海の欠片

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天威無縫 8話「価値」

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一方、カルザニア王国リュビ区の時計塔の屋根。『天女の悪戯サンライト・ヴェール』で2人の姿を消してから、クレアがララテアを抱えて空を飛んでここまで連れてきた。姿も消しているのでまず見つからないだろうと、コルテが片付けてくれるまでの間やり過ごそうと2人は屋根の上へと座った。
それぞれの区画には時計塔が存在し、区画の名前ごとに屋根の色が異なっていた。リュビ区は深紅色の屋根をしており、元になった名前、ルビーに相応しい色をしていた。長針が0を示せば鐘が鳴り、鳴った回数で現在時刻を知らせる。次の時報はもう少しだけ先のようだ。

「人を抱えて飛ぶことってできるんだな……」
「野性が強いお陰で飛ぶ力も相応に、といったところでしょうか。ララテアのことを力では持ち上げられませんが、抱えて飛ぶくらいはどうということありませんから」

なるほど? と、分かるような分からないような曖昧な返事になる。改めてクレアの方を見ると、普段よりも翼が二回りほど大きくなっていた。やがて役目を終えたと言わんばかりに、それは静かに縮み始め、元の大きさへと戻っていく。飛ぶ際に必要に応じて大きくなるのだと、視線に気が付いたクレアがそう教えた。

「ところで、先ほどの。6つ数えろってどういう意味で……?」
「あぁ、あれ? コルテと決めた合言葉みたいなもんさ。時計盤の数字を見て、6つ後。つまり30分後に合流しよう、って意味だ」

姿を消して逃げることをララテアは想定したのだろう。30分後に姿を現し、探し出せる状態にするという約束だった。同時に30分あれば襲撃者を退け、こちらを追いかけられるといった信頼もそこにはあった。
コルテ自身戦えることは、共に旅をしたクレアは知っている。ララテアに劣らず彼女も戦うことに慣れている。小型のモンスターであれば一人でも十分葬れる実力も見てきた。されど、彼女はまだ子供だ。大の大人に差し向けるなんて、と後ろめたさをどうしても感じてしまう。
ましてや、今回襲撃を受けた理由を考えれば、思うことはあり。暫くの間、お互いに気まずい空気になる。長い針が3度ほど動く音をすぐ近くで聞いてから、ようやくララテアが口を開いた。

「俺さ。何でも無理に聞かない方がお互いのためだって思ってた。無理に聞き出そうとして、傷つけることがあったらお前を追ってきたあいつらと変わらないって」

黄昏に染まる街の眩しいこと。目を細めて光から逃れる。太陽のような瞳孔はクレアから逸れて、街の景色を映していた。日が暮れてきた空と同化するような色の中に、変わらず沈まない太陽が煌々と輝いている。二重の茜色の空は暗く、晴天だというのに厚い雲が覆っているようであった。

「けど、結局そう言い訳して、お前から目を逸らしてた。どこか他人事で居て、踏み込まないようにしてた。そんなので信じてもらおうだなんて……烏滸がましかった」

ようやく白いカラスへと向き直り。ごめん、とウサギは頭を下げた。
本人にとっては気遣いのつもりではあった。自分のペースで前を向いてくれたのであればそれでいい。急ぐ必要はなく、仮に自分のことを信じてもらえず自分の元から去ることがあれば、それでも良いと。
その結果、知るべきことを知らず、彼女を危険に冒すことになった。踏み込んで聞いていれば避けられたかもしれない衝突だった。確かに踏み込まないことが、クレアにとってはありがたいことではあったかもしれない。されど、避け続けて丁度いい距離を保つことが、必ずしも最善とは限らない。

「……どうして」

対して白いカラスは、自分自身の境遇を気遣ってくれていると理解していた。自分は彼に対して踏み込まれないように距離を作り、疑い続け、都合の悪い部分を探し続けた。いくら探しても見つからないから、今もこうして隣に残っていた。
一度だけ突風がララテアを襲った。クレアが強く翼を羽ばたかせたからだ。風の圧にぎゅっと目を瞑り、開けたときにはアルビノ種特融の深紅の瞳がすぐ傍にあった。薄く透き通った水の向こう側にあったそれは、随分と鮮明に見えた。

「どうして! あなたはいつもそうです、私があなたを疑って話さなかったことが悪いのに! 私があなたを信じられないことが原因なのに! 今回だってそうです、まるで自分が悪いことのように言う!」

二人だけにしか聞こえない慟哭が、地上の音を覆い隠して何も聞こえなくさせた。賑やかな地上より遠く離れた場所でも確かに聞こえていた、街に生活を創る音。そもそもここは、誰かが足を踏み入れること自体が稀である天高き場所だ。
突き刺すような痛みを持った言葉に、白いカラスは息を詰まらせて目を瞑った。ナイフを振りかざそうとして、その刃を自分で握りしめているようだった。自傷を堪える姿が痛々しくて、ウサギの眉も下がる。

「……苦しいよな。こうやって疑い続けるも、信じたいのに信じられないことも。
 多分、どっちも悪くないって言うやつの方が多いと思う。俺がもっと踏み込んでいたらって思うことも、俺が俺のことを悪いって思うことも、全部俺のエゴだし自虐的な言葉だとは思ってる」

だけど、と続くは逆接の言葉。
頬に触れて、伝う雫を掬う。払いのけられることも、傷つけることも、考えていなかった。

「これは、持っていていいエゴなんだ。お前を待っているだけじゃだめだったんだ。
 ―― だからクレア、頼む。隠していることを教えてくれ。俺はお前を掴んだ手を離したくない」

ここまで関与して放っておけないだとか、見捨てることはできないだとか、人が持つ当然の善性の部分が強いのだろう。
どうしてもララテアは許すことができなかった。これ以上クレアが苦しむことも、迫害を受けることも。そうして、彼女のためと言いながら踏み込むことを恐れることも。拒絶を恐れてどこか保身的になることも。向き合っているようで、見えないことを諦めて逃げていたことも。
ようやっと、恐る恐る開かれたその瞳と真に目が合った気がした。

「…………」

翼に異形化した耳がぺたりと伏せられる。くしゃりと顔を歪めて、震える声でゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「……私の羽には……病を退ける力が、あるんです」

始めて気が付いたのは、4歳の頃。野性の発現は凡そ3~5歳。3歳の時点で野性が発現して翼を授かっていたが、当初はランクが高い憑依型が起こす異形化でしかないと思っていた。
監禁され自由を与えられなかったある日。食事を運んできた男は風邪を患っていた。せき込み、忌々しそうに白いカラスを見る。自分が病に侵されたというのにそれが健康体であったことが気に食わなかったのか、無理やり押さえつけて翼へと手を伸ばし、腹いせに羽をむしり取った。
そのときだ。ポウ、と淡く白い羽が光り、消えてなくなったかと思えば。男の風邪は嘘であったかのようにたちまち治り、元気になった。当時は何が起こったのか分からなかった。もしかして、と試しに次に病に侵された者に同じことを行った。やはり、病を払い、その者はたちまちに元気になった。
忌み子には、排除するには惜しい価値があることが分かった。

「……今回狙われたのも、多分、それなんだと思います……ウルナヤでも、そうで…………暴力を、受けることは多々ありましたが……特に、羽を、集中的に……」

それ以降だ。過度な暴力を受けるようになったことも。特に翼に危害が加えられ、羊の毛のように刈り取られるようになったことも。危害を加える者の中に、歪に口端を吊り上げて恍惚に笑う者が居たことも。翼が再生することをいいことに、何度も何度も奪い取った。
ウルナヤで迫害を受けていたにも関わらず、追い出されるどころか逃亡して追われる身になる理由がはっきりとした。忌み子だと迫害しておきながら、彼らは利用価値があることを知っていた。それをウルナヤの者が皆知っていたかどうかまでは分からなかったが、誰も知らなければ村に住むことは許されなかったはずだ。
かつて人間は動物を飼い慣らし、肉や素材を得て暮らしていたのだという。食事を与えて世話をし、最後は殺して己の糧としてきた。彼女の扱いは家畜と呼ばれたそれ以下の扱いであった。迫害しておきながら、利用価値があるから殺すことも追い出すこともしない。力で屈服させ、常に反抗する気力を削ぐ。最低限の食事と水だけを与え、自由は決して与えない。

「……なんだよ、それ」

きゅうと丸く身を丸め、震える彼女の言葉を聞いて。
ウサギの握りしめられた拳から、長く揺れる髪から、ぱらぱらと火の粉が落ちる。すぐにそれは風に攫われて見えなくなったが、暗さを増した空の下では夕刻のみ見せる星のような瞬きだった。

「何でクレアがそんな目に遭わなきゃいけなかったんだよ!」

ウサギの慟哭に、白いカラスは大きく目を見開いた。開いた口が塞がらなかった。
目の前にいる人が怒りを発露している。助けに来てくれたときと、何一つ変わらぬ表情で。

「自分たちが勝手に忌み子だって決めつけて! 都合のいいとこだけ利用して! それで何で、今まで誰もクレアを助けようとすらしなかったんだ! 一体クレアが……クレアが、何をしたって言うんだよ!」

白色のカラスとして生を受けた。たったそれだけのことだった。たったそれだけのことで、ウルナヤの人々は彼女を異常として扱った。異常として扱いながらも、奇跡にも等しい力だけは搾取し続けた。あまりの身勝手さに、叫ばずにはいられなかった。すぐ傍にウルナヤの民が居たならば、思わず殴り飛ばしていたかもしれない。やり場のない怒りを向ける矛先が、ここに居ないことはきっと幸いなことだった。
そうして地べたにつなぎ留められ、空を奪われ続けた白に生まれたカラスは。ようやく、己の止まり木を見つけることができたので。

(―― この人は、怒ってくれるんだ)

自分は忌み子だ。されど、利用価値は持っている。価値なく手を伸ばした者が、実は生きる霊薬だと判明したならば。人とは欲深いもので、いくら秩序を築けど強欲を縛る鎖を作ることはできない。あるいはまともな人であったとしても、身に余る富は欲へと転じ、人格を殺す。
ウサギのことをずっと見てきた。誠実で心優しいが感情的になりやすいことも。自分の心に素直で真っすぐに在るが故に嘘をつけない性格だということも。何者かと競うことが好きで強い動物の本能を持っていることも。名を馳せる夢も闘争本能の副産物であることも。

「…………っ!!」

この人は、自分を物だと思っていない。利用価値を知ってもなお、自分を一人の人間のまま変わらず見てくれる。欲は人を狂わせるが、彼にはそんな欲がなかった。
彼は、自分の力で高みを目指すことを喜びとするが故に、この世界の人間としてあまりにも誠実であった。
そうして気が付いたときには、カラスは縋りつくようにウサギの胸元へと飛び込んで、顔を埋めていた。

「えっ……く、クレア?」
「うぅ……っあぁあああぁっ…………ぁぁぁぁああああああっ!!」

触れられること一つで恐怖を覚えていたものだから、ウサギは動揺して手のやり場に困らせる。大声を上げて喚いても、光のカーテンが全てを覆い隠す。世界から隠れて、傷つけられることのない場所で。ウサギとカラスが、2人きり。

「あっあーえっと、違う違う! 怒鳴ったのはお前にじゃなくって! ウルナヤの奴らにで!」

驚かせたか、あるいは怖がらせたか。ウサギが必死に弁解するが、カラスはぶんぶんと首を横に振った。手を振り払われず、ようやく助けを求められたのだと。遅れて理解して、先ほど見せた形相はすっかりと解けていた。気の緩んだ笑みを浮かべながら、妹弟たちにやるときと同じように優しく少女の頭を撫でた。

「あああぁぁっ!! ああああぁ……ひぐ、ぐすっ……あぁっ、うぁああああ……ああああああああぁぁぁぁ!!」
「……よしよし。やっとちゃんと、助けてって言ってくれたな」



いつぞやのベースキャンプでのやりとりを思い出す。あのときは抱えていたものが決壊したようだった。心を許したというよりは、安堵や恐怖、痛みといった感情から。今回は一切の遠慮がない、許すことができた相手にのみに見せられた本心。バケツに溜めた水が許容量を超えてあふれだしたのではなく、自らひっくり返して水を捨てた。ララテアは、それをただただ心から良かったと思うのだ。

間もなく日が完全に沈む時間をすぐ隣の鐘が知らせる。彼らが姿を現して、コルテと合流できたのはもう少し後のことだった。


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