海の欠片

わんころがCWのリプレイ置いたり設定置いたりするところです。

回帰 ― 合 ―

※暗夜アフターの小説になります
※一部お名前を借りたり喋らせたりするかもしれません。名前は借りました

 

 

 クマゼミがけたたましく鳴き喚く、暑さが本格的に厳しくなってきた頃だった。日差しは強く蒸し暑い日が続くが、山の中はそこまで気温が上がらず、比較的過ごしやすい。東京と比べればずっと涼しい方だ。
 異変が起き、解決してから約一か月半が過ぎた。規格外の騒動が収束して以来、裏社会側の人間はそれぞれの日常へと帰っていった。陽桜市に残った者もそれなりに居るが、元々異変解決のために召集されていたのだから地元へと、あるいは本来の世界へと戻っていったのだ。
 一方で、異変解決にはさほど携わっていなかったにも関わらず、忙しい日々を送っている例外者が兵庫県の山の麓に居た。まだまだ日が高い頃、一人の退魔師からの連絡に声を荒げていた。

「だぁかぁらぁ! 菊月澪は寄こせないって言ってるでしょ!」
「そこを何とか! 人手不足なんですよ!
 転移で来てもらってちゃちゃっと」
「そもそも派遣とか私から仕事を彼に振るとかそういうことをしないって言ってんのよ!
 これずっと言ってるでしょ諦めなさい!!」

 ケータイを投げ飛ばそうとする寸前で理性が止め、通話終了をタップする。不機嫌そうな声を上げて、資料を開いた状態のパソコンに向き合う。
 東(あずま)先生、と菊月澪(きくづき みお)が慕っていた人物だ。赤みの強い茶色の長い髪をして、白衣を着た背の高い女性。年齢は40代後半で、精神科医を務めながら高校で非常勤講師もやっている。それに加えて桔梗院のサポートも行っているのだから、誰がどう見ても『働きすぎ』の人間である。かといって無理をする人間ではなく、いつも自分自身に余裕は持たせている。

「ったく……自分の都合しか考えないんだから……そもそもあの子はどうしても一般人だから戦わせに行かせられないつってんでしょ……」
「せんせー、あたしが行ったってよかってんで?」
「あなたもよ、ひかりちゃん」

 部屋のベッドに腰かけ、足をぶらぶらさせる女の子が一人。明るく快活にけらけらと笑いながら東を後ろから見ていた。
 藤堂ひかり(とうどう ひかり)。菊月澪と同級生で、小中を共に過ごし高校から別々になった。茶色で小さなツインテールが特徴の、社交性が高く誰とでも仲良くなれるタイプの人間だ。一般人の生まれで、半年前に退魔師となった所謂『5%の人間』の一人である。故に東も藤堂を積極的に戦わせたくないのだ。

「ていうか場所、宍粟市(しそうし)よ。遠くはないけど行きづらいでしょ」
「あ、藤の花が綺麗な市の名前読めへんことで有名なとこや。
 てか宍粟市やったら姫路から人呼んだらええのに。おるやろ、姫路」
「頼んでるんだけど、最近は転移が使えることを知った上層部がすぐに派遣できると思ってすぐこっちに話が回ってくるのよ。あの子のことだから、話を回せば二つ返事で行くでしょう?」

 分かる~と、うんうん頷く。しかし、直後に『今』の彼であればどうだろうなと考える。
 彼はかつて自分の日常を脅かされたからこそ、誰かの日常が壊れることをよく思わない。それから影狼が怪異を憎み、その想いに応えるために、恩返しとして彼は今日まで戦ってきた。
 彼にとって、『そこに居てくれる』ことが最大の見返りであった。彼らが変わらぬ日常を過ごしてくれるのであればそれでよかった。そこに自分の存在は求めなかった。輪の外で一人過ごしていればそれでよかったのだ。
 その願いが崩れてしまったのは異変解決のために東京に行ってから。非日常側の学校に通い始め、非日常側のアルバイトも始めた。新たな出会いにより、望んでいた日常に手を伸ばそうとした。しかし休む間もなく起こる事件に、それから期待させた相手からの仕打ちによりすっかりと精神は疲弊し人間不信に陥ってしまった。
 元々彼は特別な縁を避けようとしてきた。期待を諦めたのは一年前、中学卒業時のことだった。怪異との戦闘で大怪我を負い、療養している間に行われた。一人くらい心配してくれているだろうか、と淡い期待をしながらクラスニャイン(連絡用アプリ。要するにL〇NE)を見て、心配どころか存在がなかったかのようなやりとりが行われていた。
 誰も自分のことなど心配していない。自分など居ても居なくても変わらない。退魔師である以上日常を諦めて生きてきた、当然のことだ。それ以来、今まで以上に人との縁を期待せず、裏切られることに怯えて生きるようになった。静かで消極的な性格故に、友達ができることもなく彼の希望通りに居られたのだ。

「……縁は切れるもん、なぁ。切ってきたんあいつやんけ」

 それに対して、藤堂は少しの怒りを覚えていた。
 かつて山の中で迷子になって途方に暮れていた自分を、彼は助けてくれた。暗闇が見えることに気が付いてしまったから、彼は自分に記憶の消去を行った。最も、それは呪術に目覚めたときに効力を無くしてしまったのだが。
 些細なことだったのに。言ってくれれば秘密にしたのに。同時に彼らしいとも思った。決して外へ気づかれてはいけない裏側の世界の掟。それを守るために、彼は一人になることを選んだ。
 誰とも関わらず、日常と線引きをした。そうすることで、裏社会の人間だと悟られないようにした。個が食われ内向的になったこともあり、さほど苦しくはなかったのかもしれないが……自己犠牲的だと藤堂は思うのだ。

「やっぱあいつともっかい会うたろ。
 東先生、今度あいつんこと捕まえといて。精神的には落ち着いとんのやろ?」
「相変わらずの行動力。ダメって言っても聞かなさそう」
「なんでやねん、今の今まで聞いてったやろ。
 こーっそり盗み聞きもさせてもろとるし、事情の全も把握しとる」

 それに、と窓の外を見る。
 東の診療所は山の中にあるが、麓にあり町にも近い。鬱蒼とした景色ではなく、木漏れ日が降り注ぎ適度な明るさがあった。邪魔やなあ、と藤堂は愚痴を漏らしながら込み合った枝葉の先の陽光を見据えた。

「あたしにしかでけへんことがある。
 義務とか同情とかそんなんちゃう。ただあたしが……もっかいあいつに会いたいねん」

 窓を開け、天に手を伸ばす。
 夏のじりじりと焼けるような暑さに、空調機によって冷えた手はすぐに熱を帯びた。まるで今まで死んでいた手に生気が宿ったようだった。
 力強く拳を作る。暑いから閉めなさい、とぱたぱたと手で仰ぐ東に叱られ、苦笑しながら窓を閉じた。

  ・
  ・

 藤堂あかりを知る者の多くは、彼女をクールで真面目で優しい優等生と答える。
 兵庫県では偏差値の高い公立高校へと入学し、そこでも成績上位1桁をキープしていた。さらに運動神経も抜群で、欠点らしい欠点は少なかった。強いて言えば自覚のない音痴で、それを知っている者は頑なに彼女が選択科目で音楽を選ぶことをやめさせようとした。
 高嶺の花である一方、人への気配り上手で社交的であったため、クラスから孤立することなく常に人に囲まれ好意的に接されてきた。生徒会への立候補も推薦されたが、それは辞退した。
 理由は簡単。退魔師になったからだ。理由こそ明かさなかったが、裏社会に足を踏み入れてしまった以上、どこかで何かを諦める必要はある。最も、彼女は諦めたわけではなく、どちらかを選ぼうとして悩むことなく退魔師の仕事を選んだわけなのだが。
 危険な仕事で、命がけだ。異界に引きずりこまれ呪術を開花させたとはいえ、記憶を消し日常に戻ることだってできた。菊月澪と違い、藤堂あかりは怪異との契約でなければ親が巻き込まれたわけでもない。友達2人と共に引きずり込まれ、その2人には呪術の才能はなかった。共に記憶の消去を受けたとして、十分日常に戻ることだってできた。
 ではなぜそうしなかったのか。至極単純で、あまりにも馬鹿らしい理由だった。

「裏のある人間って素敵やん?」

 たった、それだけである。
 学校では優秀で真面目な生徒を『演じている』だけで、彼女の本質は明るく大らかで、真面目とは言い難い楽観的で自由奔放な人間だった。これも、裏のある人間で在りたい、たったそれだけの理由である。
 土曜日の午前中、東の元で診療を終えた菊月に藤堂は話しかけた。退魔師の仕事を行う部屋の中で対面する形でテーブルを挟んで椅子に座り、退魔師になった話や引き受けた理由を話した。それを聞き、このあまりにも頭の悪い発言に思わず菊月は顔を覆った。

「そんな理由で命がけの裏社会に来るとかありえへん!」
「は~~~? ありえへんってなんやねん、人の人生にケチつけんといてか!」
「あんまりにも軽率すぎるやろ! 下手したら死ぬんやぞ! ちゅうかちょっとは怖がれ!」
「いやごっつ怖いで? せやからこの辺の見回りとか簡単な怪異の退治とかしかせぇへん。
 桔梗院も、一般人から退魔師になりたてほやほやのあたしなんか役に立つ思とらへんわ」

 実際藤堂の言う通りである。桔梗院は退魔師を雑に扱いはせず、一の命であることは尊重する。退魔師の家系ではない、一般人から退魔師になった者はどうしても精神的にも実力的にも不安が多い。実力以上の任務に向かわせない、より精神面のケアも考慮するなど繊細に扱わなければならない。
 藤堂はその自覚があった。同時に自分が退魔師にさほど向いていないことも理解していた。人を守るための正義感は人並で、化け物と対峙できるほど強靭なメンタルを持ち合わせてもいない。多少の異形であればまだしも、大型でグロテスクな怪異となれば足が竦む。また、誰かが怪我をした、誰かが死んだなどすれば冷静でいられないだろうと自己分析をしていた。
 結果、あまり積極的に任務へは参加せず、近隣で一人でも対処できる怪異を相手にしていた。自分の力量を正しく見定め、冷静に在った。おかげで東も手を煩わせることなく、むしろ自身の補佐として仕事を手伝ってもらうこともあったほどだった。
 彼女の思考は、論理的な面で考えれば退魔師に向いていると言えるだろう。最も、あまりにも愚かとしか形容できない理由で裏社会に身を投げたことを忘れてはならないが。

「せやったら何でわざわざこっちの世界に足踏み込んだんや」
「そらあ。あんたが暗い山ん中見えとった理由が分かったから」

 東が二人分の麦茶から、パキリと氷が割れる音が響く。
 藤堂はストローをくるりと回し、ハッとしながらも怪訝な表情を浮かべる菊月を笑い飛ばした。

「何でそんな泣きそうな顔すんねん。罪悪感か?」
「は? 誰もそんな顔しとらんけど?」
「抱いてへんのやったらどつくでな。
 あんたはな、うちの大事なもん奪って捨てたんやから。正直3回くらいしばき倒したいんやでこっちは」

 播州弁特融の口の悪さだが、そこに怒気は一切ない。目の前の人の言葉と表情が一致していない様子に、藤堂はまた声を出して笑った。
 自覚はきっとないのだろう。泣きそうな顔をしていると言われても、彼は本気で分かっていないのだろう。
 時々そんな様子が伺えた。いくら誠実さを捨ててひねくれてしまっても、自分の本心はしっかりと残っている。東との縁が密接なこともあり、伊藤や霧山といった東京での友人には分からない部分を、彼女は理解することができた。

「所詮は性格の再定義、ってとこやろ。
 個を食われて自分が揺らぐから、自分で自分がどういうもんか定義する。なよなよとして内向的でそれでも人がええ自分って定義が不都合になった。せやから生きるのに都合のええ、不誠実でひねくれた菊月澪になった。ちゃうか?」
「……それが、泣きそうな顔とどう関係あんねん」
「本心は誠実なまんまやから。
 定義した性格がエラー起こすんやろ。やっぱええやつなまんまよな~ こっち側に足踏み込んでよかったわ。あんときの大事な記憶も取り戻せたし」

―― 『初恋の人は?』
 影狼の言葉が菊月の脳裏を過った。何故その言葉が脳裏を過ったのかは分からなかった。
 かつてのことを思い出そうとしても、大して思い出せなかった。とっくに影狼たちの代償としてその記憶をやってしまった。大して大事な記憶ではなかったから後悔も悲哀も何もなかった。
 そこにあるのは、己が切ってしまった縁の跡。彼女は自分に縁を結ぼうとして、自分がそれを突っぱねて切手しまった。なんだ、自分だって縁を切って不誠実を働いたではないか。退魔師である以上仕方がないと肯定する自分が8割。不誠実で浅はかだったと責め立てる自分が2割。

「澪。きっと覚えとったら、あたしはずっとあんたに言いたかったことがある」

 苦手になってしまたくせに、鈍感な性格が災いした。
 人並の感性があればすぐに察せたはずなのに。
 言い訳をするなら、その言葉があまりにも自然で、あまりにも躊躇うことなくごくごく普通のものとして出てきたから。

「あんたのことが好き」
「っ……!!」

 ぞわり。局地的な冬の地に放り出されたのかと錯覚した。背を無数の毛虫が這ったのかと誤認した。
 ガタンと音を立てて椅子がひっくり返った。立ち上がり、身を乗り出して金色の瞳を睨む。禍々しく光る赤褐色の光が、天使の輪のような輝きのそれを見据えた。

「お前もそうやって! オレのこと利用するんやろ!!
 もう騙されへんっ……ふざけんのも大概にせぇよこのアマっ……!
 そうやって都合のええ言葉で信じさせて裏切るんやろ! そうやって人傷つけて弄んで楽しいか!? なぁ!! 人を苦しめて楽しいか!? 言うてみぃ!!

 憎悪に染まった、濁った紅色だった。
 狼は一度番を作り、番がいなくなったとしても別の番を作ろうとはしない。それどころか、番の死を後追いする個体もいる。狼の気質はその通りとはいかずとも、近しい恋愛観を抱いている。
 もう終わったことをいつまでも引きずり続ける。今ある縁をどれだけ大切にしようとしても、切ったはずの縁が錘のように枷となる。触れようとすれば牙を向く狼にできることはたった一つ。触れずに見守ることだけだ。
支える、いつも通りに居る。そうして傍に寄り、触れはしない。時間という薬で傷が癒えることを待ち続ける。

「利用なんかせぇへんよ。
 それに。あたしは何も澪に求めてへん。勝手に好きになったんやから」
「そんなん、そんなん全部嘘や!! どうせお前やってオレを利用して私利私欲に扱うんやろ!!
 分かり切っとんねん!! お前らほんまにふざけんなよ、人の縁に責任持てや、残されるやつのこと考えてみぃや!!」

 怯むどころか微笑んで頬に触れる。されどそれはすぐに猛獣によってパン! と音を立て払いのけられた。
 鉄のようなアルミのような、工場に多い香が微かに鼻を擽った。血の匂いを鉄の匂いと比喩表現する者が多いが、これは正真正銘の金属の香りだった。
 じん、と痛む手をひっこめ、ぱっぱっと振るう。痛みに表情を崩していたのは藤堂ではなく菊月の方だった。
 その手の動きを見て、ほれみたことかと嘲笑している。嘲笑うように釣り上げた口はひくついてぎこちなかった。細くなった目からは、やはり涙がこぼれてきそうだった。

「……いや何も求めてへんっちゅうのは確かに嘘やな。すまんすまん。
 2つだけ。2つだけ聞いてほしいお願いがある。けどそれはあんたを苦しめるためのもんにしたない。
 聞いて無理やったら無理でええ。答えたから特別どないかせぇとも言わへん。そもそも告白の返事なんか要らん。別にあんたと結ばれようとか思とらん」

 ん、と手を差し出す。
 触れて驚かせてしまったならば、次は自分のペースで触れられる方法で。自分が悪いと思っていないから特に謝りはしなかった。

「縁は切れるもん、っちゅうんやったらな。一個だけ、それを肯定した上であたしが証明できることがある。
 英志でもあきらでも、ましてやチェシャや信乃でもない、藤堂あかりやからこそできることがある」

 どういうわけか、一度切れた縁は悉く元に戻らなかったらしい。
 形を変えて再び結ばれようとした縁もあったのだろう。けれど、菊月は縁を期待するどころか、その縁を切り手放した。
 残っていると辛いから。切り離し捨ててしまえば、いつかなどと期待をせずに済む。期待して裏切られてを繰り返してしまったからこそ至った結論。
 だからこそ、誰かが証明しなければならない。

「あたしにどうか。
 『幼馴染』って縁をくれへんか?」

 一度切れて捨てた縁だとしても。
 再び新たな縁となり、結ばれることもあるのだと。
 信じられなくてもいい。疑ったままでもいい。
 ただ、一般人と退魔師だったが故に切れた縁が、退魔師と退魔師として、同時に一般人と一般人として再び巡り合い縁となることを。

「もしも縁は切れるもんやとしても。
 切れた縁が形を変えて元に戻る、っちゅうこともあってええと思うねん」
「…………何で?」

 手負いの獣は、牙を剥き威嚇をする。
 人は、理解のできないことに恐怖する。

「何で、なん? うちをどうしたいん?
 なんやねんお前……言っとっけど、もうお前の知っとるオレとちゃう。もうお前の好きやった言うオレはどこにもおらへん。せやからやめろ、やめてくれ、もう……放っといてくれ……」

金の瞳から目を逸らす。
その場で逃げ出さなかったのは、微かにも期待してしまったからなのだろう。

「やめへん」

見ている。金の瞳が、心を見透かしている。
その色に恐怖を覚えながらも、どうにだって逃げられたのに逃げださなかったのは。

「あたしにとって、あんたはヒーローなんや。
 あたしを救ってくれた、せやから今度はあたしがあんたのヒーローんなる

 あまりにも、その瞳が美しく気高く、思わず魅入られてしまったからなのだろう。
 気づけば、藤堂の手に菊月は手を伸ばし、握手を交わしていた。

 

 

→縁