髪が邪魔をしていたが、苦しくなるほどにコルテにはララテアの考えていることが分かった。
迷っている。自分の良心に従うべきか、それがクレアと呼ばれていた彼女を苦しめることになるか。彼女と会話をしたとは言い難い。しかし、自分の受ける理不尽を別の誰かが肩代わりすることを、彼女は許せない性格だと二人とも理解していた。
もし万が一不吉な事象を彼女が引き寄せているとすれば。仮定を考えようとして、ララテアははっとして顔を上げた。
「じゃあ、何であいつは生きてるんだ?」
「……? と、言いますと?」
「不吉な事象を呼び込む忌み子なんだったら、生かしてる理由も、なんだったら村へと無理に連れて帰る理由もないじゃないか」
今回の件は不可解なことが多い。彼女を見つけてからモンスターが村を襲撃したタイミング、そしてカラスたちが彼女を迎えに来たタイミングまで、あまりにも狙って起きている。匿っている場所をすぐに暴いて見せた点も、彼らは保護したときからつけていたと考えていいだろう。
確かに、と納得しながら壁のあった辺りをすんすんと嗅ぐ。憑依型のイヌの野性は、イヌらしく嗅覚をコントロールすることができる。ん? と声を上げて、首を傾げ……バチッ! と雷のフラッシュが発生した。
「うお!? ど、どうした!?」
「なんか、気持ちがぶわーってなっちゃった。ちょっとツンとする匂いがした」
よく分からない表現にララテアも首を傾げる。同じ場所まで近づき、嗅いでみるがよく分からない。二人の概念のような不可解な会話も、医療知識があるアルテはもしかして、と鞄の中を漁り、液体の入った茶色を取り出した。
「これでしょうか。ウオノフの花のアロマオイルです。お酒みたいに気を強くする効果があるので、サヴァジャーが戦う前に嗅いで使用……するのですが、獣という生き物そのものに反応する性質上、憑依型か、あるいは契約型っていうちょっと変わったタイプかにしか使えませんがね」
「なるほど、だから共鳴型のララテアは何ともないんだ」
「まさか匂いすら分からないとは」
「いや、匂いは感じるので非常に薄かっただけだと思いますが」
そもそも野性は精神的な作用が強く、気を強くすることで刹那的に野性を強化させることができる。作用の仕組みの関係上、肉体が獣であるか、獣に変化させられることが条件になるが、比較的安全な薬品として利用されている。
強く作用しないよう、離れたところで蓋を開けてコルテに確認してもらう。すん、と嗅げばこの匂いだったとこくこく頷く。そのたびにバチバチと放電するほどにはばっちり作用している。
「じゃあ、あいつらはウオノフの香を使って野性を強化して、うちの壁をぶち抜いた……か、あるいは憑依型が翼を作るために一時的に強化をしたか……」
基本的に野性を強化させる薬品は身体に負荷がかかるため、安全性が高いものでも連続での使用は禁止とされている。酒を飲みすぎると中毒症状が起きるように、ウオノフの香も乱用すると危険な代物だ。不調で済めばまだいい方で、最悪野性が暴走し制御できなくなり取り返しのつかないことになる。
もう少し詳しく知りたいとララテアはアルテに頼み、解説を促す。彼女曰く、この手の薬は本来の野性が強ければ強いほど強い効果が表れる。それだけ獣という部分に影響を与える香なのだと説明した。
「…………、…………っ!!」
繋がった。同時に、確信を得た。
これは白いカラスがもたらした不吉ではない。最初からこれは、仕組まれていたことだ。
それが分かれば、ララテアはもう迷わなかった。トリによって開けられた穴へと向かって走り始める。
「コルテ! あのコンドルの討伐を手伝ってやってくれ!
アルテ! 今回の件、村長に全部話してくれ! もしかしたらこれは白いカラスがやったって吹き込まれてる! けど全部あいつら追ってきた人間の仕業だ!」
「ララテアお兄ちゃん!? ……おっけー、なんか分かんないけど、こっちは任せて! バチバチっと痛い目に遭わせておくから!」
夕暮れに染まりつつある空へ向かい、ウサギが跳ねた。少し遅れてイヌも後に続いた。向かう場所は別々に、しかし抱く想いは同じとして。未だに巨体が暴れ、火が飛び交い、暴風が生まれ、水が飛散する。そこに雷が加わり、いよいよ戦いは激化していった。
全て仕組まれていたことだ。
彼らはウオノフの香を、野性を強化するためには使っていない。もしウルナヤから追ってきたのだとすれば、必ず追える人物が駆り出される。ウルナヤからピュームまではかなりの距離がある。彼女を見つけ、連れ帰るまでモンスターに一切襲われないなどあり得ない。ならば、当然飛べる者、かつある程度強い者が追跡者に選ばれているはずだ。使用した過程で彼らにも影響はあったかもしれないが、本来の目的はそこではない。
(だからモンスターがあんなに興奮してたんだ)
白いカラスの不吉を捏造するために。それから誰かが白いカラスを見つけるために。周辺のモンスターに対してウオノフの香を振りまいた。
モンスターが活発になれば、当然そのままにできるはずがなく原因を探る。意図的に彼女をベースキャンプに置いたか、たまたま逃げ込んだから利用したかまでは分からない。一方であの場所に彼女が居たことと、ベースキャンプとして利用できることを追っ手は知っている。あそこを利用したのは、彼らだ。
そして誰かが村に連れて帰ることも彼らの思惑通りだ。最後にウオノフの香を利用し、モンスターに村を襲わせる。村には白いカラスが不幸をもたらしたのだと嘘を伝え、更に彼女の良心に付け込んで抵抗する意志を奪う。逃げたから、平和な村がこうなったのだ。そう見せつけられたならば、忌み子だと言われ続けてきた彼女はどう思うだろうか。
あまりの卑劣な手口にカッと熱くなった。地を蹴れば、土は抉れて草は焼き焦げた。ウサギは飛べないが、跳ぶことができる。それはただ走るよりもずっとずっと速い。トリの翼を穿つための矢が向かうは、あのベースキャンプだ。
あれは、確実にそこに居る。
白いカラスの不吉を伝え、誰もが妄信したと傲慢であるならば。
「お前よくも逃げ出してくれたな! おかげでこんなところまで来るハメになっただろ!」
「う゛っ……! う、げほっ、がっ……!」
「神聖なる地ウルナヤから離れるなど愚かな行為! ただでさえ穢れた身に更に罪を背負おうとするか!」
「ぃ゛っ……あ゛、ぐぅ……っ!」
何度も何度も蹴られ、殴られ、暴力を受ける。身体が傷んで血を流すだけ、彼らは恍惚な笑みを浮かべより痛めつけた。
生まれてから今まで受けてきた痛み。罪の子として生まれた私を清めるためだと、これは罰なのだと彼らは言った。それだけ本来漆黒であるはずの色が白銀であることは許されないことらしい。
「おい、お前も制裁に加われ」
「え、嫌だけど。穢れるじゃん」
「ちっ、潔癖症が」
痛みが意識を手放そうとするのに、痛みが意識を覚醒させる。何度もせき込み、浅くぶつ切りになる呼吸で何とか息をする。じんわりと涙がにじみ始めるが、気に入らないと横たわる白いカラスの腹部に強く一蹴を入れる。
「お前が逃げなきゃ、こうはならなかったのになぁ!」
「か、はっ……!」
強く身体が跳ねる。めき、と嫌な音がする。胃液と空気が無理やり吐き出され、せき込むことすらできない。
村に居ても、逃げても、結局行きつく先は力による制裁。逃げた先の彼らの善意まで利用してくるとは思わなかった。きっと何人か死んだだろう。自分が厄介ごとを持ち込んだせいで、平穏な暮らしが壊された。
自分が逃げなければ、あんなことにはならなかったのに。私などに手を差し伸べてしまったがばかりに。
「そう。君が逃げ出さなかったらこうはならなかった。
きっと恨んでるだろうね、あの人。君が来たせいで、平穏が壊された。いい人だったね。村の人からも慕われてたんだろうね」
つまらないものを見るような目だった。
小柄なワシは、吐き捨てるように言った。
「君に助けてもらえるほどの価値なんてないよ」
「…………ぅ、あ、」
もしも、私を村へ連れ込んだせいであの人が責められたら?
見捨てていれば平穏のままでいられたのだったら?
私があの人に見つからなければ。上手く逃げていられたなら。そもそも、逃げ出していなければ。
忌み子として、罰を受け続けていたならば。
「……ごめん……、なさい……ごめ…………なさ…………」
鳥かごに囚われた鳥は、鳥かごの中で生涯を終えるべきだった。
それが定めならば、逆らうべきでなかった。
強い罪悪感と後悔が罪意識として心を蝕む。今更の謝罪を、何度も何度も震える言葉で吐き出して。
「―― ここの利用許可を出した覚えはないんだが」
肌を焦がすような熱を感じて、地べたでのたうち回る白いカラスが見上げる。
炎を纏ったウサギがそこに立っていた。
白いカラスは酷く痛めつけられていて、飛べる状態ではなかった。ならば、自力で飛んで村へ戻ることはできない。夜も近いことから、見通しが悪い状態ですぐに村へと戻ろうとするとは考えづらかった。
ならば、どうするか。一夜を過ごすためにも、完全に抵抗する力を奪うためにも、気に入らないそれを痛めつけるためにも、安全な場所に一度向かう可能性が高い。そして彼らはこの辺りで最も近いベースキャンプの場所を知っており、利用もしている。結果、ララテアが向かった先に、それらは居た。
ランクの高い野性でなければ翼は常時発現しない。3人共、彼が現れたときには翼は消えていた。白いカラスの翼は見つけたとき以上に痛めつけられており、歪んでいた。
「……へぇ? お前、こいつを助けにでも来たのか?
けど言っただろ? 白いカラスは不吉でロクでもないことばかり起こしやがる。お前の村で起きたことだって」
「それをやったのは、お前らだろ」
対話は不要だ。自分にとっても、彼らにとっても。
炎が抑えられなかった。拳を、足をそれが包む。獲物を狩る眼光で、ウサギは目の前の人物を睨んだ。
「お前らが村をめちゃくちゃにした。こいつを連れて帰るために俺たちを利用した。
それを、あたかもこいつがやったように騙って! お前らはこいつを白いからって理由だけで痛めつけて、苦しませた!」
可哀そうだとも思わない。それが白に生まれた者に対する罰だから。
それが彼らの村では当たり前だった。だから、それを許せるか? 答えは、否だ。
くつくつとトリたちが笑う。この世界では、揉め事は力で解決する。力が全てを決める。ばさり、翼を広げお互いに臨戦態勢となる。
「……俺はお前らを許さない。
お前らの行いを、俺は絶対に許さない」
「はん、威勢のいいウサギだな。
ウサギ一匹が俺たちに勝てるとでも思って――」
パン! 炎が、爆ぜた。
言い終わるより先に、一匹のカラスの腹部を燃え盛る拳が貫いていた。
「がっ――」
小柄な身からはとても想像できない力が襲い掛かった。技と呼ぶには何も洗練されていない、ただ怒り任せにありったけの力を込めた渾身の一撃だった。
それは時に下手な技術よりも恐ろしい。自分よりもずっと大きな相手を吹っ飛ばし、壁へと叩きつける。ガン! と音が響けば、固い岩壁が掘削されていた。
「へぇ、やるじゃん」
ひゅう、とワシが口笛を吹く。感心したその次には無数の羽の苦無を展開し、ララテアへと向ける。風属性の力を乗せ、地面へと縫い付けようとする。
それを、ウサギはくるりと宙で一回転し、全身を炎で包む。羽はたちまち焦げる匂いと共に灰と化し、役目を失う。着地と同時にもう一匹のカラスが闇色の弾丸を打ち出す。
「――っ」
そのまま姿勢を低くし、地面へ伏せる。弾丸は肩を掠め、服の布と微かに肉を抉る。血がぱっと散ったが、その程度だ。
痛みが闘争本能を加速させる。跳ね、狙うはもう一人カラス。腹部へと拳へ一打、そのまま身体を捻り炎を纏った蹴りを入れる。
「ご、ぁ――!」
逆に地面へと落とされ、火傷を負う。致命傷でもなければ数日安静にすれば十分完治する範疇だ。それでも、暫くは動けないだろう。
あと一人だと小柄なワシへと向き直る。なおも澄ました表情で、ワシは自分の羽を一本むしり取った。
「ねぇ、正義のつもり? 放っておけなかった? でもさ、変異種ってそもそも不安定な遺伝子で、扱いきれない力で災いをもたらすことが多いんだよ? 助けた後どうすんの? これのせいで今後、君だけじゃなくて色んな人が傷つくことになるかもしれないんだよ?」
毟った羽をふぅ、と吹けば、それは暴風となって洞窟内を襲う。
地面へ倒れているカラスたちは吹き飛ばされず済んだが、小柄なウサギは簡単に宙へと放り上げられる。巻き上がるのはそれだけではない。洞窟内にある備品も吹き飛ばされ、襲い掛かる。
「同じになりたくなかっただけだ。お前らのような下種と」
天井へと叩きつけられるより先に身を回転させる。天井へ着地し、ひっくり返った上下をものともせず、跳ぶ。
「お前らの事情なんか何も知らないし知る気もない。
けど、こいつはずっと苦しんできた。誰もこいつを助けなかった。誰一人として味方なんていなかった」
直線的な軌道。一回転し、脳天へと足を振り下ろそうとするが、すぐにワシは後ろへと跳ぶ。翼を広げ、着地点へと風の刃を発生し、放つ。
「誰もが敵の世界で! 誰か一人くらい、味方がいたっていいだろ!」
「―― !」
炎が盛る。風の刃を躱すことは考えず、ただ一撃を与えることに注力する。
属性上ではウサギの方が有利であったが、力量はワシの方が高い。攻撃は届くだろうが、ウサギも相応の痛みを覚悟することになるだろう。
「……天照らす偉大なる光よ。
恵みの空を築きて焔の祝福を与え給へ」
祈りにも似た詠唱。白い翼が神々しく輝く。
清らかな光を放てば、それはこの場を暖かく包み込む。
「盛れ、焔。燃やせ、骨の髄まで」
太陽の力は、炎の力を強化させる。
ワシの狙いは的確であった。祈りにより、そのウサギの一閃が速まらなければ。
「―― 炎兎蹴!」
獄炎を纏った一撃が撃ち込まれる。
洞窟内に収まりきらなかった炎が溢れ、辺りを焼いた。
気絶している内に3人を縄で縛り、纏めて村へと引き渡すことにする。自分で処遇を決めるより、適切な処罰を与えてくれるだろう。真っ先にやらなければならなかったことを終えれば、ララテアは倒れている少女の方へと向かった。
酷い状態であった。服には血が滲み、殆ど肌が見えなくともその状態を想像させられる。すぐ傍でしゃがむと、頬へと手を伸ばした。
「ごめんな、来るのが遅くなった」
躊躇わずに追いかけていれば、ここまで痛めつけられることもなかっただろう。やるせなさに眉尻が下がる。少女は身体を起こすことはできず、掠れた声でララテアに尋ねた。
「……どうして……助けて、くれたんですか……?」
理由は聞いているはずなのに、訳がわからなかった。
自分をそれこそ討伐し、村へと突き出せば『汚名返上』として許されたかもしれない。しかし、自分を助けてるということは、たとえ真実でなくとも村を襲撃した者に加担したとみなされるだろう。
そもそも、身を挺して己を助ける理由が、どうしても分からなかった。
「だって、嫌だろ?
そこのトリに好き勝手やられたのに、お前を悪者にするなんて。お前を悪者にしたら、それこそ俺も、村の人たちだって共犯者だ。そうなりたくなかった、それだけだよ」
それに、と言葉を続ける。少しだけ口元が綻んでいた。
「今までずっとこんな風に酷いことされてきたんだろ? それこそ、差し伸べられる手も信じられないくらいに。
だから、お前が助けてって言える人になりたかった。お前がいつか誰かを信じられるようになるきっかけになれたらいいなって」
「…………なんで、私は……あなたたちに、酷いこと、したのに……」
「だからそれはそこのトリたちの仕業だろ?
あ、さては逃げ出さなかったらよかったって思ってるな? 逆だよ逆」
生まれてから今このときまで、お前は忌み子なのだと言われてきたのだろう。その言葉に縛られて、己の存在を己が肯定できない。そのまま村で過ごしていたとすれば、それは彼女が忌み子として理不尽を受け入れることを意味する。理不尽に虐げられ、迫害にも似た扱いを肯定するということだ。
しかし、逃げ出したということは、それを否定できたということだ。ちゃんと理不尽と認識し、抗おうとした。村の者らを是としなかったのだ。
「ありがとう、こうして逃げてきてくれて。あいつらに負けないでいてくれて。
今まで辛かったな。痛かったな。もう大丈夫。大丈夫だからな」
「…………は、」
どうしてこの人は。そんなもの、甘い言葉で安心させて、結局裏切って彼らと同じく自分を虐げるのだ。少女の中で、信じるなと警告が発される。
優しいと思うな。付け込まれる。もしかしたら気を失っている間に追っ手と協力する約束をしたのかもしれない。悪い予想をしていれば、裏切られたときに大きな傷にならなくて済む。自己防衛の言葉をいくつもいくつも並べたけれど、それは意味を成さなかった。
「…………ふ、うぅ……っああぁっ……!!」
与えられた熱で、感情のダムが決壊する。一度壊れてしまえば、もうどうにもならなかった。痛みも、警告も、何もかも無視して声を上げる。与えられた優しさを不器用に感受して、縋るように手を伸ばした。
その手を握りしめてくれた手は、随分と暖かかった。力が入らない分、力を籠められる。力強く、安心できる。
「痛、がった……! ずっと、ずっど、いだ、くて、苦しぐ、で、殴られて……蹴られて、羽も、毟ら、れ、で……痛かっ、た、いだがったぁ……!!」
「……うん。…………うん」
白いカラスにオレンジのウサギが寄り添って、額をくっつけた。
太陽はすっかり姿を消していて、お互いの顔はよく分からなかったけれど、ウサギはそれがちょうどいいと思った。きっと初めて吐露したそれを、誰かに見られたくなかっただろうから。
・
・
幸いなことに死人はでなかったらしい。しかしコンドル型の襲撃があった家の者は、重傷を負い治療が長引くことになった。負傷者も多く、破壊された家屋の修理も必要だった。
大型のモンスターを持ち帰られるララテアにとって、四人を運ぶことは問題なかった。しかし辺りは暗く、血の匂いに釣られてモンスターが襲ってくるかもしれない。一人で四人を連れて村へ戻るのは危険だと判断し、村の者が見つけてくれるのを待った。
村の者が彼らを見つけたのは日付が変わって真夜中だった。居場所の目途こそ立っていたが、負傷者が多く、すぐには駆け付けられなかったそうだ。少女を追ってきた彼らには監視をつけ、被害の修繕を手伝わせることとなった。その後のことはまだ決まっていないが、ウルナヤへと帰ってもらうことだろう。
そうして凡そが丸く収まり、少女を背負ってララテアは村へと帰還……しようとして、村の入り口で待ったをかけられた。出迎えたのは見張りのサヴァジャーと、村長だった。
「ララテア。今回の件、大変だったな」
「……ありがとうございます」
労いの言葉に含まれる微妙な距離感を、ララテアは感じ取っていた。ピュームの村長はウシ型の60歳を超える老人だ。野性を知らない40代の人間が、ちょうど村長と同じような見た目になるだろうか。見張りのサヴァジャーへ目くばせをし、小さく頷くと腕を組んで高圧的にララテアを見下した。
「そのカラスは村へ入れることはできぬ。連れている限り、おぬしも村へは決して入るな」
「…………」
ある程度予想はできていた。ずっと高くから降り注ぐ深い黒色の奥底を見る。ララテアの腕から小刻みに震えが伝わった。
「せめて、彼女の治療だけでもさせてもらえませんが」
「ならぬ。どうしても助けたいというならば村の外でやれ。そうして捨ててこい、さすれば入村を認めよう」
「彼女がやったことではなく、全ては追っ手がやったことだとしても、ですか?」
「そもそも厄介ごとをそれが引き連れてきたのだ。別の追っ手が来ないとも限らぬ。その都度村に被害が出ることをお前は『仕方のないこと』で済ませと言うか?」
村長が故に、村の秩序を守らなければならない。危険を排除し、民を守り、彼らを律する。秩序を乱す要因を許容しないのは、彼が村長という役目を放棄していない表れだ。
ララテアの選択が委ねられる。白いカラスを見捨てて、村へ戻る許しを得るか。白いカラスを連れて、村から追放されるか。待って、とカラスが首を持ち上げた。
「ま、待ってください! 私のことはどうなったっていいです、捨ておいてくださって構いません、ですからどうか、彼のことは!」
「ララテア。お前は聡明だ。この『チャンス』を無碍にするお前ではないだろう?」
ララテアにとって、村長は常に秩序を重んじる良いリーダーであった。硬派であったがその実、人柄が良くて温厚な人間だった。この瞬間もララテアは、この人が村長でよかったと思った。
「分かりました。暫くすぐそこのベースキャンプを借ります。
この子の傷が癒え次第早急に去ります」
「!? どうして……!?」
「うむ。お前の両親と、それからコルテとアルテにも伝えておこう」
「何から何まで感謝します」
深く頭を下げて、村に背を向ける。歩き出した足取りは、軽やかなものだった。
「健闘を祈る」
後ろから聞こえてきた声に、ララテアは振り返ることなく腕を上げ、応えた。
空を見上げれば夜明けの時だ。明けの明星が瞬いて、思わず感嘆の声を漏らした。若草に溢れた、早朝の清々しい空気を吸い込む。首元に髪がかかり、ぞわりとする。何事、と思えば、少女がララテアへ顔を埋めていた。
「…………」
何も言わなかった。言える立場ではなかった。
自分のせいで彼は村を追放されることになった。それならば、助けずに見捨ててほしかった、とも言えなかった。目の前の人を信じたわけではないけれど、目の前の人が居なければ今頃ウルナヤへと戻っていたかもしれないのだ。
悪い思考を遮るかのように、目の前の人が語る。
「俺さ。夢があったんだ」
「……夢、ですか?」
「うん。俺、村をずっと出たかったんだ」
別に村に不満があったわけではなかった。むしろ、平穏で幸せな暮らしがあったからこそ、村を離れることを躊躇していた。
「カルザニア王国に行って、サヴャジャーとして自分の力がどこまで通用するのかを試したかった。要するに独り立ちしたかったんだ。
けど、通用しなかったら? 成功しなかったら? ピュームに居れば、家族皆で平和な暮らしができる。住む場所にも仕事にも困らない。それを手放す勇気がなかったんだよ」
カルザニア王国はここより東側にある、世界最大規模の国だ。サヴァジャーという職業も、決闘という文化も、全てここから始まった。今や世界にとって、この国はなくてはならない場所だ。
ピュームでもサヴァジャー同士が決闘することはあるが、元々戦闘が苦手な者が集う、温厚な村だ。闘争本能が薄い者たちには居心地のいい場所であったが、ララテアにとってはそうはいかなかった。そのことを、村長は理解していた。
「不器用だよな、村長。
あれ、要するに今回のことを理由にしていいから、外で頑張れってことだったんだよ。勿論村の秩序と平和を守るために、お前を入れるわけにはいかなかったのはそうなんだけど」
家族と会えばきっと揺らぐ。長男として弟妹の面倒を今まで率先して見てきた。サヴァジャーの少ないこの村で、家族を始め村人の暮らしを守るために戦ってきた。その誠実な思いだけではなく、ララテアは闘争を求めていた。
野性を持つ者としての本能だった。本来ウサギであれば、そう強くは持たないそれをララテアは強く渇望した。強くなる努力を惜しまなかった。そして、この日確かにその努力が実ったのだ。
「俺はララテア・ラウット。野性カルテはR3 F-Rabbit。お前は?」
「……私はクレア・クルーウと言います。P5 L-α Crow……光属性ですが、副属性の陽を主としてます」
その日、一匹のウサギが村を追放された。
こうして外に出たことは、むしろ願ったことだ。これからよろしくなとクレアへ声をかける。ここからは白紙の未来だ。不安は村へ置いて、東の空を見つめた。
春の快晴の空。一日の始まり。朝焼けが、穏やかに二人を照らしていた。