海の欠片

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教会組邂逅話『茨抜く鳥、歌ったならば 第4節』

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-『第4節 駒鳥の交響曲』-

 

私は人間でないことを隠していた。このまま隠しておけるだろうと思っていた。人間の心も理解して、人間のように振る舞い暴かれることはなかった。誰も人間が人ならざる者だと疑いはしなかった。
しかし、私は一つ失念していた。いくら完璧であっても、所詮それはメッキでしかなかった。随分とテラートもトリサも大きくなった。どちらも小柄だが、初めて出会ったときと比べると成長を実感する。それから神父はもう立ち上がることすらできなくなっていた。死が明確に近づいている。
そうしてやっと、私は気が付いた。火のついた蝋燭を眺めていても、短くなりつつあることには気づけない。短くなって、交換が近づいてからようやく気が付く。
天使は、人間と流れる時間が全く違うことに。

そうして、私が教会に来て11年。テラートも大きくなり、19歳になって暫く経った頃だった。雨が降る中、私とトリサ、ヘキサスが街を歩く。濡れた石の地面の水を、足が跳ね上げる。ぱらぱら、雨音が響く。閑散とした道を、こつんこつんと三人分の音。教会へ戻る最中のことなのだが、誰もが浮かない顔をしていた。

「全部テラートに任せちまっていーのか?」

声を発したのはヘキサスだった。いつもなら舌打ちをするところだが、そんな気にはならなかった。

「仕方ありません。祈りを捧げられる者は、テラートだけですから」

……昨日、神父が死んだ。死因は世界で一番多くなればいい、老衰だった。
私には寿命が見えるので、最期は全員を呼び寄せて看取った。テラートが抱きしめて聖句を歌い、安らかに息を引き取った。
誰一人として涙を流さなかった。だからといって、流石に私もヘキサスも、顔に笑みが浮かんでいたなんてことはなかったが。
死者が出て、弔い埋葬するのは教会の仕事だ。これまで教会で葬儀を行ったことはある。テラートもやり方は見についていた。今までは赤の他人を弔ってきたが、今回は肉親にも近しい、血の繋がらない育ての親だ。彼女の心情も複雑だろう。欲も悪くも、私たち3人は死に対して慣れている。赤の他人に対しても、身内に対しても。
世話になった者らが参列に来ていて、雨具を纏い雨の中行われる埋葬はゴーストが迎えに来ているようにも見えた。葬儀が終わって解散となると、テラートは私たちに先に帰ってほしいと告げた。いつもと変わらない、穏やかな微笑みを浮かべていた、ように見えた。

「…………なあ」

足を止めたトリサが少し後方に取り残されていた。気が付いたのは背中から声が聞こえて、振り返ってからだった。俯いていて、顔は見えない。気高に振る舞っていたけれど、こうして親しい者の死に直面して、感情に限界が来たのだろうか。

「……やっぱり。おかしいと、思うんだ」

そう推測していたから、発せられた言葉が予想外だった。何がですか、と聞く前に、トリサは真っすぐこちらを向いて、一歩、二歩と詰め寄って、

「ティカ、お前は……何者なんだ」

私のメッキに触れた。

「ずっと一緒に居たから何も思わなかった。8年間教会でお世話になって、こうして神父が死ぬまで気づかなかった。人は、変わるはずなんだ。老いていくはずなんだ」

声は震えていた。初めてここで、彼女は泣いた。その意味を、私は理解できなかった。

「何で……何で、私たちが、お前の見た目に、追いついてるんだ
「……は?」

つい3年前に来たばかりのヘキサスは、何を言っているのか理解できていなかった。3年ではこの違和感に気が付くことは難しいだろう。年齢を重ねていない。見た目に一切の変化がない。17、8歳程度の女性の姿のままだ。
人は老いて死ぬもの。人間にとってそれは当たり前であって、忘れがちであること。いつか必ず別れの時が来ることを、人は意識しない。別れが近くなり、初めて気が付いて。
そうして、私の正体に触れられた。

「……もう、無理そうですね」

天を仰げば、雨が顔に降りかかった。頬を伝う雨が気持ち悪かった。冷たい雫が熱を奪い、地面へと落ちていく。
身を翻して歩き始める。教会でお話します、と告げて、2人と共に教会の地下室へと向かった。雨具はカビが来ないよう地下ではなく玄関に引っ掛けた。それからタオルで濡れた顔を拭いて、トリサの涙も拭っておいた。
別にショックだとか、悲しいだとか、そういった感情は沸かなかった。ただいつか明かすべきものが今なのだと。あるいはもし年齢を重ねるように人型を変化させていけばこうしてバレることもなかったのだろうかと。どこか遠くから他人事のように考えている自分がいた。
地下室の扉をパタンと閉じ、トリサとヘキサスに向かい合う。そうして短く呪文を唱えた。こちらの姿に戻るのも、随分と久しぶりだ。

「―――― 天使、」
「おいおい、マジかよ……」

背中から広がる、淡く輝く純白の翼。頭には金糸雀の翼を思わせる天使の輪。人型は特に変える必要がないのでこのままだ。
シスター服に天使の翼に輪っかなど、あまりにも妙な姿だろう。神の僕とし、神に仕える者としては同義であるはずなのに、実際に神に仕えている者かどうか、という致命的な差がある。人間が偶像とする我らが、それと同じ姿をしているのだ。
二人共、信じられないと私を見て呆然としている。少しだけ優越感を感じてくすりと笑った。

「これで満足しました?」

すぐに言葉は返ってこなかった。それはそうだろう、疑心を抱いたトリサは秘密を暴いて喜ぶようなタイプではない。それはむしろ、そっちのド腐れオーク顔なんちゃってシスターの方だ。

「……何で、天使が……もしかして、テラートって、本当に……」
「神様だったのか、と問いたくなる気持ちは分かりますが、テラートは人間ですよぉ。大体、あの人はあなたと同じように成長していったでしょう~? 神様は歳なんて取りませんからねぇ~」

じゃあどうして、と尋ねてくる。教会に天使がシスターとして隠れて生きている。絵としてはあり得そうで、理屈としては不可解な話だ。天使は必ず主神となる神が居て存在する。しかしこの教会には、神に当たる存在はいない。人々はここに存在しない神に祈りを捧げている。

「私の主神は死にました。人間からすると、ロクでもない神様だったのでぇ……私は運良く生き延びてるんですが、天使である以上信仰が必要なのでぇ……こうして、ここに潜り込むことになったんですよ~」

笑って、答える。何でもないことのように語る。
そこの死神は両親から虐待を受けて生きてきた。そこの災禍は誰にも受け入れられずに生きてきた。私だって似たようなものだ。人間ではないから、人間ではない事情を話すだけで、同類のはずだ。
だというのに声は震えるし胸は苦しくなるし、息を忘れそうになる。暴かれる恐怖などどこにもないのに。

「……自分が生きるために、テラートを利用していたのか?」
「えぇ、そうなりますねぇ~」

やめろ。

「お前は私たちだけじゃなくて、テラートも騙して……テラートにだけは、お前は嘘をついていないと思ったのに……」
「……残念ですが、テラートはただの糧ですよぉ~、私のことなぁんにも疑わないのでぇ、お陰でお傍に居やすかったですねぇ~」

やめて。

「こ、の、最低なやつが! お前だって、テラートに助けられた恩人じゃないのかよ! なのに都合の良さしか見てなかったのかよ! 人でなし、天使には人間の心がわかんないんだろうなあ!」
「……はは、なんとでも、言って、」

やめ……て、
もう何も見えなかった。目の前がぼやけて、小さいはずのトリサが随分とあやふやで、大きく見えた。苦しさに胸をぎゅっと抑える。静寂が耳に居たかった。音がないことが煩い。自分の息も、瞬きも、鼓動も、何もかもが煩くて、気持ち悪い。

「めちゃくちゃ面白ぇな。結局自分の都合で人間を利用しといて、自分が痛い目見んだからよ。ヒヒ、天使が人間に正体暴かれてつるし上げられるんの、傑作だな!」

煩い、とも、黙れ、とも言えなかった。
あぁ、だってその通りだと思ってしまったから。私だって、上手くやれると思っていたし、暴かれたところでどうでもいいと思っていたのに。心底不快だ、人間にこのような扱いを受けるなど。

「てめぇのこと、ようやくわかったぜ。
 人間に陥れられたから人間不信になった天使。テラートのことも利用するつもりだった。けど、今そうやって泣いてんのは、俺らに暴かれたからじゃねぇ。それに嫌悪感を覚えんならもっと慎重になって誤魔化して、暴かれたにしても上手いこと取り繕うだろ。でも、てめぇはそうはしなかった。でも、今そうやって泣いてんのは。
 自覚がなかった、テラートに対する罪悪感からなんだろ」
「…………、」

心を見透かされたようで気持ち悪かった。それもこんなやつに土足で踏み込まれたから心底腹が立った。だけど、理解させられてしまった。
私はとっくに彼女の純粋という毒に狂わせられていて、憎い人間なのだと思えなくなっていて、この二人が人間だから気に入らないのではなくテラートに近づくから気に入らないのだと。
利用するはずの立場が、逆に毒されて彼女なしでは生きられなくなっているのだ。存在としての意味でも、心としての意味でも。
偉大なる主神に尽くすのが、天使の本能なのだ。

「それ、懺悔しろよ。テラートに」
「懺悔って……そんなもの、天使が人間に、など」
「じゃあこれからも天使ってこと隠して生きてくのか? トリサが気づいたんだぜ、テラートが気づかねぇって思わねぇ。なんならテラートなら気づいてっけど触れてねぇ、って可能性もあんぞ」
「……それは……そうですけど」

珍しくヘキサスが真面目な顔をして、淡々と語りかける。低く不気味な声が暗い部屋で響く。教会の地下、というその雰囲気に拍車をかける。

「てめぇがどーするもこーするも自由だけど、俺はこの場所が都合いーんだよ。神父が死んで、この教会が今後どうなってくのかはわかんねぇ。ただ、俺も、トリサも、お前も、普通の人間としては生きてけねぇよ」

俺たちは、テラートがいなけりゃ生きてけねぇんだ。この場所がなくなったら生きていけねぇんだ。
麻薬を得た人間は、麻薬に依存し快楽を得る。効果がなくなり快楽がなくなれば、もっと欲しいと麻薬をもう一度使う。段々効果がなくなり、使用量が増え、身も心もボロボロになる。
この教会から出ていっても彼女がいなければ生きてはいけないし、隠して生きようにもいずれ露見する。どうするかは自由、と言っておきながら、そこに自由などない。

「……帰ってきたときに、ちゃんと話します」

選択権などない。私はこう答えるしかなかった。
帰ってきてほしくない、と思ったのはこれが初めてだった。

  ・
  ・

テラートは夜になってようやく帰ってきた。神父の墓へのお供え物を買いに行き、よい旅になるようにと祈りを捧げてきたそうだ。それにしては遅かったので、どこかで泣いてきたのかもしれない……いや、目も腫れていなければ、いつも通りの表情だ。どちらが正しいかは、私には判断が付かなかった。
遅くなった理由を尋ねると、雨が止むのを待っていたのだと答えた。天国に行くのに雨だと不都合だろうから待ってもらっていたのだと。言われて外を見れば、雨はいつの間にか止んでいた。それどころか空には満月が昇っており、一ヶ月の内で一番明るい夜だった。

「テラート、疲れているところに申し訳ありませんがお願いがあります。礼拝堂で、あなたに懺悔を聞いてほしいのです」

日を改めると言われれば、それでもいいと思っていた。しかし私の言葉を聞いて、すぐにいいわよ! と、両手を合わせて答えた。それが嬉しそうなものに見えて、こちらの気も知らないで、と黒いものがのたうち回った。
人の居ない夜の礼拝堂は、人がいないからこそ神聖な雰囲気があった。広い空間に生命の気配はなく、あちら側の世界すら想起させる。数多の人から織りなされる世界から切り離されたようで、私は嫌いではなかった。最も、今回は礼拝堂の外で耳をそばだてている者がいるせいで、世界に二人だけ、という実感は起きなかったのだが。

「……初めに、伝えておかなければならないことがあります。
 私は、人間ではありません。私は……天使です。それも、人の死を糧とする神の僕……死を告げて死を回収する天使、告死天使、です。
 かつて人の死を糧とする神が居ました。私はその神に仕える天使でした。その神が人々に疎まれ、ついに滅ぼされて逃げてここへたどり着き、今まで過ごしてきました」

トリサ達に見せたときのように、ふわりと翼を広げる。信仰深いあなただからこそ、逆に信じられないか、あるいはすでに気づいていたか。
さあ、どちらだ。恐る恐るテラートを見ると、なんということでしょう。
ぱあ、と目を輝かせて、私の手を取ってぴょんぴょんとジャンプをする。これは、

「えっ、天使様だったの!? 本当に天使様なの!? すごいすごい、真っ白な翼が生えてる! 綺麗ー! まさかティカが天使だったなんて!」

全く何も、気が付いていなかったリアクションだ!!
これには扉の向こう側で、トリサもヘキサスも頭を抱えている。私でも気が付いたのにと呟くトリサに、伝えねぇって選択肢あったなと遠くを見るヘキサス。見ているわけじゃないけれど、その光景が目に浮かぶ。
あまりにも子供らしくはしゃぐものだから、本来の目的を忘れそうになる。なんならすでにとても内心を伝えづらくなっている。助けて。

「凄いわね、天使ってこんなに美しいのね。教会の礼拝堂の天使なんて、とっても神秘的で素敵だわ! どうして今まで黙っていたの?」
「……黙っている、つもりはありませんでした。隠しこそすれど、バレたらバレたでいいと。けれど……明かせなくなっていました」
「こうして話してくれている、ということは心境の変化があったのかしら。……いえ、違いそうね。誰かに暴かれた?」
「……トリサに……年齢が追い付いていることに、私が歳を重ねていないことに、違和感を抱かれまして」
「うん? ……あっ、本当だわ! 今同い年くらいだけど、初めて出会ったときはもっとお姉さんだったわ!」

全然気付いとらんかったが。扉の向こうで小さくゴンッて音が聞こえた。恐らく2人が床に頭をぶつけたのだろう。私も仲間に入れてほしい。
それだけ私のことはどうでもよかったのだろうか。彼女は気になった人の手を引き、すくい上げる。そこに特別な感情はない。誰にでも対等に接して、誰をも許す。それが彼女だと、知っているはずだったのに。

「テラート」

距離を詰められた。否、私が詰めた。
顔が近づく。否、私が近づいた。
理性以上の感情が、私が思いもしない行動を引き起こした。

「あなた気が付いてます? あなた、両親に捨てられたんですよ」

この真実は、神父が墓まで持っていってしまった。しかし神父は、私には置き土産としてこの真実をとうの昔に伝えていた。
彼女の両親は神父に口封じを頼んだ。神父も私に口封じを頼んだ。聞いたとき、私はずっとずっと言いたくてたまらなかった。
この人にこの真実を伝えたとき、一体どんな顔をするのだろう、と。

「え……私が、捨てられた?」

いつか迎えに来ると、両親のことを信じて待っていた。あるいはこの教会で一人前になることを望まれていると信じていた。
目を見開き、瞬きを繰り返すテラートの妄信を崩す。滅多に見ることのできない表情だ。こうまでしないと、彼女は傷つかない。傷ついてくれない。愚かな人間に落ちぶれてくれない。
……あぁ、なんて酷い、

「そう、あなたは捨てられたのです。
 要らなかったから。女に跡取りは勤まらないから。そんな些細な理由で」

―― 八つ当たりなのだろう。
ヘキサスは、私が美しいと言った。同じものを抱えながら美しく在る私が妬ましいと言った。しかし実際はどうだ。自分の正体を明かして、自分が特別ではなかったことを。救済すべき一人としか見られていなかったことを理解して、彼女を陥れようとしている。

「思いもしなかったでしょう? 自分が捨てられたなど。
 ねぇ、今どんな気持ちですか? あなたを捨てた両親が憎いですか? それともこの秘密を暴露した私を恨みますか? あるいは黙って死んで逝った神父様を罵倒しますか?
 さぁ! どれでもどうぞ! 私は……私はずっと、あなたが人に裏切られて傷つけられて、世界に絶望する姿を見たかった!」

あはははは、と笑い声が教会に響いた。
言葉が止まらない。溢れる想いが止まらない。そうだ、ずっとそう思っていた。このよく分からない人間の心が折れる瞬間は、どれほど愉快で楽しくなれるのだろうかと。ずっと期待して機会を伺っていたそれが、葬儀のあったこの日にもたらされた。なんと喜ばしいことだろうか。
神の代わりに受難を齎した。それですっきりしたならば、笑い声が止まることなんてなかっただろう。やがて教会は静寂に包まれて、私はただただ力なく膝から崩れ落ちた。

「……んー」

こつ、こつ、教会に何度か足音が響いた。自分から離れていくそれは、数回鳴ったところでぴたりと止んだ。
光源は窓から差し込む月明りだけ。真円から降り注ぐ穏やかな光が、二人きりの礼拝堂に影を生み出す。
この、神の代行として告げた、彼女にとっての試練は。

「だったら、ありがとうって伝えたいわ。
 だって、捨ててくれたからこうして神父様にもティカにも出会えた。トリサともヘキサスともお友達になれた。それ以外にも、たーくさんの人とお話ができたわ!
 こんなに嬉しくて楽しい人生を歩ませてくれた両親を、どうして憎むことができるの? こんな素敵な真実を教えてくれたティカを、どうして恨むことができるの? あ、でも教えてくれなかった神父様はちょっと文句言いたいかも。黙ってるなんてずるいわ!」
「…………、……なんですか、それ」

なんだ。試練にすら、なりえなかったか。

「私はずっと、……あなた様が、世界の黒い部分に侵されてしまえと願っていたというのに、」

俯いたまま、声を聞いていた。顔を見ることはできなかった。目を合わせることなんて、とても許される行為ではないと思った。
神に不敬を働いた。尽くすべき主に反抗した。天使として、許されざる行為だ。

「ありがとう、ティカ。
 やっとあなたがどうしてそんな目をするのかが分かった」

だというのに、私が信じる神様は。
すぐ傍にまで歩いてきて、わざわざしゃがんで、両手で触れて無理やり顔を上げさせて、私と目線を合わせようとするのだ。

「あなたはずっと、人間に怒りを抱いていた。その理由が分からなかった。
 人間に酷いことをされたんだろうな~、って予想はしてたんだけど、その感情がどこから来るのか分からなかった。人に怒りを覚えているあなたが、人を助けようとする。心と行動が矛盾している。ずっとそれが、分からなかった」

だから。いつか話してもらうために、信じてもらうことにした。
この人なら大丈夫だと信じてもらえれば、きっといつかその胸の内を話してくれると思った。
テラートの笑顔がいつも以上に嬉しそうに見えたのは、私がそう思いたかったからだろうか。私が……今度こそ彼女に、救われてしまったからだろうか。
純粋という名の毒でとうに侵されてしまっている。身も心も、この毒で侵されることを望んでいる。もっと、と強請っている天使が一人。

「……たったそれだけの理由で、あなたは私を傍に置いたのですか?」
「たったそれだけ、じゃないわ。私には大事な大事な問題よ。
 始めに私をこんなにも強く動かしたのは、あなたが初めてだったんだから」

考えれば簡単なことだ。私が初めてテラートに手を引かれ傍を許されたから、私が初めて彼女の心を強く動かした。
テラートという人物は特別を作らない。世界に産声を上げるあらゆる生命を平等に見る。必要であれば手を取りすくいあげる。彼女が『友』と表現する縁のなんと少ないことか。
確かに彼女にとっては救うべき一人だったのかもしれない。けれど、彼女は私の抱く人間への怒りを見抜き、私が罰を下すまで救済を試みていたのだ。

「…………私は……あなたを、ずっと利用してきたんですよ……?」

許されるべきではない。

「テラート、私は……あなたを、私が生きるために、利用して、」

自分から教会へ居座ったと思っていた。

「それで、あなたがいつか、親に捨てられた真実を知って、そしたら、絶望して、私の怒りが一つ、報われると思って、」

だというのに、あなたに手を取られ、すくい上げられていた。

「でも、もう、今は……本当は、私は、あなたに仕えていたくて、共に、在りたくて……だというのに、酷いことを、しようと、して、」

そのお礼が、こんな形になってしまって。

「私を……罰して……」

どうか、赦さないで。
神に罰を乞う僕の姿は、人間と大差なかったことだろう。天使が主に仕えようとする本能を持って、敬虔なる教徒同様にされている。悔いる咎人が、罰を待つ。

「それが、あなたの懺悔ね。
 ちゃんと神の僕であるこの私、テラートが聞いたわ。敬虔なる教徒、ティカよ。よく聞きなさい」

あなたが望むのなら、私は与えましょう。
人として生まれた神から与えられた罰は。
あまりにも、暖かすぎた。

「私を神と敬い、私にこれからも尽くしなさい。
 私が死するその時まで、私の友と共に。私が一緒にご飯を食べたいって言ったら一緒に食べること。一緒に寝たいって言ったら一緒に寝ること。お茶会がしたくなったら付き合って、私が殺してほしいって頼んだらお仕事すること。私のお願いは絶対。いいわね?」

視界が紺色の柔らかな布で包まれる。
ずっと歌う機会を伺っていた、私への聖歌を歌う日が来た。まさか私の番が来るなんて微塵にも思っていなかったけれど。

「……それ、今までと……変わらないじゃ、ないですか……」
「だって今まで通りがいいもの。だから罰は、私の今まで通りを守ることよ」

こんなにも、救われてしまうのなら。
彼女の元へ人が何人も集まってくるのは必然と言えるだろう。今ならはっきりと分かった。

『Who'll toll the bell? "I," said the bull,
 "Because I can pull, I'll toll the bell."』

教会に響く駒鳥の歌。初めて胸の中で歌を歌われて。
私より未だに小さな身体の中で、それから長い時間、私は嗚咽を漏らした。
駒鳥の胸は、熱を持った雫で濡れていた。

  ・
  ・

「今後、どうすんだ?」

満月の夜から一週間後のこと。教会の扉はその間参拝者に解放されることはなかった。神父が死んでからやることが多く、人の懺悔を聞いている場合ではなかったのだ。遺書こそ残されていたが大したことは書いておらず、テラートに全て一任するとの内容だけが書かれていた。遺品を整理し、ひと段落ついたところで今後のことを考えていた。
礼拝堂にテラートとトリサ、ヘキサスの3人が集まる。参拝者の居ない昼の教会は、随分と広くしんとしていた。
神父が死んだ今、4人は岐路に立っている。
このまま後を継いで教会を継ぐか、それとも別の人生を生きるか。テラートであれば教会を継ぐ者として誰も異を唱えないだろう。そもそも街の人はテラートが教会を継ぐものだと思い込んでいる。

「ティカが、離れたがってるのよね、ここから」
「ティカが? 離れるような理由が何かあるだろうか……」

テラートの言葉に、トリサが腕を組んで悩む。ヘキサスはあぁ、と納得した言葉を漏らした。
いい加減自分たちの裏の顔を怪しむ者が増えてきた。神父という裏のない者がいなくなれば、いよいよ無視しきれなくなるだろう。追われる立場となったところで、心苦しくなる者などトリサくらいだろう。しかし、現在の活動に支障が出ることをテラートは望みはしない。

「神父さんは言っていたわ。
 君の自由にしていいんだよ。この教会に縛られる必要もない、って。別に私は教会を出ていくつもりなんてなかったのだけれど……いい機会かもしれないわね」

あっさりと離れようと判断したテラートは、いつもの調子で窓の外を覗く。エメラルドグリーンの瞳を煌めかせる姿からは
、それが分かっているのか分かっていないのか、とても分からなかった。彼女が教会を特別な場所と思っているかすら怪しいのだ。どこへ行ったって、救済を求める者が居て、救済を与えることができる。
自由になるのも楽しいかもしれない。彼女が考えていることなど、その程度のことだろう。

「リューンという場所、なかなか楽しそうでしたよ~ もう少し下見をしますが~、予定は変わらないと思って構いませ~ん」
「うおびっくりした!? お前、俺達の前では隠さなくてよくなったからって急に現れんな!」

つん、とヘキサスの言葉を無視する。姿を消すことも、突然現れることも、天使の特権だ。それは転移術に近いが転移術ではなく、人への姿の現し方にすぎない。普段は幻想として扱われる天使は、お望みの通りに幻想として息をする。
そして人に寄り添い、神の意向のままに行動する。人が神を妄信し生み出し、神に仕える僕が故に、人のためと行動する。この天使も、根本は変わらない。

「私たちの活動にとぉっても都合のいいものを見つけましてぇ……瑠璃色の髪をした女の人を誑かしていたらいいものを紹介していただけましたぁ」
「何をしてるんだお前は」
「まぁまぁ~ ですが、悪い話ではないのでぇ~」

話しながら、ティカが教会の扉を開く。参拝者は誰もいない。
窓から差し込んでくる太陽の光は3人の元まで届くことはなかったが、教会の中はそれだけでも随分と明るくなった。色鮮やかな外の景色を背景にして、ティカはテラートへと振り返る。

「―― 運命の天啓亭、アルカーナム。どうです? 冒険者という形でこれからを過ごすのは」

彼女たちが冒険者という新たな表の顔を手に入れるのは、もう少しだけ先の話だ。




あとがき
なっっっっっっっがい!!!!
何でこの話総計170KBとかあるんですか!?!?!?
群像劇が難しいっていうのもよく分かったし、長いとだれるっていうのも分かったし、色々と学ぶことが多かったなーっていうのがとてもあります。
しっかし。このテラートって女、マジで何考えてるのか分かんないな……すんなり書けるし言ってることも分かるんだけど理解はできねぇー!! ティカちゃんの方がずっと人間してるー!!


引用
英文は全てイギリスの伝承動揺の『Who killed Cock Robin?』