海の欠片

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『其は初めから罪などではなく』 下

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人狼は語る。
妖魔退治の依頼を受け、二人ですぐ近くの村へ向かった。十分に日帰りできる場所だ。依頼内容も、恐らくはゴブリンだろう。報酬は600sp。暫く依頼を受けていなかったので、復帰する前の肩慣らしにはちょうどいいだろうと。
ゴブリンは5体。二人で切り伏せ、魔法を放ち、簡単に依頼達成となった。
しかし、その依頼を『利用した』魔術師がいた。

「優秀な『素材』を探しに好都合だと野放しにしていたが。まさかお前たちのような名の知れた冒険者が釣られるとはな。」

その魔術師は禁忌に触れ、指名手配されていた人物だった。逃げている内にリューン近郊にたどり着いたのだろう。
研究していた魔法は、人間を魔物に作り替え使役する外道の法。術を唱えたときには、グリフォンやオーガ、ミノタウロスなど多数の魔物に囲まれていた。恐らくは、別場所に待機させていた魔物を転移か召喚の類でこちらに呼び出した。
術に対して、魔術師が語ったわけではない。
オクエットには、『分かる』のだ。

「……おい。」

その怒りは、果たして名も知らぬ誰かのためのとしてか。
それとも、かつて村に齎された災いの元と似ていたからか。

「このグリフォンも、ミノタウロスも……元は、人間なのだな?」
「ほう、お前、分かるのか。魔物はいい。言葉を話さない。何も疑問に思わず従う。そして、人よりずっとずっと強い。
このような便利な生物を利用しないなどもったいないだろう?」

あるいは。

「―― 外道が。」

動物を良き隣人として考える、ビーストテイマーとしての在り方からか。

「……エヌ、この量の魔物を相手にする。相手が多い故汝に『札』を切らせる。……すまぬが耐えてくれ。
『楽にしてくれ』『殺してくれ』と、声がするのだ。ならば、望み通りにしてやりたい。」
「―― 仰せのままに。」

術者を殺したとしても、この手の術から解放されることはない。
身体変化の魔術は基本的に不可逆である。卵が熱され固まれば元に戻ることはないのと同じように、彼らもまた人間に戻ることは叶わない。
自分がよく分かっている。どうしたって、人狼の呪いからは死ぬまで開放されないと。

「―――― ゥウ、ルルル、」

人狼の姿に変貌するには呪文などいらない。あえて言うなら、『獣』として『殺す』という意志。
ぐるり、目が回る。身体に痛みが走り、思考が本能のままに塗り替えられていく。筋肉が肥大化し、狼の毛が、牙が、爪が、尾が、生えていって。
人の姿でありながら、狼の姿である。殺せ。得物だ。やれ。そんな声に支配されるが、まだ人の姿が残るうちは辛うじて理性は残る。
とはいっても、暴走の状態には変わりない。オクエットの力がなければ、今頃無差別に襲い掛かっている。

「魔物は全部で8体、か……魔法を扱う種族はおらぬな。
エヌ、余は魔術師を相手する、残りはそれからだ!余を『魔物から守れ』、背中は任せた!」
「―― ウゥ、ガァッ!」

人の言葉は話せない。
けれど、彼女には伝わる。下される命令で息ができる。
真っ黒に塗りつぶされた思考が払われて、自己を取り戻せる。
……それを見て、魔術師はふぅん、と笑った。

「……先天性ではなく後天性だろう、その人狼。それを人間が使役する、と。
お前、俺と同じではないか。俺は魔物を使役するが、お前はその人狼を使役する。そいつだって、人から成った魔物だろう?俺と同じじゃないか。」

行け、と術が紡がれる。呼び寄せられた魔物が一斉に襲い掛かってきたが、このくらいならばまだなんとかなる。
爪で、牙で応戦する。血の味が口に広がる。嫌悪感はなく、むしろ飢えが満たされる。多少の傷であれば、人狼の再生能力で治療されるから気にならない。

「同じにするでない!エヌは信頼して余に身を預けてくれておる!無理やり魔術で人を作り替え、私利私欲に使役させる貴様と同じにするでない!」

内、一匹が魔術師に向いたオクエットの攻撃を庇う。命令を下され、無理やり庇わせる。
使い捨ての駒に、何の感情も向けなかった。道具が一つ壊れて朽ちた。あるいは、そんな感情すらもない。
魔術師自身には力はなかった。使役で手一杯なのだろう、直接攻撃することはなく、全て魔物に任せている。

「同じでしょ。」

ち、と舌打ちをして、魔物を補充して。
オクエットを煽るような言葉が聞こえて。

「お前は声が聞こえるけど、俺は聞こえない。普通は聞こえない。
疑ったことないのか?そいつが本当に、信頼して従っているだとか。その術で感情ごと狂わせたんじゃないのか?」
「っ……!」

―― 全身の毛が、逆立つような怒りに襲われた。

「都合のいいように聞こえてるって。それが本当に正しい言葉だって、疑問に思ったことはないのか?」
「……それは、」

……黙れ。
お前に何が分かる。
同じなものか。
彼女は寄り添ってくれる。
お前なんかとは違う。
それが、例え我が主を煽ることが目的の言葉だとしても。

「ッゥァアアアアア、ア゛ア゛ア゛ァッッッ!!」

絶対に、生きては返さない。
人の姿を完全に捨てた、巨狼の姿。
人狼化の、もう一段階先。思考も、理性も、何もかもが消えて、苦痛と狂気に脅かされる。

「は―― 、」

人が、脆く崩れる。
足りない。一撃などでは足りない。
裂いて砕いて割って、跡形など残してやるものか。

「エヌっ!『鎮まれ』、もう死ん、で……、」

それから声が聞こえなくなった。
人の形が無くなれば、次はそこの動物共。
命令を受けた。全て殺さなくては。
殺す。得物だ。食え。喰らって、裂いて、飢えを満たす。
足りない。この程度では、全然足りない。足りない、寄越せ、こんなものじゃ足りない、寄越せ、寄越せよこせよこせヨコセ

「…………エヌ!」

ぴたり、身体が動かなくなって。

「『鎮まれ』――……、」

思考が払われて、満たされて。
柔らかく、優しい声が響いて、ぱち、と瞬きする。
激情が去って、は、と息をすれば。

「…………っ!?オクエット!?」

護るべき、その人が。
目の前で、力なく倒れていた。




いつもなら、狼化した反動として強い倦怠感に襲われ、暫く休息が必要だった。
しかし、休んでなどいられなかった。理性を失い、主人を危険な目に遭わせてしまった。身体の重さなど二の次で宿に戻り、こうして助けを求めに来た。
外傷はなく、自分が襲い傷つけた様子もない。魔術的に何かあったのかと思ったが、そのような痕跡は何もない。

「…………皆、助けて……僕は、どうなってもいいから……オクエットを、オクエット、だけは、お願い、だから……!」
「だから落ち着けって!
どうもしないしオクエットも助ける。とりあえず大変だったんだろ、休んでおいてくれ。どうにかするから。」

ルジェからちょうど人狼だという話を聞いていたこともあり、さして驚くことはなかった。
エナンはエヌからオクエットを預かり、彼女の自室へと運び寝かせる。傷一つなく、息もしており苦しそうな様子もない。見た様子だけだと、ただ眠っているように見えた。
残りの仲間も部屋に入り、それぞれが様子を確認していく。

「……エヌさんの言ってる通り、魔力的な影響はなんにもなさそうだよ。」
「あたしも同意見。エヌの魔力が悪さした、とかなさそうだし、これといった外傷もない。実は魔物に変える魔法をかけられましたー、とか考えてみたけど、そんな痕跡もやっぱりないし。」

トゥリアとルジェは魔法が扱えるため、魔術的な要因がないかどうかを調べる。
最も魔術に詳しいエヌがない、と言っていたので期待はしていなかったが、何一つ問題はなかった。
あと一つ考えられるとすれば。

「……オクエットって霊力を使うんだよな?
じゃ、そっちが何か悪さしてるとかか?ファディ姉ちゃんだったら分かんじゃね?」
「霊力の分野が違うので、はっきりとそうだとは言えませんが……そうですね、調べてみます。」

神聖魔法は魔術として行うものと、法力や霊術として行うものの2つに分かれる。
ファディの扱う神聖魔法は後者であり、信仰から生まれる霊力を使用する、最もポピュラーな方法を扱う。同じ霊力ではあるが、オクエットの霊力は本人の意志の力であり、ファディは信仰心であるため性質は異なってくる。
目を閉じ、十字架を祈るように胸の前で握り、読み取る。やがて目を開け、ゆるゆると首を横に振った。

「少しざわついている気もしますが……悪影響を与えるものとは考えられません。穢れとか呪いとか、そういったものは確実にないです。」

ファディの霊力は性質上、神聖な存在、あるいは不浄な存在の感知には長けている。人の心や精神に作用する力はないため、そちらに関しては読み取ることはできない。
エナンとテセラはそもそも肉弾戦を良しとするため何も分かんない。

「……起きるまで待ってみて、起きなかったら分かりそうなやつを探そう。少なくとも今すぐ対処しなきゃだめだ、って要因は見つからないし……一番本人が分かるんじゃないか?」
「エナンに賛成です。頭を打って昏睡している、という可能性なんてありそうですし。」
「それは笑えないからやめてくれ。」

かつてちょっとした崖から落ちた程度なのに頭の打ちどころが悪くて一ヶ月昏睡したのはどこの誰だ、と苦い顔をする。目を覚まさなかったかもしれない、と考えるとぞっとした。
そしてそこにいるのは悲観的ですぐに悪い方向へ物事を考える従者だ。今にも心配で駆けだしていきそうな顔になってる。全力で待てをさせた。

「とにかく、だ。
疲れて倒れたとか、目の手術が負担だっただとか、そういった要因かもしれないから目を醒ますまで待とう。それぞれの分かる範囲で問題ないんだ、思ってるより悪いことは起きてないさ。」
「……そう、か。……そっか……それなら、よかった……」

よかった、と言うが、まだ不安が強いのだろう。それでも気付いていないだけという可能性も、と悪い考え方を無理やり飲み込んだ表情をしていた。
悲観的だから、という点もあるだろうが。自分のせいで護るべき人が意識を失ったかもしれないのであれば、気が気でないだろう。その場に座り込んだまま、項垂れていた。

「……ねえ。エヌさんとオクエットちゃんって、どういう関係なの?」
「…………、……もう、隠せないから……話すよ。
……ロレン村を、壊滅させた……人狼の、話。」

ふ、と自嘲的に笑って、語る人狼の声は震えてはいなかった。
ただただ、静かな調子で昔話を語った。

突然女が呪術を学びたいと上がり込んできた。
それは狼憑きで、元々は領主によって殺された狼だった。領主に復讐するため、自身を人狼にされた。
狂化の呪いもあり、制御が効かず暴れてしまい、村を壊滅させた。
領主は自分を殺して止めようとしたが、逆に自分が彼らを殺してしまい、そこにオクエットが駆けつけてきた。
彼女が、ビーストテイマーとしての力を持って止めてくれた。
その後、村には居られず一人で出ていったが、オクエットが付いてきて共に冒険者になった。
再び人狼化したときに助けられるよう、ビーストテイマーと狼、主従関係として。


「……僕にとって、オクエットは……恩人で、僕の罪の象徴で、だから、償っていかなきゃって……初めは、思ってた。
けど、段々……この人に尽くしていきたいって、一緒に居たいって。それが、もう、人狼だからそう思うのか、そうじゃなく僕が思ってるのかも、もう……分からない。」
「…………」
「忘れちゃいけないことも、忘れようとして……罪意識もなくなってきて、のうのうと、尽くしたいなんて考えてる……僕は、人狼だよ。獣だよ。」

へら、と力なく笑った。
口を挟むことなく、黙って聞いていた。
これで僕の話はおしまい、と立ち上がり……ふらり、足をもつれさせた。慌ててテセラが駆け寄って支える。

「おっおい大丈夫か!?」
「……人狼になるの、凄く、疲れるから……でも、行かなきゃ。人狼って、知られちゃったから……ごめんね、騙してて。」
「いやいや待て待て、行くってどこ。」
「……ここには、もう、いられないから……オクエットのこと、よろしく。」
「何でお前が出ていくって話になってんだよ!まずはお前人の話を聞け!」

出た!この主従あるある!人の話を聞かず勝手に自己完結!
無理やり肩を掴んで着席させる。そもそも疲れてるんなら休め。

「……はっ!?エヌ!おいエヌは!?居るか!?」
「あっ、起きました。」
「予想以上に元気。」

ここに空気を読んだのか読んでいないのかオクエットががばーっと飛び起きた。
一種の気絶状態だったのだろう。予想以上に元気そうだった。心配して損したってくらいにそれはもう。

「今オクエットが倒れたから原因を突き止めるための事情聴取終わったとこだぜ。洗いざらいきみらの過去を吐いてもらったし、こいつが人狼だってことも聞いた。」
「えっ……え!?は、話したのか、人狼であることを……うむ、そうか。そういう話だったか。」

というわけで従者が出ていこうとしてるんだけど止めてくれないか、と匙のバトンタッチ。
顔をしかめてから、オクエットは……申し訳なさそうに、頭を下げた。

「すまぬ。汝らを騙そうと思っていたわけではなかった。しかし、人狼であることを話すわけにはいかなかった。……責任は、余にもある。余も、ここを去ろう。」

なんということでしょう。
匙をバトンタッチした結果、従者と同じようなことを言うではありませんか。

「……お前ら。」

流石にこれには。

「まずは!!人の話を!!聞け!!二人で!!話を!!進めるな!!馬鹿どもが!!」

リーダーが!キレた!!

「お前たちさあーーー!!何で二人してパーティを抜けるって話してんの!?俺やめろとかどっか行けとか言った!?言ってないよね!?何で勝手にいなくなろうとすんのそんなに俺らのことが嫌いかぁ!?」
「や、そうではない、余もエヌもここが好きであるから
「好きだったらやめようとしないでくれるー!?勝手に望んでもないのにやめられるの困るんですけどー!楽しかったよ……ありがとう……って、儚い雰囲気出してさよなら感出してきてるけど俺たちそもそも出ていけなんて一っっっ言も言ってないんだよなーーー!!なぁなぁそこんとこどうなんだよオクエットとエヌはさぁーーー!!」
「いや、僕は、だから、パーティに、人狼がいるなんて、そんなこと
「パーティの法は俺だ!!だめって俺が決めたかこの陰鬱根暗もやしわんわんが!!」
「陰鬱根暗もやしわんわん!?」

はーーー、と一つ深呼吸。
それから自分の頭をガシガシと掻いて、諭すように語る。

「……そもそも。
望んで人狼になったわけじゃないし、人狼として人間を食ってるわけでもないんだろ?で、悪事を働いたこともないしむしろ被害者。
じゃあ俺達の感想ってどうなると思う?人狼になって大変だったなーこれからもよろしくな、なんだよ。分かるか?」
「け、けどエナン、僕はもう、人狼で、考え方も人間の思考じゃなくなってるかもしれなくって、」
「なあ。それって、そんなに大事か?」

ああ言えばこう言うことはよく知っている。
反論はさせない。無駄な言葉だから。

「お前も、多分オクエットもだけど。気持ちは変わるものなんだよ。お前らどっちも、それを良しとしてないだろ。」

エヌは感情の変化を、人狼による思考の変化だと恐れる。楽しく過ごすことをよしとせず、罪意識の忘却だと説く。
オクエットは感情の変化を、人狼に命令するが故に歪めたのだと恐れる。形だけの主従であり対等であるべきだと説く。
互いが、溝を作り続けている。
だから、ルジェはこのように考えて、エナン達に人狼の話をした。
三者が、この溝に橋を架けてやれば、と。
エナンなら伝わるし、リーダーとして動いてくれる、と。

「確かに発端は人狼の暴走かもしれないけどさ。
そのときって、殆ど会話もしたことなかったんだろ?それが長年過ごしてきて、互いに信頼できる関係になった。そんな風には考えられないわけ?そもそも過ごしてるうちに信頼関係って強くなってくもんだし、更に深い関係になったりするもんなんだぞ?」
「突然己の感情を自覚して変化したエナンが言うと説得力ありますね。」
「こらファディ、茶化さない。」

変わらない関係が続くと思っていた。
けれど、確かにあの日、関係が変わった。
過ごしていくうちに、感情は、変わるものだ。

人狼の思考って言うけど。
俺からすると、長年過ごしてきて信じられるようになった、だから従者として尽くしたいって考えるようになったようにしか見えない。
狼がリーダーに屈服するようなものかもしんないけどさ。それでいいって、従おうって思うのは紛れもなくお前の本心だろ?オクエットだから従うんだろ?」
「…………ぁ、」

どうして尽くしたいのか。
その根本的な理由を示してやる。
人狼の考えに飲まれているのなら、今頃人を無差別に食い、人であることを放棄している。
されど、彼は誰も食ったことがない。それが何よりも、人として生きている証拠だ。

「オクエットもな。
エヌから聞いたけど、ビーストテイマーと動物の契約って双方の同意があって初めて成立すんだろ?じゃ、エヌは無理やり従ってるんじゃなくって、自分の意志で従ってるんだ。
嫌ならそもそもお前から離れてるだろうし、従者やってないだろ。その従者の好意を否定するのか?お前らの距離感がなんとなくぎこちないの、そういうことだろ?」
「…………、…………そう、か。」

二人で過ごす限り、たどり着けなかった答え。
互いの感情がすれ違って、永遠に平行線になっていた問答。
そこに、第三者という線を引いてやれば、ほら。

「……そういえば、さっきも。エヌが余のために怒ってくれておった。なのに余が倒れてしまって示しがつかぬな……」
「え、オクエットちゃん倒れた理由分かってるの?エヌさん、すっごく焦って連れて帰ってきたよ。」
「エヌは休め馬鹿者が。
……まあ、少々恥ずかしい話になるが……余の失念であるし……」

頬を人差し指でひっかき、目を逸らしながら答える。
大変バツが悪そうに笑いながら。

「瞳を交換した影響だ。
余のような意志から成る霊力、更に精神干渉に特化したものであれば、繋がりが強くなれば相手からの感情も受け取りやすくなってな。
余の瞳を、エヌが宿したであろう?その分、エヌと余の繋がりが強くなった。契約だけの繋がりに、瞳による霊力の繋がりも生じた。
感情や意志の力とはよう言うたものだ、相手の感情の影響も受けるようになって……まあ、なんだ。簡単に言うとびっくりして気絶した。」
「びっくりして気絶した。」

曰く、狂化の精神と煽られた際の怒りの感情が命令を下したときに強く伝わり、それが負荷となって気を失ったらしい。
これは身構えていればある程度防げるもので、もし負荷を受けたとしても心を休められればすぐに治るのだとオクエットは説明した。

「じゃあ命に別状は?」
「この通り、全く問題ない。嘘だと思うなら、別の霊力使いを連れてくるといい。」
「よ、よかった……本当によかった…………」

一番心配してそうだった人が、心から安堵の表情を浮かべた。
二人の関係性にメスを入れて解剖する話になっていたが、元はといえばオクエットが不可解に倒れたことが始まりだ。
彼女に何事もないのであれは、この話はこれでおしまい。

「……皆。
ありがとうな、余を、エヌを受け入れてくれて。」
「今更その程度じゃ追い出す理由にならないさ。
でも個人的には実感がないから今度変身して見せてくれよ。そしたらモフるから。」
「え……嫌だ、オクエット以外に触られたくない……」
「いや、そもそもそこなんですか?」

冗談を言い合って、互いにどっと笑った。
隠し事もすれ違いもなくなって。
残ったのは、確かにかけられた橋だった。


  ・
  ・


「ルジェがいなかったら、もうちょっとだけ揉めてたかもしれないな。ありがとう、今日は俺からの奢りでいいぞ。」
「やったー!って言いたいところだけど、十分奢ってもらったからいいわよ。」
「?俺、なんかお前に奢ったっけ?」

夜、運命の天啓亭はいつも通りの賑やかさ。
子供が多いせいで晩酌をするメンバーが限られているエナンとファディは、今日はルジェを巻き込んで3人で飲んでいた。
因みにエヌはすぐに酔うため基本酒を飲まない。メンバーの半分以上がお酒を飲まない冒険者パーティとは。

「え?ほら、エヌたちが受けた依頼、結局あの人たち報酬を取りに行ってなかったじゃない。ついでに指名手配犯の魔術師の証拠品も届けて、まあざっくり1,600spくらい奢ってもらっちゃったかな~?」
「あっお前ずるいぞ!?依頼を解決したのも魔術師を倒したのもエヌたちだろうが!」
「え~誰のおかげであの人たちの違和感に気付けたのかな~?
それに依頼料はともかく、魔術師は証拠の提出とか魔物の後処理とか大変だったし~?あたしは魔法が使えるから残党の居る場所を割り出せたけど~」
「お前が教えなくてもワンチャンどころかスリーチャンくらい和解の可能性あったよな!?
あーもー分かったよ、じゃあ600spだけこっちの取り分で残りはお前が持って行っていいよ!」

やった!と、ガッツポーズ。流石トレジャーハンター汚い。
これは善良な心痛まないんですかって?別行動するけど同じパーティだし、財布管理が別なだけだから何も気にしなくていいかなって。
麻袋から銀貨を600枚取り出し、エナンに手渡す。根は真面目なのでここで金額詐称なんてことはしないだろうけど、一応されていないか二人でチェック。

「しっかし人狼なぁ……もう3年は同じパーティを結成してたけど、全然わかんなかったな。もっとほら、人狼って素早くって攻撃的なイメージあるけど、エヌって魔術師だろ?未だにピンとこないんだよなあ。」
「だからといって確認のために首元触ろうとしたのはどうなんですか。今にも殺しにかかりそうな目を向けてましたよ。」
「狼だったら気持ちいいのかなって……」
「扱いが完全に犬なんですよ。」

お開きの前に触ろうとしたら全力で腕を掴まれた。
魔術師の力じゃなかったし凄く目が怖かった。
銀貨を数え終わり、確かに受け取ったとルジェに伝える。あげじゃがとエールの追加を娘さんにオーダーし、話題が戻った。

「でもオクエットには触られていいのよね。」
「主人補正なんですかね。」
「何でちゃんと絆ができてるのにあんな分かりあえてないんだよ。」
「泥沼って怖いね。」

明日からは少なくとも自分たちとも少し距離は縮まるだろうか。
不自然な距離が消えて、仲間として自然な付き合いができればいい。人狼の姿を見ることがあってもなくても、ここまで共に冒険をした仲だ。簡単には縁を切らせるつもりはない。
彼らが望んでパーティを離れるまでは、何があっても。




部屋から一階の賑わいを聞きながら、明かりは消して月の光のみを光源にし、オクエットとエヌはベッドに腰かけていた。最も客が多い時間帯は、ここからでも声が届く。
いいからお互い休めと強く念押しされ、部屋から出してすらもらえない始末。夕食はトゥリアとテセラが届けてくれた。

「余も、エヌも、考えすぎていたのだなあ。」

労わるように、エヌの髪を手で梳いて、それから両手で首筋を撫でる。くすぐったそうに目を閉じて、身をオクエットに委ねた。
人狼の影響からか、首回り、特に顎下を触られることに弱くなった。そんな彼は、彼女の前でのみ襟巻を外す。元々は首筋を触られて人狼であることを実感したくなかったから着用したものだったが、今では彼女には触れてほしいと思うようになり、二人きりのときだけ外すようになった。
他の人には決して接触を許さない。他の人に服従するつもりは一切ないので。絶対に許さない。

「おかげでこうして余は気兼ねなく汝に触れられる。エナンたちに感謝であるな。」
「……それから、ルジェにも。
元々は、ルジェが打開しようとして……エナンたちに、僕が人狼であることを明かそうとしたらしいから。」

人狼の義眼を持っても、暗闇は見えない。
それでも、この義眼のおかげで大切な従者がすぐ傍に居ることが伝わる。
指を立てて、つーっと顎下に這わせる。見えなくても、身体を硬直させて堪えている様子が感触で分かる。嫌がらんのだなあ、と笑った。
こうして触れることは、獣として扱うようであまりよく思っていなかった。けれど、こうしてほしいと望まれている。
望まれているならば、与えてやるのが主人の務めだ。

「そういえば、だ。
何故何の迷いもなく目を差し出したかの質問。他の奴の目を移植するのは嫌だったのかとエナンらに聞かれて、我なりに色々考えてみたんだけどな。」

思い出したように。手を止めることなく、オクエットは語る。

「一つは、これは黙っておくつもりだったが。
人狼化の、狂化部分がどうにかできぬかと思うてな。」
「……狂化部分?これは、呪術の類だし……身体変化だから、オクエットの力でも、解くのは無理だと思うけど。」
「言うてしまえば精神干渉であろう?繋がりが強くなれば、余からの力もよく届く。干渉を上書きできれば、あるいはと。そうでなくても、干渉を引き起こす狼の憎悪を少しずつ消せはしないかと思うた。……余に汝の感情が返ってくることはすっかり失念していたわけだが。」

余が甘かった、と顔を曇らせる。
結果、自分が意識を失って、彼は自分のせいで傷つけてしまったと自責したことだろう。
ずっと、いつか人狼の力で自分を殺すのではないかと怯えていた彼だ。自分を助けるために、人狼であることも話して仲間に助けを乞うほどには。

「すまなかった。助けるつもりが、汝を傷つけてしまった。」
「…………オクエット。」

次は繰り返さぬ、と仲間の前では笑って気高に振る舞っていたが、今日の事態を引き起こしてしまったことを気にしていた。
けれど、エヌにとってはその言葉が嬉しかった。自分を大切にしなければ傷つく人がいるのだと。
彼女は、気が付いてくれたから。

「……それが、分かってくれたから、十分。
オクエットはもっと自分のことも大切にして。……君は昔から、自分が傷ついても何とも思わないから。
……僕は、君が傷つくと苦しいし、悲しい。僕のせいで、傷ついたなら猶更耐えれない。」
「え……そんなに余は傷ついておるか?別に余は恵まれた生活をしておったし、目は代わりに汝の目をもらったし……」
「そういうとこなんだよ。物理的だけじゃなくって精神的にもなんだよ。特に後者は殊更疎い。」

えー、とどこか他人事のような声を返す。分かっているのかいないのか。
彼女は弱音を決して許さない人だと、誰かがそういった。人のために涙できるのに、自分のことでは流したい涙にすら自覚がない。
濁ることのない、優しく強い心。決して濁りも陰りも許さない。
少々脱線しかけたので、他にも理由はあるの?とエヌが尋ねる。一つは、と言ったので、複数個あるのだろう。

「もう一つ、な。
もう一つ。汝は人狼となった。余は人間だ。今は余の方が幼いが、いつかは余の方が歳老いて、余の方が先に逝くのだろう。
そもそも冒険者として生きていく上で、明日どちらかが死ぬという可能性は大いにある。可能性としては、人の身である余の方が高いと思うておる。」
「…………それは。」

聞きたくないと思った。
明日、どちらかが死ぬかもしれない。自分が襲い殺してしまうかもしれない。その可能性はこれまでも考えてきた。
しかし、命の長さが変わってしまったことは考えたことがなかった。言われてようやく、長い空白の時間が生まれる事実を突きつけられた。

「だから。」

その従者の心を知ってか知らずか。
オクエットは、両手で優しく頬を包み、二色の瞳を慈しむように覗き込んで。

「余が先に逝っても、汝と共に生きる余がいるのだと考えたら、素晴らしいことだと思うた。」
「……!」

穏やかに笑って、もう一つの理由を答えた。

「できるだけ対等に、一人の人間として、汝をそう見ようと思うていたのにな。望んで従者になったわけではなかった。人狼ではなく人であろうとした、汝の在り方を守っていかねばと。
……しかしながら。余はいつの間にか、汝と居る事が当たり前になっていて、そんな時間が好きになっていたのであろうな。」

それは、とても彼女らしからぬ答えだった。
特別を、彼女は作らなかった。それは離別を恐れるからでも、己が独りになりたかったわけでもなく、無意識に。
領主と民。領主として民は誰一人特別扱いしてはいけないという意識から。それから極端に自己が薄い故に、誰かに対する欲もなかった。

(……君も、そうだったんだ)

いつの間にか、与えられていた。
いつの間にか、特別になっていた。
互いに不要なことで悩んで、意味もなくすれ違っていたことに呆れてくる。
もっと早くから、お互いにお互いが特別になっていたのに。
お互いがお互いに、関係性の変化を肯定できなかったが故に。

「だから、エヌ。頼むから、目のことで余が傷ついているとは思わないでくれ。
確かに余の片目は失ったが、それ以上のものを余は得ることができた。
村のこともそうだ。汝は余から全て奪ったと言うが、それは違う。」

小さな身体で、ずっと大きな身体を抱きしめる。
小さな子供が親の身体に飛びつくように見えるそれは、知っている人だけが分かる、小さな主人が大きな従者をより傍へと許す行為。
溝なんて、もうどこにもない。
それは穏やかな川となって満たして、かけられた橋が繋いでくれる。

「出会いは美しくなかったかもしれないし、汝にとっては後悔と罪悪感ばかりかもしれぬが。
余にとっては、汝だけは残ってくれた。汝だけは、余から離れなんだ。余という次の領主を求めた父も、母も、民も、村も、余の手から零れ落ちた。だが、汝は……今もこうして、傍におってくれる。
どうか、これからも傍に居てくれ。どうか、罪だと言わないでくれ。……汝が居ると、余は全てを失ってはいないのだと安心するのだ。」
「……オクエット。」

彼女なりの精一杯の甘えであり弱音だと思った。
自己の薄い彼女の唯一の強い欲だと思った。
―― 分からなくなってしまったものだと、ずっと思っていた

「―― 仰せのままに。」

強く抱きしめ返す前にオクエットの顔を見た。
色の異なる瞳が丸く開かれていた。
あぁ、汝もそのような笑顔を作れるのだなあ、と腕の中で彼女は笑っていた。



ルジェがエヌに聞いた。

―― もし可能ならば、人狼の呪いを解いて、人間に戻りたいか?

エヌは首を振っていいや、と答えた。
戻らなくてはいけない。人狼であることを隠していたあの日々であればそう答えた。
けれど、今はもう戻らなくてもいいと答えられる。人狼の力で主人を守りたいという、人としての願い。ビーストテイマーの主人と、人狼の従者。この関係を手放したくはなくなっていた。

迷惑かけるけど、とオクエットに申し訳なくなったけど。
それが汝の選択であるなら余は受け入れる、と笑ってくれた。

今日も、名を呼ばれる。
心地よく、柔らかく響くその声が。


決して許しを乞うことなく。
其は初めから罪などではなかった。



 

 

☆あとがき
リプレイまとめる前にあんまりにもオクエヌに情緒焼かれてなんかできちゃった……
オクエヌの始まりがやばくてめちゃくちゃ泥沼化してて、「これ人狼になったことを隠して誰にも相談しないからじゃね?」と結論を出し、明かす物語を書いたらなんということでしょう、びっくりするくらいハッピーエンド!!
因みにつがいの窓はイフで片づける予定だったんですが、ルルクスさんに札絵を描かれてしまったので正史になりました。なんで描いたあの人!!

ところでこの後、エヌ君からの距離がめちゃ近くなるしオクエットちゃんもよくなでなでよしよしするんだろうな、って。顔には出ないけど傍にやってきてすぐ隣に座ったり、一肌恋しくなったらすり寄ったりしてなでよしされるやつ。何してほしいとかどう考えてるとかはオクエットちゃんが全部把握してる。
そんでエヌ君は人狼の影響かもしれないけどそれ以上にオクエットちゃんが大切で主と認めているからって思ってて、オクエットちゃんとしては望まれてるからやるけど獣とは思ってない。っていう、アフター関係。…………。
なんか両想いじゃないのにエヌ君からオクエットちゃんに対してくっそめんどくさい感情ベクトル向いてませんかこれ???

この人たち、(私の性癖なのもあるけど)ふれあいが多いし刷り込みみたいなことが起きてるし……性癖に悪いんだよな……異種族による感覚の変化とかさあ……触れられたり名前呼ばれたりして気持ちよくなっちゃうの可愛いよね…………
…………
この人たち属性過多すぎなんだよ!!!!!!!!!なんやねん年齢差に身長差に種族差に寿命差に主従に後天性が故に人間と人外の考え方による葛藤に従者が主人から全部奪っちゃった後悔になんかもう色々!!!!!!!!

☆ほんのりだけどリプレイに出てきた(1~50依頼の中にあった)シナリオ
『感情集積工房』 烏間鈴女様作
『黄昏の人狼』 藤四郎様作
ネムリヒメ』 春野りこ様作
『黄昏は煉情の墓標』 cacco様作