海の欠片

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天威無縫 12話「神話」

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フィリアと決闘をした後、治療しきれなかった怪我はヒーラーや医師にはかからずに市販薬で応急処置を行った。クジャクの医師の件があり、例えララテアだけが見てもらう場合でも何かしら不都合が出るかもしれないと考えた。警戒しすぎても仕方はないが、少なくともクレアがサヴァジャーとなり、最悪一人で街の外へ逃げられるようになってからの方がいいだろうと。基本的にこの世界ではサヴァジャーの資格がない者は、一人で街や村の外へ出てはならない決まりがある。ウルナヤのような閉鎖的な村ではともかく、秩序やルールがはっきりと息をしているカルザニアでは確実に罰せられる。この罰則は、どのような条件でも街の外に出ることを禁止される。一般人にとっては軽い罰則であるが、クレアにとってはそうはいかなかった。
サヴァジャー試験まで残り1日となった。ララテアとクレアは朝の陽ざし亭のすぐ近くにあるバトルコートでお互いに手合わせをし、クレアの練習に付き合う。コルテはその間闘技場にて戦い、資金調達を行っていた。
やりとりから稽古付けていると分かれば、殆どのギャラリーは少し見物しただけで去っていった。おかげで人だかりはできておらず、白いカラスの物珍しさや決闘を見た者が興味を持って何人かが眺めている程度だった。

「そこ、開いてるぞ!」

タンッと地面を蹴り、跳ねたウサギが横から白いカラスへと手を伸ばす。本気で攻撃はせず、少々引っ掻く程度だ。捉えたとしても掠り傷以下の痛みにしかならない。補助に特化しているといえど、身を守る術は必要である。それを実戦形式で教えていた。

「――――、」

爪が掠めれば、それは蜃気楼のように曖昧となり、ふわりと消える。それが白いカラスの策略だったと気が付いたのは、トンと背中に触れる衝撃を感じてからだ。

「そちらの背中がお留守ですよ」

先ほどまで何もなかった場所に、姿を現した白いカラスが淡く微笑む。おぉ、と数人のギャラリーから感嘆の声が漏れた。
先ほどララテアが触れたものは、クレアの野性で生み出した幻影だった。光を操作し、まるで真にそこに居るかのように虚像を作り上げる。最も生命や意志は持たず、ただの幻覚であるためそれが野性を行使することはできず、発声もできない。

「……やられた。天女の悪戯サンライト・ヴェールで姿を消してたのか」
「はい。ララテアのような単純な人は面白いように引っかかるので楽しいですね」
ぐぬぬ、否定できないのが悔しい」

天女の悪戯サンライト・ヴェールは別の技を発動させると維持ができなくなり術が解ける。幻影を作る技、触れられずの追憶ミラージュは一度詠唱し発動してしまえば何者かが触れるまで形を維持する。つまり彼女は先に幻影を作り、光に身を包みウサギから逃げたのだ。
真っ向勝負を挑むサヴァジャーが多い中、彼女のようなトリッキーな立ち回りをする者はごく少数だ。血の気が少なく、攻撃的でないが故に魔法のように野性を扱う。そのような者は、まず闘技場に立つことはない。
全く戦闘経験がない彼女も、人の戦う姿を見て、稽古付けられれば器用に立ち回れるようになった。決め手となる技がないためモンスターを狩ることはできないが、補助を行う立場には充分立てるだろう。

「よし、じゃあ今日は程ほどにして休もうか。根詰めてやると明日に響くからな」
「えっ今日はもう終わりですか?」

丁度時計塔から12回の鐘の音が響いた。正午を知らせれば、思い出したように空腹感が2人を襲った。一度宿に戻って今日はゆっくり過ごして明日に備えよう、とララテアが提案する。対してクレアはしばしの間立ち止まり、口元に手を当てて思案気な表情を見せる。

「でしたら、少しこの後付き合ってくれませんか? 行きたいところがあります」

二人きりでお願いします。そうララテアにお願いする白いカラスは、どこか上機嫌に目を輝かせていた。



カルザニア王国ディアマン区。王国の中央に位置し、獣の荒々しさの象徴となる城が堂々と存在している。この場所がある限り獣的なルールが秩序となり礎となる。それを象徴するかのように庭には巨大なバトルコートがあり、時期が来れば王族の婚約者を決めるための試合が行われる。強き者を王族に取り入れ、強き者がスドナセルニア地方を治める。ここで行われる試合の優勝者は、一生の栄誉を約束された。
同時に最も活発である城下町でもあり、重要な施設もディアマン区に建てられる。その一つが図書館であった。世界的に本の需要は少なく、図書館といえば学者や医者が利用する専門書を収容した場所という認識が一般的だ。それでも一般人向けの図書館は母数は少なくともしっかりと存在し、『物好きな』人間たちが利用料を支払い館内でのみ閲覧することができる。持ち出しができないだけで、書き写して持ち帰ることは自由だ。
ディアマン区にある唯一の一般人向けの大図書館、モグリア図書館。書物を読むための場所というよりは、書物を貯蔵し収納する場所と称する方が正しい。冊数が多くどこまでも本で埋め尽くされており、薄暗く狭い通路がより圧迫感を感じさせる。利用者が快適に過ごせるようにといった気遣いはなく、中央に20人程度が座れるテーブルとイスがあるだけだ。テーブルの中央にはデスクライトが置いてあるため、暗がりの中で読めないなんてことはないが目が疲れることが約束されている。

「うわ~すごい! 想像していたよりもずっとたくさんあります!」
「これを見てテンションが上がる人間って居るんだな……」

館内では静かに、というルールは特に設けられていない。しかし本を読みに来る物好きなど獣静信仰ばかりだから、勝手に館内は静かになった。足を踏み入れてすぐに息が詰まりそうな思いがするララテアだったが、来たいといった張本人が嬉しそうにしているのでどうにか我慢できた。

「コルテがいると不都合だった?」
「そういうわけではありませんが。主に話を聞きたかったのがララテアだったので」

仲間外れにしたというよりは、退屈させてしまうという気遣いだったようだ。本を読んで時間を潰してくれと頼んでも、それは本が嫌いな人にとってはただの拷問だ。ララテアはコルテに来る? と尋ねて来るかどうかを考える。好き好んで来ると思えなかったが、自分程も嫌悪感は抱かないだろうな、という結論になった。ぽつりぽつりと居る、本棚の数よりもずっと少ない人間に気にすることもなく、クレアは本棚に書かれた内容の種類を確認しながら歩き回った。

「ここの図書館、古書と新書を分けているのですね。探しに来たのは古書なのでこちらです」

明確な時代の境目がある。動物がモンスターへと突然変異し、人々の暮らしは激変した。変化してから生活が安定した頃合の前後で、人々は明確な区切りをつけて本を管理した。古書は数百年以上も前のものなので、保存状態を考慮して現在では内容を新たに書き写し保管されているものが殆どだ。クレアが探している本棚も、そういった理由から比較的新しい見た目の本が多かった。

「時に質問です。ララテアはどうやって自分の術の名前を決めました?」
「名前? 何で?」
「由来を知っているのか知らないのか気になりまして」

本題に入ったと理解する。由来、と問われると言葉に詰まった。向けられる微かな期待を感じ取り、どうしたものかと顔を引きつらせる。正直に語ると決心するまでにさほど時間はかからなかった。

「ごめん、実は意味は知らないんだ。実は自分でつけたんじゃなくって」
「でしょうね」
「でしょうね、って」

大丈夫ですよ、とくすりと笑う。目当てのジャンルにたどり着けば、本を抜いてはぱらぱらと捲り、本棚へ戻す。何度も何度も繰り返しながら、ララテアへの意識も逸らさなかった。

「一切期待しなかった、と言えば嘘になりますが。ララテアがそういうのを知っているようには思えなかったので。でも多分、炎兎蹴ラビット・フットだけはララテアが名付けたでしょう?」
「凄い、何で分かるんだ?」
「それだけ異質でしたから。ですが、遠く離れているというわけでもない。たまたまだったのでしょうがね」

日の光が本を傷めるからか、窓には分厚いカーテンで覆われていた。高い天井から微かに照らされる電気の明かりでは、文字を追うには苦労する。それを全くものともせずにクレアはひたすらに書物を流し読みしていく。
窮屈そうにする白い翼が、髪と同じ色素のないまつ毛が、あまりにも鮮やかな血の色の瞳が、全て異質で神秘的なものに見えた。外を覆い隠す布切れに邪魔されることなく陽光が射して、それを受けて淡く輝いているような気すらした。まるで人間ではない何者かであるように錯覚する。それが何か、とは形容できなかったが。

「誰が名付けたのですか?」
「アルテだよ。ほら、ピュームでお前の治療をしてくれた薄緑髪の」
「……アルテが」

一瞬だけ身が硬直して、すぐに本探しが再開する。ララテアはそれを見逃さなかったが、追及することはなかった。代わりに自分の話を続ける。

「なんか、ネーミングセンスがダサい! そんなのじゃ恰好が付きませんよ、いつかカルザニア王国に行くのならばパフォーマンスも視野に入れなさい! だとかなんだとか」
「一体どんな名前を付けてたのです? 凡そ想像できますけど」
「そりゃラビット・パンチだとか、ラビット・キックだとか」

どうせ全部前にラビットをつけていたのだろうな、と考えれば案の定だった。あまりにもそのままで、それはダサいと言われても仕方ありませんよと苦笑した。

「……あった。オヴィンニク」

これだけ分からなかったから、と目当てのページを見つけたそれは、深海で見つけた巨大な魚が揺らす光にも似ていた。
オヴィンニク。毛むくじゃらの黒猫の姿、あるいは犬のような姿をしていると言われる精霊。気性が荒く、真っ赤に燃える両目から炎を出し、納屋を燃やしてしまうのだという。機嫌が悪いオヴィンニクを鎮めるために、人は若い雄鶏を差し出してきたそうだ。
手に取った本のタイトルには『スラヴ民と伝承』と書かれていた。書き写され、真新しい本は現代の人でも読むことができる。しかし内容はそのままであるため、文章の構成は古文になっていた。

「スラヴ神話ですか、初めて聞きました。書き写したいので少し待っていてもらえませんか?」
「別に構わないけど……精霊? 神話?」
「そうですね……地域的な伝承と言いますか。古い御伽噺に出てくる生き物が精霊で、神というこれまた空想のお話に出てくる存在が描かれたお話を神話と言います」

短く詠唱を行えば、何もなかった空間に一冊の本と羽ペンが生まれる。A5サイズ程の大きさで革の装丁がされており、迫害が受けていた者が持っていたと考えるには大層な品だった。羽ペンに使われている羽はモンスターのものではなく、クレアから生えているそれと同じものだった。ペンの先に書くための機構は見当たらないが、どういうわけか本に先を滑らせれば黒い文字が綴られていった。

「変な術でしょう、これ。自分の作った幻をそのまま保存しておく術です。私だけが干渉できる、実用性もさっぱりな野性です」
「それも不思議なんだけど……びっくりした。読み書きできたんだな」

戦うことに重きを置くここは、あまり識字率の高くない世界だ。ましてや地方の、それもかなり閉鎖的な村で迫害を受けて生きてきた者が文字の読み書きができるとは思わなかった。現代文だけではなく、古語もすらすらと読み解ける者など学者くらいだった。

「……読み書きを熱心に勧めてきた人が居るんです。知識は役に立つから、知恵をつけろと。おかげでウルナヤにあった本は全部読みました。閉鎖的で歴史や伝統を重んじる村だったので古書が多く、古語もそれで読むことができます」
「え、読み書きを勧めてきたって……全員が全員迫害をしていたわけじゃないのか?」
「どうでしょう……なんだか利用するためにやらされた感じがします。そうではないのかもしれませんが」

ペンを綴る手が止まり、顔を顰める。苦虫を噛みしめたような表情をしていた。クレアがその者へ良い感情を抱いていないことは一目瞭然だった。悪いことを聞いたかな、と話題を切り上げようとすれば、感謝はしているのですと続きが語られた。

「その人のことは心底嫌いでした。底が読めず、何を考えているのかが分からない。もし私を憐れみ、知識を与えようとしたのであってもきっとこの嫌悪感は拭えないでしょう。それでも、その人のお陰で心の拠り所が作れたんです」

一番初めのページまで戻り、指で示す。どうぞ読んでくださいと、ララテアにのぞき込むように促した。

―― 白いカラスギリシャ神話。太陽神アポロンの使い。元々カラスは言葉を話せる白い生き物だったが、アポロンの妻コロニスが不倫をしていると嘘をつき、言葉を奪われ黒い身体へと変えられた。

「分かっています。所詮神話は作り話。人が心の拠り所を作るための虚構です」

今の人々は、神を忘れて久しい。信仰は己の心の在り方という教えとされ、生き方の軸へと変わった。獣らしく獣のように在る獣心信仰、獣を抑制し人らしく在る獣静信仰、戦うことが当たり前だからこそ平和を願う獣愛信仰。数々の神々は忘れ去られ、人と獣の心を信じて人々は今を生きる。
それでも。白いカラスは震える声で。

「本当は、白いカラスがいて。神様の使いで、黒い皆が不実であったから罰せられたのであって。白が本当は正しかったのだと、かつて人が見た白いカラスが私の野性で黒が下等なのだと……そうだったらいいなって、ずっと思ってきたんです」

それは懺悔にも似ていた。神の前で、自分の罪を告白する姿と。礼拝堂で頭を下げ、許しを乞う。最も、それは古書でしか描かれていない古の文明の一幕。知らなければそのようには形容できない。
ララテアはなるほど、と内心納得した。コルテを連れて来なかった理由の本心も分かるような気がした。かつて人々は、心穏やかに在るために神という存在を作り、信仰してきた。自分の都合のいい存在を妄信し恐怖から逃げてきた。そんなもので生きながらえられない世界だから廃れた。たったそれだけのことだ。
奇しくも白いカラスは太陽の属性を得意とし、まるで神に与えられたかのような力を持つ。神話に準えた存在だと言われても、作り話と言い切れない説得力を持っている。対して彼女は彼女だけの信仰に後ろめたさを抱えている。自分で自分を酷いやつだと自責している。

「俺もそうだったらいいなって思うよ」

信じてきたから、彼女は辛うじて潰れずに在れた。彼女は敬虔であった。その信仰が誰かを傷つけたことは一度もない。ならば、ララテアはそれがいいと思った。

「正直俺はウルナヤに乗り込んで力で解決していいならとっくにそうしてる」
「それはあんまりにも野蛮ですが!?」
「そう、クレアなら止めるだろ? 酷いことをされてきたのに村の人々を恨んでいない。恐怖で止まってる。報復を考えていない」

ランク5の野性を持つのであれば、術さえ確立できれば村を焼き払うことくらい容易い。あるいは味方につけた人を嗾け、攻撃することだってできる。しかし彼女は拍手喝采間違いなしの復讐劇を望んでいない。

「だったらそのくらい望んだっていいだろ。俺も信じるよ。御伽噺に出てくるカラスがクレアの力なんだって」

太古の人間は、太陽神も使いの白いカラスも信じたから神話として記したのだ。せっかく土から掘り起こしたのに、眉唾物としてもう一度埋めてしまうなど勿体ない。その通りであれば殊更いい。彼らは神の使いを忌み子として排除してきた罰当たりな者だと嘲笑える。
それを、このウサギは真っすぐ言えてしまうのだ。歯の浮くような話でも、真剣に目を逸らさずに言ってのける。愚直、ではない。疑い真偽を吟味する視野の広さはしっかりとある。

「……よくそういうこと平気で言えますね」
「えっ、ここ貶されるとこ? そもそも信じてるって先に行ったのクレアの方だろ」

図書館が暗くてよかった。狭くて本がいっぱいで、影に顔を隠してしまえた。取り上げるように本を奪い取り、幻想から形を消し去る。これだと何だか理不尽に怒ってしまったようだから、そうは思われたくなくて。

「……ありがとうございます」

木の葉が風に揺れる音に紛れてしまいそうな声だった。けれど、今日は風のない穏やかな日だったから。少し遅れて、どういたしましての声が聞こえてきた。


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