海の欠片

わんころがCWのリプレイ置いたり設定置いたりするところです。

『決して許しを乞うことなく』

※グロめな表現あり
※アルカーナムに来る直前のオクエヌの話

 

 

リューンより馬車で一週間ほどの、小さな村。
そこでは村人思いの領主と、領主を慕う村人たちが暮らしていた。
領主は必要以上に村人から作物を搾取することはなく、村のリーダーとしても民が暮らしに困らないように導いていた。
領主はビーストテイマーの魔術を心得ており、狼の被害に遭えば手懐けた狼で追い返させ、妖魔が現れれば自ら剣を握り、手懐けた動物と共に追い払った。
故に、盗賊の被害に遭うこともなく、リューンでも『あそこの村は平和で治安がとてもいい』と評判になるほどだった。

 

領主には子供が一人いた。
男の跡取りとはいかなかったが、この娘もまた優秀であった。
父の教えを素直に受け、よく学び、剣の扱い方も、ビーストテイマーとしての教えも収めた。
娘は生まれながらにして、いずれ上に立つ者であることを理解していた。故に、上に立つ者として願われ、そのようになるのだと疑わなかった。
……たった一点、父の教えとは異なった部分があったが。

 

「なぁ、父上。余は魔力の扱い方を教わっておらぬのに、何故動物たちの言うことが分かるし、何故動物たちは余に力を貸してくれるのだ?」

 

領主の娘、オクエットは5歳のときに父に尋ねた。
ふむ、と顎を親指と人差し指で撫で、恐らくだがと推測を述べる。

 

「お前は、意志の力が強いのかもしれないな。」
「意志の力?」
「あぁ、霊力とも言うのだが、その名の通り霊的な……魂や精神の力とされている。気功法や法力もこれに当たるのだが、感情や意志が強い者は自然とこの力が強くなる。」
「ふむ……何やら、御伽噺の主人公が持つような力であるな。」
「はは、確かにな。この力で動物と心を通わせて理解しているのかもしれない。
誰でも持ち得るが、誰でも持ちえない力だ。大切にするといい、オクエット。」

 

魔力の使い方は父親からは教わらなかった。
霊力の使い方も教わらなかったが、別に困ることはなかった。
生まれながら持った、動物に強く反応を示す言霊の力。父親の魔力の影響か、それとも背を見て成長したからか。その正体は分からないままだった。
ぽん、と頭を撫でられ、ふふんと得意げな表情を零した。
こうして父からの教えを受け、いつかは後を継ぎ、この村の領主となる。
オクエットは、そう信じて疑わなかった。

 

「そうだ、オクエット。村の者が婚礼の儀を上げる。エヌという人物だ、知っているな?」
「む?その者、儀は行わぬと申しておうたが。女に言い寄られて、同居するため仕方なく結婚をする、故に愛しておらぬ以上儀は必要ない、と。」
「なんと……全く、あいつの性格にも困ったものだな。女の方はなんと?」
「構わぬ、と言うておった。」

 

えぇ……と、領主は完全に困惑顔。人生で一度きりなのだから、盛大にやりたいと願うのが普通ではないのだろうかと大変神妙な顔を浮かべた。
エヌは生まれも育ちもこの村で、女の方はついこの間村に越してきたのだという。呪術を学びたく、ここには呪術に関心のある者が住んでいると聞いてわざわざやってきたのだと。
女はリュコスと名乗った。愛想のいい、綺麗な女だった。田舎はよそ者に排他的になることが多いが、この村は近くの別の村とも友好関係を築いており、領主がそもそも友好的なため、よそ者にも友好的に接した。

 

「……魔術師って、ひねくれていたりおかしなやつが多いな。」
「父上も例外ではなく?」
「少なくとも、ビーストテイマーの魔術を心得ている領主などそういないだろうな。」

 

なるほど、と子は笑った。
エヌは長く呪術の研究をこの村で行っている。不気味がる者はいたが、幼い頃から真面目な性格で、研究理由も興味からであると同時に、『不吉なことが起きたときに、不吉なことを学んでいれば対処できるかもしれない』というこれまた真面目な理由からだった。
人を呪うより、『呪い』という性質や概念を知りたい。よって特別危険視することもなく、研究を自由に行わさせることにしたのだ。

 

「……杞憂であればいいがなあ。」

 

浅葱色の髪をくるくると指で弄りながら、オクエットはぼそりと呟いた。
話を聞いて、何か違和感を覚えたのだが。その違和感の正体が分からず、結局その疑問もすぐに思考の海に沈んで消えた。

 

  ・
  ・

 

「……そもそも、なんで僕……なんでここ……?」

 

リュコスに、エヌは初めにそう尋ねた。
呪術を研究している者がいて、ここにやってきたと彼女は言った。されど、このような田舎に来たところで満足に研究などできやしない。第一、エヌのことが噂になるほど、大した研究は行っていない。
オクエットが抱いた違和感がまさにそれだ。なぜ、このような村に来て、特に名も知れない男の元へとやってきたのか。彼女は結局分からないままであったが、エヌははっきりと言語化した。

 

「私には都会の空気は合わないのでございます。静かな村で、静かに暮らしながら呪術の研究を行いたい。この村は、よそ者にも優しく接してくださるとお聞きしました。ですから、私には都合がよかったのでございます。」
「……その辺は、領主判断だけど……危険だと判断したら、排除する。」

 

答えであるが、答えではない。
田舎で呪術の研究を行いたい。されど一から家を立ち上げ、研究施設を作る金はない。そこで、自分の元へやってきて研究を行おうとした。
……辻褄が合わないわけではないが、おかしな点があった。

 

「……ここには、来たことがあるの?」

 

突然この女はやってきた。そして何の迷いもなしに自分の家に転がり込んだ。
名を知られるほどの呪術師ではない……つまり、『たまたまこの村に引っ越してきたら呪術師が居た』では辻褄が合わない。
明らかに呪術師が居ると知っていて、越してきた。されど、その情報をどこで、どうやって掴んだのか。
誰もこの女を見たことがないと言う。となると、事前に知っている理由としては、以前にここに来たことがあるか、人づてに聞いたか。

 

「えぇ。とは言っても、村に入ったことがあるわけではございませんの。ですが、私も呪術師。同種の魔力であれば、少し離れていても感知できます。」
「…………そう……」

 

呪術師は死霊術ほどではないが、忌み嫌われる魔術である。
快く思わない輩が多く、他を当たれと言ったところで、他に巡り合える保証はどこにもない。
呪術に理解があったから、それ以上は詮索しなかった。

 

「……好きにしていい、けど……怪しい動き、見せたら……そのときは、出てってもらうから。」
「警戒されておりますのね。けれど、ご安心くださいませ。身の潔白を証明するためにも、『成果』を残せるよう尽くしますわ。」

 

穏やかに笑う。とても呪術なんて似合わない顔立ちだな、と呪術師は思った。
やや灰色がかった銀色の髪に、金色の瞳。自分は興味ないけれど、秀麗とは彼女のことを言うのだろうな、などと胸の内で呟く。

 

言葉通り、リュコスは呪術の研究に専念していた。
互いに術に関して相談し合うことはあったが、誰かに術をかけるわけではなく、村の者とも親しくなっていった。
それでも暫くは警戒していたが、半年もすればすっかりと馴染んでいた。
同居をして、結婚もした。けれど、あくまでも『共に呪術を研究するため』の、形だけの婚約。
お互いにそれでよかった。だから、誰とも家庭を築く気がなかったエヌにとっても気が楽だった。
田舎で暮らす以上、必ず結婚させられる。子を作らないのかと村の者らに囃し立てられることはあったが、お互いに作る気がなかったので笑って流した。

 

 

「なあ、無礼を承知で一つ聞かせてもらえぬか。」

 

一度だけ。
領主の娘は、この女の前に現れた。

 

「呪術を学んで、汝はどうするつもりだ?」

 

身長もようやく3桁になったかである、小さな子供。
女の目は遥か高く、見上げても目線を合わせられない。見下げてもらって、ようやく金色の瞳に真紅の色の瞳がまっすぐ映り込んだ。
にこり、女性は穏やかに笑った。

 

「可愛い領主の娘さん。
あなたはお父さんのこと、大好きですか?」
「……?当たり前であろう。最も尊敬し、余が至るべき存在だ。」

 

質問に質問で返される。
意図が読めず、首を傾げながらオクエットは答えた。当たり前であろう、と腕を組んで答える姿は、あまりにも5歳という子供にはふさわしくない。
ふふ、と笑みを零し、耳元でぼそりと囁いた。

 

「そういうことですよ。」

 

次の瞬間には横を通り抜けて、帰路へとついていた。
目をぱちくりとさせ、数秒経ってから慌てて振り返る。手をひらりと振られ、黙ってその様子を見ていた。

 

「……いや何も答えになっておらぬが!?」

 

あるいは、本当にこれが真意で、答えなのだろうか。
すっきりしない回答だったが、直接聞いたとしても分かりやすい答えは教えてもらえないのだろう。

 

「あ、オクエット様!今年の魚の収穫量のことでご相談がありますと、領主様にお伝えしていただけませんか?」
「む、しかと承った。父上に伝えておこう。他に、何か伝えておくことはあるか?」

 

村人から言伝を預かり、悩むのは一旦ここまでと割り切る。
父は彼女のことを、よく学ぶ勤勉家だと評価し、何も疑うことはないと判断した。その判断を、オクエットは渋々受け入れた。
民を信頼し、民のために立つ者が領主だ。父の教え通り、これ以上は疑わず村人の一人として接しよう。民を信じられなければ領主失格な上、必要のない不安を煽ることにも繋がる。
そうして、オクエットはいつも通りの日常へと戻った。

 


―― いつしか腑に落ちないことも忘れ、3年の月日が流れた頃。それは突然牙を剥いた


  ・
  ・

 

春風が穏やかに木々を揺らす。空色のキャンバスはすっかりオレンジ色に塗り替えられ、キィ、と一羽の鷲が領主の子供の元へと舞い降りた。

 

「うむ、ミンよ、見回りご苦労。妖魔も狼もいなかったようだな。」

 

ミンと呼ばれた鷲は、嬉しそうにもう一度鳴くと、オクエットにほおずりをした。
動物と『契約』を交わす、ビーストテイマーの力の一つ。自身の魔力や霊力を動物に付与し、『所有権』を示し、従えさせるものである。契約を付与することにより、的確に動物に指示を与えることが出来、潜在能力も引き出させることが可能だ。
魔力では一方的に付与させることができるが、霊力では双方の同意が必要になる。その性質をオクエットは理解しており、彼女は契約を付与することを『友達になる』と表現していた。

 

「サフとクミが戻ってきたら今日は解散だ……って、なんだなんだどうした、ちょ、く、くすぐったいではないか!」

 

ばさばさと羽ばたいて、マフラーの中に潜り込もうとする。2匹がまだなら僕はご主人様を独占するんだー!と、鷲のイメージが覆りそうなお茶目全開の行動。しょうがないなあ、と首に触れる羽にくすぐったそうにしながらも、オクエットはその行動を許した。
因みにサフとクミは狼である。追い返すはず懐かれてしまい、まあよいかと契約を交わした、彼女と同じくまだまだ小さな兄弟狼。彼らの両親は見つからなかったため、逸れてもうこの近くにはいないか、あるいは殺されたのだろう。
本来狼は人間には脅威になる動物だ。ビーストテイマーで従えさせた場合例外となるが、この村でも基本的には排除する方針である。

 

「…………あやつら、遅いな?」

 

さほど遠くには行っていないだろう。『戻れ』と、指示を出そうとして。
バキィッ!!と突然大きな音を立てて、家が一棟吹き飛んだ。

 

 

10分だけ、前のこと。

 

「……ふ、ふふ、やっと完成しましたわ……!」
「ん……おめでとう、成果、出た……?」

 

うっとりとした表情で、リュコスは完成した短剣を指でなぞる。
魔力に疎い者であればただの短剣であるが、魔術師であればそれに術式が込められていることが分かる。
しかしその詳細はあまりにも複雑で、よほどの魔術師でなければ『何かが込められている』程度にしか分からないだろう。

 

「……僕も、手伝った甲斐、あったかな。」
「えぇ、えぇ、私一人ですとあとどれほどの年月がかかっていたやら。
あぁ、長かった、長かったですわ……ついに、この日が来たのね……」

 

それほどまで、何か研究したかったことなのだろうか。よほど作り上げたい術式があったのだろうか。ぱちりぱちり、瞬きをする。
確か、身体を変身させる術と、身体を強化させる術、それから生命を力に転換させる術だったか、彼女に教えたのは。呪術は言ってしまえば呪い(まじない)だ。身体に術を付与させ、変化させる術も分類される。彼女の魔法具は、ごくごくありふれた呪術を組み合わせて練り上げられたものだ。

 

「そう。そう……やっと、私は。
あの男に。復讐ができる。

 

ヒュ、と刃が躍る。

 

「―――― は、」

 

ドッ、と的確に女の心臓を貫いた。

 

「お、おい、何して、」
「うふふ、っはははははは!
よくも、よくもあの男!!私を追いやって私を殺した!!死ね!!お前はお前の愛した民に裏切られて死ね!!そして大切なものを全部めちゃくちゃにされろ!!あはは、あははははははは!!」
「リュコス!何を――、」

 

次に、女は短剣を引き抜いて。
奇声を上げて、目の前の男の胸を刺した。
ぼたぼたと、紅の生暖かい液体が落ちる。

 

「が、ぁっ――!」
「エヌ、今までありがとう。それから。
私の代わりに、私の呪いを、私の復讐を、私の怒りを、私の、私の全てを持って―― !!」

 

落ちた紅が輝く。術式が発動する。
流れ込んでくる。作り変えられる。痛い。苦しい。痛い、痛い、魔力が、気が、おかしく、

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁあぁああっ!!」

 

ばきり、めきり。嫌な音が響く。めき、めき、と、理解したくない音が、自分から出た音だと認めたくない音が。
何をした、問おうとして。
目の前の女は、いや、違う、これは、人間ではない。

 

目の前のそれは、獣だ。
目の前のそれは、狼だ。

 

「今日はね、満月なの。
だから……めいいっぱい、狂ってちょうだい。」

 

狼女。いや、違う。
これは。

 

殺された狼の怨念。狼憑きだ。

 

「私は、あの男に追いやられて、殺された狼。
狼を使って、狼を殺した。何度も、何匹も、狼を使って狼を殺した。
おかしいと思わない?」

 

後天性の狼人間を狼憑きと称することがある。
一方で、人に憑依し、あるいは呪いをかけ、狼人間とする者を狼憑きと呼ぶことがある。

 

「ねえ、領主様。
結局あなたにとって動物って、道具か村を脅かす敵でしかないのでしょう?」

 

狼の恨みを持って、死ね。
それきり、声は聞こえなくなった。

 

これはただの憑依ではない。
理性を殺し、狂気だけを宿し、その身体に宿しきれぬほどの魔力を与える。
狂化、と呼ぶのがふさわしい。

 

「がっ、ぁ、あ……っぁぁぁあああああああああっ!!」

 

暴れろ、狂え、全てを壊せ。
痛みに藻掻き、腕を振るう。たったそれだけで、そこにあったものが薙ぎ払われ、めちゃくちゃになった。
止まれ。止まってくれ。
何度懇願しても、全く言うことは聞いてくれなくて。

 

悲鳴と、混乱の声が聞こえる。
今自分はどうなっている。何をしている。
痛い、苦しいんだ、身体が、どうにかなってしまって。
ぱち、と瞬きをして、映った『人』が。

 

助けて、と叫んで。
それは、真っ赤に染まっていた。

 

 

 

「遅いぞサフ、クミ!……え、なんだ?狼が居る?それも普通の狼ではない?」

 

悲鳴が聞こえ、建物が相次いで壊れてゆく。
戻ってきた子狼が、怯えながらオクエットに飛びついた。
ミンは何もないと言っていた。間違いではないのだろう。では、つい先ほど、突然何かが現れた、ということになる。

 

「……あり得るのか、そんなこと!?」
「オクエット!」

 

何をすべきか。行動に移す前に、母と一匹の狼をつれた父が駆けつけた。
どちらも剣を携えている。父は当然だが、母もまた武芸を嗜んでいる者だ。恐らく、対峙しに行くのだろう。

 

「父上、狼が出たとサフとクミが言うておるが!」
「あぁ、ディルもすぐに来て教えてくれた。
人狼が出た。私は討伐しに行く。お前は村人の避難を手伝ってくれ。」
「……、分かった、父上も母上も気を付けてくれ!」

 

どうして人狼がこの村にいるのか。
それは人狼を倒してから、いくらでも考えられる。今やるべきことは、村人たちの安全だ。

 

「サフとクミは残ってる村人を連れ出してくれ!ミンはこいつを隣の村に!」

 

緊急事態が起きたときのための手紙はいつも持ち歩いていた。
そこに人狼の襲撃があったこと、村人を保護してほしいこと、人狼はこちらで止めることを完結に書き足し、鷲のミンに託す。
夜目の効かない鳥だが、指示を出し村までの道筋を伝えてやれば、その通りに飛ぶことができる。危険な生物がいないことは確認した。届かない理由はないはずだ。

 

「怪我をした者は二狼に捕まって村の外へ出ろ!父上と母上が人狼を討伐する、巻き込まれる前に隣の村まで逃げろ!」

 

隣の村までの道は誰もが知っている。そこまでの避難は任せればいい。若い者が先導して向かってくれるはずだ。
……何人も、何人も、すでに殺されている。鉄の匂いがあちこちから漂う。何人もの悲鳴に、泣き叫ぶ声に、怒号に。
響き渡る声に耳を塞ぎたくなる。逃げ出したくなる。生まれてから一度とて見たことのない、地獄絵図。


―― それでも。守るために、領主の娘として、やらねばならない。決して逃げることは許されない。この名前を背負う限りは。

 

「ちくしょぉ、やっぱり、やっぱりよそ者を村に迎え入れるんじゃなかった!」
あいつだろ!あの女がやりやがったんだ!エヌが人狼を連れ込んだんだ!」
「一番最初に吹っ飛んだのはエヌの家よ!呪術をそもそも扱わせるべきじゃなかったのよ!」
「汝ら落ち着け!まずは逃げよ、犯人捜しは後だ!己の命を優先せよ!」

 

リュコスが黒であることも、エヌが黒であることも、確信はない。……前者には不信な部分があったため、十中八九黒だろうが。
それを疑わっておいて、疑うことをやめた自分にも非はある。が、それを責めている場合ではない。
ぐ、と泣き出しそうになるのをこらえ、声を張り上げる。
人狼が暴れ、平穏が1つ1つ壊れていく。
手を貸して、指示を出して、死にゆく村を駆けまわる。
優しかったパン屋の主人も、逞しい木こりの大男も、寡黙ながら子供には読み聞かせを行っていた老人も。
知っている人が、死んでいる。暴力を受けて、原型を留めずに、ぐしゃぐしゃになっている。
まだ生暖かくて、生きていたことを実感して。

 

「―― ぅ、」

 

それでも。
それでも、オクエットは泣き言一つ漏らさず民のために駆けた。
それが、己の務めだから。
それが、その名を背負う者の責務だから。
半分ほどの村人は、なんとか生き延びることができただろうか。人狼の討伐には自分は荷が重い、足手まといになるだけだ。
けれど現状を確認していかなければ。今、人狼はどうなっている?

 

―― 再び、轟音
また家が一つ吹き飛んだ。そちらか、とあくまで確認にとどめるだけのつもりで駆ける。

 

「ゥ、ゥウウ、グルルゥ、」

 

人狼は、否、巨狼と表現した方がいいだろうか。
辛うじて人の姿だと分からなくもないが、動きも、構え方も、狼のそれだった。
ぼたぼたと血を零し、苦し気な唸り声を上げる。
致命傷は

 

「―――― は、」

 

負って、いない。
確かに傷は負わせているが、致命傷ではない。
軽い怪我ではないが、放っておいて死ぬこともない程度の傷。
そして。

 

「……父上、母上。」

 

そのすぐ傍で、もうどんな人物なのかを想像することが不可能なほど。
肉と骨と内蔵全てが乱雑に砕かれ、地面にぶちまけられた両親の姿がそこにあった。
思わず駆けだす。駆けだしてしまった。
心のどこかで、自分の両親は強いから。だから今回も大丈夫だと、どこか慢心していた。
人狼を討伐して、また平和が戻ってくるのだと。
そんな夢物語は、哀れな肉片として虚構だと示され、目の前に叩きつけられた。

 

「―― っ!」

 

人狼が。
今、そこに居る人狼が。
声が出ない。剣を抜けない。
恐怖も怒りも悲しみも、一気に襲ってきて、整理なんてできなくて。
けれど、動かなければ。
狼が、すぐそこに。

 

「ゥウ、ルル、ゥ゛、」

 

ゆらり、首をオクエットに向ける。
次の得物の標的を、自分に決めた。

 

「―― え、」

 

……昔から動物の言っていることが、分かった。
恐らくビーストテイマーの力として、それから動物に強く作用する霊力を持っているが故の副作用。
振り降ろされたかぎ爪を、咄嗟に抜いていた剣ではじく。
キィン、と金属音と衝撃でびりりと震える腕で、はっと我に返った。

 

領主は、もういない
両親は、もういない
今、動ける者は、自分しかいない
村を守れる者は、もう自分だけだ

 

自分が動かなければ
いや、そもそも
本来、やるべきことは
いや
自分が、こうしたいと、願うことは

 

「―― なあ!」

 

訴えかける。

 

「やりたくてやったのではないのだな!?これは力の暴走なのだな!?」

 

確かに聞こえたんだ。
助けて、という声が。
苦しんでいる。
父はこれを討とうとした。民を守るために。それからこの人狼のために。
苦しいのなら、今楽にしてやろう。
それが正しいとは思えなかった。
いや。『そうするしかなかった』のだろう。
ならば、余は。

 

「助けてほしいなら!人として生きたいと願うなら!
余の声を、余の声だけを聞け!!」

 

これは賭けだ。
そもそも人狼に通用するものなのか。自分よりずっと強い存在にも通用するものなのか。

 

「余を信じろ!余が助ける!
―― だから『応えろ』、エヌ!!

 

そんな不安は、どこにもなかった。
信じて叫ぶ。手を伸ばす。

 

『契約』を交わすための言霊を。

 

「―― 命令だ、『鎮まれ』!!」

 

契約は。
双方の同意があって、初めて成立する。
オクエットは動物と交わすそれを、『友達を作る』と表現していた。

 

  ・
  ・

 

太陽が昇り始め、次第に明るくなりゆく。
眩しさに意識を取り戻し、重い上体を上げた。
眠っていた場所は自分の家だったが、屋根はなかった。魔術のための道具や材料は空き巣が入った以上にしっちゃかめっちゃかで、まともに使えるものの方が少ないだろう。
思考がぼんやりしている。一つ一つ、思い出していく。
リュコスが狼憑きだったこと。かつてこの村に近づいた狼で、領主に殺されたこと。その恨みで自分を利用し、自分を狼人間とすることで領主へ復讐したこと。
この惨事は、自分がやったことなのだと、思い出してしまったので。

 

「……!あ、あぁ、……うああぁぁっ……!?」

 

あのときリュコスを突き放していれば。
共に呪術の研究なんてしなければ。
暴れる前に自害ができていれば。
様々なたらればで、自分の心を突き刺した。
ごめんなさい。……誰に言えばいい?
こんなつもりじゃなかった。……それで誰が許すと?
殺した感触も、人の味も、覚えている。
今は抑えられているし、人の姿をしているが、流れる血は、己の身体は、紛れもない人狼だ。

 

……自分を止めてくれた人がいる。
何を言えばいい?ごめんなさい?ありがとう?
大切にしていた民の多くを殺し、村を奪い、両親を葬っておいて?

 

夜が明ける。朝が来る。
その前に、村を去らなければ。
誰にも合わせる顔がなくて。気持ちの整理もつかないまま村を出た。
人は居なかった。死体もなかった。でも、いくつか簡素な墓が作られていた。
残る血の香りに抱くはずの嫌悪感は、食欲をそそるものになっていて。
それを認めたくなくて、食物だと思いたくなくて、目を瞑って逃げた。

 


村の外れにある森の中を歩く。
……これからどうしようか。
人としては生きられないだろう。
人狼化は己の意志で行われるのか、それとも発作のように起こるのか、それすらも分からない。
次、人狼になって、また誰かを殺すのか?
そうなるくらいなら、いっそ自害した方が。

 

「…………」

 

なんて。
責任や罪意識から自ら命を絶てるほど、強くなかった。
死ぬことは恐ろしい。きっと痛くて苦しくて、自分という存在がなくなっていって。
考えただけでも恐ろしくなった。ふるり、身を震わせる。
ざく、ざく。木の葉を踏みしめる音が響く。自分のものと、何か、人間ではない者の音と。
……一体何の?

 

「やっと追いついた。」

 

振り返ると、一般的な狼よりも一回り大きな狼が一匹、その狼を追うように小さな狼が二匹。
それから、大きな狼に乗った、オクエット。

 

「全く、予想通り黙って出ていきおって。サフに見張らせておいて正解であったぞ。」
「……オクエット……様、どうして、」
「あぁ、様はいらぬ。もう余は領主ではないからな。」

 

領主ではない。その言葉にぐ、と唇を噛んだ。
大切にしていた民も、血縁者も、全て自分が殺してしまった。生き残りはいるのだろうか。それとも、自分が全て殺してしまったのだろうか。
全て、オクエットが説明してくれた。

 

どうやら丸1日寝ていたそうで、目が醒めたのは次の日だと思っていたが、実際は更に次の日の朝だった。
初めに隣の村と交渉し、村を統合してもらえるよう話をつけた。元々付き合いのある村であったため、すぐに交渉成立したそうだ。
それから死体の埋葬。従えている動物の手助けもあり、簡素ながらも死者は全員埋葬できた。
それから聖北の祈りを捧げ、負傷者に癒身の法を施し、できることを全て終えて、ようやく一度休んだ。
その間にもし自分が目を覚まして出ていくようであれば、子狼に起こしてもらいすぐに後を追えるようにしていたのだ。

 

「…………ごめん……」
「何故謝る。事情は概ね理解しておる。あの女が狼憑きで、汝は騙された被害者であろう?」
「……僕が、招き入れた、から……僕が、気づかなかったから……」
「元々は突然上がりこまれたのだろう?それに、余だって気づいておらなんだ。そもそも違和感があると思いながら放置した余の責任でもある。父上も、気づいておらなんだしな。」

 

狼から降りて、喉元を撫でる。今までありがとうな、と
この狼は確か、オクエットの従えた動物ではなく、父親が従えた動物だ。どうやら自分は彼は殺さなかったらしい。主人が死んでも子に尽くす、従順な性格のようだ。
ぐるる、と低い唸り声を上げてくるりと身をひるがえし戻ってゆく。あれは確か、村の方角だ。

 

「義理固いな、ディルは。父上の墓を守りながら、別の村で何かあったら力を貸すと言うておる。」
「……分かるの?」
「あぁ、恐らく父の影響でな。」

 

ディルと呼んだ狼を見送り……あれ?
狼を村に返した、ということは。

 

「……君、村に戻らないの?」
「汝が村におれんのだから仕方あるまい。余が戻れば、汝はどうなる?流石に距離があれば余の力は届かないぞ。」
「じゃ、じゃなくて……!何で君まで……!」
「だから、汝が人として生きるには、余の力が必要であろう?
あぁ、『契約』は結んだままだ。故に余の従者のようになってしまうが、形だけで結構。あまり気にしないでくれ。」

 

何を言っているんだ?と首を傾げる。
真紅の瞳には、一切の怒りも恨みもない。それどころか、自分に親しみすら込めてくれている。
どうして。

 

「なんで、」

 

僕は、君から、

 

「何で!」

 

大事なものを、全て奪ったのに。

 

「村も!両親も!僕が全部殺した!
君には、オクエットには!恨まれても、殺されても、何をされてもいい!だって、そうされて然るべきことをした!なのに何で、何で君は、何も言わないんだよ!」
「…………」

 

しばしの沈黙。それから、

 

「そうしてほしいのか?」

 

きょとんと、首を傾げて問いかけてきた。
が、すぐにふはは、と笑ってみせる。

 

「分かっておる、別にはぐらかそうと思ったわけでもない。本当に、理由がないだけだ。
助けてほしいなら、人として生きたいと願うなら余の声を聞け、そして応じろと余は言うた。で、汝は余の声を聞き、応えた。
余が従えさせるためには、『契約』を行う必要がある。これを受け入れたのは、紛れもなく汝だ。……よう聞いてくれたと思っておるよ。」

 

鎮まれと、命令を受けた。
実際に受けてみたから分かる。無理やり力で押さえつけるものではなかった。
たった一言だというのに、まるで子守歌のように穏やかで、安らぐものだった。
……リュコスが言っていた、『動物を道具としか考えていない』ようにはとても思えなかった。むしろどこまでも寄り添い、共存関係でありたいと願うものだと思う。
そんな命令を出せるのも。

 

「悲しいと思う暇がなかった、というのもあるが。
真に悪なのは汝に憑いた狼だ。
大変であっただろう。いきなり裏切られて人ならざる者にされ、力に狂わされて。襲いたくない者たちを何人も殺してしまった。さぞ、苦しかっただろう。
これからもずっと、その罪悪感に悩まされることになるだろうが……それでも、余の手を取ってくれた。改めて、礼を言う。『応えて』くれて、ありがとうな。」

 

彼女の気質が、あまりにも穏やかで。
常に他者を思いやるが故、悲しくなるほどに自己がなくて。
望んでそうなったのではなく、『領主の娘』であるが故の構え方。不幸になる呪いではなく、生まれながらそのように在ろうとした結果、それが当たり前となった。
彼女は、こう生きるより他を知らないのだ。
そして、こう生きるより他を知らない、まだ10にも満たない子供から、自分は全てを奪った。

 

「…………ぅ、うぅ、」

 

その全ての中に、彼女の人としての心もあるように思えて。
自分を助けてくれた人に、あまりにも惨い仕打ちをしてしまったと実感して。
彼女の言葉で抱いたのは、強い強い罪悪感だった。

 

「……ぁあ、あああぁぁっ……!!」
「うむ。大変だったなあ。大丈夫、もう大丈夫だからな。」

 

堪えられなくなって、蹲って、泣いて。
何の言葉にもならなかった。背を優しく撫でる小さな手が、まるで棘が生えているのかと錯覚するくらいに痛かった。
言葉の1つ1つが熱したナイフだった。僕にとってそれは暖かいなんて生ぬるい。身を焼くほどの熱を持っていて、身に刺して灰にしようとする。
僕が、奪ってしまったから。
僕が、与えることが、きっと責務だ。

 

刻まれた、従者としての証は目に見えないけれど。
恩人として、償いとして生きていかなければ。

 

この痛みに僕は、耐えきれないから。

 

  ・
  ・

 

馬車に乗り、リューンに向かう。馬車に乗るための金は持ってきていた。
ビーストテイマーと剣と、それから簡単な神聖魔法の心得があるオクエットと、基本魔術と呪術の心得があるエヌが取った行動は、然るべきものだと言えるだろう。

 

「村は魔物に襲われ壊滅状態になり、応戦した領主が死んだ。隣の村に吸収され、領主でなくなった余と仕えていた汝は行くところがない。故にリューンで冒険者になる道を選んだ。この筋書きでよいな?」
「……それで、いい。」

 

人狼であることは隠して冒険者となる。
冒険者になった理由を聞かれたときは、この嘘でこれからやり過ごしていくと打ち合わせした。

 

「そうだ、自己紹介がまだであったな。村で顔を合わせる程度で、お互いにロクに知らぬ。汝にとっても、領主の娘くらいにしか思うてなかったであろう?」
「……領主の娘で、両親からビーストテイマーと剣の教えを学び、同時に聖北教徒でもある。……聖北教徒であるのも、村の人たちの幸福を祈るために学び始めたもの。魔術はからっきしで魔力にも疎くて
「待て待て待て。え、余のこと詳しいな!?まるで余が有名人みたいだが!?」
「有名人だよ。少なくとも、村の中では。」

 

領主の娘で、一生懸命教えを学び、村人のために尽くそうとする。
そりゃあ、知らない人などいないわけで。

 

「うむむ、それもそうか……しかし困ったな、余は汝のこと、男性で29歳で村の呪術師で、根が真面目で悪いことには魔法を扱わず、酒が飲めないことをよく村の者にからかわれ宿にはほぼ顔を出さずそもそも人付き合いも好きではないから引きこもりになりがちの苦労人、ということしか知らぬ。」
「……かなり、知ってない?いや、真面目かどうかは、知らないけど……お酒が飲めないのは、そう。」

 

1人1人、本気で村人を大切にしていたからこそここまで知っているのだろう。
それを奪った、という事実を感じて、胸が痛んで……ばし、と背中を叩かれた。

 

「だーかーらー!すぐそうやって暗い顔をするではない!湿っぽいであろう、もっと気楽に生きよ!」
「く、暗い顔にもなるって!気楽にって簡単に言うけど!」
「いくら何でも悲観的すぎだ!命令だ、その性格を直せ!」
「そんな無茶苦茶な!?」

 

僕たちの冒険者としてのきっかけは、後悔と罪悪感と責務から成り立つ、美しくともなんともない始まりだった。
人として生きるために。それから恩人として、償いとして。この人の従者として生きる。

 

それから、できることならば。
彼女の『領主の娘』という『呪い』が、少しでも解けますように。

 

 

 

あとがき
改めて思った。こいつら……過去、重くない?
過去が重いというか、一瞬がやばいというか。個人的にエヌ君よりオクエットちゃんがかなりやばいな?ってなっちゃった。8歳児の思考じゃないし、これ……だって、そういうことじゃん…………
幼稚園組の顔してあそこに混ざることになってたけど、明らかに重さが幼稚園組じゃないんだよお前ら。出直してきてほしい。