海の欠片

わんころがCWのリプレイ置いたり設定置いたりするところです。

リプレイ_23話『涙の代わり』(2/2)

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ロゼが宿泊している宿はすぐに見つかった。なんなら夕食も一緒にした。
石を渡したことも、家族と話をしたことも伝えた。一方的にラドワからロゼに会話をし、一通り報告が終われば小さな声を零した。

「……そう。……ごめんなさい。」
「何であなたが謝るのよ。」
「…………」


まただ。
また、あの泣き出しそうな顔をしている。
首をゆるゆる横に振り、殆ど何も食べないまま部屋へと戻っていった。ロゼの様子がこれほどおかしいことは初めてだ。
その理由を考える。クレマンと会ったから、それは恐らくあるだろう。ロゼにトラウマを植え付けた張本人だ。それから今日、カラスの嘴だの、人殺しだのと言われ動揺していた。
その意味こそ分からないが、あぁ、と一つ失念していたことを思い出した。


「北海地方で盗賊をしていたのだもの。被害者が居てもおかしくないわよね。」


クレマンによるトラウマと、人殺しと呼ばれたこととが上手く結びつき、そんな結論に至る。
望んで盗賊になったわけではないと知っているし、彼女が好き好んで人殺しをしない性格であることも知っている。好き好んで人を殺すのは自分だ。
トラウマを抉られたところに、更に傷を掘り返された。
どの程度、気にしているかは分からないが、無感情で抑えきれないほどの動揺はラドワでも分かった。
呪いはあくまでも『疎くする』だけ。全ての感情を失っていれば、それは呪いに飲まれたということだ。

「……何で私、こんなに気にかけているのかしら。」

らしくない、と思って気が付く。それから、本当に私らしくないわねぇとくすりと笑った。
いいことを想いついた。夕食を食べ終わると、亭主にあるものを貰う。らしくない、らしくないわと何度も口にしながら、ラドワもまた部屋へと戻った。

 

寝てしまえば、この胸のつかえもきっと取れる。
今までだって、そうしてきたから、きっと。
そう思ってベッドに入り、横になったがロゼは寝付くことができなかった。何度か寝返りを打ってみたが、いっこうに眠気は訪れない。妙に神経が過敏になっていて気分が悪い。
時間はそれほど経過していないのか、ベッドに入る前とさして月の位置は変わっていなかった。

「……ラドワは――」

今、何をしているのだろうか。何も気にすることなく眠っているだろうか。
彼女はかなり寝つきがいい方だ。きっとそれは、何も気にしないから。悩みも、トラウマも、枷がない。
そんなラドワが、眩しかった。快楽殺人を受け入れて、嬉々として人を殺す。そこに何の憂いもない。光の中に生きる人だ、とは思っていないが。闇に染まらず、光であり続ける。
それが、ラドワだと思う。

「…………」


会いに行ったら迷惑、だろうか。
ほんの少し顔を見るくらいなら、許してくれるだろうか。
昼間、あんな態度を取って何をいまさら?
独りになりたいとは、自分から言った。けれど、どうしてもラドワに会いたい。
……ここまで。何かを感じるのは、いつ以来だろう。
自分の、心が、分からない。


突然訪ねてきたロゼに対し、ラドワは驚いたような声を上げたが追い返すようなことはしなかった。
部屋に招き入れはしたが、ロゼと頑なに目を合わせようとしない。

「……」


―― 静寂が、刺さる。
ラドワは、怒っているのだろうか。


「ラドワ、あの、」
「で、要件は何かしら?」
「怒っているの?……こんな夜中に、確かにごめんなさい。それから、お昼のあれも、ごめんなさい。」
「……怒って、ない。」

じゃあ、何で。
問いかけようとして、気が付いた。
ラドワの声が、震えている。

「大方、ただ眠れなくて私のところに来たのでしょう?
 怪我人なのだから、早く部屋に戻って休みなさい。身体に響くわよ。」
「……ねぇ、ラドワ。」


言おうか、言わまいか。
時計の長針が一周して、ロゼはようやく、言葉にした。


「……ラドワ。こっちを向いて。」
「……どうして、」
「……こっちを、向いて……」

無理やり、ラドワの顔を両手で挟み、目を合わせる。
瞳から光るものをこぼしながら、ばつが悪そうな表情を浮かべる雪が。

「……ラドワ、まさか、泣いてるの?」
「はぁーーー……絶対にらしくないとか、ゴルゴンだとか、見たら死ぬとか言われると思ったから見せたくなかったのに。」

ため息をつく。微かに息をのむ音がして、瞳をじぃ、と見た。
わずかな月明かりでしか見えないが、雪の両目が赤くなっている。
そのくらい、泣いていたということだ。夜中に、一人で。

「何で、あんたが泣……」
「ロゼ、どうして私の部屋に来たのか聞いていなかったわね。」
「それは、眠れなかったから
「嘘よ。……本当は、違うでしょう?」

そんなこと、ない。
事実で、ただ。
言葉がまとまらない。何かを言葉にしようとして、何も形にならなくて。
……心を、形作られる。

「辛かったのでしょう?」

首に、触れる。
ずきり、痛みが走る。昨日、銀の暗殺者に噛まれた場所。

「苦しくて、怖くて、痛くて、逃げ出したくて。けれど、できなかった。」

ねぇ、と声を掛けられる。

「ロゼ。涙は、出たの?」
「…………そんな、もの。」
「今回だけじゃない。以前にクレマンに襲われたときも。カモメの翼が結成される前……そう、濡れ衣を着せられたときも。両親が死んだときも。
 そのときも。涙は、出たの?」

そう、いえば。
悔しかった。両親が村へ残り、海へと還ったことも。生きるために盗賊として過ごし、人を殺すことも。あらぬ罪を着せられ、裏切られたときも。
悔しくて、悔しくてたまらなかったのに。

「あなたは、呪いで泣けないのだと思っていたけれども。やっぱり、違うわよね。
 泣いたことがあったのなら、泣くことができると思った。けれど、多分……あなた、泣き方を知らないのよね。泣いたことを忘れてから、呪いを与えられたから。
 案外、泣こうと思えば泣けるものなのに。」

ふふ、と笑いながら視線を逸らす。
視線の先にあったものは、まさかの玉ねぎ。

「まさかの物理による涙。」
「初めはね。あなたの苦しみなんて分からないし、人に同情して泣くなんてできやしないわ。
 けれどね、気が付いたのよ。私は、あなたが涙を流せないことが悔しいのだって。大声で泣いて、喚いて、泣きじゃくって……本当は、そうしたかったはずなのに。
 案外、泣こう泣こうと思っていれば泣けるものなのよ。」

酷い顔していたわよ、今日。
そう告げる雪の言葉は、どこまでも穏やかだった。
普段の彼女を知っているのならば、この顔は絶対に想像できないだろう。
涙は今も、零れ落ちている。
暖かな、雪解け水。

「だからね。
 泣かないあなたの分だけ。弱くなれないあなたの分だけ。
 私が代わりに泣いて、私が代わりに弱くなる。
 ……そう、今日内緒で決めたのよ。」
「……ラドワ。」

両親が死んでから、涙が出なくなった。
その日から、呪いがなくても感情は欠け始めていたのかもしれない。
……その言葉に、救われた心が半分。
余計に、悲鳴を上げる心が半分。

「気に、しないで。これは全部私の、ただの独りよがりなのだから。ただ、これだけは忘れないで。
 辛いことや、苦しいことをしまい込む必要はないの。それは、誰かに否定されるものでもないし、自分から自慢するものでもない。
 けれど……気づかないフリをして、分からなくなっていても。苦しいって思う心までは、誤魔化せないのだから。」

そんな気持ちになったことがないから、知らないけれど。なんて、ラドワらしい言葉。
言われて、気が付いた。自分は、泣きたかった。
渦巻いた悲しみを吐き出すことができず、苦しんでいた。
それでも、無感情という呪いがあって、涙は、出ない。
それから……恐れていたのだと、初めて気が付いた。

「ねぇ、ラドワ。……あたしね。人を殺したの。」

自分の過去を話したくない。
それは、今まで心から信頼できる者が居なかったから。自分を助けてくれる者などいないと思っていたから。
けれど、たった一人だけ。不信から来る、強がりじゃなくて。
醜い、己の過去を話して。そんな人だと思わなかったと、失望されたくなくて。

「盗賊になって、何人も殺した。言われるまま、殺した。……北海地方は、多分、あたしたちカラスの嘴を恨む人は多い。だから、どこで誰があたしを恨んでるか、分からない。」

目を、直視できなくなっていた。
生きるために選んだ道。許してくれ、などとは思わない。
ただ。

「……殺したことに、後悔もある。生きるためだなんて、正当化してるとも思ってる。……でも、でもね……」

我ながら、なんとも子供じみたお願いだったと思う。
声は震えるのに。泣きたいのは、自分の方なのに。

「……お願い……嫌いに、ならないで……」
「…………」

精一杯の、懇願。
未だぼろぼろ流れる涙は、月の光を反射して宝石のようにきらめく。
ラドワの今の表情からは、とても似合わない言葉が返ってきた。

「あなたは私が嫌い?」
「え……?」
「だって。私は楽しいから人を殺すわよ?全くもって後悔していないし、やめるつもりもない。
 でも、あなたの理論だと、私はあなたから嫌われていることにならないかしら?」

勿論そんなつもりで言っていないことは、人の心がない屑でも分かる。
何も気にしていない。遠回しの言葉。

「そういうことよ。そもそも私の殺した数と比べれば、随分と可愛いものだと思うし。いやそこは大した問題ではなくてね。
 あなたの罪悪感や後悔を、気にするななんて軽々しく言うことなんてできない。恐怖やトラウマを、忘れろなんて簡単に言うことなんてできない。
 けれども、それがあなたを嫌いになる原因には何も結びつかない。きっと、アルザス君やアスティちゃんも同意見だと思うわよ。」
「……。……アルザスたちには聞いてない。」
「えぇーーーカモメの良心はガンスルー。」

茶々をいれないとやっていられないのか。
互いに、互いの発言を反芻して。それから互いに笑った。

「……ラドワ。あたしは……まだ、泣けそうには、ない。
 でも、ラドワがこうやって、あたしの代わりに泣いてくれれば。あたしは、それだけで、心が軽くなる気がするわ。
 本当は、涙の分、笑顔で返せたらいいんだけど……」
「じゃあ、笑顔もツケでいいわよ。そうね。じゃあ、私も賭け事をあなたに申し出るわ。」

賭け事じゃない賭け事をふっかけられたから、私も今ここでやり返すわ。
賭け事という名の、意思表明。殺したくないと言わせる、という意志表明に対し。

「いつか絶対に泣かせてみせる。あと笑顔にもするわ。心の底から笑わせてやるんだから。」
「ちょっと、2つもあるじゃない。」
「感情を取り戻させる、という意味では1つみたいなものでしょう?
 呪いのいいようにさせない、という意味では同じね。私も、あなたも。」

結局互いに互いの呪いが気に喰わなくなってしまっているわね、と再び笑う。
この人は、本当によく笑うし案外涙を流す。
改めて、不思議な人だと感じる。同時に、どこまでも純粋な人だと思った。
何にも染められない、自分を決して見失わない、そんな人だと。

「ふぁ……眠たくなってきたわ。ロゼ、そろそろ休みなさい。あなたは見た目以上に傷ついているのだから。」
「……ねぇ。」

この人は、許してくれる。
この人だけは、信じられる。
己の心の奥底に、何も気が付かない。

「……全部、吐き出していい?あたしが、盗賊始めたこととか。人を殺したこととか。そういう後悔、全部。」
「えぇ……休みなさいと言ったのに。」

困った人ね、と苦笑しながらベッドの上に転がる。暑さに弱いため、掛け布団の上に。
夜中遅いし寝るわよね、と少し申し訳なさを覚えたとき。随分と端に寝転がっている姿が見えて。おいで、とこちらを向いて開いたところをぽんぽんと叩く。

「え……添い寝?」
「眠たいから聞きながら寝るわ。途中で寝ても許しなさいね。」
「いや……え……?いいの?」
「何でだめなのかしら。」

互いに気にする仲じゃなくない?と屑意見。
無感情で何も気にしない人と、対人関係で何も気にしない人。
女同士だし仲間同士だし何も気にしなくない?と疑問を投げかけられて、何故自分も気にしているか分からなくなって。

「じゃあ……お邪魔します?」
「ん。しかしこのベッド狭いわね。ちょっとくっついても問題ないわよね。」
「え、いや、え、」

ぎゅっと、抱きしめられる。それも向かい合って。
全然そんな関係ではないのに。これぞ無頓着の極みか。

「……、……あったかい。」
「まあ、同じ魔力を持つ者同士だもの。同一魔力の持ち主は互いに暖かさを覚えるし……私はほら、魔力保有量も多いから、余計に心地よく感じるのかもしれないわね。」

なんだかふわふわした感じがする。
思いつめていたものを吐き出したからだろうか。それとも、突き放されなかったからだろうか。
あるいは、ラドワの言う通り同じ海竜の魔力の持ち主だからだろうか。
胸元にこつんと額を当てれば、びくりとラドワは身体を震わせた。あぁそうだ、竜印がある箇所だったとあわてて少し場所をずらした。触れられると過敏に反応してしまう、ということを失念していた。

「あー……ごめんなさい、気を遣わせた?」
「こっちこそ触れてごめんなさい。痛くなかった?」
「触れられて痛いというよりくすぐったいって感じがするから……痛みといえば、首は大丈夫?」
「少し、痛い。……痛いだけって、思える。」
「ふぅん……」

変な言い回しだと思って、吸血鬼の特性を思い出す。
そういえば、獲物を逃がさないように強い快感を与える者がいる。それを、不快だと感じているのだろうか。
痛いと思えることが安心できる。そんな意味に思えた。
それからロゼは、昔のことをいくつか話し始めた。
盗賊に入る経緯や、初めて人を殺したこと。トラウマを、一つ一つ語った。
中でもクレマンの異常性の恐怖の話が多かった。どれだけ銀の暗殺者が、翼にとっての傷になっているかを理解する。
大人しくうん、うん、と相槌を打っていたが、ラドワは途中から苛立ちを抑えられなくなった。
一体首元を噛まれたとき。どれだけ、怖かったことだろう。
痛々しく残る傷を、早く消したい。忘れてしまいたい。痛みもなくしたい。
そんな風に、懇願しているように思ったのは都合のいい解釈だろうか。

「……ロゼ。今からやること、嫌だったらやめてって言うのよ。」
「え、何を……いやちょっと待って本当に何する気!?」

しゅるり、首の包帯を解く。
牙の傷が残っている方は下になっている。これなら好都合だ。
随分と、身勝手な解釈。仕方ない、それだけ腹が立ったのだから。

「―― っ!」

ガリッ。
首筋に、歯を立てる。吸血鬼のものと比べれば痣程度にしか残らない。

「ふ、ぁ……っ!」

逃がさぬように身体に手を回し、痛みを与えてゆく。
決して優しくはしない。力を抜いてしまっては、意味がない。

「ら、らど……ぁ……っ!」

ロゼは逃げ出さなかった。
小さな悲鳴こそ漏らし、身を固くするが暴れたり拒絶したりすることはなかった。
成すがままに、傷をつけられる。
ぎゅっと、彼女もラドワの身体にしがみつき、痛みにこらえる。
……それが、本当にただの痛みかどうかも、ロゼには分からない。

「ゃ……、……あ、ぁ……ふぁ……っん、んぅ……!」
「……っは……、……ごめんなさい、痛かったわよね。」

首筋から口を離す。つぅ、と透明な液体の中に、赤色のものが混じっていた。
夜の帳に包まれた部屋では、跡も、その色も確認できない。ただ分かることは、痛みを堪え震えているロゼと、少しだけ汗の香りがすること。
優しく、それから確認するように噛んだ箇所を撫でる。びくり、と身を震わせたので、しっかりと跡はついているようだ。何となくながら、己のものの形状も確認できた。

「ロゼの首の傷が、とても辛そうだったから。
 暫くは治りそうにないでしょう?だから、私のものもつけておこうと思って。」
「……、……どんな、理論よ……」

あんまりにもめちゃくちゃだ。
凡そ、痛み以外に感じたものを認めたくはないのだろう。だから、それを否定するために。上書きをするように。そして、自分の存在を忘れさせないように。
自己満足で、身勝手な理由で付けたことには違いない。しかし、ロゼは一切の不快感を抱かなかった。

「でもあなた、逃げなかったじゃない。それどころかやめて、とすら言わなかったわよ。」
「……それは、そうだけど……いや、でも普通いきなり噛む?」
「やめてって言えばよかったじゃない。そうすればやめたわよ。」

責任転換。実際痛い、ともやめて、とも言わなかったのはロゼの方だが。
腑に落ちない。けれども、クレマンのときには拒絶したそれと似たものを感じて、拒絶できなかったのも事実。
それどころか。足りない、とさえ思った。

「……ラドワ。もう一回。」
「え?……正気?私は構わないけれども。」
「お願い。もう一回。」

理由はやはり分からない。
アンコールされると思わなかったラドワは、流石に二回目は本気ではいかないわよ、としぶしぶ歯を立てた。
少しだけ、痛い。けれど、それ以上に心地よさと快感で身体がびくびくと震える。

「……ふ、……あ、ンっ……」

鈍くなっているはずの感情が、やけに鮮明に感じられた。
嬌声が漏れる。ただ、首筋を噛まれているだけでたまらなくなる。
汚れを雪で隠して。そうして、見えなくすれば。
また、翼は大空へと羽ばたけるから。




☆あとがき
恐らく最初で最後のラドロゼですね。これは完全にラドワさんが攻めですね。あまりにも私自身が解釈違いでは???と首を傾げ、ツイッターで謎すぎるアンケを取ったのが懐かしいですね(これを書いている時点で昨日の話)。
私はリバは全然気にしない民なんですが、どう見ても左で固定だろ!みたいなやつが右に行くと「??????」って顔にはなります。なりました。こんな呪いありで女々しいロゼちゃんは恐らく最初で最後でしょう。
しかし。ラドワさんから見てロゼちゃんは『放っておけない人』なんですが、ロゼちゃんは『くそ重感情と依存を向けてるけど無感情でその辺全然気が付かない』ってやべーことになってますね。ロゼラドの明日はどっちだ!

☆出展
ふゆこ様作『涙の代わり』より

リプレイ_23話『涙の代わり』(1/2)

※2/3くらいオリジナル

※外伝6の翼と雪を読んでると分かりやすい(読まなくても可)

※後半最後R-15っぽいから注意

 

 

白銀都市スノウ=レイ。北海地方の最南端にあり、現在北方地方では最も人口も多く、発展した街である。
スノウ=レイがあるためここまで馬車が通じている。竜災害の被害も殆ど見舞われず、竜災害が起きてこの地に移住した北海地方の者も少なくはない。
賑わっている街を、ロゼとラドワの二人で歩く。戦斧の作成依頼を依頼し、ラドワの実家へと向かう。家には戻りたくないとは言っていたが、一度は戻るつもりだった。というのも、今回魔力の残留の解析依頼を出そうと考えていた場所が、ラドワの実家、セリニィ家だったのだ。
仲睦まじい会話をするつもりはなく、頼んで逃げるつもり満々だったわけで。そこを監視されかねないと思うと大変居心地が悪かった。

 

「……ところで、傷は大丈夫なの?」

 

現在、ロゼは首に包帯を撒いている。
吸血鬼は人間の血を吸うと、新しい吸血鬼か、あるいは喰種(グール)を生み出す。が、クレマンはレッサー吸血鬼であるためか、他の理由からか。彼女が人間を噛んだとしても、吸血鬼や喰種を生み出すことはないようだ。本人もそれを知っているからこそ、ロゼに容赦なく吸血を行ったのだろう。
吸血鬼の魔力が残るせいか、彼女につけられた傷の治りは遅い。以前も胸を刺されたときにそれは実感していた。今回も、暫くは跡が残るだろう。

 

「…………」
「ねぇロゼ。聞いている?」

 

再度声をかけて、はっと我に返る。
ずっとこんな調子である。やはり休んでいるべきだったのではないか。今からでも送り返すわよ、と伝えると大丈夫、と首を横に振った。

 

「少し休む?石を預ければ、部屋くらい貸してもらえると思うけれども。」
「ほんとに大丈夫よ。気にしないで。……あたしは大丈夫だから。」

 

無理に笑おうとしているように見えた。
ロゼの微笑みは、いつも作りものだ。されど、今日はその作り物さえも、無理やり作っているようだった。それを怪訝そうに見つめるものの、ラドワはそれ以上は聞かなかった。

 

「あと10分くらい歩いたら到着する。……ただし、実家は、の話だけれども。」
「……?実家は?」
「別荘があるの。魔法の研究は主にそっちで行っているから、実家は現在誰もいないという可能性があるわ。」

 

話によれば、魔法を研究している以上、常に暴発の危険が付きまとう。
街中で魔法を暴発させれば迷惑になるし、見物人が出てくるとそれこそ研究に集中できない。そう考え、魔法を研究するために、街はずれに別荘を建てたのだという。別荘といいながらも、研究目的の建物のため結構大きいのだそう。
セリニィ家は、北海地方だけではなく、世界的に有名な魔術師の家系。魔術に精通する者であれば、その名前は必ず知っている。最も名を残した研究は、『スクロールに魔法を封じる術』である。
魔力を持たない者であっても、スクロールを開いて術を唱えれば誰だって発動が可能である。そのためには巻物に魔力を封じる機構や、誰にでも術が唱えられるため呪文の簡略化が必要であった。その機構を作り、世に残したのがセリニィ家の先代だという。
今でも、そうして『護身のため、誰もが簡単に術を扱える』術を中心に研究しつつも、独自の分野の魔術を研究し残している。それを『絶対に成功する魔術の研究などつまらない』といって家出したのがラドワだ。
別に家族と仲が悪かったわけでもない。魔術の勉強に不真面目だったわけでもない。ただ、繰り返される日々が詰まらず、飽き飽きとしていた。なんとも贅沢すぎる話だ。

 

「魔力の解析の力なら、セリニィ家はかなり優秀よ。特にお母さんがそういうことが得意で……、……?」

 

軽くロゼにうちの話をしながら歩いていると、道をふさぐように女の人が立っている。
見知らぬ者だ。ラドワの対人記憶力がおしまいなので、アテにならないといえばならないが。
震える声で、女は言葉を紡ぐ。

 

「……あなた……せいで……あなたの、せいで……私の、夫は死んだ……!」
「…………」

 

殺したっけ?殺したかもしれない。
女の手にはナイフが握られている。どうやらあれで、自分を刺し殺すつもりなのだろう。
でも白銀都市で殺しはした記憶がないのだけれども、と反論しようとして……その矛先が、ロゼに向いていることに気が付いた。

 

「ねぇ……カラスの嘴……忘れたとは言わないわよ……」
「―― !?」

 

伝わる動揺。ロゼは大きく目を見開き、息が詰まる。
ナニソレ?といった様子でラドワは首をかしげている。聞いたことあるようなないような。数秒悩んで出てこないので知らないということにした。

 

「夫の……夫の敵ぃぃぃいいいっ!!」

 

真っすぐ走り出す女。ロゼは、反応しない。反撃しようとしない。
瞬間に判断したラドワは、愛用の短剣を取り出しロゼの前に立ち、女のナイフを弾き落とす。それを拾おうとして、もう一つ動く影を察知した。

 

「―― !」

 

背後からも、更に一人ナイフを振り上げていた。年齢は幼い。10歳と少しくらいの子供だろう。
しゃがんだ姿勢のまま走り出し、ナイフを振り下ろされる前に子供を突き飛ばす。そこまで力がないと言えど、長身女性の突き飛ばしはなかなかに威力が出る。数メートルほど転がり、泣きわめきながらこちらを見上げていた。

 

「人殺し!とうちゃんを返せ!」
「夫を返せ!私の夫を返してよ!ねぇ!」

 

通行人が、こちらを見ている。騒ぎになりつつある。
これがチンピラや冒険者であれば、容赦なく屑は楽しんで殺しただろう。しかし、白銀都市で、名を知られていて、女子供を傷つけたとなれば、この街に滞在することが難しくなる。それだけならまだしも、セリニィ家を巻き込んだ騒ぎになることは大変面倒くさい。

 

「ロゼ。走るわよ。」

 

動けずにいるロゼの腕を掴み、走り出す。最後に訪れたのが5年前であれど、土地勘は十分にあった。
大通りを走り、路地裏へと逃げ込む。人通りのない狭い道へと隠れ、一先ず大丈夫だと判断。ぜぇぜぇと息を荒げながら、じっとラドワはロゼを睨んだ。

 

「どうして自分の身を守らないの。あなたなら、十分身を守れたでしょう?」

 

要求した説明は、なすがままにされようとなったことだ。
人殺しと責められたことも、カラスの嘴とは何かとも尋ねない。ただ、ラドワはまるで、殺されても仕方のない人間ですと、彼女が主張しているように見えたから。
それが、とても気に喰わなかった。

 

「……から……」

 

弱々しい声で、吐き出す。

 

「……その、通りだったから……あたしは多分……殺したんだと、思う……罪悪感が、あるのかしら……わからない、けど……動けなかった……」
「……そう。」

 

その表情は、今にも泣きだしそうで。
けれど、決して涙が流れることはなかった。
今にも泣きじゃくって、わめいて、大声を出すところなのに。
痛々しいくらいに、感情のある無表情に見えた。

 

「……ごめん、やっぱ疲れてるみたい。適当な宿探して休んでくる。」
「え、ここから宿を探すの?というより下手に別れない方が――」
「大丈夫。次はちゃんと、逃げるから。警戒もしてる。……少しだけ、一人にさせて。」

 

タンッと、駆け出す。彼女が本気で駆け出せば、ラドワに追いつく術はない。

 

「……お目付け役はなんだったのよ。」

 

はぁ、と大きくため息をつく。昨日からため息ばかりついている気がするわね、と呟いた。
少しだけ一人にしてくれ、と頼まれたので一人で石を預けに行く。ここからそう遠くない場所に目的地はある。面会サボってもいいかしら、などとよからぬことを考えながら。

 

  ・
  ・

 

案の定実家は無人。ノックをしても、誰も出てこない。
仕方がないので別荘の方へ向かう。街の外れとはいえ、近所ではある。白銀都市を出て10分ほど歩いた場所にそこは建っていた。
森がすぐ近くにあり、涼しい風が吹き抜ける。この森は魔力の触媒探しのためによく入った。野生動物が多いが、危険な生き物はいない。狼くらい出るが、森に入るときは必ず『護衛』が居たので大した問題ではなかった。

 

「ただいまー。」

 

大変ナチュラルに別荘へ入る。

 

「いや待てよちょっと誰か知らないけどノックくらいし……」

 

出迎えたのは、父親だった。顔を合わせ、互いに無言になること十数秒。

 

「あぁーーーーーー!?ラドワ!?ラドワ帰ってきたのか!?」
「ぐえ、ま、待ってくるし
「心配したんだぞ!攫われてなかったか!?どこも痛くないか!?悪いことされてないか!?大丈夫だったか!?」
「待って、待って、説明しても長くない、から、まっっっ」

 

その後、両親に抱き着かれ、別荘に居た研究員にもわいわい騒がれ。
事情を話せば、あまりのゴーイングマイウェイさに引かれた。あとめっちゃ怒られた。
家出した後、心配になって北海地方全域を探し回ったらしい。何の情報もなかったが故に、捜索することができなかった。
一か月くらい何の魔術の研究にも手が付かなかったんだぞ、と号泣されながら父親に訴えられたときは流石に申し訳なくなった。ない心が痛んだ。

 

「……そうか、今は、リューンで冒険者をしているのか。呪いの解明や、記憶喪失の少女の手がかりを探して、ね……」
「えぇ。言っておくけれども、家に戻るつもりはないわよ。今日は用事があって戻ってきたけれども。」
「うーーーん出て行って音沙汰があったら用事があるがために戻ってきた。流石私の娘。どこまでも利己的で人の心がない。」

 

何一つ変わってない姿に、いっそ清々しさこそ覚えた。流石すぎて感動する。
とはいえ大変元気そうな我が子の姿に心底安心したのも事実。

 

冒険者として上手くやっていっているのならよかったわ。うちのことは気にしないで。跡取りが困るけれど……ま、なんとかしておくわ。」
「え、いいの?怒っていないの?」
「怒ってるぞ。勝手に家を出てったことにな。」

 

ごめんて。
流石にそこは本当にすまないと思っている。

 

「でも、冒険者になったラドワは凄く楽しそうだ。やっとやりたいことが見つかった……いや、違うな。楽しいことが見つかったんだなって。ほら、魔術の勉強をしててもずっと退屈そうだったじゃないか。だから、ラドワが自分のやりたいことを見つけられたのなら、お父さんもお母さんも応援する。」
「お父さん……」
「勝手に家を出てったことは死んでも許さんけどな。」

 

いやほんとにごめんて。
まさか心配されると思ってもみませんでした、とは言い出せない。この場合の心配されると思ってもみなかったは、自分が愛されていると思っていなかった、とかではなく。家出して心配されると考えられなかったという、人の心が分からないクソみたいな理由だった。

 

「ところでラドワ、用事って何かしら?」
「あ、そうそう。この石に魔力の残骸があると思うのだけれども、それをうちで調べられないかしら。ウィズィーラの指定した禁止区域の海底に、遺跡があったことが分かったの。そこにあった石よ。」
「この子勝手に禁止区域に入り込んじゃってるよ。」

 

今はもう街がないから自由なはずよ、とこれまた屑発言。
興味がないか?と問われれば勿論そんなことはない。めちゃくちゃ興味深い研究材料だ。受け取らない理由がない。

 

「明日には解析しておくわ。うちの魔法解析力に任せなさい。」
「えぇ、ありがとう。リューンの賢者の塔の解析力よりもずっと優秀だって知っている。」
「あそこと比べられると光栄だなぁ。規模こそ小さいけれど、解析力と一部の分野なら負けないよ。」

 

これでよし。目的を果たせば、家を出て行こうとする。
えっなんで?流石に家族のストップ。えっなんで?首を傾げる屑。

 

「えっそこは家族と仲睦まじい会話をしながら一晩過ごす、というイベントが起きる場所じゃないのかい?」
「私の記憶領域にそういうものはインプットされていないわ。あと……ちょっと放っておけない人がいるから。追いかけたいのよ。」
「おーけー分かった行っておいで。」

 

掌返しRTAだ!自分の娘との再会の時間が短いことは心残りだが、人の心がない娘から放っておけない人がいる、なんて言葉を聞く日が来ると思っていなかった。
道徳を学んできなさい。人の心を得てきなさい。あ、やばい泣きそう。子供の成長に泣きそう。お父さんまた涙腺が緩まっちゃったな。

 

「あ、もう一つ聞いていい?カラスの嘴って知ってる?」
「カラスの嘴ってあのとうぞブッッッッッ

 

吹いた。盛大に遅効性で吹いた。
げほげほと咽てから全力で首を横にぶんぶんと振る。何か知っていることは見るより明らかだが、問い詰めても教えてもらえそうにない。どうして?と抗議したい気持ちでいっぱいだが、したところで答えてくれないだろう。

 

「そう、知らないのならいいわ。それじゃあまた明日聞きに来るわね。正午くらいに来ると思うから、ごはん用意しておいて。」

 

追求をあきらめ、ラドワはロゼと別れた場所へと向かう。一番近い宿を訪ね、いなければ少しずつ目的地から離れた宿を探し出せばいい。
両親はふーっと息をつきながら、互いをちらり見て、言えないよなぁとため息をついた。

 

「だってさあ。昔介抱した盗賊がそうって言えないでしょ。」
「あの子、全然知らないみたいね。いっそ奇跡でしょうこれ。怖いわー周囲に対する無頓着っぷりが凄いわー。」

 

 

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リプレイ外伝_7『泥になった女』

※時期はリプレイ22-4の最後のところ
※珍しくまともなリプレイ

 

 

はじめて声をかけたのは、彼女が空腹のときだった。
迷子の彼女と、パン屋に行った。

 

波の音が聞こえる。
水平線上に立っていた自分を見た彼女が、何かを言って微笑んでいる。

 

―― その日は酷く曇っていた。

彼女は泥になろうとしていた。


  ・
  ・

 

カモメの翼が北海地方に赴き、オルカの襲撃を受けた後。全員の手当が終わり、ひと段落ついた。全員は眠りについたが、ラドワは転移術でリューンに戻っていた。

 

「ありがとう、今日は助かったわ。」
「いいのいいの。じゃ、また私が丁度こっちに来てるときに何か困ったことがあったら呼んで。格安で受けてあげるから。」
「そう言う人ほどがっつり持っていくじゃない。」

 

全く知らない者同士だったが、お互いに好印象を残して別れた。じゃあね、と手を振ったノメァは手をドアノブにぶつけ、めちゃくちゃ悶えてながら宿を出て行った。寝なくて大丈夫なのだろうか。
こちらに戻ってきたのは、こうしてノメァを送るためが一つ。もう一つは、足りない薬を取りに戻るためだった。北海地方は今回燃えた村以外にもいくつか存在するが、どこも人口が少なく、貴重なもの。それならリューンに戻って調達した方が早い、と判断した。

 

夜も更に深まって、カウンターに亭主と自分だけが居た時に女はやってきた。
依頼を受けてほしい。そう言うと旅の身なりをした女は真っ先に自分が既に死んで生きる亡者になっていることと、朝日を迎えれば身体は泥になって終わってしまうのだと話した。

 

「まだ受けるなんて言っていないのだけれども。」

 

特に驚くことはなかった。死の気配は感じたし、それに遭遇することは珍しくない。最も、このような場所で、このような形で遭遇するとは思っていなかったが。
もしそれで斬りかかれたらどうするの?と問うと、女はそれはそれで、と笑った。
死ぬ前に海が見たいのだそうだ。
しかし、リューンから海までは距離がある。何故自分に依頼の話を持ち出したのかと問うと、転移術で北方地方から戻ってきたことを親父と話している声が聞こえたそうだ。
一か月半は帰らない。帰りは転移術で帰るとは伝えたが、予定よりも早かったため随分と驚かれた。
……そんな、リューンに帰ってきてからのやりとりを女は聞いていたのだという。
女はただ、自分と、まだ見たことのない海を見るために歩いてほしいのだと言った。

 

「連れていくから勝手に見てくればいいじゃない。まあ、連れていくにも相応の報酬はいただくけれども。」

 

そう問うと、女は夜出歩くのに自分だけじゃ怖いのだと言っていた。
あの辺は人が居ないわよ、と口にしてもそれでも、と言われた。

 

夜明け前。海はまだ深く暗い。
転移術で移動してくると、仲間はやはりというか、誰も起きてはいなかった。起こさないようにね、と小さく忠告し、アルザスの家を出る。生まれてからずっと縁のある……最も、私は内陸の方に生きていたからそこまでではないのだが。
嗅ぎ慣れた潮の香。私たちは、満ち引きできっと消えてしまう砂の道を歩いた。
女のことは知らない。以前出会ったこともなければ、散歩に誘われるわけもない。
断ることもあの場で葬ることも考えたが、やめた。ちょうど目も冴えていたし、何より興味は強かった。動死体の類を目にする事はよくあるが、これほど自我を保って堂々と依頼までしにくるケースはそう何度もあることではない。
オルカと戦った後ではあるが、さして危険があるわけでもなく、ついでで終わる仕事。それで報酬が得られるのであれば、別にいいだろうと思ったのだ。
……ポケットの中にある小瓶の存在を確かめる。薬の調達のついでに、念のため潜めておいた。
いざとなればどうとでもなるだろうという慢心も、恐らくあるだろう。しかしなにより、その女の雰囲気が酷く頼りないものだったから、依頼を受けたのだと思う。

 

(そう見えるのは死んでいるからなのだろうけれども)

 

二人で、夜の海の道を歩く。
波が思考をさらっていく。
死んだ女が前を歩いている。
己で死体とは言いはしたものの、そこから腐臭は漂わず、本当に死んでいるかどうかの判断は『その道』の術を知らなければつかないだろう。

 

「死霊術師にかけられた呪いなの。
 彼を殺したそのときに、私たちは相打ちで死んだはずだった。」

 

女は砂につく自らの足跡を楽しむのをやめて、ずっと遠くの方を見据えた。
視線の先はまだ暗い。

 

「往生際が悪い術師が死に際で自らを生ける屍にする話。仲間の内で出てきたことはあったけど、まさか自分たちがかけられるとは思わなかった。」

 

二度死ねと、言われたわ。
そう言って、女は振り返った。

 

……女は、冒険者だったのだそうだ。
仲間と共に依頼のため。村人を攫い続けられ、憔悴しきっていた人々のため。
件の死霊術師を討伐しに行った。しかし、あえなく返り討ちにされ、それでもどうにか相打ちまで持っていって、最期は皆で名誉の死を遂げた。

一度。

 

「…………」

 

ラドワは、その手の術を習得している。本職、ではないため不可能も多いが、女の話が真であると判断できる程度には実力があった。

 

「私はそれに手を打つ術を知っている。朝日から逃げる方法を心得ている。
 私にやらせてくれたのならば、死を受け入れて、ここで消えなくても済むわよ。」

 

それを伝えると、女はやはり笑って、

 

「ありがとう。だけど、」

 

私は海を見るためにここまで来たから。
それ以上、続く言葉は返ってこなかった。
女はまた歩き出す。
……よりにもよって、ラドワに声をかけた。
これが、別の者に声をかけていたならば。死霊術の心得があったとしても他の者ならば、例えばかの幻想に声をかけていたならば。
きっと、彼女の望んだ『終わり』を齎されたのであろう。
しかし、よりにもよって、だ。

 

「――――、」

 

彼女は、死を救済としない。
死が救済でないから、殺戮を快楽とし、死を知らしめる。
存外に人は脆く、いつも死と隣り合わせであると思い出させる。
そんな者が、死を望む人間と出会ったならば。
口を三日月にゆがめ、波でかききえるくらいの小さな声で、まず簡単な呪縛の術を編む。

 

「……?……っ!?」

 

何が起きたのか分からないように呆けていた女の顔が、束縛をきつくした瞬間強張った。
続けて泥の呪い……日が昇れば泥となり消えてしまう、死霊術が最期に彼女にかけた呪いを相殺させるために、上から屈服の術を重ねがけする。
死の呪いは支配の類。書き換えれば或いは上手くいく。

 

「……!……息……が……!」
「元からしていないのと同じじゃない。」

 

口をぱくぱくさせ、苦し気な様子で喉に手を持って行こうとする。が、ラドワの術は、それを許さない。
女にかけられた術はおそらく解けない。だから上から覆いかぶさるようにして新しい術を組んでいく。大地を雪が覆い、白い世界へと変えてゆくように。
死んでいることはどうにもならないが、泥の方は持ち前のもので潰せそうだった。

 

「やめて……!」

 

女の悲鳴に、くすりと笑って答える。

 

「どうして?海が見たいのでしょう?見られるわよ。日が昇っても見続けられる。」
「――!私は……!」

 

叫ぶ。
女と、魔術師。2人だけの海岸で、叫ぶ。

 

「私は!!!!
 生きるためにあなたに頼んだんじゃない!私は、この手で……死んだ仲間を殺してしまった!!
 泥になるためにここに来た!終わるために……!ここまで……!」
「なら使えば。」

 

ポケットに入れていた聖水の小瓶を、死んだ女に投げてよこした。
柔らかい砂浜がクッションとなり、小瓶は割れずに女の前に埋まる。ゆらゆらと、聖水の中で水が波打っていた。

 

「掌握しきったわけでもないし、頭から被ればちゃんと死ねるのではないかしら。」
「……――!」

 

凝視し、躊躇い。
しかし震える手で、目の前に放り出された瓶を掴む。瓶を持つ指が小刻みに震えている。
亡者の自殺など、そう見られるものでもないだろう。

 

「どうしたの?ほら、掌握しきってしまうわよ?」

 

女は蓋を開けようとしていたが、細かく震え続けて、しまいに瓶は砂の上に落とし。
とうとう力なく項垂れてしまった。

 

「……」

 

ラドワは、死をこの世の何よりも恐ろしいものと考える。
人が自殺をするのは、その死よりも現世に対し恐怖を、絶望を抱いた者が逃避するための行為だと考える。
それを弱いとは思わない。逃げることは、悪いことではない。
だが、それを決して『救済』とは考えない。
ましてや、誰かに生殺与奪の権利を委ねて死にたいなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
自分で、死を選ぶことができない者は。
心から、死を願っていないということ。

 

……日が迫る。即席の対抗術は間に合っていた。
仕上げに身体を保たせるための触媒を飲ませる。女は呆けたように、されるままになっていた。

 

「自我ごと消えた?」
「そうかもしれない。」

 

まだ大丈夫なようだ。
朝日が近づいてくる。力の入らない女を立ち上がらせて支えるようにし、海へ、波が砂を攫うすぐ傍まで歩き出す。

 

「――……」

 

潮風に起こされるようにして、女が顔を上げる。

 

「海。こんなに、きれいだったのね。」
「えぇ、綺麗でしょう?私たちの故郷。……母なる大海は、いつだって美しいわ。」

 

女はじっと水平線を見つめたあと、両手を広げるようにして立って、大きく息を吸い込んだ。
照らされた身体は朽ちない。
女に死は訪れない。
よりによって、死をよしとしない女に声をかけたから。

 

「…………」

 

あたたかい。
そう呟いた女に、ラドワは語る。

 

「死体に痛覚は無いわ。」
「痛覚?」
「暖かいとか、冷たいとか。全部痛みと同じなのよ。」
「へぇ……」

 

でも、と。
隣に並んで、海を見つめる雪は。

 

「それでも暖かいと思ったのなら、日は暖かいのだということを。
 ただ、身体が覚えているのでしょうね。」

 

死してなお生きていることも、悪くないでしょう?
なんて、ひねくれた笑みを浮かべていた。
考えるようにしている女の瞳に、燃えるような色は残っていなかった。

 

 

「私をどうするつもりなの。」
「ちょうど人手を探していたところだったのよ。私の仲間の怪我の手当ができる人手。
 それから、ちょっととある家の番をしてくれる人をね。」
「……そっか。」

 

それはそれで、いいのかな。
そう、力なく口にして。生気のない顔で、笑った。
帰り道、それから女はぽつぽつと自分と仲間たちの身に起きたことの詳細を話していった。
女は聖北教徒で、仲間を癒し、邪から守る役割だったこと。
件の死霊術師に呪いをかけられたのは、自分だけではなく仲間たちも同様だったこと。
しかし自我を保てたのは自分だけで、他の仲間が亡者と成り果てた際、神の御業により止めを刺したのだということ。
話の中で、ひとつだけ尋ねた。

 

「どうして海だったの。」

 

海は、カモメの翼にとっては特に思い入れの深い場所だ。
ラドワにとって、女の依頼を受けようと思った、もう一つの理由が海を選んだこと。
海辺の村ではなかったにしろ、彼女もまた海が好きだった。だから、気になった。

 

「……リューンに来て初めての日。ついて早々迷子でお腹を空かせてね。
 パン屋に連れて行ってくれた人がいたの。その人が後の冒険仲間で。彼、海の近くの生まれだって、それで話をよく聞いていて。
 ……私は、会いにいきたかったのかもしれない。」

 

女は一度だけ浜辺を振り返って、太陽の方角に聖北の習わしで祈りを捧げた。

 

「――……」

 

神は心底嫌いであったが、その光景を絵を見るように見ていた。
海を選んだ理由を話してもらった。それじゃあ、代わりに私も。

 

「私は死霊術を扱うけれども、この術が特別好きというわけでもないわ。」
「……?」
「神への冒涜になる。そう思って手を出した。
 別に不死には興味なかったし、誰かを生き返らせたいという願いもない。だから、使えることに意味があって、愛用したいとは思わない。それは、これからも。」

 

けれども、と。
逆説の言葉を紡いで、女を見た。
琥珀色の瞳が、熱のない瞳を射抜いて。

 

「改めて聞くわ。
 ―― 死を奪われた気分はどう?」

 

 

使役する以上、女には海竜の魔力を分け与え続けることになる。
北海地方の海辺に居れば、同質の魔力は供給される。もしこの場を離れる場合、ラドワが傍に居るか、同質の魔力を込めた何かを所持している必要がある。
必要になればラドワは自分の傍に女を呼び、基本的にはアルザスの家で留守番し常に状態を綺麗に保ってもらう。それが、女に与えられた仕事だった。
……一つだけ、女にとって幸いだと言えることは。
術の構築は、珠の呪いを持つ者に行われた。珠の呪いの副次効果は、竜の記憶力。

 

―― 彼女は雪が解けるまで 暖かさも、冷たさも、仲間との思い出も、忘れることはないだろう

 

それが、いいことか悪いことかは、誰にも分からない。

 

「あぁ、前の名前は死んだから、新たに名前がいるのだったわね。あなたの名前は……」

 


その日は酷く曇っていた。
彼女は泥になろうとした。

 

 

 

☆あとがき
死霊術師かつ屑で『屈服ルート』が見られます。私それ知らなくて、死霊術師だったらちょっと途中で文章が変わる、くらいだと思ってたんですよ。屑……従えちゃったかぁ。しかし本当にこの屑は屑だな。
22話で突然増えた人手の正体でした。泥にな……ろうとした女です。ずっと前から海だしやりたいよね!って思ってて、でもうちの設定だとリューンから海ってめっちゃ遠いぞ!?と考えたときに、なんか色々噛みあうことに気が付いて今に至ります。
このシナリオ、かなりPCの言葉が哲学的なのと、性格によって細かい分岐があって、PC像が大きく離れないの凄いなぁって感動したんですよ。そして波の音やカモメの音の挟むタイミングの上手さ。はい。このシナリオ大好きです。ものすごく好きです。皆さんも、好きなPCで一緒に泥になろうとした女とお散歩してみてください。

 

☆その他
所持金は変動なし
しびとの祈り 入手(ラドワの手札へ)

 

☆出展

シルクロ様作『泥になった女』より

リプレイ_22話『帰巣』(4/4)

←前

 

 

ラドワたちの方で決着がつく少し前のこと。

 

「……呪歌の欠点は、発動の遅さ。そんなこと、私たちが分からないはずないでしょう?」
「ぐ……く、そ……!」

 

あの後。
クレマンもミュスカデも、アスティとロゼの攻撃を打ち消す、あるいは回避するという行動を取らなかった。
ミュスカデは、その身で2人の攻撃を受けた。しかし水砲も弓矢も、彼女の肉の表面を少し傷つけた程度に終わった。
村から事の通達者がアルザスの元へ向かったことを確認できたのなら、後は待ち伏せをして襲い掛かればいい。通過するタイミングは凡そ予測できる。
1人で通過すれば、2人で襲撃した後に片方がアルザスの家へ赴き、暗殺をする。もしアスティのみが残っていれば、そのまま回収。最も面倒な、3人で村を向かうという選択肢を取られてしまったが、それも想定内。
つまり、準備を行った上で奇襲に出ることができた。エンチャントの類をかけておく時間は、いくらでもあったのだ。

 

「魔法の鎧、本当に便利ですよね。死にたくありませんから、念入りに準備をさせてもらっていました。」
「あっちと違って、こっちはロゼにゃんにアスティの回収があるからさー。他は殺しちゃってもいいんだけど、2人は殺すわけにはいかないじゃん?ワタシとしては、アスティはどうだっていいんだけどさー。ぜっくんが欲しがってるからしょーがないんだよねー。」

 

きゃはははは、と笑いながら動けないロゼへと近づいてゆく。
嵐の歌。狂乱の嵐を描写した歌は、肉ある者の四肢を切り刻み、動きを阻害する。殺すな、とは言われていますが傷つけるな、とは言われていませんからね、と淡々と語った。

 

「そこのシーエルフの処理任せていい?ワタシはロゼにゃんと再会の挨拶をしたいな!してくる!」
「人の話を見事に聞きませんね。まあいいです、ではそちらは任せましたよ。」

 

ひっ、と、ロゼから小さな悲鳴が漏れる。
雷の呪縛から抜け出せず、そのままクレマンに抱きしめられる。……不気味なほどに、吸血鬼は満面の笑みを浮かべていた。

 

「知ってる?吸血鬼って、恋をしちゃうと恋をした相手以外の血ってまずくてさ。ずっとずっとずーっと我慢して他の奴の血を飲んでたんだよ?」
「や、やだ……離せ……やめて、やめ……て……、」

 

懇願する声が聞こえているのか、聞こえていないのか。
いただきまーす、と口を開け、翼の首元へと牙を突き立てた。

 

「ぃ゛、あ、あ゛あ゛ァ゛ぁ゛あ゛あ゛ア゛!!
「んー……やっぱり美味しい!この世界で誰よりも美味しい!やっぱりロゼにゃんは最高だよ!」

 

痛みと、理解したくない感覚で身体が跳ねる。
吸血鬼の吸血行動は、獲物を痛みによる拒絶で逃がさないため、快感を伴わせる者がいる。クレマンの吸血は、特に強い快感を伴わせるものだった。本人が意図して得たものではないが、こちらの方が確実に相手を仕留められる分便利だ、とは語っている。
無感情の呪いが、皮肉にも命綱となった。少しだけ、気持ち悪い感覚がする、その程度に留まった。しかし、痛みと少しとはいえ、認めたくない快感からびくり、びくりと震え、口からはだらしなく涎が垂れる。
痛々しい叫びは、アルザスとアスティにも届いた。
無感情の呪いを持ってさえも、塗りつぶしきれない恐怖を孕んだ声だった。

 

「ロゼっ……!」
「あなたの相手はこっちですよ。人の心配をしている暇ありますか?」

 

手に持っていたものは笛ではなく、海の空の色をした宝珠。
呪文を唱えれば呼応し、アルザスに更に雷の追撃が天より飛来する。

 

「が、ぁっ……!」
アルザスアルザス……!」

 

逃げて、と叫びたい。けれど、この状況でどうやって逃げろというのか。
二発目、三発目。確実に、命を刈り取るための追撃を重ねていく。
やめて。もうやめてください。私が連れていかれますから。
そう、泣き言を言おうとして。

 

「―― なるほどこれは、」
「―― ひでぇ有様だな!」

 

一人は、突剣に水を纏いながら吸血鬼へ。
一人は、杖に闇を纏ながら吟遊詩人へ。
それぞれが殴りかかり、けん制され……そして、背中合わせになるように立った。

 

「しかし、本当に転移を成功させたなあいつ。私が保険で再度転移させる気で居たが、これは見事なものだ。っていうか本当に法外だなぁあいつ!」
「叫びたい気持ちは分かるが、今はこいつらをなんとかするぞ!俺はあんまし事情を知らんが、卑怯な手を使う連中だってことは分かった。俺たちが、力になるぞ!」

 

最後の言葉は、この場の倒れている3人に向けてか。
じっと見つめ、まともにやり合わないと見抜く。乱雑に牙を抜き、悲鳴を上げるロゼをお構いなしに地面に放り投げた。
とても、愛する者と思えない扱い。支配し、屈服させる。独りよがりの人形遊びのようだった。

 

「きゃはははは、威勢がいーなぁ。……ちょっと強いからって図に乗ってない?」

 

ふっ、と消える。いつものやり方。視覚から消え、死角から襲い掛かる。
いつものやり方。そうしてこの吸血鬼は何人も葬ってきた。

 

「……を、つけ、て……ぅしょ、ねらっ……」

 

未だ身を震わせながら、微かな声を紡ぐ。
俺に任せろと、それだけを言葉にする。目を閉じて、突剣を構えた。
彼は元々は長剣を扱う剣士であった。魔法の心得などなかった。
されど、遺跡のトラップにかかり、かつての剣が振るえなくなった。
代わりに。

 

「…………」

 

集中する。視覚情報を閉ざす。
代わりに、吸血鬼であり、海竜の呪いにより持っているそれ。
魔法剣士となったから見えるもの。

 

「……―― 」
「そこだっ!」

 

魔力を、視る。
相手が動き出す、そのほんの少し後。
急所を狙うことは、ラドワから聞いていた。
どこから飛んでくるかも視えていた。
ならば、どの軌道を描き、どこを狙ってくるか。予想することは、誰だってできる。
キィン!と金属音が響き、二本の剣が交差した。

 

「……へぇ、よく防いだね。」
「生憎と、視えていたんでな!」

 

ぱきりぱきり、凍てつく音がする。
突剣に冷気を帯びさせ、触れる空気を凍らせる。そのまま彼女の得物の銀の短剣ごと一体化させ、

 

「はぁーーっ!」

 

クレマンごと、地面に叩き伏せる。
子供の身体は軽く、容易く宙に浮く。視界が反転し、咄嗟に手を放し受け身を取る。
そこからすぐに地面を足で蹴り、レンへと接近。

 

「残念だけど海竜の呪い持ちに冷気は効かないよ!」
「冷気は効かなくとも、物理的な氷は効くだろ?」

 

寒さによる運動能力の低下や外傷は期待できない。海竜の呪いは、魔力の性質上冷気に強くなる。
しかし、あくまでも寒気に強いだけであり、身を凍らされれば動けなくなるし、氷で殴りつけられれば勿論物理的な傷は生じる。

 

「そら、受け取れ!」

 

魔力を帯びた剣をやや下にめがけて横に振るう。斬撃は冷気を帯び、彼女の足枷にならんと凍り付き始める。
それを跳んで回避し、そのまま前へと突進する。狙いは短剣の回収。剣へと手は伸ばされ、バキッと氷が砕かれる音と共に回収された。
そのすれ違った瞬間に、レンは服の中から薬を取り出し、それをクレマンへと投げつける。剣を取るために動きが一瞬だけ止まる、その隙に。

 

「……!」
「そら、身体がだるーくなってくるだろ?」

 

ふっ、と笑みを浮かべる。
彼は剣と魔法の他にも、薬学に通じていた。正確には薬の作成ではなく、薬の『扱い』であるが。
問題は、果たして吸血鬼や海竜の呪いを持つ者に効果があるのか、だが。

 

「へぇ……毒も使えるんだ。吸血鬼に毒を盛るなんて変わった趣味だねぇ?」
「変な方向に解釈されてるのが腑に落ちないが……けど、その様子だと効いてない、ってわけじゃなさそうだな。
 無理すんな。吸血鬼、そんで暗殺者。そっから機動力を奪えばアンタに勝ち目はない。」

 

くすり、吸血鬼は平気そうな顔で笑うがどこか引きつった笑みであった。
効き目はさほどでもないようだが、明らかに動きが鈍くなっている。毒薬ではなく、身体の動きを制約する一時的な効果のある薬だ。時間が経てば効果は消えるし、吸血鬼の再生能力と海竜の呪いの力があれば、回復速度もずっと早いだろう。

 

「それよりも、アンタの連れの心配をした方がいいんじゃないか?
 なぁ、ガゥ。『俺と一緒に』戦ってるんだ、そうだろ?」

 

それに応えるかのように、その背へとザッと後ずさる影が一人。
対峙していたミュスカデは随分と追い込まれているようで、地面に膝をついていた。

 

「……いて、ませんよ……」

 

疲労困憊の状態で、声を絞り出す。


聞いてませんよ!魔術師が!杖で殴ってくるなんて!
「誰も魔術師が殴ってはいけないなんて取り決めた覚えはないが。」
「あとすっごい私として近づいてきてほしくない気配がします!この世で最も恐ろしい気配がします!嫌だくるなこっちくるな!」
「死そのものを内包しているからな。」

 

かつて、ファフニールという邪竜を身に宿されたことがある。今はその邪竜はいなくなり、代わりに別のものが代理を務めている。
ともあれ、死を内包していることには変わりない。そして、ミュスカデは最も死を恐れている。そんな彼女は、吟遊詩人にとって最悪の相手と言えるだろう。

 

「魔術師が、」

 

トンッ、と走る。
その瞬間速度は、今のロゼやクレマン達にも劣らない。

 

「全て魔法で戦うと思うなよ!」
「く、ぁ……!」

 

長い竜骨の杖を振るい、くるりと回してもう一撃。
咄嗟に所持している宝玉で一撃を裁くも、もう一撃は鳩尾へとめり込む。
じり、と焼かれたような痛みを感じ、短い呪文で杖に雷を迸らせる……が、杖はその雷を吸収し、己の魔力へと転換した。

 

「……魔力を、喰らっている……!?」
「概ね正解だ。ファフニールというものは、随分と暴食だったものでな。」

 

杖は、そのファフニールと同質の骨で作られている。
ファフニールは、物語を喰らう竜。彼女はこの世界の生まれではなく、とある幻想で構成された世界の出身。
その世界の邪竜はあらゆる幻想を喰らう、天災ともいえる存在だった。その力を有する。つまり、あらゆる者を喰らう性質がある。同質の存在を内包する彼女は無害だが、それに触れれば物語を、存在を喰らわれ、やがて無へと帰する。
因みに本人に触ってもそんな効果は一切ないのでご安心ください。丁寧に封印が施されています。だから他の人の魔力を分けれないんですよね。というかこんな魔力分けたら相手死んじゃう。

 

「……凄い。一方的です……」

 

唯一まともに意識のあったアスティが、ぽつりと呟く。
オルカが一つの能力に特化しているのに対し、駆けつけた2人は随分と多芸であった。
どちらも才能や境遇には決して恵まれなかったが、努力を積み重ね、今を手に入れた。
できなくなったことの代わりに何ができるか。
何もできない者がどうすれば何か成せるか。
そうして2人は、あらゆる術を磨いてきたのだ。

 

「さあ、まだやるか!」

 

殺せ、とは言われてはいない。
殺した方が、カモメたちは安全に己の目的を果たせるだろう。しかし、それでは意味がないことは、彼らも理解している。
因縁の相手は、いつの日か自分の力で決着をつけるべきだ。それが、今ではない。だから、力を貸す。

 

「……、おや。」

 

ここで、ミュスカデが耳に手を当てる。
何かを聞き、了解ですと短く返事。ほっとしたような表情を浮かべていた。

 

「クレマン。ラペルから撤退命令が出ました。作戦は失敗です、戻りますよ。」
「……うーんそっかぁ。っはははは、あーあ、また邪魔が入っちゃったなぁ……今日こそロゼにゃんと一緒になれるって思ったのになぁ。なかなか神様とやらは、ワタシたちを一緒にしてくれないね。」

 

相手から戦う意志が消えたことを感じ取れば、警戒しながらも2人は武器を下ろした。
ミュスカデが転移のための術を紡ぐ。惜しそうな声を漏らしたクレマンに、レンがぽつり、問いかける。

 

「なあアンタ。アンタは本気で、ロゼのことが好きなのか?
 俺はそうは見えない。アンタの求めてんのは、私利私欲に、従順に動く駒じゃないのか?」

 

その問いかけには、きゃははと笑い声をあげて、満面の笑顔で答えた。

 

「愛してるよ。誰よりも、ロゼにゃんのことを。ロゼにゃんもワタシを愛してくれてる。
 だから喜んで血を差し出してくれるし、一緒に強くなってくれるし、ロゼにゃんも嬉しい!って再会の挨拶をしてくれた。思われてるでしょー。」

 

どこまでも無邪気で、どこまでも邪悪な言葉。
それを最後に、転移術が完成したらしい。空気が流れる音が微かに聞こえ、やがて2人は見えなくなった。
どこまでも広い、突然静かになった夜の原を風が駆け抜ける。

 

「……話には聞いているが、狂っているな。」
「珍しいな。レンの不機嫌な顔、久しぶりに見た。」
「あれを聞いて、不機嫌にならない方が無理だろ。」

 

それはそうだ、とふっとガゥワィエは笑った。
武器を仕舞い、次のやるべきことに目を向ける。はっとアスティは我に返り、2人に叫んだ。

 

「……!そうだ、アルザスアルザスは!?ロゼも、無事ですか!?」

 

嵐の歌の効果が切れ、立ち上がろうとする。無理に起きなくていいと伝え、3人の状態を見る。
アスティは比較的軽傷。ロゼは重傷とはいかないが、牙を突き刺された跡が痛々しく残っている。アルザスは重傷で、一刻も早く手当が必要だろう。

 

「応急処置をする。暫く休ませる必要はあるだろうけど、助からない傷じゃない。だから安心してくれ。」
「ありがとう……ありがとう、ございます……ありがとうございます……!」

 

ぽろぽろと涙をこぼし、何度も何度もお礼を述べる。
彼女にとって、大切な人だということはすぐに伝わった。どういたしまして、と答えてからお礼はラドワにも伝えるように、と付け足した。
彼女が遅れて緊急事態に気が付き、躊躇うことなく助力を求めたお陰で最悪の結末を免れた。リューンで飯を食っていたお陰だ、となんともクソみたいな話だが。

 

「しかし。」

 

と、ここで気が付いた。

 

「……どこに……運んだらいいんだ、これ……?」
「リューンに……運……いや……どっかに拠点を作ってる可能性も……ううん……?」

 

困ったぞ。これ勝手に動かせないぞ。
行き違いが怖い。主に、転移術があるとはいえ片道一か月の道のりを行き違いになるのは怖い。途方に暮れながら待つしかない。途方に暮れながら待った。
無事に合流できた、というより向こうに見つけてもらえたのは更に約20分ほど後のお話である。

 

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  ・

 

あの後全員応急処置を行い、アルザスの家へと運び込んだ。ノメァは治療の心得はないとのことで、運び込みが終わると依頼料を受け取り、ここで帰ると申し出た。事情は深く聞かない性格で、襲われた理由や相手のことの質問はなかった。てかプリーストなのに回復魔法の1つも使えないって本当にプリーストなのか。
レンとガゥワィエは残ってもらい、治療の手伝いをしてもらう。特にレンは薬の扱いには長けているため、手当の手際の良さは目を見張るものがあった。
アルザスとカペラ、ゲイルは特に酷い怪我であったため数日は寝かせておく必要があるだろう。アスティとロゼも怪我はそこまで酷くなかったため、次の日になれば動けるようになっていた。ただし、精神的な傷もあるため、やはり休むことは必要だろう。
屑?唾つけときゃ治る。

 

「ありがとう、人手も増えたし後は大丈夫よ。」

 

人手を増やした。ノメァを見送るためと、薬を取りに戻るために一度リューンに戻ったとき、何やら女の人に声をかけられた。
なんと死体。聖北の力による治療が、こんな状態でも使えるそうだ。家主が不在になった後でも要るかなって、と謎の談。そんな軽い気持ちで死体使役をするな。これだからネクロマンサーは。

 

「約束の2000spよ、受け取ってちょうだい。」
「あぁ、それは1000spでいい。カモメの翼にとって、ノメァの分を合わせて3000spはかなりきつい金額だろう。それに、私とレンは同じパーティだから分け前で揉めることはまずないし……何より、お前たちは私が個人的に気になっているパーティだ。報酬が出なくても手を貸しただろう。」
「俺も、2人で1000spで大丈夫だ。俺も理由としては、ガゥが気にかけていたからそれに付き合うことになったろうし、困ってるときはお互い様ってな。」
「そう?それじゃあありがたく1000spだけ支払うわね。」

 

流石屑。遠慮しない。
報酬として、1000spは妥当な金額だろう。拘束期間が短く、すぐに終わる仕事だ。ちょっと相手がこの上なく厄介だが、殺す必要はない。熟練者にとっては、楽で稼げる依頼と言えるだろう。
最も、その後の治療の手間暇を考えれば楽とは言いづらくなってくるが。そこは互いに人見知り割引。

 

「さて、と。私はこの後仮眠を取ったらスノウ=レイに行ってくるわ。片道10日かかるけど、まあ、皆怪我しているし、暫く暇でしょうし、丁度いいでしょう。」
「スノウ=レイは……白銀都市だったか。それはまた何用だ?」
アルザス君が面白いものを見つけて帰ってきていたから、その鑑定。賢者の塔でもいいと思ったけれども、北方地方のものだから北方地方の人に鑑定をしてもらった方が何か見つかると思ったのよ。後はゲイルの斧が壊れているから、これも同じ地方の武器の方が手になじむと思ったから。」
「あと、あんたは一回実家へ帰れ。」

 

会話を聞いていたロゼから真顔で言葉を叩きつける。えぇーって顔をしている。おいこれ絶対一人で行かせたら顔合わせないで帰ってくるやつだぞ。
ラドワの実家は白銀都市にある。家出をして帰るのが凄く気まずい。行きたくない理由はたったこれだけ。

 

「ふむ……それなら私の転移術で送り飛ばそう。帰りはお前が転移術で帰ってくればいい。実家があるのならば、お前の『縁』で送り飛ばせられる。
 あと監視役としてロゼも一緒についていってくれ。」
「えっいや、別に私一人で
「むしろ一緒に行ってくるわ。不安しかないし。」
「えっやだ私信用されていない!」

 

だって一人で向かわせたら挨拶することなく帰ってくるでしょう?当たり前でしょうどうして挨拶する必要があるのかしら。黙ってたらバレなくない?あんたそういうとこよ。
そんなやりとりを交わし、くそでかため息をつきながらも承諾。アルザスの服の中から勝手に奪い取った、海底遺跡の石。魔力の残留があることは、ラドワにも分かった。

 

「これ、ガゥワィエに調べてもらうことはできないのかしら?ほら、物語が見えると言っていたじゃない。」
「私の力は物語を有する者……簡単に言えば、人や生物にしか通用しない。というわけで行ってらっしゃい。」
「肝心なところで使えなかったわ。はぁ……仕方がない。行ってくるわ。明日には帰るわ。恐らく今日は一日泊まれ、って言われそうだし。」

 

再びため息。やれやれとぶつくさ言いながらも諦めた。意を決した。
正午になったら起こしてと伝え、適当に床に寝転がり、寝息を立て始める。それを確認して、ガゥワィエは誰に向けてでもなくぽつりと呟いた。

 

「そろそろ……真実が、暴かれる頃だろうな。」

 

ここへやってきた理由は、概ね分かっている。
アスティが、何者なのか。その答えが出る日は、そう遠くはない。

 

だから、今は。
おやすみなさい、良い夢を。
夢語りは、吉夢を祈った。

 

 

 

☆あとがき
難産!おぶ!難産!めっちゃ苦戦しながら書きました。これが難産すぎたせいで全然リプレイが進まない事態ですよえぇ!!
何で難産だったかってねーーー オルカが登場する理由が全然なかったんですよーーー 最初はソレラ君ラペル様シャトーちゃんの3人を出す予定だったんだけどねーーー いやオルカがこれ出る理由なに?ちょっかい?って。蛇足にしかならず、半年くらい悩んでた気がします。びっくりするくらいまとまらなかったよね!お陰でちょっと内容的に変更があるかも!と思って書き上がっていたはずの狼神の住む村で、のリプレイも公開が遅れる遅れる!
因みに最初はカモメの実力を測るためのアスティちゃん拉致(ラペル様の趣味ともいう)でした。で、とりあえず纏まらないからまとまってるところっまで書こうって、いざ書き始めてふと思いついたの。

「そうだ村を焼こう」

するとなんということでしょう。オルカの行動に、『カモメを殺す』という目的が生まれたではありませんか。
で、アルザスたちが村へ走るとして……あれ?ここでアスティちゃん連れていかない、って選択肢あるな?でも連れていかなかったらめっちゃ拉致れるじゃん。それ警戒しない?というか、その発想をオルカがしなくなくない?
ということで、クレマンさまとばあばも急遽出番。
ぜっくん?あいつはリューンのどっかにいます。ポータル代わり。逃げるための保険だったそうです。

そして、レン君をがっつりお借りしました。借りるとは思ってたけど!こんながっつり戦闘も含めお借りすることになるとは思ってなかった!そもカモメがこんな5人もボロボロになると思わなかった!
そのせいで!ラドワさんだけとんでもなくチートな感じがするというか、一人だけレベル7冒険者って感じがしますね!そんなことな……くない?あれ?こいつほんとにレベル5になったばっかり?

後はガゥワィエとノメァちゃんに関しては、私が定期ゲームに出したキャラクターです。ガゥさんを覚えてる人はまだ多そうだけど、ノメァちゃんを覚えてる人は果たしてどのくらいなのだろうか。そんなこんなで、ちょっとファンサも多めな回でした。

リプレイ_22話『帰巣』(3/4)

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村の者らは極力遠くへと逃げた。しかし、この村にとって、カペラやゲイルは特別な存在だった。
痣のある者は神に選ばれし者。元々は統合される前のどこかの村の言い伝えだったが、統合されてからも受け継がれていったらしい。ミュスカデも、その一人だった。最も、ミュスカデは海竜の呪いではなく、生まれながら首の後ろに存在していたただの痣だったのだが。

 

「ミュスカデも悪よのぅ。生きるために己の故郷の村を焼くなぞ。ま、統合されとるし、故郷『だった』と言うべきかの。」
「で、でも自分の子供もいたし、甥っ子も殺すことに……いいの、かな……」
「いいから、ゼクトに売った。それだけだろ。」

 

ガンッと乱雑に横たわる子供を蹴る。もう動く気配はなく、浅い呼吸が零れるだけだ。
身は炎と雷に焼かれ、喉は完全につぶされた。生きているのなら、暫くは声を出すことは不可能だろう。

 

「……やめろよ、やめろ……お、おまえ、お前ら……その2人に手を出すんじゃねぇぞ……!」

 

そこに、やってきたのは。
震え、怯えながら鉈を握りしめた長身の男。逃げたと思われた村人の一人が、なんとここまで戻ってきていたのだ。
ごほごほと、煙にむせ返る。その声に、ゲイルは最後の気力を振り絞り、叫んだ。

 

「馬鹿!何で来たんだよガスト!逃げる、頼む逃げてくれ!こいつらは本気でやべぇ、だから――
「うるさい。裁きをやるから待て。」

 

ぐしゃり、無表情のまま頭を踏みつける。
一切の感情が宿らない、どこまでも冷たい視線。
悲鳴が上がることもなかった。

 

「……ぁ……ゲイル、ゲイルっ……おま、お前、お前っ……!」
「…………断罪終了だ。」
「あぁっ……っ……ぁぁぁああぁァぁあアアアアアアッッッ!!」

 

鉈を振りかぶり、走り出す。
素人の単純な動きだ。見切るのは意図も容易い。
少し身体が鍛えられている。一撃で命を奪えずとも、二撃あれば十分だ。

 

「―― 、」

 

刹那。
ゴンッと、男から鈍い音がした。ガスト、と呼ばれた男ではなく。暴風を踏みつけていた、男の身体から。

 

「なぁるほど。これは阿鼻叫喚ねぇ。」

 

まるで車に跳ね飛ばされたかのように、数十メートル吹っ飛ばされる。何が起きたか分からない、この場の誰もが思った。
銀色のポニーテールが揺れる。それからぱきりぱきり、炎を氷が浸食してゆく。氷は解けて水となり、それは再び凍り付く。村の炎が、氷に代わるまで一瞬のことだった。

 

「ぬ―― !」

 

それに巻き込まれないよう、ラペルとシャトーはその場を飛ぶ。氷が浸食していない地に足を付け、氷の檻から回避した。
勿論倒れている2人と、そこの鉈を振りかぶった男へは無害。突然の出来事に、ガストも呆然としている。

 

「ちょっと質問いいかしら。さっき自殺してたのは何?」
「あぁ、あれはそういう儀式だから。気にしない気にしない。」
「自殺の儀式って何?自殺して強くなるとでも言うの?ちょっと何言ってるかよく分からないのだけれども?」

 

草色の髪をした女が、その後ろで杖を振るう。
ノメァとラドワ。雇われた冒険者と雇った冒険者。先ほど初めましてのあいさつを交わしたばかりで、互いに動きを合わせる気は皆無。
だが、それが2人にとって丁度いい距離感のようで。案外、相性は良好であった。

 

「ま、見てなさいって。冒険者ぺーぺーのあんたはそっから支援してくれればいいから。」
「ぺーぺーって言うほど冒険者歴短くないわよ。……一人でこいつらを相手する実力はないけれどもね!」

 

魔力を促し、倒れている2人と男を守る壁を氷で作る。
守ることは苦手だ。だから、最初からある程度守れるようにすればいい。動かれると巻き込むから暫くそこにいなさいね、とラドワは男に声をかけた。

 

「……あの、お願いです。どうか、どうかゲイルをこんなにした、あいつらを……倒してくれ……!」

 

表情は見えなかったが、震える声から凡そ想像はついた。
にぃ、と口を三日月の形に曲げ。強く強く、言い放った。

 

「任せなさい。不運の象徴が、大暴れしてあげるわ!」
「あなたのことはどうでもいいけれども、私たちを嵌めてくれたお返しはしないと気が済まないわね!」

 

さらっと屑発言が混ざった!せやな!お前にとってはどうでもいいよな!
ノメァの得物はメイス。片手で振り回しているが、持っているそれは両手用である。
プリーストをやっている、しかし回復魔法は使えない。力と速度で全てを解決する、と本人談。プリーストってなんだっけ、と言いたくなるが、相当の実力の持ち主であった。

 

「……倒す。俺たちに歯向かう者は。愚かな行いをする者は。神に代わり断罪を執行する。」

 

遠くまで吹き飛ばされたソレラは歯を食いしばり立ち上がり、再びカウンターの構えを取る。速い相手ならば、自分から動かず相手の速さを『返せ』ばい。決して動じず、一つ一つの動きを見極めろ。

 

「はっ、何が神よ。あんたはあんたの行いを自分で勝手に正当化してるだけじゃない。そういう私利私欲の為に神頼みなんて見苦しい。いっそ神をも殺す、くらいでかかってきなさい!」

 

あれ?途中までは確かに神官っぽい言葉だったのにな。どうしてだろう蛮族発言になっちゃった。
彼女が信仰しているのは極々少数の者に伝わる、聖北からは確実に異端審問されること間違いなしの邪教である。
力が欲しくば我に生命を捧げよ。悪魔に魂を売っているんじゃないかと錯覚するような聖句。実際神に魂を売り、対価に力を得ているので何も間違いではない気がする。

 

「……どれ、よい悲鳴を聞かせてくれたその3人の礼をしようではないか。さぁさぁ、妾をもっと楽しませておくれ!」
「ご、ごめんね、でもやらなきゃいけないからっ……!」

 

ふわりふわり、蝶が舞う。赤と、黄と、彼らの周りにのみ緑。
もう片方の獣人は呪文を紡ぎ、地面に手を置く。刹那地が震え、ばきりばきり音を立て、ノメァとラドワの立っている場所を荒地へと変えてゆく。

 

「ソイソイソォォォオオオイ!!」

 

嬉々とした、銀色ポニテの声。足場の悪くなった大地を器用に跳び、目にもとまらぬ速さでソレラへと接近し、

 

「―― かかったな、」

 

愚直なまでの、真っすぐな攻撃。メイスを逸らし、反撃をその身に入れようとした。
バキィッ、大きな音がして。

 

「―― ッ!?」

 

反撃ができない。
否、反撃を、躱された。
メイスを弾き、突進してきた身に気の纏った正拳を一撃入れようとし。
それを、くるりと回転するように避け、慣性のままメイスをソレラへとぶち込んだ。
常識を逸脱した動きと理解できたのは、再び遠くに打ち付けられ、動けなくなってからだった。

 

「いやー、目の前の敵だけ相手すればいいって楽ね。」

 

くるり、振り返りラドワを見る。
地面にはシャトーの術に対抗するように凍らせ、炎や雷で所々身を焼かれながらも彼女の周囲へは氷柱の障壁ができていた。地面から伸ばし、ノメァへの蝶の動きを阻害していたのだ。

 

「全く、厄介だわ。魔法の通りが悪い。
 あなた、魔力ではなく……妖力を使うのね。何者?詠唱もしていないし、人間ではないでしょう?」
「……ほぅ、そこまで見抜くか。」

 

くつくつと笑いながら、血のような紅い色の眼をぎらり、輝かせる。

 

「そち、何故にこの妖気が充満した中で魔法を唱えられる?魔力は妖力に弱い。人は、気にならぬ程度の相性だと言うが……しかしとて、ここまで妾の妖力が充満した地では、満足に魔法を行使することは敵わぬはず。この解を申したのなら、妾への質問も答えてやろうぞ。」
「妖力と察せたのは、それもあるけれども氷の中から炎を発生させなかったところね。妖力の弱点は、物理的現象を発生させるが故、自然の法則には逆らえない。はい、答えたわよ。」
「いや答えておらぬではないか。え?妾、妖気の中で魔法を唱えられるのはなぜ故?威力全然変わっておらんな?って話じゃったのに?」
「だってこっちが話してあなたは話さないとかあり得そうじゃない。あなたが質問に答えたのなら私も答えるわ。」
「いや、そちから答えよ。そちが先に質問したんじゃろうが。」
「いーやあなたからよ。先に質問された方が答えるって習わなかったの?」
「いーーやそちから」
「いーーーやあなたから」
「どっちでもいいよ!?何で突然コントしてるんだよ!?」

 

シャトーのごもっとすぎる意見。こいつら緊張感ないな。
ふーーー、と互いに長く息を吐き出し。先に答えたのはラドワだった。

 

「いいわ、じゃあ今から私たちに殺される、哀れなあなたに聞かせてあげる。死んでしまったら答えが聞けないものねー。」

 

ラペルから、あ゛?と、どこから声が出たんだ案件が発生。ニヤァと、大変性格の悪い笑顔を浮かべて、空へと手を挙げた。
空気が、冷えてゆく。元々氷によって下がっていた温度が、更に奪われてゆく。

 

「答えはね、簡単よ。妖力や魔力、霊力は優位な方が対象をかき消しやすい、という性質がある。【霊力(魂)】は【妖力(肉)】に入り込み、【妖力(肉)】は【魔力(気)】を打ち払い、【魔力(気)】は【霊力(魂)】を浸食する。
 ――けれどもね。
 かき消される以上の魔力を用意すれば、妖力があっても術くらい行使できるのよ。」
「……め……」

 

ラペルの口から、吐き出された言葉は。

 

「めちゃくちゃじゃーーー!?法外な魔力を持ちうるとは聞いておったがめちゃくちゃじゃ!?なんじゃそのごり押し戦法!?妾、手加減してやったとはいえそこまで生ぬるいことはしておらぬぞ!?えぇーーーやだーーーなにこれ気持ち悪いーーーーー!?」
「気持ち悪いとは何よ気持ち悪いとは。そもそも手加減される筋合いもないわよ。ねえ?」

 

そらあ誰だって叫びたくなる。
そもそも手加減されていた、という事実にイラァッとくる。これだから人外は、という、屑のノメァに対して同意を求める言葉。

 

「―― 全くね。」

 

短く吐き出され、ラペルの後ろに回り込んでいた彼女の、背中への一撃。

 

「がはっ―― !? そ、そち、語ってる傍から不意打ちなぞ卑怯な
「誰が喋ってる間に攻撃しちゃいけないって言ったかしら!?」
「隙をさらけ出す方が悪いわね!やーいやーい本気じゃないって言いながらぶちのめされてやがるのーねぇねぇ今どんな気持ちー?下等生物である人間どもにしてやられて本気じゃないんでって言い訳しちゃうどんな気持ちー?」

 

不運の象徴と屑のガッツポーズ!綺麗ごとよりしてやられたお返しだ!
よろけながらも、くそがと呟きながらノメァを睨む。人ならざる者特有の眼光を持ちながらも、ノメァはふん、と全く畏怖せず鼻を鳴らした。度胸が凄い。

 

「さ、ガタガタ震えて命乞いする準備を始めなさい?」
「抜かせ、そちは縛り上げて弱火で少しずつ焼いて命乞いさせて火傷に塩を塗り込んで餓鬼の餌にしてやろんと気が済まぬわ!」

 

至近距離から大量の黄と緑の蝶をばら撒く。蝶は妖術による起点であり、そこから色に対応した現象が発動する。
妖術の欠点は、物理干渉を伴うこと。故に氷の中から火を起こすことができなければ、ラドワの魔術により気温が下げられたこの場では、炎は燃え盛りづらい。そう判断し、雷と風の起点を作り、一帯に嵐を発生させる。それが、敵の下した術。

 

「退かないで!距離をそのまま詰めなさい!距離を取れば相手の思うツボだわ!」
「言われなくても!」

 

呪文は不必要とはいえ、蝶を生み出してから発動するまでの時間はラグと言える。詠唱よりずっと早いが、極限まで機敏性を高めた彼女が一撃をねじ込むための隙としては十分だ。
メイスを振りぬいた、ところで。

 

「―― 、」

 

ザクリ。
何かが、突き刺さる音。

 

「……は……、」

動きが止まる。腕に、赤銅色の槍が突き刺さっている。
その隙を突いて、ラペルはにぃ、と笑い。

 

「でかしたのぅ、シャトー。」

 

蝶が一斉に、現象として、現れた。

 

「―― !!」
「ノメァ!」

 

悲鳴は聞こえなかった。
嵐は槍を避雷針と見立て、一気に収束する。何本もの稲妻が、彼女へと牙を剥いた。

 

「……私は、回復や、魔法だけが取り柄じゃない。祈りの力も、仲間を鼓舞する力も、魔法の力も、それから……武器を扱う力も。」

 

獣人の方を見れば、彼女もまた大きな傷を作っていた。
ぱきり、結晶化した血が地面へと落ちる。それはぱらぱらと、粉々に砕け散り、やがて土へと吸い込まれていった。

 

「もう何も奪わせない!私から、奪わせないもん!そのために私は、色んな力を付けたんだから!」
「…………」

 

はぁーーー、と、これまたくそでかため息。
頭をがしがしと掻きながら、心底どうでもいいという感情を込め、反論した。

 

「それ。
 あなたはそのために、必要以上に人を傷つけ、人から奪うのね?この村だって、燃やす必要は一切なかったわよね?だってこの村の人たちは、ただ平和に過ごしていたそれだけだもの。」
「う、」

 

言動から、自分たちの行いに迷いがあることは分かっていた。
恐らくオルカの背鰭についていけるような性格でもない。ついていくしかない理由があるのかもしれないが、それはラドワにとって関係のないこと。
正論を突きつける。同情する余地もないわ、同情することなんてないけれども、と呟いて。

 

「あなた、悪さをする覚悟が足りないでしょう?もっと私みたいに人殺し楽しい!たくさんの人を殺す!みたいな精神でいかなければ、この先やっていけないでしょうに。なあに?悪いことと分かりながらへこへこ頭を下げて言いなりになって自分の居場所だーとかほざいているの?虎の威を借る狐……いえ、オルカの威を借る犬、か。ふふ、お似合いじゃない。そうして媚び諂って安全なところでぬくぬくとして、自分は平気で人を害しますあーごめんねごめんね私そんなのじゃないのー、なんて。ヒロイン気どりもいいところでしょう?」
「……ぅ……」

 

反論のしようがない。
獣人の彼女は、オルカと行動をするには優しすぎた。行いを肯定できない。けれども、依存するしかない。憐れねぇ、と屑はくすくすと哂った。

 

「ぅるさい……うるさいうるさいうるさいうるさい!何が分かるんだ、私の何が分かるんだ、何も知らないくせに、知りもしないくせに!!」
「あーあ、反論できなくて吠えるしかできない可哀想。
 えぇ、何も知らないわよ。知る気もないし。」

 

獣人の隣の女は、そんな彼女の慟哭を見て楽し気に笑っている。
利用されているな、これは。流れた血から短剣を生み出して、それを持って反論とする。シャトーの姿を見ながら、ラドワはそう考え――

 

「救いようがないわね、どいつもこいつも。そこの犬女だけは、まだ情状酌量の余地があると思ったけど。」

 

ゴッッッと、離れたところから鈍い音が響き渡る。
ノメァの言葉と共に、ラペルが地面へと叩き伏せられていて。

 

「―― !?」

 

思わず、後ろを気にしてしまったから。

 

「―― 逃げるご依頼は、海鳴亭まで。」

 

そこへ、愛用の短剣に氷の魔力を乗せて、突き刺した。

 

「……が、ぁ、……く、こ、の……!」
「ぬし……何故に、生きて……」

 

ラペルの問いかけ。ノメァは勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

「盛皮君を計算に入れなかったあんたの負けよ。」

 

左手に持っていた、ボロボロのバナナの皮をひらひらとさせた。
…………。

 

「ごめん。恰好つけているところ、そして事前に説明を聞いていた私からも一言言わせて。
 どういう状況これ。
「えっ?」

 

えっ?ではない。
バナナの皮の友人がいて、それが身代わりになってくれる。
なんて、説明を聞いて、誰が理解できようか。

 

「……ミュスカデ、聞こえるか。撤退じゃ、全員回収せい。」
「は、あんたまだ動けんの!?」
「言ったじゃろうて。妾は本気を出しておらぬとな。」

 

ゆらり、立ち上がる。
その身体は先程まで見ていたものとは変わり。九つの尾と、狐の耳がピン、と立っていた。
……本気じゃなかった、という割にはぜぇぜぇしているが大丈夫だろうか。

 

「あぁ、なるほど。妖力を開放しないと立つことすらもままならないのね。お可哀想に。」
「最後まで気に喰わんやつじゃなぁ!?覚えておれ!次会ったらけちょんけちょんのぎったんぎったんにしてやるからの!ふーんだ!妾だって本気で挑んだら強いんじゃからのー!!」
「もうちょっとマシな捨て台詞ないの?」

 

ツッコミの後、何かぎゃーぎゃー言っていたような気がするがあちらの転移術が作動したのだろう。
シュンッと風が動く音がして、3人の存在は完全に消え去った。ここで息の根を止めておかなくてよかったのか?というノメァの質問に、腐っても九尾の狐だから冗談抜きで消されかねないわよ、とラドワの返答。
思っているよりかは恐らく弱いだろうが、ここで深入りして確実に勝てるとも思わない。
それ以上に、優先すべきことが残っている。

 

「とりあえずカペラ君とゲイルをアルザス君の家へ転移させるわ。海竜の呪いがあるから、海に近い方が回復も早いでしょうし。それから、あちらとの合流ね。もう少しだけ付き合って。」
「はいはい。あっちはあっちで大丈夫だと思うけど。だって。」

 

あの2人、私よりも強いわよ?

 

 

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リプレイ_22話『帰巣』(2/4)

←前

 

 

「お帰り。進展は……その様子だと、アスティは何か思い出した?」

流石に留守にしていた間誰もいなかったため埃がひどかったらしい。家に戻ると、掃除をしているロゼが2人を出迎えた。ラドワの姿が見えないので場所を聞くと、転移術の試運転中だそうで問題なく術が発動しているのなら今頃リューンだと伝えられる。
なお、転移術はそんなに簡単に行えるものではない。いくら目印を作ってポータルを設置しても、覚えたさあやろう!でできるものではない。
ロゼと会話をする前に、アスティをベッドに寝かせる。意識はあるので、ありがとうございますと小さく弱々しくアルザスに呟いた。暫くは動けそうにないだろう。


「多分、そうだと思う。海底に遺跡があって、二人で探索していると急に取り乱して……俺が付いていながら、こんなことに……」
「湿っぽい鬱陶しい。記憶探しは前進したってことでしょ、むしろ喜びなさいよ。」
「なっ……お前、可哀想だとは思わないのかよ!?辛いことがあって、それを思い出して……酷く、苦しかっただろうに……」
「過去を思い出したいとはアスティも願っていたはずよ?それに、いくら同情したところで過去は過去。今には関係ない。……そうよ、今はもう、関係ないのよ。」


最後の方の言葉は、どこか震えていた。自分に言い聞かせるようにも聞こえた。
呪いによる無感情は、完全に感情が消えたわけではない。抗う以上は、強く抱いた心はしっかりと表面に出る。
そうだ。彼女は竜災害で両親を亡くした。生きるために盗賊になり、そこで裏切られた。望んで得た呪いではない。濡れ衣と共に与えられた、竜の呪い。
北海地方での出来事は、ロゼにとってあまりいいものではない。こちらに来て思い出すこともあるのだろう。話したがらない程度には、無感情になってからも気にしている。そう思い出し、すまない、と小さく謝った。

「あんまり自分を蔑むのはよしなさい。アスティが余計に悲しむわよ。記憶の手がかりを探すためについてったのに、それをあんたが否定すりゃどう思うかくらい分かるでしょ?」
「そう、だな……喜ぶことはできないけど。アスティは戦って、前に進もうとしているんだもんな。それを、支えてやるのが俺なんだ。」
「……よくそういう恥ずかしいことを口にできるわよね。」


自覚はなかったらしい。げほげほと咽て、そういうのじゃないからと必死の講義。どういうのなのだろう。
相変わらずこのシーチキンエルフは重たい。向ける感情が大変重たい。

「しかし、ラドワはともかく。カペラとゲイルが遅いな。」


日はほぼ沈もうとしている。ラドワは仲間内の時間の打ち合わせには少しルーズだが、カペラはきっちりと守る方だ。ゲイルも、カペラと共に村に居ると考えると、必ず2人で戻ってくるだろう。
それだけ家族との再会を喜んでいるのだろうか。夕食を何人分作ればいいんだろうか。ラドワ辺りはリューンで食べてきた、とか言いそうな気はする。


「まだ集まらないなら、俺は魚でも獲ってくるよ。携帯食にもそろそろ飽きてくるだろ?」
「あたしは何でもいいけど……アスティ辺りは喜びそうね。えぇ、それじゃあたしはここで待ってるわ。ラドワがいつ帰ってくるかもわかんないし――」


バァン!と、突然勢いよく扉が開かれる。
噂をすればやっと来たか?と思いきや、現れたのは見知らぬ男性。村の者だろう。
男は大粒の汗を流し、息を切らしながら叫んだ。


「たっ、助けてくれ!む、村にっ、村が……燃えてるんだ!
「―― !?」
「しらねぇ野郎と、変な魔術師と、獣みたいな女がいる!今ゲイルとカペラが戦ってるんだけど、でも、あいつら、アスティを出せって、それで、それで、」

血相を変えるアルザスに、このような場でも決して動揺しないロゼ。
男はカペラが出した指示によってここに向かったらしい。馬を連れているなら馬に乗って。室内からは分からなかったが、話によれば一匹の馬が外に待機しているらしい。


「一個聞かせて。村にいる、『ヤバイ奴』はその3人?他にはいた?」


それは、今村にいる2人も察していることだろう。後をつけられていたのか、それとも先回りをされていたのか。分からないが、アスティを狙い、手段を選ばない者といえば。


「い、いや、他はわかんねぇ!で、でも3人は、3人は確実だ!」
「分かった。アルザス、行くわよ。きっと、オルカの背鰭のやつらが来てるんだわ。」
「―― 、」

判断を、迫られる。
アスティの方を、ちらりと見る。話を聞いて、疲労困憊の身体を起こし、アルザスをじっと見つめていた。
村への道は分かっているから、男をここに置いていく。代わりに馬を借りてゆく。片道30分の道を、少しでも短くできるように。ロゼに関しては、普通に走って速いのでそれで。


「……アスティ、行けるか。」
「行けます。……行きます、アルザス。」


ふらつきながらも、立ち上がる。無理させてごめんな、の言葉にゆるゆると首を横に振った。
男には、この場に留まってもらい屑が帰ってきたときに村に向かえと伝えてほしいと伝えておいた。しかし何でこんな大事なときにいないんだあいつは。
いつかの日のように、アルザスとアスティは馬に乗る。用意ができたことを確認し、全速力でロゼは走り出した。それに続くように馬を走らせる。現在ロゼの方が馬よりも少し遅い。
歩いて30分は、概ね2.4km。ロゼの速度に合わせても2、3分程度でたどり着く。できる限り急ぎ、目的地へと向かった。

「……ほんと、判断力はいいわね、あんた。」


淡々と、されど賢明な判断だとロゼは語る。


「あの説明だと、明らかにクレマンがいないわ。あいつらのことだから、ここでアスティを残して2人で向かう、あるいはアルザスだけを残したところをクレマンが襲ってくる、なんて可能性も高い。
あの特徴。ゼクト、ミュスカデが該当するのかはわかんないけど……『獣みたいな女』に関しては、こないだの3人の中に含まれてないはず。だから襲ってくるとしたら
「―― アスティを1人に、あるいはアルザスと2人にしたところを他の人が狙ってくる。だからできるだけ大人数で固まった方がいい。」
「――!」

きゃはは、と甲高い声が響く。
それが聞こえた頃には、すでに馬の心臓には短剣が突き刺さっていた。嘶くこともなく、そのまま足を絡ませて崩れおち、すぐに動かなくなる。

「がっ――!っ……、……やっぱり、お前らが、」


馬から前に放り投げだされ、受け身を取れないまま地面に転がる。すぐさまアスティに背を向け、守るようにアルザスは立ち上がった。
ご名答、と言いたげに銀色の髪を揺らしにんまりと笑う吸血鬼。深紅の瞳の奥に、蒼色の光を宿した少女、クレマンと……そのすぐ隣には、2人を見下すように、白色の法衣を身に纏い、ぼんやりと虚ろな瞳をした女性、ミュスカデが立っていた。

「んもー、逃げちゃうから逆に手間んなっちゃうじゃーん。えへへ、でもロゼにゃんお久しぶり!元気だった?今日こそワタシたちと一緒に帰ろう!そして二人ぼっちの世界を目指すの!」
「そんなもの、お断りよ!誰があんたなんかと一緒になんか……もうあんたの顔も見たくないの、消えて、あたしの前から消え去って!」

無感情のせいで、本来であれば感情的になれないロゼが、明らかに動揺している。
短剣はすでに構えていた。機敏さだけでいえば、クレマンよりロゼの方が上手である。しかし、的確に急所を狙う技量に関してはクレマンの方が上だ。
何よりも、精神的な面でクレマンの方に部がある。だからといって、そこにアルザスが加わったところで、的確な攻撃を防げず無駄に命を散らすことになる。
分かりたくないが、分かっている。この場で殺される可能性があるのは、アルザスだけだ。

「私としては穏便に済ませたいのですが……アスティさんさえ渡してくれましたら、こちらも命までは取らないのですが。」
「ふざけるな!誰がお前らなんかに渡すか!絶対にお前らなんかにアスティを渡さない!」
「交渉決裂ですね。残念です、では死んでもらいましょうか。」

笛に口をつける。激しい旋律が響くと同時に、辺りにこの場の者にとって、よく慣れた香りが漂った。
魔術的な呪歌。精神干渉の術が多い呪歌だが、呪文の代わりに歌や演奏を行うことにより、魔法を発動させるものもある。魔法と違い、術式が単純であり、歌や演奏の技量により精度や威力が異なってくる。魔術と違い、術の内容を改変しやすいことが特徴的か。
しかし、演奏に気を取られすぎると場の状況把握やコントロール力に欠け、演奏が疎かになるとそもそも術が発動しない。実戦で扱うには相当の練度が必要となる。

「させるかっ!」


魔術も呪歌も、欠点は発動までの遅さである。立ち上がり、発動させるまでの隙を突いてしまえば十分勝機がある。
……そんなことは、相手も分かっている。

「きゃははははは、のろまだねぇ!」


キン、と金属音が一つ。
アルザスが発動までに斬り込もうとした一撃は、あっさりとクレマンが受け止める。
吸血鬼になることで手に入れた速度。それは翼の呪いより下回るものの、クレマンという人物は力を手懐け、己のものとしていた。
だから。

「――、」
「――、」


癒し手は、倒れた位置から水砲を。
翼は、その場ですぐに弓矢に構え直し。
守人が、銀を食い止めている間に。
呪歌を発動させまいと、同時に放った。

 



「……くっそ、強ぇ、なぁ……!」


村の火の手は、止まることを知らない。
ごうごうと燃え上がり、人が暮らしていた証を灰に変えてゆく。
止めなければ。どうやって。アスティが来てくれれば。雨を降らせば。
彼らは村の者らが目的ではない。あくまでも、アスティを連れて帰ること。その目的のために、この村を燃やした。
あまりにも非道な行為だ。しかし、それを責めるには力で証明しなければならない。


「……」


暴風と、黄土色の髪の男が対峙していた。
男は武器も防具も持たない。殆ど動かず、ただ飛んでくる攻撃に対して的確にカウンターをねじ込んでゆく。
それだけなら。男だけなら、暴風の方が勝利を得ただろう。しかし。

「くふふふふ、そんなに遊んでてよいのかえ?ほぉらほぉら、村が燃えてしまうぞ?」
「ね、ねぇ、もうやめようよ……もう、十分だよ……」


蝶が舞う。赤色の蝶に、黄色の蝶。
それはひらひらと、歌と暴風の近くに羽ばたけば、炎と、雷となりて2人に襲い掛かる。
狼の耳と尾を生やした少女は、どちらに対してそんな言葉を吐いているのか。今のところ攻撃こそしてこないが、男や女につけた傷は、彼女の法力ですぐに治ってしまう。治癒魔法を唱えていることは瞭然だった。

「――! 『治れ』『強く』『守れ』!」


すぐに言霊を放つ。が、叫んだ刹那、げほげほとその場でむせ返った。
場所が圧倒的に悪かった。海竜の呪いを持つ者は熱に弱い。燃え盛る村の中で戦闘を行うことは、自殺行為だった。
特にカペラは、発声することで力を発揮する。煙が喉を焼き、声が潰れかけていた。支援を行うも、もうあと1度2度が限界だ。

「ほぉーら、妾たちから逃げてもよいのじゃよ?くふふ、まあそんなことをすれば、村の者がどうなるか、じゃがのぅ。くふふ、皆殺しかえ?うんにゃ、皆殺しはつまらぬ、いたぶっていたぶって、遊んでやろうぞ。のぅ、ソレラ、シャトーよ。」
「……ラペル、お前の趣味に俺たちをつき合わせるな。」
「できるわけないでしょ!そんなの、可哀想だよ……それに、今回のだって、こんなひどい事をしなくたって……」
「勝てた、とでも言うつもりか?ならそちが一人でカモメのやつらを皆殺しできるようになってから言うんじゃな。」

ふん、と魔術師風の女、ラペルと呼ばれた者は鼻を鳴らす。ソレラと呼ばれた男は表情一つ変えず、ゲイルの相手をする。シャトーと呼ばれた女の子は、比較的善良な心がありそうだがそれでもオルカの背鰭と共に行動をし、従っているようだ。

「くっそ……やらせるかよ……ここはあたいたちの故郷だ、あたいたちの家族が居るんだ!誰一人としてやらせるもんかよ!」
「そう、だよ……げほ、げほっ……お母さんも、お父さんも……村長も、皆も……やらせ、はっ……!」

勝敗はすでに見えていた。それでも、自分たちの生まれ育った故郷には違いない。それを、失いたくない。
この村は、竜災害が起きてからできた村だ。各地の僅かな生き残りが集い、協力して村を作った。
まだ歴史の浅い場所だった。けれど、そこで暮らしていた。故郷には違いなかった。

「……あきらめろ。もう、限界だろ。」


一歩踏み込み、拳をゲイルに突き出す。
気孔により、炎を纏った拳。気の使い手の、真っすぐな一撃。


「ぐ、ぁ ――!」


それを、斧で受け止める。重く、衝撃が伝わり身体がしびれる。
ばきり。音がした。
金属の、割れる音がした。

 


「ごちそうさま。うーん、久しぶりの親父さんの料理は美味しかったわ。」
「いやお前何で一人でここで飯を食っているんだ。そこは皆でアルザスの家で食事じゃないのか。」
「どうせ食料は現地調達でしょう?あるいは保存食でしょう?それなら、海鳴亭で美味しい料理を食べるわ。勿論ツケで。」
「人の心と協調性が相変わらずないな。そこは到着祝いだとか、実家へようこそとか、絆を深めるイベントが行われるもんじゃないのか。」

一人転移術の試運転のため、北海地方どころかリューンに居る屑。皆が大変なときに、一人優雅にディナーである。屑だ。屑そのものだ。手を合わせてぐっと伸びをした。している場合じゃない。村一つ燃えてるんですよ!!
向こうで何が起きているかは全く知らないまま、それじゃあそろそろ向こうに戻るわ、と荷物の整理を始めた。完全に手遅れだが大丈夫なのだろうか。

「うーん。そのまま帰るのも面白くないわねぇ。ポータルを利用すれば確実に帰れそうなのだけれども……」
「ポータルを利用しない転移術に手を出すタイミングがおかしいというツッコミをしたいんだけどだめだろうか。」

後ろから声をかけられ、だあれ?と振り返る。そこにはいつか少しだけ顔を合わせた、灰色髪にポニーテールの男……に見える女と、銀色の髪で女性的な体……の中身は男と、それと見慣れない銀色ポニーテールの女が居た。

「えーと……えーと……わんわんお、だったかしら?」
「ガゥワィエだガゥワィエ。確かに種族は人狼だが!狼だが原型がなさすぎるだろ!」
「あ、因みに俺はレンな。そもそも前回名乗ってなかった気がするから名乗っておくぞ。」
「私は完全に初対面のノメァよ。時々そこのわんわんおと依頼を受けるのよ。今回はたまたまさっき会ったから一緒にご飯食べてたんだけど。」


もう全員初対面でよくない?と屑の言葉。こいつ本当に人の顔覚えれないな。いっそ清々しいな。
ガゥワィエとレンの2人は、海鳴亭の亭主からの納品依頼のためここに立ち寄ったそうだ。ノメァに関しては、リューンを拠点としているが宿は一つに決めていないらしい。また、リューンに居ないことも多いため、そう顔を合わせる機会はないそうだ。
レンとノメァは今回初対面だが、ガゥワィエとノメァはたまに共に依頼を受けるらしい。一方的に気に入られているというか、ガゥワィエが振り回されているような気がするが。

「ごほん。で、だ。転移術自体がそもそも高難易度なんだけど、もう安定して発動させれるのか?」
「えぇ。だって転移魔法は戦闘中に発動するのはともかく、こうして落ち着いた場所で発動させるじゃない。むしろどうして安定しないの。」
「なあ私これ10年は練習したんだけど。」

転移術は空間魔法に当たり、時の属性の魔力が求められる。
時の魔力は亜属性とされ、基本の属性とは違い独自の性質を持つ魔力のため、特に扱いが難しいとされている。少なくともさあやろうはいできた、とはならない。

「転移術、俺の記憶を頼りにしても相当むずいってイメージがあるんだけどな。特に、ガゥがすげー練習してたような気がするぞ。」
「私も難しいって印象ねー。というかポンポンできちゃいけないやつでしょ。はーーーこれだから天才は。」
「褒めても何もでないわよ?恐らくは海竜の魔力の中に、時の力もあるのでしょうね。でなければそもそも転移術なんて使えないでしょうし。ベゼイラスさんに見てもらったのは基本の属性と複合属性だったから、こういった見逃した魔力があっても何も違和感はないわ。
ふふ、流石私。そんなよく分からない力をもこうも使いこなすなんて。」

あっいらって来た。殴っていいかしら。
思わず数回素振りをし、カウンターにゴンッッッといい音を立てて手をぶつけてぎゃあ、と悲鳴を上げる銀髪ポニテ。何してるんだろう、と思いながらもそうだ、と手を叩いて屑が声を上げた。

「そうだわ、仲間の呪いをポータル代わりにしましょう。海竜の呪いならこの上なく分かりやすい目印になるし、自由に使えるようになれば離れていてすぐに合流、なんてこともできるわ。うん、便利ね。さっそくやってみましょう。」
「わぁ もうそんなレベル。
 確かに海竜の呪いはいい目印になるとは思うが、ここから目的地はかなり遠いだろう?たどれるのか?」
「ポータルを設置しているから、そこからたどればいいわ。すぐ近くにいるってわかっているし、丁度いい練習になるでしょう?」


理論的には何も間違いではないのだが、何度も言うが転移術に手を出してすぐにできることではない。
ポータルと違い、海竜の魔力への転移はどこに誰が居るかを大まかに把握している必要がある。世界地図を広げ、仲間の位置を絞り、そこから座標を割り出し転移する。
また、ポータルへの転移は2点間を繋ぐ操作だけで済むが、座標特定への転移はその座標へ正しく転移する技術も求められる。前者がどこ〇もド〇に対して、後者はグー〇ルマ〇プから検索を使わず目的地を的確に選ぶ必要がある、といったところか。
今回はその的確な一点のすぐ近くに目印があるのでその周囲から同一魔力を持つ存在を探し出し、座標を割り出しそこへ転移しよう、という代物だ。
因みに英雄クラスの冒険者ならできるね、くらいの技術。

「……、…………?」


ラドワが転移術をここまですぐに習得できた理由。
それは、海竜の魔力に時の属性が含まれていること以外にももう一つあった。
珠の呪いの副次効果。それは、竜が生まれ、死ぬまでの長い時間、人間では考えられないような時間を紡ぎ、保たれること。
竜の知識と記憶力。物事を忘れづらくなる。それは本人も意識しない部分で作用し、無意識のうちに蓄積されている。
―― 例えば、仲間の魔力の質だとか、訪れた街の位置だとか。


「おかしい。呪いの数が合わないわ。合計で3つのはずなのに、えーと……5つと、少し離れたところに2つ。位置的に、離れたところは……これ確か、カペラ君とゲイルの居た村……、…………」

すぐに察した。しかし、違和感はある。
『あれ』がいるのなら、呪いの数が9つになれば不自然。では、その2は?

「……そもそも、何故あそこに私たちが向かうと知った?つけてきた?いえ、魔力の気配はなかったわ、だからつけてきているはずはない。」
「?お、おいアンタ、急にどうした?」
「いえ、つける必要はないわ。もし向こうにも同じ術があるのであれば、海竜の呪いから探知すればすぐに転移できる。
一か月以上いない。里帰りしている、なんて話はこの宿の誰かに聞けば分かること。あるいは盗賊ギルドか。向こうだって私たちと同じ北海地方の出身がいる、だからどのくらいの時間がかかるかも分かる。」
「あ、あの?」
「そして、ことが終わって帰る。転移をするのならば、海竜の呪いを持った者が一人、帰る場所に立っていなければならない。……別にどこかにポータルを作ればいいと思うけれども、そういえばあれの拠点はそもそも存在しないのだっけ。前にロゼが盗賊ギルドで聞いていたわね。」

はぁ、と一つため息。まずいことになっているわ、と3人に伝える。
急がなければならない。向こうの状況は、分からない。
分からないから、最悪の事態を避けるように動く。けれど、すぐに動かなくては。
出した答えは。

「……お願い。1人1000spの報酬を出すわ。」

 

 

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リプレイ_22話『帰巣』(1/4)

※オリジナル回だぞ

※割とファンサ(?)なところある

 

 

「……私が……神として祀られていた可能性、です、か?」
「えぇ、狼神の一件で全部確信に至ったから話しておこうと思って。」


狼神討伐の依頼の後。海鳴亭に帰り、皆が自室に戻る前にラドワは全員を呼び集め、アスティの正体へと繋がる話を行った。
属性の話、可逆性のある魔力を持っていること。それから狼神が言った、1人自分と同じ存在がいるということ。消去法でアスティがその1人になるということ。
ここで、人狼の言葉を思い出す。厄介な過去を持っている。アルザスではなく、アスティに向けられた言葉。待ってください、とアスティは恐る恐る口を開いた。


「でも、それならば……私は信仰を受け、神へと昇華した存在ということになります。しかし、ウィズィーラの、北海地方には神の信仰というものがなかったはず。
 『万物の生命は海より生まれ出て、死した魂は海に還る。海は万物の母であり、我々は海への感謝を忘れてはならない。』この教えこそ根付いていますが……あえて、神だと称するものがあるのならば、海が神ということになる?」
「だから、海竜と同じ魔力を有している、という可能性は高いわ。ただ、1つ分からないことがある。
 海竜とアスティちゃんの因果関係。この北海地方の教えから生まれた神だとすれば、海竜は一体どこから来たのか。そもそもあれは何なのか。……後はこれさえ分かれば、全貌は見えてきそうなのだけれども。」
「…………」


うーん、と推測をしようにも、材料がない。突如発生した海竜が何なのかの正体が掴めない限り、この話は次には進まないだろう。
と、ここであ、とアルザスが声を漏らした。


「そういえば……海の、北の方には行くなと言われていた。正確には北の海の底だな。何でも怪物がいるだとか、二度と出られないだとか。」
「え、初耳。そんな場所あったの?」
「あぁ、ウィズィーラに伝わる禁止区域エリアよね。理由や詳細は一切語られないまま、口伝で残されたルール。実際に魔物が居るのかも、二度と帰ることができないのかも不明。
 まあ、今なら誰も咎める人はいないと思うわよ。ウィズィーラって滅んだし。」


気遣いのない残酷な言葉。思わずアルザスが言葉を詰まらせ、アスティがラドワに対して睨みつける。全く悪びれる様子もなく、ふむ、と短い声を漏らした。


「行ってみてもいいかもしれないわ。
 ヒントがあるという確証はないけれども、どうしてウィズィーラがそこを禁止区域にしていたかは気になるじゃない。それに、竜災害とも無関係だとも思えないわ。海竜が現れた場所も一致しているもの。」


まあ言われるまですっかり忘れていたのだけれどもね、と台無しの一言。その意見に対して、すぐに肯定の意見を出したのはロゼだった。


「行きましょ。呪いに関する情報は多い方がいい。どんな手がかりでも欲しい。むしろあたし一人でも行くわ。」
「リーダーの決定権を無視しないでくれ。いや、俺もいいとは思うし、場所も分かるが……海の中だぞ?俺だけで行くのも構わないが……」


気乗りはしない、といった様子だ。それもそうだろう、例え手がかりがあるとしても、真面目で堅苦しいアルザスのことだ。言い伝えを本気で信じているし、街のルールを破ることに抵抗があるのだろう。
数時間は探索することになると考えると、人間の力ではとても無理だ。それに、立ち入ることを禁止にするくらいだ、危険が伴わないとも考えづらい。そのような場所に一人で行かせるのは流石に残りの者らも反対だ。
と、ここでおずおずとアスティが手を挙げる。


「あの。私、多分同行できます。」
「え、なに。もしかして、水中移動できるようになる魔法があるとか?」
「いえ。この前、子供と遊んだのです。たらいに水を張って、いつまで息を止められるかって。あまりにも苦しくなかったので、子供に死んでいると思われました。」
「……因みにどんくらい?」
「5分。その後、気になって試したら1時間止めても苦しくない、どころか水中で息ができることに気が付きました。」
「……」


  ・
  ・


そんなこんなで、カモメの翼は里帰りをすることになった。
カペラやゲイルも村にそろそろ顔を出したいということもあり。ラドワはせっかくだから新しく転移術を習得したからアルザスの家にポータルを置きたい(転移の際、転移場所の目印となるもの。これがなければ『基本的には』転移術は行えない)し帰ることができるかも試したいと。リューンの自室にポータルは設置した。
呪いの手がかり探し以外にも目的は多いがそれはそれ。亭主へは1か月半ほど留守にすると伝え、リューンから馬車に乗り、20日くらい経ったところで残りは徒歩。一か月かけて、彼らはかつてウィズィーラがあった場所……から30分ほど離れた小さな村へとやってきていた。


「これはこれは懐かしい。お帰りカペラ、ゲイル。それからロゼにアルザスも久しぶりで。」
「やっほー長老、久しぶりー!」


ここはカペラやゲイルの故郷でもあり、以前ロゼがアルザスを訪ねる際に宿泊させてもらった場所でもある。目的の場所へ向かう前に、何かと縁がある長老へのあいさつへと向かった。アスティとラドワは訪れたことがないため初対面だ。


アルザス殿も、過去と決別できたようで何よりです。独り浜辺で暮らす姿は痛々しかったですからなあ。」
「あの頃は本当にすまなかった。気にかけてもらっていたのに、好意を無碍にしてしまって。」
「いやいや、あのようなことがあっては仕方ありませんとて。ロゼ殿、アルザス殿を冒険者へと導いてくれてありがとうございました。」
「それはあたしからもお礼を言いたいわ。長老の紹介がなかったら、今も一人で行動してたかもしれないもの。」


皆さん面識があるんですねぇ、とほほえましく眺める癒し手。特に思い出も何もない雪は、それをふーんと言いながら眺めていた。とってもどうでもよさそう。


「あぁ、そこの者は……確か、セリニィ家の者でしたな。家出をしたと聞きましたが、まさか彼らと一緒だったとは。」
「あら、私のこと知っていたの?あなたとは会ったことがないと思っていたのだけれども。」
「ご両親が一生懸命探しておられました。草色の髪に、琥珀色の瞳。背丈が高く、人の心がなく傍若無人で人に対して全く興味がなく黙っていれば大人しいと
「お前家を出る前からそんなだったのかよ。」


思わずアルザスのツッコミ。てへぺろ、と可愛らしく振舞うが27歳のそれはちょっと見苦しい。


「てかめっちゃ探されてんじゃん。ラドラドも一回家に帰って親を安心させてきなよ。」
「えぇーーー今更行くのすっごい気まずいんだけどーーー というか村長が私の代わりに話を付けてくれれば
いいから行け。今すぐ行け。同じ北海地方だろ言うほど遠くないだろどのくらいだ?」


ラドワの住んでいた街は、白銀都市と呼ばれており北海地方の中で一番二番を争うほどの都会だ。南の方にあり、海からは離れている。故に、竜災害の被害は殆どなく、故にリューンから馬車が通じていた。


「これは……帰りですね……」
「めっちゃこっち来るときにに通っただけに腹立つな……」
「誰か逃げ出さないか見張ってろ。ロゼがいいな、そうしよう。」
「え、あたし強制任命?言われなくてもするけど。」
「うわーーーん皆が私をいじめるーーー」


本当は今すぐにでも向かわせたい。しかし思った以上に遠かった。
北海地方はほぼ自然そのままの地と言っても過言ではない。交通も不便が多く、小さな村が多い。竜災害のせいで人口も少ないのだ。

「それじゃあ、そろそろ俺はアスティと禁止区域に行ってくる。何かあったらすぐに戻るよ。」
「りょーかーい。じゃ、僕たちはお母さんお父さんに顔見せに行ってくるね。」
「あたいも行ってくるな。ロゼとラドワはどうすんだ?」

 

うーん、と互いに悩む。ロゼの帰る場所はない。彼女の住んでいた場所は、竜災害によって滅ぼされている。里帰りの話が出たとき、本当に何の情もなく両親は死んだとロゼの口から放たれた。
それに対して、皆はそうか、としか返せなかった。その言葉に悲しさも、寂しさも、何もなかった。だから、言葉を何も紡げなかったのだ。
それに対して、ロゼも何も言わなかった。もしその言葉の違和感を伝えても、きっと本人も、事実を言っただけよ、としか返さなかっただろう。

 

「あ、じゃあ私はアルザス君の家に行くわ。ポータルの設置に行きたいし。」
「じゃ、あたしもそこに一緒に行くわ。用事はアルザスたちの持って帰ってくる情報だけで暇だし。それならラドワと一緒に居るわ。」
「俺の家にポータルが作られるのは変な気分だが……いや、理には適ってるか。北海地方にもし戻ることがあるのなら、一番設置しやすいのはうちだよな。
 分かった。今日の夜には一度切り上げて戻ってくる。日が沈んだら、一度俺の家に集まってくれ。」

 

了解、と短い返事を返す。長老の部屋で解散し、それぞれはそれぞれの目的の地へと赴いた。

 

 

「さぁて。ふふ、楽しませてもらおうぞ、のぅ?」
「……まだ。……夜まで、待て。」
「やらなきゃ……お兄ちゃんの、ためにもっ……!」

 

  ・
  ・

 

禁止区域へは、アルザスの家から北へ泳いで45分程度のところだった。
海は深く、100メートルほど潜る必要があった。シーエルフは精霊との親和性が高いため、無意識のうちに加護がもらえ水圧をものともせず潜ることができる。アスティも、理由こそ分からないが上手く泳げる上水圧も問題なく、更には種族的に速く泳げるアルザスにもついていけた。
アルザスは夜目が効かない。松明ぼ代わりに、ロゼが持って行ってと手渡したペンダントで辺りを照らしながら海底へと進んでゆく。こんなものをどこで手に入れたのかと問うと、内緒と微笑んで誤魔化されてしまった。聞いていた屑がこほんと咳払いをしたが、偶然だろう。

「それにしても酷かったな。最悪アルザスは死んでもいいけどそのペンダントだけは何が何でも返せって。逆だろう。最近人の心の無さが移ってきたんじゃないか。」

文句をぶつくさ言うアルザスに対して、アスティは真剣な表情で何も言葉を返さない。
様子がいつもと違うような気がして、アルザスはアスティ、と名前を呼んだ。声は聞こえていたようで、ぽつり、アスティは呟く。

「……何故でしょう。この場所、覚えがある気がするんです。」

声が、少し震えている。その理由を、彼女は分からなかった。
恐怖の感情は理解できた。だが、一体何が怖いのか。何があったのか。それは、何も分からない。何も、思い出せなかった。

「アスティ、大丈夫か?もし怖いのなら一度戻って……」
「いえ、それでは意味がありませんから……私は、知りたい。私が何者であるのか。私が何であるのか。きっとそれは、私にしか分からない。だから、お願いします。連れて行ってください、アルザス。」

連れて行って、と表現する。それは、独りでは決してたどり着くことができないから。
独りで行動することができない。他の者らは、海の中に長時間潜ることはできない。頼れる者はアルザスだけ。
深い深い、普通の人なら何も見えない暗闇を。夜の帳に包まれたかのような海を、共に泳ぐ。

「アスティの願いを、俺が断るわけないだろう?」

ぐ、と手を引く。決して離さないように。はぐれないように。

「何かあったら、俺が必ず守るから。思い出したくないことがあったら、俺が傍に居るから。
 お前が前に進むと決めたなら。俺は何が何でも、お前を前に連れていく。……俺たちはもう、一人じゃないからな。」

穏やかに、安心させるように微笑む。夜目の効くアスティには、それがはっきりと分かった。
その言葉が嬉しくて。それから、どこか既視感にも似た感覚を覚えて。

「―――― 、」

暫く言葉を失ったまま守人を見ていると、顔を赤くしてゆっくりと目を逸らしていった。気恥ずかしさとシーチキンっぷりに負けたようだ。
そんな姿が面白くて、思わず小さく噴き出してしまった。ぶくぶくと、笑い声に合わせて泡が零れる。何か言いたげな姿が余計に面白くて、恐怖も一緒に泡となって消えていった。

「ありがとうございます、アルザス。あなたは人を和ませる天才ですね。」
「どういう意味だよ!……でも、まあ……安心できたのなら、よかった。」

そのまま泳いで海底へとたどり着く。場所としてはこの辺りなんだけどな、と辺りを見渡すが何も見当たらない。
が、アスティは何か見つけたのだろうか。多分こっちです、と今度は逆にアルザス手を引き泳いでいく。深海では方角は分からなかったが不思議と『ソレ』のある場所が分かった。
目的の場所までは、更に5分ほど泳いだ場所だった。

「これは……遺跡、か?」

人工的に削られた岩がいくつも落ちている。装飾のような何かが刻まれたものから、柱のようなもの。何かの像なようなものから、階段のようなもの。
崩壊した海底遺跡。宝の類は見つかりそうにはなかったが、魔力の残骸をアルザスやアスティは感じ取った。どこか懐かしくもあり、親しみもあり、心がざわつく何かが、それにはある。
この魔力はよく知っている。アルザスの持つ魔力であり、アスティの持つ魔力であり、海竜の呪いの魔力である。全て、同質のもの。

「海竜は、ここに居たんだろうか。俺やアスティが海竜と同一の魔力を持っているのがどうにも理解できないが……」
「多分、難しいことじゃないんだと思います。アルザスも、この海の生まれ。海竜も、この海の生まれ。シーエルフですから、海の魔力を有する。同じ海の、同じ魔力を。……ただ、アルザスと海竜の繋がりが理解できても、私と海竜の繋がりが分からないですが。」
「……、」

違う。否、違わないが、それだけではない。
何か、まだ知らなくてはいけない。
そんな気がした。……そんな気がしても、その正体までを、直感は教えてくれない。

「とりあえず、ラドワから言われたように魔力的なものがあったならその場のものを持ち帰って……」

適当な石を拾い服の中にしまう動作をして。
かがんで、目の前にある傷のついた岩を見つけた。大きな爪で削られた場所を見つけた。オーガがつけた傷よりも、ずっと大きい。

「……あぁ、なるほど。居たんだな、ここに。」

それから、気が付く。これは、ほんの少し掠っただけだと。大きすぎて分からなかっただけで、あちこちが『巨大な衝撃や打撃で砕かれている』のだ。自然に崩壊したのではなく、巨大な生物が残した暴力の跡地。
岩には生物は寄り添っていない。浸食も殆どしていない。まだ新しい状態だった。恐らくは、最近まで遺跡を守護する効力があったが、それが崩壊により守護が消え、少しずつ浸食され、魚の棲家と変わりつつある頃なのだろう。

「海竜は、ここに存在していた。どんな状態かは分からないが……封印か、棲家にしていたか、もっと他の理由か。
それが、暴れだした?それが突然現れた海竜だった?」
「……――、」

守り人の言葉。
とある単語が、癒し手に何度も響く。
『封印』されていた。
何度も身に響くたび、不快感が沸きあがる。
記憶にない。何も知らない。そのはずなのに。
怖い。嫌だ。助けて。
そんな感情を、思い出す。

「……アスティ?」
「ぅ……あ……」
「おいアスティ!?どうした、大丈夫か!?」

どうして、どうして、どうして、どうして
痛みが、恐怖が、苦しみが、悲しみが、

「ぃやだ、やだ、出して、ここから、違う、私じゃな、私じゃない、違う、皆、何で、信じて、まって、お願い、出して、やだ、ちが、ちがぁ―― !!」
「アスティ!大丈夫だ、俺が居る、俺がここにいるから――!」

耳をふさぎ、蹲り、わめき、叫ぶ。
声が響く。水中だというのに陸にいるようにはっきりと聞こえた。何が起きたのかは分からない。何も起きていない、少なくともアルザスはそう判断した。
ここで、何かがあった。それを、アスティは知っている。
それは、アスティにとってのトラウマで、思い出したくないことである。

「掴まれ!一度離れよう、急いで思い出すことはない、だから、な!?」

判断を下す時間は短かった。
乱暴に手を引き、錯乱した状態の癒し手を抱きかかえ急いで海底遺跡を後にする。腕の中で暴れ、抜け出そうとする姿はとても痛々しかった。

「大丈夫、大丈夫だから……誰もお前を傷つけないし、いなくなったりもしないから……
 ごめんな、ごめんな……苦しかったんだよな。そうなるくらいに、嫌なことがあったんだよな……無理させてごめんな……」

誰も悪くはない。突発的な出来事で、仕方のないこと。誰も彼を責めることはないだろう。むしろ引き返すと判断した速さを賞賛するべきだろうか。
手放さないように、しっかりと抱きかかえる。強い力の前には、少女の力は抑え込まれるしかなかった。
……陸に着く頃には落ち着いていたが、精神的負担が大きかったのだろう。意識こそあったが、ぐったりした様子で守り人の腕の中でなすがままになっていた。

 

 

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