海の欠片

わんころがCWのリプレイ置いたり設定置いたりするところです。

小話『人の心はからくり仕掛け』

※2022年10月開催のシマナガサレのオクエットちゃんの後日談、の後日談です
※シマのオクエットちゃんの日記見てないとあんまり把握できない ので置いときますここからどうぞ
(そのうち見れなくなってるかも)

 

 

集団漂流の場に呼び出され、あれから2年が経った。
その間に大きく変化したことが2つ。1つは、契約の永続化を行った際に、記憶が消えなくなるように調整されたこと。
これはオクエットが申し出たことだった。契約を永続化すれば、道具として残された側が苦しくならないように『アルカーナムに存在する側は契約を永続化した事実のみを残し、該当する占いの記憶は消去する』システムが築かれていた。しかしオクエットは核が崩壊し、記憶の消去中に再召喚されたため、忘却の機構が崩壊。結果、契約を永続化したにも関わらず、記憶を全て持ち帰ったのだ。
契約を永続化した者とは別に、友と呼んだ者がいた。また会いに来ると約束した者がいた。だというのに覚えて戻ることはできず、アルカーナムの友に自慢したいことがあるのに、自慢するどころかさよならすら言えずにお別れになる。そちらの方が、ずっとずっと苦しかった。
その心を聞けば魔女も納得し、すぐに機構を変更した。契約の永続化は今回初めて行われたから、ひとまず彼女の意見が尊重されることになった。

 

それからもう1つは、オクエットとエヌの関係性が友人から主従に近くなったことだ。領主と民。先導する者と支える者。友人である一方で、オクエットの仕事をエヌも手伝う。カードが傷つけば、連動するように関係が深いカードにも影響が出る。それは道具として明白な理であり、人間性を見ても納得のいく変化であった。
78枚で1つの魔法具。故に、そこに人型が居なくとも、仲間が失われようとしていることは伝達される。力のカードは2つの村の領主である以上影響は大きく、村では大きな混乱を招いた。特に修理の三か月の間は誰も収める者がおらず、魔術師の大アルカナのエナンや吊るされた男の大アルカナのルジェが代わりを務めた。……最も、影響が一番大きかった者は言うまでもなく隠者の大アルカナのエヌであったのだが。

 

「うむ、今日もお疲れ様だ。後は余がやっておく」
「……君が、終わらないなら。僕も、まだ、帰らない」
「とはいえ、残るは森の見回りだけだ。魔物がおらぬかの定期点検故、一人でも」
「お願い、オクエット。……連れて行って」

 

よほど、オクエットの崩壊が怖かったのだろう。深い森の中にあり、少々癖のある者が人と関わらないように暮らす村、ペンタースから離れようとしたオクエットの裾を、エヌがぎゅっと掴む。
オクエットよりもずっと大きく、ずっと成熟している彼が、すっかり彼女よりも小さく見えるようになった。今にも泣き出しそうな声を聞いて、やれやれと肩をすくめた。

 

「すっかりどっちが保護者か分からなくなってしもうたな。
 分かった、ならば共に見回りをするか。一人では見落としが起きるかもしれぬしな」
「……うん」

 

凡そ、一人で見回りに行き、魔物が出たならば、と嫌な想像をしているのだろう。森の見回りは、オクエットのビーストテイマーとしての力で動物に頼んですぐに終わらせられる。それはエヌもよく分かっているはずだった。
彼が頑なにオクエットについて回ろうとするのは、これに限ったことではない。とにかく彼女を一人にしようとしなかった。領主の仕事を行う内だけではなく、私生活でも一人になることを許さなかった。
オクエットには定住している家がない。森に立ててある共用の小屋を使う、動物と共に森で眠る、エヌの家で夜を過ごす、などあちらこちらで寝泊まりを行っていた。領主であるならば村で最も大きい家に住み、立場を示すべきであるはずだが彼女はそうしなかった。民以上により良い暮らしをすることが、オクエットには耐えられなかったのだ。
だから、エヌにとってはある意味都合が良かったのかもしれない。共に暮らし、傍に置くことができる。オクエットが箱庭世界に戻ってきてからずっと共暮らしを行い、よく言えば保護、悪く言えば監視を行っている。それを、少々鬱陶しいと思いながらも受け入れることができるのは、オクエットの人柄の良さなのだろう。

 


「……いや、流石に引く」
「…………え?」
「え? じゃないわよ。
 え、なに? いなくなるかもしれないーって焦ったのも怖くなったのも分かるけど、完全に今のあんたオクエットに依存してるじゃない。29歳の男が8歳の女の子に依存って絵面がやばい。流石にいくら背景を理解してても流石に引く。キモい。生理的に無理
「そこまで言う!?」

 

そのままいつものように変化した日々を過ごし、翌日のこと。エヌの家にルジェが来訪し、近況を再確認してドン引きした。めちゃくちゃドン引きした。誕生日プレゼントにお揃いになる手作りのマフラーを送り付ける彼氏(幻想)くらいにドン引きした。

 

「オクエット、あんたも何か言ってやりなさいって。
 いい歳した大人が子供に精神的に支えられて外の世界の人間単位で考えてもあり得ないアルカーナムの恥さらしだーってくらい」
「だからそこまで言う!?」
「まぁまぁ……ルジェ、これでも落ち着いてきた方なのだ、大目に見てやってくれぬか」

 

帰ってきた直後は今以上に酷かった。
オクエットの姿が見えなくなれば酷く取り乱すものだから、常に視界の内に入っていなければならなかった。夜は殊更酷く、彼女が傍に居れどロクに眠れないものだから、『眠れ』と命令する必要があったほどだった。無理やり眠らせたとしても夢見が悪いようで、結果夜中に目を醒まし、目の前にいるオクエットが動かないと錯覚して必死に起こして―― と、オクエットにとっても良くない生活を送っていたのだった。

 

「いや。心壊すほど追い詰められたオクエットが、何で箱庭世界で留守番してたおっさんの世話をしてるの。ご主人様が帰ってこない犬とかそういう可愛いものじゃないから。現実見て。現実って単語が似合わないアルカーナムの世界で現実見ろっておかしいから。というか本当にメンタルケアが必要なのオクエットでしょどうしてこんなことになってんのよ!!」
「余はこの通りピンピンしておるからなぁ……」

 

壊すことは、誰も本意ではなかった。よしとしなかったから手を伸ばされ、契約の永続化も行われた。ペオニーという盲目の少女が、壊れたオクエットと『再契約』を行った。動くことは叶ったが、それでも壊れた道具には変わらず、脱出手段が確保できるまでは持つだろうがそこから先は保証できない状態となった。ならば、依り代をカードから人の心に移す『契約の永続化』を行えば崩壊を回避できるのではないか。ペオニーも帰ってからの無事が保証されておらず、追われる身であったから傍に居て助けられないか。思考の結果、契約の永続化が行われ、道具として残る側のオクエットは崩壊を回避し、修理も追えて元気に過ごしている。契約の永続化を行い、道具から切り離された彼女らがどう過ごしているかは知る由がないが、上手くやっていることだろう。

 

「……それだけ、恐ろしかったのだ、エヌにとっては。
 汝とて、もしセヴェンタが壊れ、新たに創られたセヴェンタとなれば良しとせぬだろ
「はーーー??? 何でそこであいつが出てくるわけ??? 別にあんなやつ壊れていなくなった方が済々するんですけどっていうかむしろ死ね」
「辛辣という愛情が聞いている方も痛いんだよなあ」

 

冗談気味に笑いながら、ルジェのティーカップにフラワーティーを注ぐ。島におった友人で、余のように淹れるのが上手い者がおってな、と自慢げに話す。
心が安らぐ、ふわりと優しい香りで満たされる。花の種類が異なるため、友人の淹れてくれた者とは味も香りも別のものだが、なんだか懐かしい気持ちになれるのだった。

 

『オクエットー! 魔女様がお呼びよー! 緊急性はややあり、お客様があなたご指名らしいわ』

 

そんな中、『世界』の声は突然響く。突発的な召喚ではなく、応答の可否をアルカーナム側にある程度委ねられる、魔女の召喚。緊急時は有無を言わさず呼び出すが、出なくても問題ないときはこのように一声かけられる。

 

「む、分かった。
 応答に応じる、外と繋いでくれ」
「……オクエット!」

 

まるで行くな、と懇願するように立ち上がるエヌ。見送って、壊れて帰ってきたから。その日のことを思い出すことは、容易に想像できた。
アルカーナムである以上、人の願いに触れるように創られた以上、道具の私情よりも道具としての役割を優先するのは何らおかしい話ではない。一方で、我を強く持ち、反抗的に考える者もアルカーナムにはいるのだ。

 

「ルジェ、余が戻るまでエヌの相手をしておってくれ。
 契約ではないようだ、数時間後には戻る」
「えっあたし!? あたしがこの気色悪い男と二人きりにされんの!? なんの地獄!?」
「嫌ならセヴェンタを呼んでよいから! 頼んだぞ!」
ぜってーーー嫌じゃ!! そもそも今アクィップの方にいるでしょこっち来んのに2日かかるわ!!」

 

そうして、箱庭世界にふわりと光の粒子をいくつも残して、力の大アルカナの姿が消えた。部屋には今にも泣き出しそうな29歳男性と、本当に今すぐここから逃げ出して自分の家に帰りたい20歳女性が残された。

 

  ・
  ・

 

たまに再会を望む契約者が居た。契約を永続化こそしないものの、お世話になったからだとか、また会いたくなったからだとか、そういった理由で魔女の元を尋ね、個人的な邂逅を果たすことは少なくない。
宙に現れた刹那、舞い降りるようにトンッと床に足を付ける。靡く長い浅葱色の髪と赤いマフラーも重力に従った頃、オクエットは口を開いた。客人の前でも変わらない、いつもの口上文句。

 

「―― 余を引いたか。
 余は力の大アルカナ。オクエット・ストレングスだ。
 さあ、汝の名前を聞こ……」

 

目を開けて、ぼやけていた輪郭がはっきりと形作られて……えっ、と固まった。随分と顔立ちも姿も変わっていたが、見間違えるはずなどなかった。そのくらい、心に残って、心残りとなった人だったから。

 

「なっ、シャル!? 何故ここにおるのだ!?」

 

シャル、とは10年前にアルカーナムの占いを利用した女の子、シャルロットのことだ。知らない人に連れてこられた、母親に会いたいと願い、オクエットを逆位置で召喚した。同い年くらいの子供だと、彼女はオクエットを友人のように接したが、逆位置だったがために『連れてきた者の元へ返す』と、意志や願いを挫く形で動いた。結果、酷く裏切られたと彼女はオクエットを糾弾。母親に会わせたかったオクエットとしても、深い傷を負うことになった一件だった。
オクエット自身は島での出来事もあり、今は心に整理がついていた。だが、こうして再会を果たすなどとは微塵にも考えていなかった。自分を恨んで来たのだろうか。アルカーナムの占いの結果、酷い仕打ちを受けたのだろうか。あらゆる言葉のナイフに身構えていたが、彼女からの第一声は、

 

「……ごめんなさい、オクエットちゃん! 私が間違ってた!」

 

頭を下げ、心からの謝罪であった。

 

「…………な?」

 

思ってもみなかった言葉に、オクエットも目をぱちくりさせる。シャルロットは目を伏せて、過去を思い返し言葉を紡いだ。

 

シャルロットを連れて行った者は、彼女はロクに知らない父親だった。彼女の両親はそれぞれが大きな事業を行っており、離れた地で暮らしていた。彼女は母親の元で育てられ、父親は彼女の幼い頃に数度会っただけだったそうだ。
父親は自分の子供をロクに面倒を見れないことを気にしていたらしい。母親と相談し、結果事業を統合することになり、母親が父親の方へ引っ越そうとするも、仕事でお世話になった者らへの挨拶や移転の準備で子供の世話をしている暇がない。そうして、父親が母親が越してくるまでシャルロットを引き取り、世話をする、という話になったのだが。

 

「……当時何も知らなかった汝は、連れ去られたのだと思い魔女のうちへやってきたと」
「うん……ずっと昔にね、ここのアルカーナムの占いにお世話になった人がいて、それからお話がずっと受け継がれてるの。多分、過去にもここに占いをしに来た人がいるかもしれない……確か最初は、魚を釣るって話じゃなかったかな……」

 

うちに古い魚拓があって、これが発端だよって話があったはず、と何とも曖昧な言葉であった。詳細を聞けば思い出せるかもしれないが、ずっと昔の話とのことで記憶を辿ることを断念する。

 

「……何も、分かってなかった。お母さんにはあれから半年後に会えた。だから……だから、連れてこられた先で、大人しくしてるっていうのが……一番、正しかった……なのに、私……」
「―― そうして君は、オクエットを『傷つけた』の」

 

後ろから声が聞こえて思わず振り返る。数分前に箱庭世界でしばしの別れを告げた男がそこに立っていた。何故おるのだ? と魔女に問う。居た方が楽しそうだったから、と魔女は答える。思わずため息を吐いた。

 

「人間は……いつも、僕たちのことを考えない。僕たちが、心あるものと、考えない。
 自分たちの価値観を押し付けて! 自分たちの願いしか頭になくて! 僕たちを、占いの道具じゃなく願いを叶える道具と勝手に間違えて! 願いが叶わなければこれだ!」
「こらエヌ、やめぬか!
 シャルとて傷つけたくて傷つけたかったわけではなかろう!」
どれだけ思い悩んでたか、こいつは知らない!
 どれだけオクエットが辛い思いをしたか、こいつも、この前オクエットを呼んだやつも、誰も知らない!
 こうやって謝りに来たのも自分の願いが叶ったからだろ、叶わなかったら来なかっただろ! 人間は自分の都合しか考えない、何でオクエットが振り回されなくちゃいけないんだ!
「…………」

 

誰も、言葉を返せなかった。
エヌの言葉は、道具として使われる者としては全うな意見だ。人の願いに触れるように創られ、使われることを望みとしても。人の心を持たされる以上、それを素直に肯定できない人格は存在する。
その言葉をごもっともだと思ったから、シャルロットは何も言わなかった。口を噤んだまま俯き、エヌの言われるがままになる。だからといってエヌを叱咤することも、オクエットにはできなかった。彼は確かに感情で言葉を発したが、その根源は自分を想っての言葉だったから。それを見て魔女は変わらずニコニコとしているのだから、オクエットは今だけ彼女が心底恨めしくなった。

 

「……エヌ、それは違うぞ。
 道具が壊れることを良しとしないから、己の命を犠牲にしてまで守ろうとする使用者もおる」

 

極々少数であり、人と道具の在り方としては歪だということは分かっている。ヒエラルキー上どうしても優先されるべきは人だ。人に使われるから我らは我らを道具と呼ぶのだ、その関係が逆転することなどあり得ない。
だというのに。あの盲目の少女は契約を終わらせないために、嵐の中外へ出て、消えてしまおうとしたのだから。

 

「勿論、そのような使用者はあってはならぬ。使われなくなった道具に価値などない、使用者を失えば我ら道具は何の意味も成さないのだからな。
 しかし……だからこそ、余が心動かされたのも事実。ペオニーと出会わなければ……きっと、余はこうは言えなかっただろう」

 

そうして、オクエットは一歩、また一歩。ゆっくりとシャルロットの元へと近づく。
彼女の父親の家は相応に大きかったことを覚えている。探していた人物も、一人ではなかった。召使か何かだったのだろう。そのような場所から逃げ出したのだ。もう一度逃げ出すことは難しく、来訪も今になってしまったのだろう。
自分より少しだけ背の大きかったシャルロットは、目を合わせるには見上げなければならないほど大きくなった。やはり人間は育つのが早いな、と感嘆して……両手で優しく頬に触れた。

 

「なあシャル。もう一度、余と友達になってくれぬか?」
「え……?」
「母親に会いたかったというのに、余の仕打ちは傷ついたよなあ。事情も知らず、引き渡されて……さぞ、辛かったであろう。
 だから、な? 仲直りせぬか?」

 

何を言っているんだ、とエヌが低い声を上げた。それを無視してオクエットは目を細め、自分よりもずっと大きな少女の目をじいと見た。
暫くぽかんとしていたシャルロットは、恐る恐るその手に触れた。昔繋いだ手と、何一つ変わらなかった。

 

「……あんな、あんな……酷いこと、言ったのに……オクエットちゃんのこと……傷つけたのに……わたし、だって……その人のいうこと、全部、ほんとなのに、なのに、なのになんで……」
「あぁ、傷ついたな。けれど、だからといって仲直りできぬわけではない。汝はこうして誠実に謝罪に来た。それが例え、願いが叶ったからだとしても……汝は、こうして会いに来てくれた。
 余は、それが嬉しい。だからまたこうして会いに来てくれぬか、シャル」

 

そうして満面の笑みで許すものだから、ついにシャルロットは堪えられなくなってその場に膝をついた。何度も何度もごめんなさい、と謝罪し、それからありがとう、ありがとうと言葉を繰り返して。

 

「ごめっ……ごめんなざ、ごめんなざい……オグ、エット、ぢゃ……ごめ……りが、と……あり、がと……うぅ、ひぐ、あああぁっ……!!」
「うむ、いつでも来るといい。契約がなくとも、こうして談笑することも、森を散歩することもできるからな。汝の好きなうさぎさんにだって会わせられるぞ」

 

そうして、また会おうね、の指きりげんまんをした。
指をきったときには、シャルロットも笑顔になっていた。

 

  ・
  ・

 

「腑に落ちぬか、エヌよ」
「落ちるわけないでしょ」

 

箱庭世界に戻ると、一人残されていたルジェは律儀にも後片付けをして『帰る』と書置きを残し去っていた。それなりの時間外に居たのだから、賢明な判断だったと言える。
平和な世界の空がオレンジ色に染まり始める。カア、とカラスの一鳴きを聞けば、オクエットが夕食にするか、と台所に向かう。根菜を洗い包丁で刻めば、トントンと心地よいリズムが部屋に響いた。

 

「あまりにも、都合が良すぎる。
 ……何で、許したの」
「んー? ……そうだなあ、存外に悪意はなく、存外に壊した方も罪悪感がある、と知ってしまったが故、だろうかなあ」

 

己が違うのだ。己が上手く立ち回れていないのだ。己は上に立つものなのだ、皆を纏め解決へと導かなければ。
人間を理解しようとしたつもりだった。結局理解する前に心が壊れ、核が崩壊してしまったわけだが。それでもオクエットは、島での扱いを何一つ恨まなかった。
道具は壊れることに意味がある。使われ、いつか朽ちるもの。大切に扱ったとしても、いつかはガラクタと化す日が来る。故に、壊れることは、誉れなのだと考える。

 

「……けれど、傷つけて壊すのは、いつだって人間のエゴだ。道具だからと、僕たちが彼らに合わせる道理は、どこにもない。……そうして、傷つける筋合いだって、どこにも」
「なかなか分かり合えぬなあ。汝も外に出て、人間と関わってみれば案外価値観が変わるかもしれぬぞ?」
「……別に、変わりたいなんて、思ってない」

 

鍋に水を張り、火をつける。水が沸騰すれば火から少し鍋を離し、切った根菜を入れる。程よく煮込めば、後は岩塩や乾燥させた魚の粉末などで味付けをしてスープの完成だ。

 

「それも一つの心の在り方よな」

 

ふは、と笑ってスープをよそい、準備しておいた食パンを切り分けて食卓に並べる。随分と質素だが、オクエットは贅沢な食事を好まず、エヌは小食であるためお互いにこのくらいで十分だった。

 

「どちらが正しいという話でもない。汝が居て、余が居て、今日も余の作る料理は美味い。きっと、お互いにとっては十分だ」
「…………今度は」

 

いただきます、と手を合わせてスープを口に運ぼうとするオクエットに、エヌはぼそぼそと語り掛ける。

 

「……今度は、もう……僕だけ残して、壊れるなんて……絶対に、ならないで……」
「……あぁ、約束しよう。
 もう壊れぬよ。それに、余が壊れてしまえば永続化したペオニーにも申し訳が立たぬし、無理を申して『私物品』を持ち込んだ意味も消えてしまうからなあ」

 

約束しても、壊れるときは壊れてしまうのだけれども。
こうして救われた命なのだ。無駄にはしたくないし、傷跡も残したくはない。
ポケットの中に入れた、1枚の金貨と己とは異なる、同じ意味を示すカードに触れて。それから、海風は心地よいだろうかなあ、と遠くの自分に想いを馳せた。
こちらはこちらで、上手くやっている。隣人が病んだが、そちらは気にせず汝だけの隣人を大切にせよと。届かないと分かっているが、伝わりますようにと心の中で祈った。