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「悪ぃな、あんなやつだから薦めるに薦めづらかったんだよな」
病室にクレアを移動させて寝かせ、レナータからの連絡を待ちながら各々部屋の中にあった椅子に腰かけていた。あんまり時間はかからないとレナータは言っていたが、ララテアは落ち着かずにそわそわしていた。
この部屋も綺麗に掃除がされており、太陽の光もよく入る良い環境が整えられていた。ここも俺がこないだ掃除しました、とフィリアがピースを作る。やっぱりここの従業員の一人なのではないだろうか。
「悪い人じゃないし、信頼していいなって思ったよ。言ってることちゃんと分かるし、無茶苦茶なことは言ってない」
「ありがとなコルテ、そう言ってくれて。ああいう言い方するからすげー誤解されるだけで、悪いやつじゃねぇんだよ」
そういえば診療所の看板にヒーラーに対して当たりが強い文章があったな、と思い返す。ヒーラーに対して恨みがあるのだろうか、と最初は思っていたが、ただ単にヒーラーのやり方を求められても応えられないという意味だったらしい。あいつは別にヒーラーを憎んでるわけじゃねぇよとフィリアからの補足もあった。
「あ、お兄ちゃんの手のことすっかり忘れてた」
「あぁ、いいよ後回しで。こっちは応急処置はしてるんだ、検査結果が出てからで大丈夫だ」
「お前あんま自分の怪我を蔑ろにすんじゃねぇぞ? 強さを求めんなら余計にな。なんなら怪我がなかろーが定期的に診てもらえ。じゃねぇと、取り返しのつかねぇことになっからな」
今回は事情が事情で、本人は治療してもらう気はあった。しかし、自分の怪我に対して無頓着であり続けるのであれば話は別だ、とフィリアが叱咤する。戦う者にとって、己の身体は何よりも大切にしなければならない。それは唯一無二の武器であり、一度砕けると二度とは手に入らない代物だからだ。小さくはい、とララテアが答えれば、よろしいと満足気に微笑んだ。
「フィリアさんはレナータさんとどういう関係なの?」
「俺にとってはダチでありかかりつけ医。あいつにとっちゃ俺はダチでありここの助っ人。ちょいちょい身体を診てもらう代わりにここの手伝いをしてんだ。材料取ってきたり診療所の掃除したり飯作ったりボタン付けてやったり」
「まってまってまって、やってることが段々ただのお母さんなんだけど!!」
曰く、レナータとシーランはどちらも大変ズボラ人間で身の回りの世話すら怪しいらしい。見ていられずに彼らの生活に手を出してしまったが最後、頼りにされてしまい仕舞いには医療費以上にアルバイトをすることになってしまったのだと言う。第一印象からは想像がつかないが、このサヴァジャーは相当に人が良く、面倒見も良く、お母さん気質だ。
「あとはやっぱ、気が合うんだよな。俺は野性に極力頼らずに戦うと決めた。あいつは野性に頼らず医学を研究する。自分たちの在り方が似てるもんだから、気づけばずーっとつるんでんだよ」
これまでの過去を懐かしむように、目を閉じて思い返す。そうそう、パリィイイイン!! とフラスコが割れてな、ぎゃぁあああああ!! という悲鳴がな、まるで本当に今行われてるように鮮明に聞こえてきて
「なんか聞こえちゃダメな音と声がしたんだけど!?」
「あーあ、あいつまたやりやがったな。どうしようもねぇドジなんだよ。ちょっくら様子見てくるからここに居てくれや」
なんということでしょう。リアルタイムで事件が診察室で行われていたではありませんか。それをいつものことだと大変慣れた様子でフィリアは対処に向かう。遠くからまたやらかしたな~、だとか、ちょっと手が滑ってしまって~、だとか、この上なく軽いやりとりが聞こえてくる。
ララテアとコルテは察した。だから、頼りになるかどうか、歯切れが悪かったんだ。うっかりやで人の心がない情報は先にほしかったな、と思うが先に情報を与えられていれば来ていなかったかもしれないな、とも思う。
「……コルテ。改めてどう思う?」
「頼るんじゃなかったってちょっとだけ後悔してる」
「奇遇だな、俺もだ」
では他に誰が頼れたかというと、誰も頼れなかったのだが。辛辣で論理的な人間、で止まっていればこの後悔はなかったのだろうが、うっかりやという医者にあってはならない性格のせいで必要のない動悸に襲われている。何でこの診療所やっていけてるんだろう。フィリアのお陰かな。
「……でも、言う通りなんだろうな、と思いました」
うつ伏せに寝かされたまま、弱弱しい声でカラスは鳴く。無理に話さなくていいと静止させようとするウサギに、首を横に振って話したい意志を示す。
「……神秘は、分からないから、神秘なのだと。分からないから、価値がある。私の価値は、その程度だって」
「クレア……」
図書館で彼女が話していた言葉を思い出す。本当に白いカラスが居て、神様の使いであったなら。白が本当の姿なのだとしたら。神話を信じ、心の拠り所にしてきた。それは少なくとも白のカラスを神秘だと、己の力を特別なものだと思いあがっていたとも言い換えることができた。
その言い換えを、あの薬師は突きつけた。暴いてしまえばなんてことはない、ただの変異種に成り下がってしまう。白いカラスという得たいの知れないものを、人は物珍しく美しかったので神秘と形容し、神話を作った。太陽の輝きも、月の満ち欠けも、科学的に解明できなかったから、人は魔法だの神だの災いの兆しだの好き放題形容した。
白いカラスだってそうだ。今ではアルビノという遺伝病だと解明され、変異種も遺伝子異常に近いものだと知られている。神話の御伽噺など、人々はとうの昔に忘れ去った。あるいは言い伝えとして、過去に信じられていた虚構としてしか扱われない。
「……嫌だな、って。思ってしまったんです。もし、暴かれたら。私は、私の価値は、どうなるんだろうって」
「本当に面倒くさいですね貴方」
一切の気遣いなく、遠慮なしにレナータが入ってくる。その後をフィリアが続いて入ってきた。レナータはそれこそ手に持っているバインダーを叩きつけるかの勢いでクレアに迫り、いいですかと人差し指を立ててたとえ話をする。
「ガルムはご存じですか? 汁がミルクの代わりとなり、更に生育旺盛ですぐに育つことで重宝されているあの植物です。それが判明する前はただの厄介な雑草として扱われ、爆発的に増えるが故に野性で焼き払われることだってあったと言われております」
正体を暴き、利用価値を見出すことができたから価値が生まれた例だとレナータは言う。
動物がモンスターとなった世界では酪農など不可能だ。凶暴化・異常成長した彼らを元に戻す術はなく、人間が順応する事を強いられた。その在り方は、かつての神秘を暴こうとした人類と何も変わらないだろう。
「私の言葉を曲解した上に、神秘と価値を混同していらっしゃるようなので言わせてもらいますが。
誰も神秘が暴かれれば無価値だとは言っておりません。貴方の力が人の手で再現できるようになり、一般的になれば人は病を知らなくなります。それは、貴方の力に価値がそれだけあったから。神秘性はなくなりますが、価値は守られたままでしょう?」
それに、と。薬師は白衣を正し、ふんと鼻を鳴らして。
「そんなものがなくとも、少なくともその付き添いの人は寄り添い続けると思いますがね。
貴方が神秘的で得たいの知れない力をお持ちだから傍にいるのではないでしょう? 貴方という存在そのものがかけがえのないものだから、その人は傍にいる」
ひょい、とバインダーの他に持っていた軟膏をララテアへと放り投げる。レナータの話に聞き入っていたせいで反応が遅れ、慌てて咄嗟にキャッチする。急に投げるな、の文句に重ねて、一言。
「それが特別だと私は考えておりますが」
はっきりと、言い放った。
手を怪我して蔑ろにして、それでもあなたを優先する程度にはこの人たちにとって特別視されている。随分と自分が特別な生き物だと思いあがっていたから、はんっと薬師は鼻で笑った。神秘に縋るなど、それこそ理屈があやふやなヒーラーと同じ考えだ。
「…………」
「…………」
「……え、何ですかこの空気」
気に入らなかったし誤解されたままではたまったものではないから自分の考えを明確にした。レナータにとってはそれだけのことだった。だというのに話を聞いた者らが眼を見開いていたり、輝かせていたり、驚愕していたりするものだから、眉に皺もよるというもので。
「レナータが……人の心ある発言した!!」
「はい?」
「お前どっかに捨ててきた人の心をいつの間に見つけて装着したんだ!? 探し物は見つけにくいなんてもんじゃなかっただろ!! え、どこにあったんだそれ!? もしかして暴こうとしたのも、ウルナヤの奴らに特別な力じゃなくして救おうとかそういう魂胆!?」
「合理的ですよね。追われる理由がなくなれば逃げる理由もなくなりますし、のびのび過ごせますよ」
全くそんなつもりはなかったが、なるほど理にかなっている。そこまで考えていたわけではないのに、何故か周りが盛り上げてくるから薬師としてはたまったものではない。
「とりあえず検査結果をお伝えてしますが、案の定トリインフルエンザでした。感染力が強いのでこのお部屋で大人しくしておいてくださいね」
「え……と、トリインフルエンザ……ですか……?」
ウサギやイヌにとっては馴染みのない病名だった。インフルエンザにトリが付くから、トリにだけが発症するインフルエンザだろうか、と首を傾げている。一方で、カラスは顔を青くし、小さな身を震わせていた。
鳥類の野性を持つ者のみが感染すると言われ、高い感染力と致死力を持つとされる病の一つ。発症者が現れればその者を治療することは諦め、被害が拡大する前にその者を殺す。周囲の鳥類の野性を持つ者は隔離され、発症が確認されれば同じく殺す。
治療法も未だに見つかっておらず、鳥類の野性を持つ者の間では『死の病』とさえ称される。
「はい。ですから外は出歩かないでください。パンデミックを引き起こされると私が過労死しかねませんからね」
「あっあの……、……すぐにでも、私を、殺さないと……」
「殺す!?」
ガタンッと椅子が音を立てた。血相を変えてララテアが立ち上がり、コルテやフィリアも声を上げた。は? と、レナータも疑問符を浮かべたが、こちらは何か思い当たるものがあったらしい。一つため息をついて、おもむろにメガネを外し布で磨き始める。
「いつの時代の話ですかそれ。70年前には治療法が見つかり、その5年後には普及しておりますよ」
「え……!? し、しかし、村の記録書にはそう……」
「最も、よそ者を拒むような集落であればまた違ってきますがね。普及とは人の多く住む地……スドナセルニア地方やすぐ近くのロメジア地方のお話になります。それから独自の文化を持つジャニアス地方、後は外交が盛んなサルンナ地方辺りももう適切な処置ができる病として取り扱っておりますよ」
白いカラスの知識は、あくまで白いカラスが見てきた世界の中でのこと。外交がなく古き伝承を受け継ぎ生きるノルザバーグ地方の、特にトリの野性持ちが多く住むウルナヤの者にとっては、今も治療法は上手く伝わっておらず死の病と称されている。独自のルールを重んじ、時代の流れから取り残されてゆくことを伝統だと妄信する。そうして生まれる地方格差は、差のない内側に居る限り決して気づくことなく、外側に触れて初めて気が付くのだ。
眼鏡をかけ直し、治療法について話す。朝昼晩に3種類の錠剤と1種類の液剤を食後に飲む。どの薬の材料も在庫があるため取りに行ってもらう、ということはない。他の鳥類の野性を持つ者にとにかくうつりやすいため原則外出禁止。トリではない野性持ちの人間は病原体を持つこともないため、トリの野性を持たない者であれば面会に制限はない。人にもよるが、大体は3日から5日程度で完全に回復するらしい。
「じゃあ、レナータさんもトリの野性じゃないからこのまま診てくれる、ってことでいいのかな?」
「はい。シーラン様もトリの野性ではございませんし、私はP2- E-Frogですから。ただの土属性のカエルです」
「マイナス?」
「野性を薬などで抑え、弱体化させている者に付く記号です。最も、この記号は本人希望で自身の野性カルテから外すこともできますから。実際に耳にする機会は該当する方々以上に少ないでしょう」
質問に答え、磨き終えたメガネを再びかける。塵一つなくなったレンズはありのままの世界を装着者に伝える。焦点が合い、はっきりと見えるようになった世界は色鮮やかな一方で小さな汚れもよく目立つようになった。最も、この部屋にはそのような気になるものは何もなかったが。
それではお仕事が残っているので、と一礼して部屋を出て行った。ララテアに投げ渡した軟膏に説明こそなかったが、蓋に『1日3回』とメモが貼り付けられていた。恐らくフィリアが向こうに向かった際にレナータに症状を伝えていたのだろう。説明がなかったことは、説明せずとも分かるだろうというサヴァジャーに対する信頼か、あるいはただ忘れていただけか。後者な気がするが、前者ということにしておいた。
「……よ、よかったぁ……」
緊張の糸が切れて、ララテアは脱力して先ほどまで座っていた椅子へとへたり込む。名前から凡そ症状が予測できていた一方でクレアから物騒な単語が出てきたものだから、いくつも悪い想像をしてしまった。
それはクレアも同様だった。己の身にこれから起きることは、今まで村で受けた仕打ちとは違う一度きりの罰だと覚悟した。それを肯定できなかったから村から逃げ出したというのに、ここでもそれは鎌首をもたげて自身を狙ってくるのだと思った。
「や~ウルナヤだっけ? 因習村っては聞いてたけど、マジでやべぇな。感染症が流行する前にそいつを殺して被害を抑える、か。とんでもねぇ」
「けど、『いつの時代の話だ』ってことは……治療法が確立されるまでは、ウルナヤ以外でもおんなじ方法で解決してきたかもしれないんだよね。そうでしかどうにもできなかったのかな……」
「70年前までは治療法がそもそもなかった、つってたもんな。風邪と違って致死率が高ぇ上感染力もある。なら、確かに被害拡大前に1を殺すのが最善になっちまうわな」
トリの野性持ち以外に感染することはないにせよ、感染すれば高確率で死に至る病。倫理観さえ無視できるのであれば、最も合理的だと言える。生かしておいた結果、死に絶えて被害が拡大したとなれば生かした者すら罪人となる。
されど、今は今だ。死病は暴かれ、驚異は抑えられた。先人たちの努力に甘んじよう。
「ああああああすみません忘れてました! 今日午後から診療所留守にするんです!」
ガラガラドーン! うーん、病人に無遠慮なノックのない元気な開閉音。何もかもが台無しになった。
「なんだ? どっか出張か?」
「そうなんですよ、今朝シーラン様から朝の陽ざし亭まで出張があるとお伝えされまして……」
朝の陽ざし亭までの出張。
「アルテさんから昨日の夜頼まれたのなら昨日のうちに言えって話なんですよあの能天気お気楽サボりまつ毛パサパサ野郎が……」
昨日の夜、アルテから頼まれた。
「……それ俺達のことじゃん!!」
「えっ? 貴方たちのことだったのですか? ご足労いただきありがとうございます、おかげ様で私が道に迷わなくて済みました」
「すぐに来れないかもしれないってそういうこと!?」
忙しいわけではなく、医者のうっかりですぐにはたどり着けないという発想はなかったなあ。今までどうやってやってきたんだろう。診療所もでかいし。2人で到底やっていける規模じゃないのに。この医者で自由な院長だからお客が少ないのかもしれない。何でやっていけてるんだろう。カルザニア七不思議か?
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