海の欠片

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教会組邂逅話『茨抜く鳥、歌ったならば 第1節 下』

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村の外のことは全然知らなかったため、ここの教会の信仰について尋ねる。聖北信仰という、世界的に広く信仰されている教えなのだと教わった。異教徒であっても神父もテラートも特に気にせず接してくれたため、潜り込むための知識は難なく得られた。
利用するために、ここに居残る必要がある。シスターとしてここに滞在したい。そう伝えると、神父は快く教会に置いてくれた。テラートも私のことが気に入ったのか、随分と喜んでくれた。
主ではない神の教会で過ごすことは居心地が悪かったけれど、存在が脅かされるわけではないため我慢する。ここで信仰されている宗教はかなり広域に広まっているが、主神格が顕現していないため、何とも違和感を覚えた。
神を信仰しながらも、神は現世にいないものと考えている。最も、テラートは本気で存在すると考えているようだが。
一週間ほど経った夕方。礼拝堂で祈りを捧げに来ていた最後の人を見送ると、お疲れ様と神父が声をかけてきた。

 

「この街には慣れたかい?」
「おかげ様でぇ~ そういえばテラートはシスター服、でしたっけ? 着ないんですねぇ~」

 

ふわふわとしたこの言葉は外向きの言葉だ。
口調が強くならないように。下手に警戒させないように。人間の為に行動するとなれば怒りが抑えられなくなりそうだから。
関与されすぎないように壁を作る。寄り添う気は微塵もない。懺悔を聞かされることはあったが、適当に聞いてやれば勝手に納得する。
改めて人間とは身勝手な生き物だと思う。己の心のままに生き、人を利用し勝手に己の心に折り合いをつける。そのために我々が利用される。よくもまあ、主様はこのようなもののために力を振るおうと思っていたものだ。

 

「あぁ、テラートは着ないよ。
 普通の恰好をしている方が親しみが込めやすくて、皆教会に来やすいだろうって。あの子は柔軟な発想をするから、できるだけ言う通りにさせてあげようって思っているんだ」

 

異端審問官に引っかかりそうなことを言い出してるからどうしようかとは考えたけど、と苦笑を零しながら答えた。
思想を無理に矯正しなかったお陰で一命を取り止めた自分が居る。今頃同胞たちはどうしているのだろう、などという考えは疑問にすらならない。
答えが分かりきっている。力を失い、消滅。奇跡的に私だけがその末路を逃れられただけで。
それに対して何の感情もなかった。共に主神に仕え、人間の為に力を行使してきたがそれだけだ。我々は主神の道具にしかすぎず、個々に対する感情は必要ない。

 

「もう一つ疑問なのですがぁ……テラートとあなたってどういう関係ですか~? 父親かと思ったのですが、神父様と慕っているので少し気になりまして~」

 

この問いかけに、神父はあー……と、苦い顔をする。目を泳がせて、ああでもないこうでもないとぶつぶつと思考を巡らせている。どうやらあまり聞いてはいけない内容だったらしい。それならお答えしなくても、とやんわり話を切り上げようとすると、テラートには内緒でと前置きしてから耳元で囁いた。

 

「捨て子なんだよ、テラート。本人は教会で神の教えを学び、成長するように願われたと今でも信じてるんだけどね」
「…………、……へぇ」

 

食べた子供のことを思い出す。聞けば、彼女は教会に金と共に預けられ、捨て子と気づかれないように育てるよう託されたそうだ。恨みを抱かれても、再び会いに来られても面倒だから、そうならないための言伝。人間というものはつくづく身勝手だと思う半分、もし捨て子だと明かせばどのような顔をするだろうと期待半分。口端が吊り上がりそうになるのを、心の困らない笑顔の中に隠した。
意識を外へやっていると、礼拝堂の扉が開かれる。外に出ていたテラートが帰ってきたのだろう。そちらを見ると、人影が二つあった。
あぁ、また誰かを連れてきたのか。彼女の判断した、『迷える子羊』というやつを。

 

「神父さん、ティカ、この子のお話を聞きたいの」

 

彼女に手を引かれ、連れてこられたのはボロボロの身なりの男の子だった。ちょうどこの間私が食ったような人間に似ていた。この街に孤児が多いのではなく、テラートが見つけて手を引いてくる人間に子供が多い印象を受けた。
基準はよく分からない。大人を連れてくることもあるし、現に私もここへ連れてこられた。話を聞いて終わり、ということもあれば、食事を振る舞い手を差し伸べる姿もあった。身なりを整えてやり、どこか雇い先を探すまでする。はっきり言って教会で行う仕事以上に人を救済しようとする意識が高い。街でも彼女の善行は有名だそうで、頭が上がらない人間も多いそうだ。
連れてこられた子供は俯いて口を噤んでいる。これは口が堅そうだな、と離れたところから眺めていた。

 

「教えてほしいの。あなたが、何を考えているのか。」
「…………」

 

子供は何も語らない。それどころかいっそう口を強く噤んだ気がする。
何を考えているかは分からない。信頼はされていない。こちらに敵意すら向けているが、それをテラートは気が付いているのだろうか。どこか曲解することが多いので、気が付いていないかもしれない。

 

「決して口外しない。神に誓っても。聞いているのは私たちと、神様だけ。……それとも、どうしてもお話しづらいこと?」
「…………」

 

んー、とテラートが人差し指を自身の唇に当てて深く考える。それから男の子の瞳をのぞき込むように、じぃと見つめた。子供は目を逸らして決して視線を合わせない。テラートは更にそれをのぞき込もうとするので、止めてあげた方がいいか?と考えてしまう。
そうしてぱんっ、と手を合わし、うんうんと何かを納得しながら話す。

 

「分かったわ!
 教会って場所がだめなのね!そうねぇ、教会で話しづらいこともあるものねぇ。」

 

いやそうはならんやろ。
出たよーーーこの人の曲解ーーーそんなに簡単に人は心を開かないって話だと思うんですけどどうなんですかテラートーーー

 

「神父さん、確かこの教会って地下があったわよね。そこ借りるわ!」

 

地下に行っても教会は教会では???
こんな天然ボケに付き合わされる子供可哀想。ざまあどころか哀れになっちゃったので、私もテラートについて行って様子を見ることにした。暴走しないか心配だし……いやすでに暴走してたわ……ごめん子供……
教会地下はあまり出入りがないが、意外と広い。階段を下りれば廊下があり、左右に部屋が2つずつの計4部屋と、突き当りに広い部屋が一室ある。現在どこも物置部屋になっているが、かつては寝室として使われていたようで片づければ寝泊まりも可能である。
ランプに火をつけて明かりこそ準備するが、地下の暗い部屋へ連れ込むなど完全に人攫いである。これから拷問でもするつもりかと問いただしたい。そんな気がないことは分かっているのだけれど。
ちら、と子供の様子を見る。流石に動揺して焦りが伺える。そりゃそう。

 

「さあ、ここでお話しましょう。ここなら神様は見ていないわ。
 だから教えて、あなたのこと。」

 

それは裏を返せば神様は見ていないから神様に反したこともできる、という意味に捉えられません?つまり話さなければ殺してもいい、とかそういうこと言ってません?勿論そういう意味でないことは分かっているんですけども。
ほら子供も怯えてるじゃないですか可哀想に。何ですかこれ。怯えさせて口を割らせる作戦ですか。外道じゃん。こわ。

 

「……お前ら、なんかに……誰が、話すかよ……教会の奴らなんて、どうせ頭お花畑で綺麗ごとしか言わねぇだろ!!」

 

ついに口を開いた。何をされるか分からない恐怖に負け言葉を発したが、それでも心の内はまだ語らない。
いよいよ光景が拷問のそれなんですけど。

 

「ティカ~~~ 頭お花畑って言われたぁ~~~~~」

 

いや傷つくんかい。
何で拷問(拷問ではない)する側が相手の反論それも全然可愛い一言でダメージ受けるんですか。ほら見てくださいよ子供完全に困惑してるじゃないですか。

 

「ほんっと何なんだよお前ら!!」

 

本当になんなんでしょう。私が聞きたい。

 

「えー……まあ、ほら……ご覧の通り、この人本当に抜けていますのでぇ……危害を加えるとか、そういう発想は本当にありませんよぉ……このようなところに連れ込まれて更に警戒したことでしょうが、この人がバカなだけですのでぇ~……」
「ちょっとバカってなによ!
 教会だと話しにくいこともあるよね~ 神様の前で懺悔しにくいこともあるよね~って思ってここに連れてきたのに!」
「地下に連れ込んだところで教会であることには変わりませんし、何より人攫いがやることなんですよ!」

 

完全にコントです本当にありがとうございました。
本人としては神様を信仰していない、あるいは神様が嫌いな人かもしれないという気遣いからだったとの言い分。気遣いのベクトルがずれている。
こんなやり取りを見ていた子供はすっかり呆れていた。ただ、お陰で警戒は少し解けたようで、ぼそぼそと語り始めた。

 

「……母さんが、死んだんだ。父さんが借金作って逃げて、母さんはずっと金をとり立てられてて……それで、ずっとずっと働いて、でも金なんて返しきれなくって……そんで、倒れて……」
「……そう。それで、あなたはそんな目をしていたの」
「……教会の奴なんて、どうせこれを環境がたまたま悪かっただけだとか、大変だったねだとか、そういうことしか言わねぇだろ……こんなことにした、父さんも借金取りも殺してやりたいって言っても、どうせ神様の前で殺傷はとか、そういうこと言うだろ!!」

 

慟哭が地下に響く。聞いているのは私とテラートだけだ。上にまで声は届かない。私たちだけの秘密になる。
同時に気が付く。テラートの言っていたことは、意外と的を射ていたのだ。どうやら人間の信仰する神様とやらは、人に害を成すことはしない。人を救い、助け、平等を説く。子供の内情には反する教えだ。だから、神様の見ていない、教えの届かない場所へと連れてきた。
……彼女は、そこまで考えていたのだろうか。

 

「じゃあ、殺してきちゃおっか」

 

認識を改めようとした次の瞬間、ぎょっとする言葉が平然と吐き出された。

 

「え……殺……え?」
「殺したいほど憎いのよね。そうよね、大切なお母さんを殺されたのだから。お父さんが借金を作って逃げなければお母さんは死ななかった。借金取りが過度に取り立てなければお母さんは死ななかった。
 あなたはそれを許せない。それを、私は許せない」
「で、でもお姉さんたち、教会の人間でしょ……?」
「神様は人間を裁けない。だから、こうして私たちが代わりに裁くの。人の生死を決めるのは人の感情。善悪なんて視点次第で変わってしまうものは何の物差しにもならない。
 あなたはお父さんと借金取りを許せない。殺してやりたいほど憎い。でも、あなたにはその力はない。力はなくても……力あるものを揺り動かし、結果に至れる心を持っている」

 

子供はしばし悩む。人に殺させるということは、間接的とはいえ自分が殺すということ。
事故や天災による死ではなく、己が人の死を与える側になるということ。誰かを殺すことを良しとできない人間にとって、本能的に忌み嫌い恐れることだ。
黙って殺しに行く、という手もあっただろうが。推測でしかないが、きっとこう考えている。
結末を知らなければ、憎悪に囚われたままになる。

 

「……口出ししますと~
 そこの人、神様を信仰してますがぁ、ご覧の通り感情論を最も大切にしていますので……少なくとも、あなたのお考えになる一般的な神様論も倫理観も、彼女には通用しないと思った方がいいですよぉ~」

 

ふわふわとした口調で補足説明を行ってやる。
きっと人間から見れば、これは人を救う行為ではなく、悪に陥れる悪魔の囁きなのであろう。どのような理由であっても、多くの人間は殺しを良しとしない。私たちはそのブレーキを取り外し、罪を犯せと誘っているのだ。

 

「…………本当に……殺してきてくれるの……?」

 

子供の選択を聞いて、テラートはにっこりと笑う。それは冷酷で恐ろしい表情ではなく、どこまでも慈悲に満ち溢れていて、優しい笑顔。
主とは違う、人に死を齎すことで人を救済する。死を否定しない信仰深い人間。
独自の思想で人を赦し、裁きを与える姿はまさに――

 

「ティカ。お願いがあるのだけど」
「……そこは自分でやらないのですねぇ~
 いいですよぉ、だって……とっても好都合ですからぁ~」

 

神様そのものだと思った。

 

  ・
  ・

 

目的の人物を探すことは大した労力ではなかった。
金貸しの場所は子供が知っている。夜に忍び込んで誰にも見られないように殺すだけ。リソース不足が死に直結するため、天使の力は使わない。テラートから預かった銀のナイフで的確に心臓を貫いて、弱ったところを喰らうだけ。
人間ならば、今の私を『暗殺者』と称するのだろう。音も無く忍び寄り、知覚されるより前に肉を裂く。私の手で人間が苦しみ藻掻き、死に至る。人に死を告げる、告死天使としての仕事にしれは随分と人間臭い方法だ。それでも何の様式も儀式もなく、人間の形式に則って人間を殺すことは随分と愉快だった。
彼の父親に関しては、この街の盗賊ギルドを利用した。場所はテラートが知っていた。何でも過去に盗賊の懺悔を聞いたことがあり、繋がりができたらしい。人を救うために情報が必要になることもあり、教会が利用していることをギルドは絶対に明かさない。代わりに己の行いも口出ししない、という契約を交わしているのだと説明した。ただしテラートは、誰かが盗賊ギルドに対して恨みを持っていたとして、それを止める権利まで持ち合わせないとした。あなたたちのやり方は肯定するけれど、そのやり方によって他の誰かが抱いた感情も肯定する。ギルドの首領はそれでこそテラートだとその条件も飲み込んだ。
妙な関係ですね、とそのとき思わずぼやいた。テラートは笑って、人によって救済の形は違うから仕方ないわ、と答えた。綺麗ごとだけを述べていては上辺の救済にしかならない、ということだろう。
滅茶苦茶な人だと思う。あらゆる手段を使い、あらゆる感情を肯定する。何も考えていないように見えて、核心を見抜いている。それは本人は意識して行っているのではなく、どこまでも無意識に行っている。だから人が集まるし、救われる人がいる。
純粋であるが故、あの人は他者の心を赦す。純粋であるが故、あの人は他者の心を映す。

 

「……まるで、本当に神様みたいな人」

 

見つけた。ネズミだ。意識が一息で現実に引き戻される。
シスターの恰好は凄いものだ、殺しに来たのだと彼らは疑わない。人間は神に勝手に救済を与えられることを願い、偶像として崇拝する。だから彼らは私たち神の僕が率先して人を殺すとは考えない。己の都合の良いようにしか解釈しない。神が人間を殺せば、それは神などではないと叫換する。あぁ、本当にいい迷惑で ――殺意が沸く。
殺しに大した労力はなかった。私にとっては食事と同じだ。生きるために、食うために殺す。たったそれだけのこと。借金取りも、ゴミのような男も、路上で飢え死にそうだった子供も、どれも等しく同じ味がした。
同じ『死』なのだから。長生きしても、短命であっても、善人であっても、悪人であっても、死の概念は変わらない。命の灯が消え、現世から消える。最も人間以外の生命の死は糧にはできないのだが。
終われば証拠一つ残さずこの場を去る。事件になれば子供の耳に届く。証拠として生首を持ち帰るわけにもいかないので、自然と人が囁く噂で信用してもらおう。

 

仕事を終えて教会へたどり着くと、深夜だというのにテラートが外に居て、慌てて駆け寄ってその両手で私の手をぎゅっと包んだ。

 

「ティカ、大丈夫!? 怪我はない!?」
「大丈夫ですよぉ~ そんな大げさな。どうしたんですかぁ、暗殺を任せたのはそちらでしょう?」
「そうだけど……だって、武器にナイフを借りていったってことは、借りてなかったらどうやって殺してたんだろうって思って……そもそもどうやって殺してたんだろうなあって……」

 

あぁーーーそういうね?確かにね?
やってみたら意外と向いていました、と伝えてしまえば変な心配をされそうだったので、実は色んな得物が使えるんですよとえっへんしておいた。信じた。ちょろい。

 

「相手がザルでしたからねぇ~ ところで、寝ていてよかったんですよ?」
「ティカが一人危険なことをやっているのに眠れるわけないじゃない!だからこうやってお迎えをしようって決めてたのよ!」
「何も釣り合ってなくないですか? また抜け出したって神父さんに怒られますよぉ~」

 

へらへらと笑って空を見上げる。月は大きく欠けていた。
光があるから影がある。眩しいと思っていた人も、どこかに暗い何かを隠している。私はいたずらに、意地悪な質問をした。

 

「テラート。
 借金取りの方、いい人だったそうですよぉ~ 無理な取り立ては行わず、母親が早く返さなくては……と、責任から働きすぎて倒れたそうですねぇ~
 あなたはこれでも……借金取りが悪だと思いますか?」

 

ずい、と身を乗り出し、エメラルドグリーンの瞳に映った自分の姿を見つめる。随分と性格の悪い笑顔を浮かべていた。
これはれっきとした悪意だ。善意を非難し陥れるための罠だ。悪魔の勧誘に惑うあなたが見たい。あなたの甘い考えが揺らぐ姿を見たい。

 

「いや、善悪は関係ないでしょう?
 というか私、言ったじゃない。善悪なんて視点次第で変わってしまうものは何の物差しにもならないって。」
「…………。…………言いましたね。」

 

言ってました。すいませんでした。
私が今とんでもない悪手をぶち込みました。顔を覆っていると、テラートは穏やかな笑みを浮かべて説いた。

 

「あなたにとってそれが真実。けれど、あの子にとっての真実は、母親にお金を取り立てて殺した悪意が真実。
 あの子は私を突き動かした。それだけの強い感情を持っていた。そうして私はティカを動かさせて、結果あの子の望むようになった。ほら、心が人を動かして、心が人を裁いたでしょう?」
「……やっぱりあなた自身では殺さないのですね」
「だって……殺したことないし……ドジを踏んで、教会の人に私のことが問題になって迷惑をかけたくないし……」
「変なところ現実的ですよね」

 

やはり、とんでもない人だと思う。殺すことは倫理的に問題だとか、恐ろしいことだとか、そんな一般論は一切説かない。彼女は人を殺せる技術があるならば、躊躇なく人を殺すだろう。そうして誰かを殺して手を合わせ、安らかにおやすみなさいと祈りを捧げる。
恐ろしい話だ。どれだけ返り血に染まろうが、心は純粋無垢なままで、己の思想にどこまでも忠実で揺らがない。純粋な祈りのままだからこそ、人は導かれ浄化される。
純粋とは、罪だ。強くそう思った。

 

「……あなたは人を殺さなくていいですよ。
 だからあなたは人を救えるのです。あなたは人を動かすことができる。それでいい。誰かを殺すなら、私を使えばいい」

 

落ち着いた声でそう語った私は、一体どんな顔をしていたのだろう。
それを聞いたテラートは一瞬瞳を丸く見開いて、それからぷっと噴き出した。

 

「それは、あなたにとって都合がいいから?」
「…………」

 

暫く考えた。風一つ吹かず、木々の擦れる音もしない。
ここにいるのは私たちだけ。見ているのは欠けた月だけ。
出会った頃より暗い月明りに照らされるあなたを見て、大きなため息をついて答えた。

 

「……当たり前じゃないですかぁ~」

 

微かに、自分の声が震えているような気がした。

 

  ・
  ・

 

子供の耳にはすぐに金貸しと父親が死んだことが耳に入った。
実はテラートには金貸しは普通の人だと伝えたが、本当は真っ黒だ。勿論あなたを試したからの嘘だと後でちゃんと伝えた。本当は高額な利子を吹っかけ金を回収する悪徳業者だ。周囲から恨みを買っていたため、殺されても仕方のない人間だと自警団は調査している。今のところ私たちは目を付けられていない。最も、目を付けられるとも思っていないが。
子供は2日後に教会の地下にやってきた。街に流れた殺人の噂から、本当に殺したのだと信じてくれた。しかしその表情は決して晴れず、複雑な表情だった。

 

「……本当に、殺してくれて……ありがとう……
 ……僕、お母さんを殺したやつが死んだら、すっきりするって……お母さんを殺して、生きてるのが、許せなくって……だから、死んじゃえばすっきりするって、思ってた……」

 

復讐は何も生まない。誰の言葉だっただろうか。
テラートは彼に、誰かを殺すことで救いを与えようとした。しかし、復讐が果たされることが、必ずしも救済になるとは限らない。人は死を恐れる。それは与えられることも、与えることも。ましてや与えたからといって、死んだ人間が生き返るとも限らない。

 

「けど、でもっ……全然、心がっ……晴れないんだよっ……!!」

 

大声で泣き叫んで、その場に崩れ落ちる。悲痛な声が暗い部屋の中に響き渡った。それでも聞こえるのは私とテラートだけだ。神様は見ていない。
分かっていたことだろうに。奪われることによってできた傷は、奪われたものが返ってこない限り癒えることは少ない。それを、テラートは分かっていないのだと、心の中で嘲笑った。

 

「……そうでしょうね。
 あの人たちを殺しても、あなたのお母さんが戻ってくることはない。あなたはそれに気が付いた」

 

目を伏せて、普段通りにテラートは子供に言葉を説く。あぁ、なんだ。分かっていて殺すという提案をしたのか。あなたは子供に人を殺させたという罪を背負わせて。
などと心の中で嗤っていると、彼女は次の行動に移っていた。優しく子供を抱きしめて、よしよしと頭を撫でる。まるで、母親のように。

 

「けれど、殺さなければあなたは復讐心に囚われていた。殺してもお母さんは戻ってこない。それに気が付かず、怒りと憎悪に囚われたままになるところだった。
 腫瘍ができれば取り除かなければならない。けれど、切除した傷跡は残る。それは命には関わらないけれど、痛くて苦しくて、すぐには治ってくれない。……あなたは今からそれと戦うの」

 

だって、お母さんはあなたのことが大切だった。だからあなたはお母さんが大好きで、大切だったという強い気持ちを抱いている。それなら、お母さんの想いを忘れずにあなたが抱えて生きる。そうすれば、お母さんの心が消えることはない。
そう説いた、柔らかな感情論の説法は鈴の音だ。小さく紡がれた言葉の後、彼女は祈りの歌を捧げた。
どこまでも純粋で、人を想う歌を。

 

『Who killed Cock Robin? "I," said the Sparrow,
 "With my bow and arrow, I killed Cock Robin."』

 

……なんだ、これだとまるで彼女を嗤った私が愚かだったみたいじゃないか。どこまでも無茶苦茶な感情論を説くくせに、最後には人を救う。私という悪意の思い通りにはいかない。
彼女は死を持って、人を救済した。

 

「……ぁ、ぅうっ…………っあぁぁああああっ……!!」

 

子供はテラートの腕の中でわんわんと泣いた。
暖かい歌と、子供の嗚咽は一つの奇跡のように思えた。
親子の再会のようなそれを、ただ静かに見守るしかできなくなっていた。

 

……子供は自分が殺したことにすると申し出た。
教会に置いてある銀のナイフをくすね、夜分に潜り込んで憎き金貸しと父親を殺しに行ったことにすると私たちに伝えた。
テラートも私も止めなかった。彼の心の整理に必要なことだから、我々も嘘の共犯になろうということで落ち着いた。酷い仕打ちだったのだから、そこまで悪いようにはされないだろう。殺したのは私でそそのかしたのはテラートであるのに、何とも変な話ではあるが。綺麗ごとだけで、理にかなった出来事だけで人は救えない。

 


「ねぇ、テラート。」

 

一つだけ私はテラートに尋ねた。

 

「最初から、このつもりで金貸しも父親も殺すつもりだったのですか」

 

分からない。あなたが分からない。
少し強い口調になってしまったが、ふふっと彼女は笑うだけだ。それを見て私は更に唇を噛んでしまうのだけれども。

 

「ティカ。これからも、私のお願い事、聞いてくれる?」

 

その申し出に、思わず目を見開いた。
あなたという人は。思わずため息をついて、口を綻ばせた。

 

「……使ってくださいと言ったのは私の方です。
 どうぞ。あなたの説く救済とやらに、力を貸しましょう。」

 

天使が、神様に仕えるように。
その様子を見て、面白おかしそうにテラートが笑う。
何で笑うんですかと思わず尋ねると、彼女はこう質問した。

 

「それは、あなたにとって都合がいいから?」

 

私は、答えることができなかった。

 

 

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