※時期はリプレイ22-4の最後のところ
※珍しくまともなリプレイ
はじめて声をかけたのは、彼女が空腹のときだった。
迷子の彼女と、パン屋に行った。
波の音が聞こえる。
水平線上に立っていた自分を見た彼女が、何かを言って微笑んでいる。
―― その日は酷く曇っていた。
彼女は泥になろうとしていた。
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・
カモメの翼が北海地方に赴き、オルカの襲撃を受けた後。全員の手当が終わり、ひと段落ついた。全員は眠りについたが、ラドワは転移術でリューンに戻っていた。
「ありがとう、今日は助かったわ。」
「いいのいいの。じゃ、また私が丁度こっちに来てるときに何か困ったことがあったら呼んで。格安で受けてあげるから。」
「そう言う人ほどがっつり持っていくじゃない。」
全く知らない者同士だったが、お互いに好印象を残して別れた。じゃあね、と手を振ったノメァは手をドアノブにぶつけ、めちゃくちゃ悶えてながら宿を出て行った。寝なくて大丈夫なのだろうか。
こちらに戻ってきたのは、こうしてノメァを送るためが一つ。もう一つは、足りない薬を取りに戻るためだった。北海地方は今回燃えた村以外にもいくつか存在するが、どこも人口が少なく、貴重なもの。それならリューンに戻って調達した方が早い、と判断した。
夜も更に深まって、カウンターに亭主と自分だけが居た時に女はやってきた。
依頼を受けてほしい。そう言うと旅の身なりをした女は真っ先に自分が既に死んで生きる亡者になっていることと、朝日を迎えれば身体は泥になって終わってしまうのだと話した。
「まだ受けるなんて言っていないのだけれども。」
特に驚くことはなかった。死の気配は感じたし、それに遭遇することは珍しくない。最も、このような場所で、このような形で遭遇するとは思っていなかったが。
もしそれで斬りかかれたらどうするの?と問うと、女はそれはそれで、と笑った。
死ぬ前に海が見たいのだそうだ。
しかし、リューンから海までは距離がある。何故自分に依頼の話を持ち出したのかと問うと、転移術で北方地方から戻ってきたことを親父と話している声が聞こえたそうだ。
一か月半は帰らない。帰りは転移術で帰るとは伝えたが、予定よりも早かったため随分と驚かれた。
……そんな、リューンに帰ってきてからのやりとりを女は聞いていたのだという。
女はただ、自分と、まだ見たことのない海を見るために歩いてほしいのだと言った。
「連れていくから勝手に見てくればいいじゃない。まあ、連れていくにも相応の報酬はいただくけれども。」
そう問うと、女は夜出歩くのに自分だけじゃ怖いのだと言っていた。
あの辺は人が居ないわよ、と口にしてもそれでも、と言われた。
夜明け前。海はまだ深く暗い。
転移術で移動してくると、仲間はやはりというか、誰も起きてはいなかった。起こさないようにね、と小さく忠告し、アルザスの家を出る。生まれてからずっと縁のある……最も、私は内陸の方に生きていたからそこまでではないのだが。
嗅ぎ慣れた潮の香。私たちは、満ち引きできっと消えてしまう砂の道を歩いた。
女のことは知らない。以前出会ったこともなければ、散歩に誘われるわけもない。
断ることもあの場で葬ることも考えたが、やめた。ちょうど目も冴えていたし、何より興味は強かった。動死体の類を目にする事はよくあるが、これほど自我を保って堂々と依頼までしにくるケースはそう何度もあることではない。
オルカと戦った後ではあるが、さして危険があるわけでもなく、ついでで終わる仕事。それで報酬が得られるのであれば、別にいいだろうと思ったのだ。
……ポケットの中にある小瓶の存在を確かめる。薬の調達のついでに、念のため潜めておいた。
いざとなればどうとでもなるだろうという慢心も、恐らくあるだろう。しかしなにより、その女の雰囲気が酷く頼りないものだったから、依頼を受けたのだと思う。
(そう見えるのは死んでいるからなのだろうけれども)
二人で、夜の海の道を歩く。
波が思考をさらっていく。
死んだ女が前を歩いている。
己で死体とは言いはしたものの、そこから腐臭は漂わず、本当に死んでいるかどうかの判断は『その道』の術を知らなければつかないだろう。
「死霊術師にかけられた呪いなの。
彼を殺したそのときに、私たちは相打ちで死んだはずだった。」
女は砂につく自らの足跡を楽しむのをやめて、ずっと遠くの方を見据えた。
視線の先はまだ暗い。
「往生際が悪い術師が死に際で自らを生ける屍にする話。仲間の内で出てきたことはあったけど、まさか自分たちがかけられるとは思わなかった。」
二度死ねと、言われたわ。
そう言って、女は振り返った。
……女は、冒険者だったのだそうだ。
仲間と共に依頼のため。村人を攫い続けられ、憔悴しきっていた人々のため。
件の死霊術師を討伐しに行った。しかし、あえなく返り討ちにされ、それでもどうにか相打ちまで持っていって、最期は皆で名誉の死を遂げた。
一度。
「…………」
ラドワは、その手の術を習得している。本職、ではないため不可能も多いが、女の話が真であると判断できる程度には実力があった。
「私はそれに手を打つ術を知っている。朝日から逃げる方法を心得ている。
私にやらせてくれたのならば、死を受け入れて、ここで消えなくても済むわよ。」
それを伝えると、女はやはり笑って、
「ありがとう。だけど、」
私は海を見るためにここまで来たから。
それ以上、続く言葉は返ってこなかった。
女はまた歩き出す。
……よりにもよって、ラドワに声をかけた。
これが、別の者に声をかけていたならば。死霊術の心得があったとしても他の者ならば、例えばかの幻想に声をかけていたならば。
きっと、彼女の望んだ『終わり』を齎されたのであろう。
しかし、よりにもよって、だ。
「――――、」
彼女は、死を救済としない。
死が救済でないから、殺戮を快楽とし、死を知らしめる。
存外に人は脆く、いつも死と隣り合わせであると思い出させる。
そんな者が、死を望む人間と出会ったならば。
口を三日月にゆがめ、波でかききえるくらいの小さな声で、まず簡単な呪縛の術を編む。
「……?……っ!?」
何が起きたのか分からないように呆けていた女の顔が、束縛をきつくした瞬間強張った。
続けて泥の呪い……日が昇れば泥となり消えてしまう、死霊術が最期に彼女にかけた呪いを相殺させるために、上から屈服の術を重ねがけする。
死の呪いは支配の類。書き換えれば或いは上手くいく。
「……!……息……が……!」
「元からしていないのと同じじゃない。」
口をぱくぱくさせ、苦し気な様子で喉に手を持って行こうとする。が、ラドワの術は、それを許さない。
女にかけられた術はおそらく解けない。だから上から覆いかぶさるようにして新しい術を組んでいく。大地を雪が覆い、白い世界へと変えてゆくように。
死んでいることはどうにもならないが、泥の方は持ち前のもので潰せそうだった。
「やめて……!」
女の悲鳴に、くすりと笑って答える。
「どうして?海が見たいのでしょう?見られるわよ。日が昇っても見続けられる。」
「――!私は……!」
叫ぶ。
女と、魔術師。2人だけの海岸で、叫ぶ。
「私は!!!!
生きるためにあなたに頼んだんじゃない!私は、この手で……死んだ仲間を殺してしまった!!
泥になるためにここに来た!終わるために……!ここまで……!」
「なら使えば。」
ポケットに入れていた聖水の小瓶を、死んだ女に投げてよこした。
柔らかい砂浜がクッションとなり、小瓶は割れずに女の前に埋まる。ゆらゆらと、聖水の中で水が波打っていた。
「掌握しきったわけでもないし、頭から被ればちゃんと死ねるのではないかしら。」
「……――!」
凝視し、躊躇い。
しかし震える手で、目の前に放り出された瓶を掴む。瓶を持つ指が小刻みに震えている。
亡者の自殺など、そう見られるものでもないだろう。
「どうしたの?ほら、掌握しきってしまうわよ?」
女は蓋を開けようとしていたが、細かく震え続けて、しまいに瓶は砂の上に落とし。
とうとう力なく項垂れてしまった。
「……」
ラドワは、死をこの世の何よりも恐ろしいものと考える。
人が自殺をするのは、その死よりも現世に対し恐怖を、絶望を抱いた者が逃避するための行為だと考える。
それを弱いとは思わない。逃げることは、悪いことではない。
だが、それを決して『救済』とは考えない。
ましてや、誰かに生殺与奪の権利を委ねて死にたいなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
自分で、死を選ぶことができない者は。
心から、死を願っていないということ。
……日が迫る。即席の対抗術は間に合っていた。
仕上げに身体を保たせるための触媒を飲ませる。女は呆けたように、されるままになっていた。
「自我ごと消えた?」
「そうかもしれない。」
まだ大丈夫なようだ。
朝日が近づいてくる。力の入らない女を立ち上がらせて支えるようにし、海へ、波が砂を攫うすぐ傍まで歩き出す。
「――……」
潮風に起こされるようにして、女が顔を上げる。
「海。こんなに、きれいだったのね。」
「えぇ、綺麗でしょう?私たちの故郷。……母なる大海は、いつだって美しいわ。」
女はじっと水平線を見つめたあと、両手を広げるようにして立って、大きく息を吸い込んだ。
照らされた身体は朽ちない。
女に死は訪れない。
よりによって、死をよしとしない女に声をかけたから。
「…………」
あたたかい。
そう呟いた女に、ラドワは語る。
「死体に痛覚は無いわ。」
「痛覚?」
「暖かいとか、冷たいとか。全部痛みと同じなのよ。」
「へぇ……」
でも、と。
隣に並んで、海を見つめる雪は。
「それでも暖かいと思ったのなら、日は暖かいのだということを。
ただ、身体が覚えているのでしょうね。」
死してなお生きていることも、悪くないでしょう?
なんて、ひねくれた笑みを浮かべていた。
考えるようにしている女の瞳に、燃えるような色は残っていなかった。
「私をどうするつもりなの。」
「ちょうど人手を探していたところだったのよ。私の仲間の怪我の手当ができる人手。
それから、ちょっととある家の番をしてくれる人をね。」
「……そっか。」
それはそれで、いいのかな。
そう、力なく口にして。生気のない顔で、笑った。
帰り道、それから女はぽつぽつと自分と仲間たちの身に起きたことの詳細を話していった。
女は聖北教徒で、仲間を癒し、邪から守る役割だったこと。
件の死霊術師に呪いをかけられたのは、自分だけではなく仲間たちも同様だったこと。
しかし自我を保てたのは自分だけで、他の仲間が亡者と成り果てた際、神の御業により止めを刺したのだということ。
話の中で、ひとつだけ尋ねた。
「どうして海だったの。」
海は、カモメの翼にとっては特に思い入れの深い場所だ。
ラドワにとって、女の依頼を受けようと思った、もう一つの理由が海を選んだこと。
海辺の村ではなかったにしろ、彼女もまた海が好きだった。だから、気になった。
「……リューンに来て初めての日。ついて早々迷子でお腹を空かせてね。
パン屋に連れて行ってくれた人がいたの。その人が後の冒険仲間で。彼、海の近くの生まれだって、それで話をよく聞いていて。
……私は、会いにいきたかったのかもしれない。」
女は一度だけ浜辺を振り返って、太陽の方角に聖北の習わしで祈りを捧げた。
「――……」
神は心底嫌いであったが、その光景を絵を見るように見ていた。
海を選んだ理由を話してもらった。それじゃあ、代わりに私も。
「私は死霊術を扱うけれども、この術が特別好きというわけでもないわ。」
「……?」
「神への冒涜になる。そう思って手を出した。
別に不死には興味なかったし、誰かを生き返らせたいという願いもない。だから、使えることに意味があって、愛用したいとは思わない。それは、これからも。」
けれども、と。
逆説の言葉を紡いで、女を見た。
琥珀色の瞳が、熱のない瞳を射抜いて。
「改めて聞くわ。
―― 死を奪われた気分はどう?」
使役する以上、女には海竜の魔力を分け与え続けることになる。
北海地方の海辺に居れば、同質の魔力は供給される。もしこの場を離れる場合、ラドワが傍に居るか、同質の魔力を込めた何かを所持している必要がある。
必要になればラドワは自分の傍に女を呼び、基本的にはアルザスの家で留守番し常に状態を綺麗に保ってもらう。それが、女に与えられた仕事だった。
……一つだけ、女にとって幸いだと言えることは。
術の構築は、珠の呪いを持つ者に行われた。珠の呪いの副次効果は、竜の記憶力。
―― 彼女は雪が解けるまで 暖かさも、冷たさも、仲間との思い出も、忘れることはないだろう
それが、いいことか悪いことかは、誰にも分からない。
「あぁ、前の名前は死んだから、新たに名前がいるのだったわね。あなたの名前は……」
その日は酷く曇っていた。
彼女は泥になろうとした。
☆あとがき
死霊術師かつ屑で『屈服ルート』が見られます。私それ知らなくて、死霊術師だったらちょっと途中で文章が変わる、くらいだと思ってたんですよ。屑……従えちゃったかぁ。しかし本当にこの屑は屑だな。
22話で突然増えた人手の正体でした。泥にな……ろうとした女です。ずっと前から海だしやりたいよね!って思ってて、でもうちの設定だとリューンから海ってめっちゃ遠いぞ!?と考えたときに、なんか色々噛みあうことに気が付いて今に至ります。
このシナリオ、かなりPCの言葉が哲学的なのと、性格によって細かい分岐があって、PC像が大きく離れないの凄いなぁって感動したんですよ。そして波の音やカモメの音の挟むタイミングの上手さ。はい。このシナリオ大好きです。ものすごく好きです。皆さんも、好きなPCで一緒に泥になろうとした女とお散歩してみてください。
☆その他
所持金は変動なし
しびとの祈り 入手(ラドワの手札へ)
☆出展
シルクロ様作『泥になった女』より