海の欠片

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教会組邂逅話『茨抜く鳥、歌ったならば 第2節 上』

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―『第2節 死神の逃亡』― 

 

生まれたことを罪だとされた。私など生まれてこなければよかったと何度も何度も怒鳴られ、殴られ、蹴られた。
両親は仲が悪く、常にお互いに怒鳴り罵り合っていた。耳を劈くヒステリックな声を聞かなかった日はない。そんな二人の間に生まれた私はどちらにとっても気に入らなかったようで、目に入るたび何度も暴力を振るった。
ごめんなさい、ごめんなさい。何が悪いのか分からないのに何度も謝った。両親の機嫌を取るためだけの言葉で、勿論私は許されるはずはなかった。そもそも親にとっては生きているだけで気に入らないのだ。許されるには死ぬしかなかったのだろうか。いいや、死んだら死んだで、自分たちが子を殺したと問題になるだろうと腹を立てたに違いない。
ロクな教育を受けなかった。言葉こそ話せるが、文字の読み書きはできないまま大きくなった。何かをさせてもらえたわけでもないので、得意不得意どころか何もできないままだった。
怒声に身を縮ませ、いつ怒りの矛先が自分に向くかを怯える日々は、ただただ辛かった。極力目につかないように部屋の隅に隠れるのだが、視界の隅に入るだけでも気に入らないと腕を振り上げてきた。

10歳になった頃には、ロクに食事が貰えない日々が続いた。身体にできた生傷が痛んで力が入らない。辛うじて立ち上がれるが、いつそれすらも叶わなくなるか分からない。
死ぬかもしれないと思うと、恐ろしくなった。苦しくて辛くて、身体はずっと悲鳴を上げていて。そこで初めて抗おうと、思った。このままでは死ぬかもしれない。嫌だ。死にたくない。死にたくなくて必死で逃げ出した。
脱走自体は簡単だった。いなくなった方が都合のいい私は、いなくなったところで探されることはなかった。ボロ雑巾のような身を引きずって、行く宛てもなく街をさ迷う。
愛されてなどいなかった、居なくなっても両親は困ることはなかった。そう思うと、自分とはなんて空虚な命なのだろうと馬鹿らしくなった。さっさと逃げ出せばよかった。このように追い詰められてから逃げなくとも、もっと早く出ていっていれば。
けれど、私には何ができるわけでもない。盗みの方法くらい知っていれば、もう少し変わっていたのかもしれないけれど。外に逃げたからといって、私は生きていく術を身に着けていないのだ。
身に纏ったボロ布をぎゅっと握りしめて、朦朧とする意識のままふらふらと歩く。誰も自分に声をかけない。時折何かにぶつかるような気がしたけれど、それすらもよく分からなくなっていた。

感覚が消える。
身体が重くて動かない。
空はこんな色だったっけ。
理不尽に死が近づいてくる。
あぁ、結局私は死ぬのだ。逃げ出した先に生はなく、逃げ出さなかった先にも死があった。変わらず、死ぬ定めだった。
それが無性に悔しくて、私が死んだところで誰も何も変わらないことが悲しくて。
誰も助けてくれないことに、強い恨みを感じた。



「……へぇ~、盗難ですかぁ」
「あぁ、いつものようにパンを焼いて外で売り出してた分がやられてね。とはいっても2つだけだったから、よくいるその辺の物乞いだろうけど」

テラートと出会って2年が経った。私たちはあの日を境に、地下室をもう一つの活動場所とした。あの子供のように教会では懺悔しきれないことを聞くために。そうして表沙汰にならないよう、秘密裏に動くために。
といっても誰かを殺す事態になることはさほど多くはなく、この2年で7件ほどだった。標的はこの街の人間だけではなく、街の外の人物だったこともあった。それからこの街はかなり広く、スラム街が存在すれば物乞いも多い。表向きには平穏で豊かな暮らしが行えているが、少しでも路地裏に入れば顕著になった。浮浪者の巣窟であるそこは、いつだって不穏と隣り合わせだ。
今日は行きつけのパン屋へ朝早くからテラートと買い物に来ていた。何でも彼女がここのパンがお気に入りらしく、朝一番に売り出す焼きたてのパンが美味しいそうで時折連れてこられるのだ。

「そもそも外で売る意味ってあるのでしょうかぁ~ リスクの方が多くないですかぁ?」
「何言ってるんだい。朝早くにパンを焼いて店の外で売る。するとお腹を空かせた人達がその匂いに釣られてやってくる。そうしてこのパン屋は大きくなったんだよ。」
「う~ん、人の心理を突いた的確な売り込みですねぇ……大通りに面してますし、そこまで盗られることはないのでしょうか。治安が悪いのって主に裏通りですもんねぇ~」

大通りで盗みが起きないわけではない。現にこの行きつけのパン屋も盗難被害に遭っている。それでも堂々とした犯行は人の目に付きやすく、騒ぎにもなりやすいためあまり行わない。また、この街から出る馬車の数が多く通過点とされやすいため人の出入りが多い。狙うならこの街に慣れていない者の財布だ。
よほどお腹を空かせた物乞いだったのだろうか。
何やらテラートが考え込んでいる。盗みを働いた物乞いに、何か思うことがあるのだろうか。2年の間テラートを観察していたが、彼女は人の感情に大変敏感である。感情移入による同情というよりかは、相手の内面を無意識のうちに見抜く力があるように感じた。
恐らくだが、彼女は感情論をもって霊力を保有しているため、人の感情に敏感なのだろう。信仰を霊力とする者は聖邪の感知に優れる。強き意志を霊力とする者は魔法の暗示を振り払いやすくなる。厄介なのは、彼女の霊力はどちらも可能なのだ。そもそも神を信仰しており、それを基に己の思想をくみ上げている。神の信仰を基盤としつつ感情論を振るうテラートは、実のところとんでもない才能の持ち主だ。努力をしたわけではなく、心から神の教えを信じ、心からあらゆる人の感情を肯定する。これは、純粋という天性の才能だ。

「……くるみパンとレーズンパン……今日はどっちにしよう……」

あっ別に物乞いについて思うことがあったわけではありませんでしたか。むしろ話を聞いていたかどうかも怪しいですね。なんだか内心であなたのことをペラペラ語ったことが恥ずかしくなってくるではありませんか。
ちょっと真剣に悩まないでくださいよ、あなた本当にそういうところですよ。今までのが偶然なのか無意識に考えての行動なのか本当に分からないんですよ。私の考察、実は完全に的外れなんじゃないんですかこれ。

「そうだわ!テラート、半分こしましょう!
 これなら私もティカもどっちも食べられるし、名案だわ!」
「名案かどうかはさておいて、私は構いませんよ~ 特に拘りはありませんからぁ~」

天使の私は特に飲食は必要とせず、食べ物はただの嗜好品だ。好物は人間の魂だなんて言えば正体がバレてしまうので、とりあえずはテラートの食べるものに合わせている。勝手に決められているとも言うが。
テラートは私のことを友人だと接してくれている。私の正体も特に疑われることもなく、私は傍で彼女の成長を見守っている。天使故に見た目が変わることはないので、人間の子供の成長は早いなと感心する。テラートは出会ってから今まで性格にも変化はなく、純粋無垢で穏やかな気質のまま大きくなった。

「それじゃあくるみパンとレーズンパン1つずつ! あ、神父さんのパンを忘れるところだったわ、くるみパンもう1つね」

にこにことしながら銀貨を取り出し、店主に手渡す。その金額が多いことに気が付いたが、私が指摘するより先に店主の方が首を傾げ、指摘した。

「おやおやテラートちゃん、ちょっと多いんじゃないか?これだとあとパンが2つ買えるよ」
「いいの、受け取ってちょうだい。
 盗難にあったパンを、私が買ったってことにすると問題ないでしょう?」

問題は大ありだと思うが。そもそも私たちが盗まれたパンの代金を払う必要は全くないわけで。人がいい彼女のことなので、盗みを働いた人の感情を肯定した結果だと思うが、自身への見返りは何もない。
というかそもそも教会への寄付金じゃんこれ。余計に問題じゃん。

「……まあ、そうやって人に慕われる教会の娘であり続けることの必要経費と考えれば、安いものなのかもしれませんけどね」

聞こえない声でぽつりとつぶやいた。
彼女のことはこの街と周辺の村でかなり知られている。彼女を目的に教会へ訪れて懺悔を行う者が出てくるほどで、それをテラートは嫌な顔一つせず聞き、その者が求める救済を行う。
悪意を向けられたことだってある。騙されていいように利用されたこともある。けれど彼女は、それであの人の力になれるのだったら素敵ね、と笑うのだ。
彼女の物差しに善悪などなかった。故に、人から見れば悪人を放っておくことなかれ主義にも見えるのだろう。けれどその悪人を誰かの正義によって殺されたとしても、彼女は心を痛めることはない。どうか安らかに、と穏やかな祈りを捧げる。
けれど、決して彼女の行いは博愛のそれではないのだ。



教会に戻り、朝食を終えるとすぐにテラートはもう一度出かけると言い出した。行き場所は路地裏だと言い出したので、念のため私もついて行くことにした。もし襲ってくる者がいれば、殺して食べられるかもしれないし、危害が加われば何かと都合が悪い。
路地裏に出かけること自体は珍しいことではない。時折路地裏に出かけては救済が必要な人間の手を取り、死者を見つければ祈りを捧げる。彼女は誰にでも手を差し伸べるわけではなく、手を取る人間は選別しているようだった。その基準は、私には分からない。

「……気になるんですかぁ? あのパン屋さんが仰ってたことぉ」

いたずらに聞いてみる。
うーん、と何かを探しながら悩まし気な声が返ってきた。

「私だったらパンを渡す代わりに働き手として雇うわ」
「はあ?」

何の話だ。

「パンを1つ盗まれたのなら、パンを100個売らなくちゃ」
「あの、ですから何の話ですか?」
「あぁ、2つ盗まれたから200個ね。テラートはどう思う?」
「すみません、この場合は何を問われているんですか?」

質問文がなかった気がするんですが。
しかしそこは2年一緒に付き合ってある程度は思考が読めるようになった私。投げられた言葉から言いたいことを推測し、質問文を作り上げる。

「……盗まれたわりには店主がさほど怒りを覚えておらず、軽い出来事として捕らえていたように見えた、でしょうか?」
「ちょっと違う」

なんだとこのやろう。

「……パンはそもそも盗まれていなかったとでも言いたいのでしょうか?」
「それはないわ。だって、パン屋さんは私が盗まれただけのお金を支払ってありがたく受け取っていたわ。申し訳ないからーって、次のパン代を2つ分無料にしてくれるって言ってくれたけど」
「あぁ、『返さなかった』と。盗まれたのであれば、取り返したから必要ないと返す」
「そう、だから盗みは起きた。
 けれど、そう。そうなのよ。盗まれたのはたった一回なのよ」
「…………?」

妙に真剣な顔つきになっていることに気が付いた。路地裏を歩く足が速くなる。念のため銀の短剣は常に抜いて、テラートのやや後方に位置しておく。短剣は周囲に対していつでも斬りかかれるとアピールし、襲われないようにするためだ。
人の気配はある。見られてもいる。けれど、襲ってくる者はいない。これで襲ってくるのであれば、相当な馬鹿であるが。

「…………―― !」

そうして歩いて、見つける。
路上に倒れ伏す、まだ10歳くらいであろう女の子を。
ボロ布を身に纏っているが、その布は所々紅い染みを作っている。彼女が犯人かどうかは分からないが、テラートは何かを確信したように駆け始めた。
あぁ、でも。告死天使だから分かる。その子はもう間もなく死ぬ。衰弱しきっていて、手を尽くしたところで助からない。
告死天使の下す死は、絶対だ。

「あなた大丈夫!? ねえ!?」

抱き上げて瞳を見る。生気のない虚ろな深い蒼い瞳が宙を彷徨った。
それは一瞬だけテラートの方を見た気がした。見えていたかどうかは分からない。

「テラート。
 その子供、もう助かりませんよ」

黙っておいて、助けられない事実に絶望する姿を見たかったけれど。あまりにも哀れだと思って、忠告する。
いくら手を尽くしても助からない。もう間もなく絶命する。絶命を見届けるくらいなら食べさせろ。あなたはあきらめて去るだけでいい。

「テラート。それは助かりません」

だというのに、私の忠告を無視して子供を抱きかかえる。布の隙間から見える痣が痛々しい。
子供の状態から察するに、もう何日も何も満足に食べていない。普段から殴られている。手遅れになる前に、もう少しできることがあっただろうに、と子供に対して心の中で嗤う。
心底愉快だと思う。人間が死ぬ。心が満たされる。だからあなたは助けられない命を助けなくていい。子供を置いて諦めればいい。三度目の冷酷な言葉を贈る。

「テラート、」
「―― 絶対に助けるから」

思わずびくりと身体が跳ねた。
まるで強い力で無理やりねじ伏せられたかのような、威圧を感じて。

「誰が決めた。誰がこの子を助けられないって決めた。
 ティカ、私はこの子を助ける。例えあなたが、世界が助からないと定めても、私はこの子を助けるから」
「…………助けられる根拠はあるのですか?」

何もされていないのに、胸を圧迫されて呼吸ができないと錯覚をする。たったそれだけを口にするだけで精一杯だった。
どうして、そこまで。怒りにも似た感情が胸の中でとぐろ撒く。
そんな私にはお構いなしに彼女は強く強く子供を抱きしめて、目を伏せた。

「私は何度も言ったはずよ。
 ―― 私が生きるべきだと定めたからよ

聖歌を口にする。凛としていて、優しい調べだった。
彼女の歌うそれは、法力の初歩的な力の癒身の法に似た力がある。祈りの歌は人の傷を癒し、活力を与える。
それを初めて見たのは2年前、子供のために人を殺した日の後のこと。優しく抱きしめて祈りを捧げ、彼のその後の安息を願った。何者をも許すからこそ歌うことができる、慈愛の歌だとあのときは思った。
それは優しい調べであるのに、強い力が籠っていた。霊力は意志や感情でどこまででも強くなる。それだけ強い心を抱くのが難しいだけで。
ただ、何がテラートをそこまで駆り立てたのかが分からなかった。
路上に迷う子供は何度も見てきた。彼女は全てに手を差し伸べなかった。優先順位を付けているのかと問えば、あの子は大丈夫だからいいのと返ってきた。

目の前の人物は歌い続けた。
私の警告を無視して、ずっと歌い続けた。

……分からない。
目の前の人が一体何を考えているのか。
何を思って行動して、一体何のために祈りを捧げるのか。
聞いたところで、神様の僕として代わりに人を裁いて救済しているだけよ、とふわふわと笑うのだ。根本的な答えは返ってこない。いつも曖昧にしかテラートは返してこない。強い意志を持っているようには見えない。心優しくはあるが、その思考はどこかズレていて人間離れしている。
あぁそうだ、目的が見えないのだ。神様の僕として動くのに、教えからずれた自分の感情論を基に動く。意志を貫くための芯が分からない。
だというのに。

「―――― は、」

目の前のその人は、奇跡を起こすのだ。
告死天使として見えていた、絶対の死の気配が淡くなる。定められていた死が、それ以上の力でねじ伏せられる。死者蘇生にも似た、最大級の奇跡を彼女はいとも簡単に起こす。
信じられない、と思わずつぶやいてしまった。

「……うん、この子は教会で保護しましょう。
 一命こそ取り止めたけど、根本的な問題は何も解決してない。ティカ、運んでくれる?」
「……テラート、様、」

子供を抱きかかえて、穏やかに笑う目の前の人が。
あまりにも、人が作り上げた我々偶像以上の存在のように見えて。
その姿があまりにも美しくて、とても人間には思えなくて。

「ティカ、覚えておきなさい。
 何百何千の人間が一人の死を願っても、たった一人が生を強く強く願うなら、命に生の価値は生まれるのよ。それは多くの人に自覚がないか、諦めているだけで、埋もれてしまっている……誰もが起こしうる奇跡なのよ」

神様だと、認めさせられた。

 

 

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