海の欠片

わんころがCWのリプレイ置いたり設定置いたりするところです。

リプレイ外伝_6『かつてそう自分たちは -翼の頁-』

※大分理不尽なお話だぞ

※過去話だぞ

 

 

あたしの暮らしていた街は、北海地方の中ではそれなりに発展していた場所だった。ウィズィーラほどではないが、村と称するよりかはずっと賑わっている。田舎よりの都会、と表現するべきだろうか。
竜災害のあったあの日。あたしから日常が奪われたあの日。

 

「お母さんっ、お父さん……何で、何で逃げないのよ!」

 

母や父は語った。あたしはよく笑ってよく気が付く子だったと。明るく無邪気で元気な、自慢の子供だったと。
身分が低く、搾取される立場ではあった。けれど、その日常を恨むことはなかったし、誰かを憎むこともなかった。

 

「私は、この海と育った。海がこの街を欲するのであれば、私はその身を捧げる。」
「海と共に。海の神が願いは我々の願い。……俺は、その神の啓示を受け入れる。」
「何で……どうして、よ……何で逃げないのよ、今逃げれば助かるかもしれないのに……!」

 

両親は信仰深い人だった。北海地方には、独特の土着信仰が根付いていた。
万物の生命は海より生まれ出て、死した魂は海に還る。海は万物の母であり、我々は海への感謝を忘れてはならない。

 

「海から生まれたから、海に還るだけ。けれど、あなたはまだ若い。海から生まれた命が還るには、早すぎる。」
「だから、お前は逃げろ。俺たちは……きっと、海へ還るときが来たんだ。そうでなかったとしても、俺は、ここを捨てて行くなんてできない。」
「馬鹿……お母さんの、お父さんの、馬鹿ぁっ!!」

 

その日から。
あたしは、神というものを、信じなくなった。
涙は、流れなかった。
ただ、やるせなくて、納得がいかなくて。
悔しさという名前で、あたしに大きな爪痕を残した。
カァ、と鴉が鳴いた。

 

  ・
  ・

 

当時9歳だったあたしは、とてもではないけど一人で生きていくことはできない。そうすぐに考えられた。
貧しい暮らしをしていたが故に、生き抜くための知識はある程度持っていた。例えば食べられる草や、小さな動物の捕まえ方、それらの調理の仕方。お陰ですぐに行き倒れるということはなかった。
竜災害が起きたすぐのことだったので、北海地方の人々の多くは今を生きるのに精いっぱいだった。孤児の面倒を見ようなどというお人よしはまずいない。竜災害が起きていなければ、適当な村へ駈け込めば可能性はあったのかもしれないが。

 

「ねーねーそこのかわい子ちゃん。アナタ、もしかして竜災害に遭った子?きゃはははははは、かわいそー!」

 

竜災害が起きてから一週間後。野草を集め、ネズミを狩り。なんとか今日を生きるための食糧を集め終え、夜に向けて支度をしようとした頃だった。銀色の髪を持った、同い年くらいの少女が声をかけてきた。
色白で、瞳は紅色。銀色のワンピースを着て、左薬指には蒼い文様が描かれていた、この場にはとても不釣り合いな子。不気味さこそあったが、まるで人形のように美しい顔立ちだと思った。

 

「……何?何の用?言っておくけど、一切分けるつもりはないわよ。」
「やーよ、そういう汚いごはん。食べたくもない。」
「はっ、茶化しに来たわけ?あたしはあんたみたいな裕福な暮らししてないの。見世物じゃないわよ、帰ってちょうだい。」

 

あまりの無神経さに、こちらも苛立ちが募る。そうでなくても竜災害があって間がなく、気が立っていた。
ストレートで美しい銀髪に、お洒落な服装から、彼女は貴族の子供だろうかと考えた。同じく親を失ったのだろうかとも考えたが、それにしては余裕がある。もし同じ立場なら、今頃泣き出して藁にも縋るような思いだったはずだ。

 

「茶化しに、でもないなー。むしろ……一目惚れ?」
「は……?」

 

甲高い声で笑う。妙にオクターブが高い笑い声がキンキン響いて不快だった。
これだから金持ちは。なんて、考えて。一体誰が、その者を、

 

「ねね、アナタ行く場所ないんでしょ?
 子供なのに野営技術があるし、とっても器用みたいだし……いい才能持ってると思ったんだー。ワタシの直感にビビッと来ちゃって。」

 

この地で有名な、盗賊団の一員だと思った?
完全に、貴族の装いのそいつが。気配もなく現れ、平気な顔で人を殺す、殺戮者だと誰が思った?
実際、このように相手を油断させる、盗賊とは思わせない身なりというのは暗殺をする上では大きな役割を果たすのだろう。最も、裏社会になど一切触れたことがなかったため、それこそ似合わない、まさかそんな人物だとは思わなかった、といった感情しか抱けなかったのだが。

 

「ねぇ。盗賊団にならない?衣食住は約束するし、技術も教える。
 そんなとこで野営して生き延びたとして、その次の日はどう?生き延びれるって保証はある?知識はあっても、こんな非日常に放り出されて右も左もわかんないと見た。
 ―― 明日妖魔に喰われない自信は?突然病に侵されない自信は?」

 

保険は多い方がいいと思うよー、と再び笑う。
彼女の言う通りだと思った。今こうして生き延びれたとして、明日も生き延びれる保証はどこにもない。ましてやこのまま生き延びたとして、果たしてどこへたどり着くというのだろうか。
自分は、ただの子供なのだ。生きるための手段など選んでいられない立場にある、無力なガキ。それが、これからも自分だけの力で生きていけるのか。

 

「……盗賊に入って。人を殺して、金目の物を盗んで、悪いことしなきゃいけないんでしょ。」
「んー、まあ時にはするね。でも、それだけじゃあスマートには生きらんない。
 賢い盗賊はねぇ、『情報』も売るの。ちょっと大きい街ならどこにだって盗賊ギルドは存在する。そのくらい、知らないだけで身近にある存在なんだよ。」

 

カァカァ、と遠くで鴉が鳴いた。
日は沈み、赤と黒のグラデーションが空を染め上げる。きらり、一番星が輝いた。

 

「アナタは竜災害から今までたった一人で生き延びた実績もある。しかも、あのすばしっこいネズミを捕まえるだけの素質がすでに備わってる。伸びしろ、ぜぇったいあると思うの。」

 

だからおいでよ、と少女は笑顔を浮かべた。
裏社会に足を踏み入れる。抵抗は、あった。
しかし、生きなければならない。ここで野垂れ死ぬこと、それはあの両親が信仰した神に屈すること。
両親は死んだ。神の教えに基づいて死んだ。ならば、神の教えに反抗するためには生きなければ。例え、どんな手を使ったとしても。

 

「……分かった。盗賊に入る。
 生きるための手段は選ばない。あたしは……なんだって、やってやる。」

 

得物を獲るために使っていたナイフを、いつの間にか握りしめていた。
翡翠色の瞳で、血のような紅色の瞳を真っすぐ射抜く。少女はにぃ、と口端を吊り上げて、哂った。

 

「―― ようこそ、『カラスの嘴』へ。あたしはクレマン、よろしくね。」

 

  ・
  ・

 

カラスの嘴は、20人ほどの盗賊団グループだった。南へ移動すればもっと大規模なものは数多くあるのだろうが、北海地方ではかなり大きく、名のある盗賊団だ。
女の子の紹介なんかで仲間入りが果たせるのかとは疑問だったが、この見た目ながらかなりの凄腕らしく、リーダーからも信頼されているらしい。あっさりと仲間に入れられ、仲間の印である鴉の羽を授けてもらった。
それからは物事を『知る』ための知識と、人を殺すための技術を身に着けた。特に、日常生活でよく使っていたからか、ナイフ裁きはすぐに上達した。離れた相手も仕留められるように、と投てきの技術も教えられた。
基礎的な技術が身につけば、後は情報を得てそれを売り出し、あるときは人を襲い金目のものを盗んだ。都合が悪くなれば人を殺す。はじめて殺した日は恐怖で眠れなくなったが、いつしか誰かを殺すことへの抵抗も薄れ、生きるためには仕方のないことだと割り切るようになった。
情が消え去ったわけではない。うしろめたさはどこまでも付きまとった。

 

「いっつも髪の毛を束ねてるよねー。そのリボンって、お気に入りなの?」

 

盗賊団に入ってから5年が経ったある日。クレマンは、あたしにふとそんなことを訪ねた。

 

「あぁ、この黄色いリボン?これは母親の形見。竜災害の犠牲者になったから。」
「ふぅん……今でも身に着けてるなぁんて、お母さんのこと大好きなんだね。」
「……どうかしら。」

 

母親が好きだから身に着けているものなのだろうか。
母はもういない。どうだっていい。ただ、そのリボンを見ればあの日の悔しさを思い出すことができた。
それを思い出せば、生きよう、屈するものかと初心を思い出すことができる。まるで止まった時計のようだ、そんな考えを抱き、思わずふっと微笑んだ。

 

「そういえば、クレマンの両親の話は全然聞かないけど。」
「うーん……どうでもいいから、かなぁ……あ、親に捨てられたとかそんなんじゃないんだよ。ただこう……生きてくのに邪魔だった、というか。」
「っ……」

 

クレマンはあたしによくしてくれた。むしろ面倒を見すぎるくらいだった。
優しくしてくれた。他の者には雑な態度は冷酷な反応を示すことが多かったが、あたしにはそうではなかった。始めは不快だと思っていた笑い声も、今ではすっかりと慣れてしまった。
ただ、時折平然とした顔で、狂気にも似た思考を語る。

 

「ワタシはこの世で一番大事なのは愛だって思ってるの。世界一大事な人と二人きりになれること、それがワタシの夢。けど、両親は子供を愛するでしょ?だからワタシも愛しちゃいそうになる。でもそれじゃあ、一番!って、存在が曇っちゃうでしょ?」
「……まさか、あんた。」
「うん。練習台になってもらったよ。

 

案外人って簡単に死ぬよねー、ときゃははははと笑い声をあげる。
詳しく聞けば、彼女は盗賊団には自分から入ったらしい。その後それに気が付き、暗殺の練習の一環として両親を殺したのだと。
一切悪びれず、後悔も反省もない。道端にあった小石を蹴り飛ばすような感覚で、両親との縁を切った。
とんでもなく狂った理由で。とんでもなく身勝手な理由で。

 

「ワタシ、大好きだよ。」

 

紅色の瞳の中で、蒼い光が瞬く。
そのどこまでも冷たく、どこまでも狂気的で。

 

「何が何でも生きようって頑張る姿。独りになってもあきらめないその姿勢。明るいようで、どこまでも冷淡に人を殺せる……そんなアナタが、だぁい好き!」

 

どこまでも愛しそうで、どこまでも束縛的で。
竜災害よりも、両親を失ったあの日よりも。
何よりも、誰よりも目の前のこの者が恐ろしいと思った。
早く逃げなければ。いつか、この者に殺される。
でも、すでに自分自身は鳥かごの中。
飼われている。支配されている。
強き者に従えさせられている。

 

逃げ出して、独りでどうして生きて行ける?
そもそもこの者から逃げられると思うか?
答えは、否。

 

「……ん?どしたの、顔色悪いよー?」
「あ、ええっと……ちょっと調子が悪いみたい。食べすぎかしら……ごめん、休んでくるね。」

 

動揺を、恐怖を隠すようにその場から逃げる。
そのしぐさを、あのとき決して見逃してはいなかっただろう。
だから、なのか。あるいはたまたまだったのか。

 

事態は、すぐに悪い方向へと向かった。

 


その3日後のことだった。
地図情報を得るために森の調査を行っていたあたしは、森の奥深くで不可解な文様を見つけた。魔力的なものは分からなかったが、普通なら森にあるようなものではい。自然にできたものだとは思えずに、すぐにリーダーに報告した。
それはすぐに盗賊団の中の魔術師によって調べられた。盗賊団に魔術師が居ることはなんとも不思議だったが、眠りの雲や蜘蛛の糸などで補佐することもあれば、盗品が曰く付きかどうかを判別するために一人仲間にしたらしい。カラスの嘴にはあたしが入る前から存在していた。
調査結果、それは海竜の魔力が一か所に集まったものであり、触れた者へ力を授けると同時に精神的な異常を齎すといったものだった。
そう、今あたしたちが『呪い』と称している、それだ。
海竜の呪いは、海竜が討伐された後に降った雨の中に海竜の魔力が混じり込んでおり、それが大地に降り注ぎ更に一か所に集まってできたものとされている。その姿はヒドラの首の再生能力のようにも思えたが、そのときはそこまで情報を割り出すことはできなかった。

 

「なるほどなぁ。へへっ、いーネタが入ったじゃねぇか。
 力を欲するやつ、あるいは物好きな魔術師にでも情報を売って、その魔力溜まりに振れる前にそいつを殺す。場所も場所だ、簡単に殺れるし気づかれもしねぇ。ははは、最高の餌だな!」
「…………」

 

無意識のうちに、拳を強く握りしめて、それから緩めた。
やり方が汚い。確かに嘘は教えていないがために、信用問題にはならないだろう。森も深く妖魔も存在するため、人がいなくなっても誰もが納得する。
人の心を弄ぶようで気に喰わなかった。気に喰わなかったが、反抗することはできなかった。

 

「……なんだぁ?お前、しかめっ面してんな。」
「……別に。」

 

目の前の者を倒す力はない。
ここから逃げ出して生きていく力もない。
許されているのは、服従することのみ。
悔しい。いつか抱いたその感情が、再び胸の内を支配する。
自分の見つけたこの情報で、一体盗賊団はどれだけの金を得るだろう。何人の命がなくなるだろう。
生きるために仕方ないこと。そもそも生き物は、生き物を殺めなければ生き延びることはできない。
だから、それと同じだ。
そう、自分に言い聞かせる。
その日は、そのまま眠りについた。

 

「……ねぇ、リーダー。さっきあの子の態度おかしかったよね?」
「うおびっくりした、クレマンか……突然現れんなよ。つーか見てたのか。」
「まあね。ワタシはあの子が大好きだからいつだって、どこだって目を離さないよ。」

 

カァ、とカラスが一つ鳴く。
それに続いて、別のカラスがカァカァ、と鳴く。
あたしは、それに気が付かない。

 

「リーダー。殺されそうだね。」
「……あ?俺がか?」
「うん。あれはねー、弱いやつには扱えないの。精神異常で殺されちゃうの。ふふふ、気を付けてねー?」
「…………」

 

甲高い笑い声を上げながら、クレマンは闇に溶けるかのように消えてゆこうとする。
それを、首領は止める。なぁに、と振り返った紅の瞳の中に、男が口端を吊り上げる姿があった。

 

「今の内に眠りの雲で更に眠らせるから、そしたらお前はあいつを縛れ。」
「……あいあいさー。ふふふ、そうこなくっちゃあ。」

 

それに応えるかのように、銀色の少女もまた、満面の笑顔を浮かべていた。

 

  ・
  ・

 

「…………っ!!」

 

目が醒めてすぐに異常を理解する。
縄で縛られている。起き上がれない。囲まれている。
それから、目の前には、昨日見つけた、それ。

 

「よぉ。聞いたぜ、お前……それで、俺を殺そうとしてるんだってな?」
「……は?な、なによそれ、そんなこと、」
「とぼけんな。そいつはなぁ、きっつい精神異常を齎す。俺ぁ知ってんだ。現に、見たことあっからなぁ。」

 

首領が近づき、見上げるあたしを見下す。
そのすぐ隣で、クレマンがけらりと笑った。

 

「知ってる?それってねー、人を狂わせるの。きっつい精神異常があるのは教えてもらったと思うけど、弱いやつが持っちゃうとその異常に耐えられなくなって壊れちゃうの。」

 

あいつ、気持ち悪かったなぁと。まるで、その者を、末路を知っているかのような口ぶりで語る。

 

「実際居たんだよ、雨が上がったすぐ後で同じよーなもんを見つけたやつがうちに居た。そいつぁ精神異常に耐えられなくなり、うちの仲間の一人に殺された。酷かったぜ?クレマンのやつに迫って抱き着いて、まるで獣のように吠えまくんの。」
「気持ち悪くてぐっさりやっちゃったよね。まあ、悲しい事故だったってことだよ。」

 

話が見えない。
危険性は理解した。しかし、それならばどうしてあたしが今こうして縛られていて、目の前に魔力溜まりがあって、囲まれているのか。
何故、何があった。焦りだけが、募っていく。

 

「……何にも分かりませんって顔だな。とぼけんじゃねぇぞ!」

 

ガッと、己の身体が鈍い音を立てる。

 

「がっ――!」

 

蹴られたと理解するのに数秒かかった。げほげほとむせ返るが、お構いなしにもう一度蹴られる。

 

「俺ぁ知ってんだ!お前がそいつを使って、俺を殺そうとしてるんだってなぁ!」
「いだっ……、……ない、知らない!あたし、そんなこと、企んでない!」
「あぁ、この機に及んでもまだはぐらかすか!?クレマンはなぁ、ずっとお前を見ていた!だからお前の不振な動きもすぐに分かる!」
「がっ、かはっ……ほん、とうに……何も、しら、な……」
「こいつが昨日俺に教えてくれたんだ!お前が!俺を殺すことを目論んでるって!昨日の俺に対する態度もそういうことなんだろ!」
「ち、がっ……ぁ、……!」

 

お前らもやれ!と、命令が下される。
悪意が、嘲笑が、侮蔑が。
暴力が、痛みが、狼藉が。
下される。地に蹲る。止むことを知らない。

 

「カラスはなぁ!裏切りは絶対に許さねぇ!死よりも重い報復を思い知ってもらう!」
「この裏切り者が!反逆者が!」
「くたばれ!死ね!」
「ち、が、ぁ……っ、」

 

不平等は平等に訪れる。
いくら声を張り上げても。いくら違うと主張しても聞いてもらえない。
鈍い音が響いて、痛みが身体を駆けて。
どうして、なのだろう。
どうして、こんな目に遭うのだろう。
あたしが何かしたというのだろうか。
翼が折られる。地面に叩きつけられる。
これが神にそむいた報いだというのだろうか。
これが人を欺いてでも生きた罪だというのだろうか。
そうでもしなければ、生きていけなかったあたしへの、報復だというのだろうか。

 

「おい。こいつにそれを。」
「―― !」

 

意識は辛うじてあった。奪われなかったことは、恐らく不幸。
下っ端2人に乱雑に胴体を支えられる。そして、腕が文様へと伸ばされる。
あれに触れば最期。

 

「……やだ、嫌だっ……」

 

抵抗する力など残っていない。痛めつけられた身体を動かすことはできない。
情けない声を上げるしかできない。それが、この場の者らを楽しませることにしかつながらないと、分かっているのに。

 

「違う、違う、違う違う違う!あたしじゃない!あたしはそんなこと、考えてない!嫌だ、やだ、あたしは見つけただけ、報告しただけ!信じて!誰か!あたしじゃない、あたしじゃないの!!」

 

あぁ、悔しい。
皆が笑っている。あたしが死にゆく姿で楽しんでいる。
鳥かごの中の、黒に染められた鳥は最後には見世物となった。飼いならされ、つつくような素振りが見えれば反逆とみなされ。
反抗できないよう、翼が折られ、二度と飛べなくさせられる。
信じてもらえない悔しさと。
己に降りかかる悪意への恐怖と。
あまりにも理不尽な末路への絶望と。

 

「やれ。」

 

そんなぐちゃぐちゃだとしても、確かに抱いた感情は。

 

「い゛っ、あぁ……ぁ……ぁああああああ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」

 

その日で、終わりを告げた。

 

「ははっ、はははははは!お前ら!よぉーく見てろ、これが裏切り者の末路だ!俺たちに逆らう奴らはこうなるぞ!」

 

零れ落ちる。分からなくなってゆく。
あれほど気持ち悪くて、吐き戻したくて、不快だったものが、消えてゆく。
それが怖くて、その恐怖が分からなくなって、感情がぐちゃぐちゃになって、それすらも分からなくなるようで。
理解は、早かった。
感情が、心が、消えてゆく。
楽しかった思い出も、つらかった思い出も、消えてゆく。
覚えている。けれど、そこにあった感情という『色』が消えて、ただの『絵』という事実のみが残る。
怖い、と思っていられる時間はそう長くはなかった。

 

「……ぅ……あ……」
「……なんだ、あんなにのたうちまわってたのに反応しなくなったな。異常をきたす前に死んじまったかぁ?」
「うーん、泣かない強い子。ふふ、ますますだぁい好きになっちゃった。」

 

笑顔を浮かべながら、クレマンは銀の短剣を取り出し、あたしの身体へ……
……ではなく、縛っていたロープを斬った。

 

「ん、おい、クレマン何してんだ。何でロープを切ってんだ。」
「え、だから言ったじゃん。『弱いやつには扱えないの。精神異常で殺されちゃうの』ってさ。」
「あぁ、だからこいつは精神異常で殺される。……ほら見ろ、息も絶え絶えだ――」

 

そこで駆け出したのは、合理的な判断だったのだろうか。それとも感情から下された解だったのだろうか。
動かない足を必死に動かした。自分でもあり得ないと思う速度が出た。
とにかく逃げて、離れて、どこかで治療しなければ。
首領を殺すことは可能だったのだろう。けれど、殺意も、憎悪も、憤怒もそこにはなかった。
なくなってしまったのだ。確かに抱いていた、人として当然の感情は。

 

「……ちっ、お前が余計なことしやがっから。けどいい、このカラスの羽は仲間の証だけじゃねぇ、こっちから探知をするための目印でもあんだ。しかも、いわゆる呪いのアイテムってやつだから捨てても自分とこに戻ってきちまう。ははっ、どこに行っても逃がさねぇぜ!」
「ほーんと、何にも分かってないなぁ。」

 

あ?と、首領がクレマンを見たときには。
心臓から、首から、真っ赤な鮮血が噴き出していた。

 

「え、は……あ?」
「弱いやつには扱えないの。精神異常で殺されちゃうの。裏を返せば、強いやつには扱えて、精神異常を手懐けられるの。あーあ、復讐で殺してくれるって思ったのに、予想外なことになっちゃったなー。」
「おま……なん、……」
「あれ、言ってなかったっけ?ワタシはね、あの子がだぁい好きなの。だからね。」

 

あの子が強くなる手助けをして。
あの子以外の人を滅ぼすことが、夢なんだよ。
そう口にした後、そこには20ほどの紅の花が咲いた。

 

 

「…………ぅ、」

 

どれだけ走っただろうか。ついに身体に限界が来て、倒れ伏した。
辛うじて田舎道があり、近くにはあたしの知らない森がある。それだけは確認できた。
……流石に、この傷では生きていけないだろうか。仰向けに転がり、天を仰ぐ。
二度と仰ぐことのできない、青い空。
どこまでも遠くて、透き通っていて。
神は、どこにもいない。
それどころか、自分には信頼できる者も誰一人としていない。
親に裏切られ、仲間に裏切られ。
独りでは、人は生きてゆけない。
だからここで、あたしはきっと死ぬのだろう。
悔しい、とだけ最期に呟くことができた。
辛うじて残ったその心。

 

いつか、その心も分からなくなるのだろうか。
なんて、死んでしまえばどうせ、何も分からなくなるか――

 

瞳を閉じる前の、広い青い世界には。
一匹の、鳥が飛んでいた。

 

 


あとがき。
ロゼちゃんの過去話がばちくそ重たすぎてどうしてこうなったの、と台パンしたいんですけど。何で何も悪くない子供がこんな目に遭ってるんですか!!可哀想でしょやめてあげてよ!!ロゼちゃんが何をしたっていうんですか!!!!
因みに、カラスの嘴はばっちり壊滅してるのでご安心を。クレマンさまが全部やりました。これが利己的か……こわいなぁ……
補足ですが、ロゼちゃんと出会ったときには爪の呪いだけで、目の呪いはその後に会得してます。爪のときはうっかりカラスが1人犠牲になったみたいですが、目のときは一人でこっそり動いてゲットしてきたそうですよ。


あ、ロゼちゃんはばっちり生きてるので死んでません。そらそう。