海の欠片

わんころがCWのリプレイ置いたり設定置いたりするところです。

リプレイ_7話『翼掠める背鰭』(2/3)

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「そんなに怖がることなんて何もないのに。僕だと、不満かい?」

 

薄暗い部屋の中で、男は全身ぐっしょりと濡れていた。だというのにくすりと笑ってその水を払う。勿論その動きで完全に払いきることはできない。
ベッドにはアスティが仰向けに押し倒され、服を無理やり暴かれて半分はだけた状態となっている。それを必死に抵抗して両手をつきつけ―― 高圧の水を、叩きつけた。
意図せず行った術だったからか、それとも他の理由からか。男は平気そうに、ただ濡れただけの状態で上に覆いかぶさっていた。

 

「やだ、やだぁ!私は、帰る、帰る場所が、あるから、こんな、こんなこと、や――」
「僕なら君の全てを受け入れられるよ。こうして君が力を使っても、僕なら平気だ。いなくなったりなんてしない。独りになんてさせない。……彼と違ってね。」

 

独りにしない。
その言葉は、孤独に強い恐怖心を抱くアスティにとってはこの上なく甘美に聞こえる言葉だ。
だが、心を許していない者の言葉となれば別である。今はもう、孤独を埋める存在が『誰でもよくはなくなっていた』から。心許せる者がいて、仲間がいて。彼らと一緒でなければ、寂しさは埋められなくなってしまったから。

 

「独りに、させようとしてるのは、そちら、でしょうが!あなたと、一緒なんて、誰が!」
「今は嫌かもしれなくても、きっとこれからは僕の方がいいと言うはずさ。……僕は、君のためにこの身を捧げて、君のためにこの力を使う。君の悲願は、僕が叶えてあげるから。」
「先ほどから、それ、ばかり―― !!」

 

つぅ、と、首筋を撫でる
くすぐったさに、思わずひゅっ、と息を飲む。それから感じるのは、触れられることの嫌悪感。身を暴かれ、透き通るような肌を優しい手つきでなぞられる。
気持ち悪い。何度も暴れ、逃れようとするが男は何度だって許さなかった。逃げられない姿勢のまま、好き勝手にされた。

 

「や、あ、っ――!」
「少しずつ、戻ってはきているんだ。けれど今のままだと、それ以上は戻りはしない。だから、僕にその身を委ねて。そうすれば、もっと取り戻せるものがあるから。」
「……ザス……たす、けて……、」

 

恐怖でつぶれそうに、助けを乞う声を漏らして。

 

―― アスティ!!

 

ドゴォッ、と、扉を無理やり破壊する音が部屋に響た。

 

「――! アルザス!!」

 

今にも泣き出しそうな表情で、アスティは声を上げた。
状況を把握するより先に身体が動いた。知らないやつが、アスティを襲おうとしている。
アルザスにとって、その男を『敵』と認識するには十分だった。

 

「おや、随分と早かったね。クレマンかミュスカデがいらないことをしたのかな。」
「てめぇアスティから離れろ!」

 

駆け寄り、男の服を掴んて引き剥がす。
流石に元騎士シーエルフの力で、それも突然のことだったので反応しきれなかったのか。そのままベッドから落とされ、鈍い音を立てた。
それでも大したダメージではなかったのに、すぐに立ち上がる。不敵な笑みを浮かべたままだ。

 

「やあ、初めまして、カモメの翼のリーダーアルザス。僕はオルカの背鰭のゼクトだ、憶えておいてくれたまえ。」
「ここでくたばれ!覚えるも何も、二度と会わせねぇ!」

 

離れれば剣を抜き、アスティに危害が加わらない距離が取れたと判断するとそのまま上から一刀両断するかのように振り下ろす。すぐに異変に気が付いた。
がり、と、まるで石を削ぐかのような異質な音。確かに切り傷は入れられたが、そのまま剣を下すことはできず、血が少々剣に伝っただけだ。それを引き抜くと、あっという間に男の傷は塞がった。

 

「……再生能力!?」
「それだけじゃあないさ。僕の呪いは『鱗』と『身体』。海竜の強靭な鱗に、再生能力を併せ持った状態だよ。そんな剣で僕が切れるはずないだろう?」

 

最も、僕に血を流させたことは褒めてあげるけどね、とからから笑う。

 

「呪いを二つ……!?こいつ、正気じゃない……!」
「そうかな?そうかもね。ただ僕は、この力を持って海竜の悲願を叶えたい、ただそれだけさ。
 ―― 君と同じ、ウィズィーラの生まれでありこの目で海竜を見た者だからね。」
「……!?」

 

生き残りはいないと思っていた。自分以外全ていなくなっていたと思った。
が、そうではなかったようで、男は言葉を続ける。……その言葉に嘘がなければ、だが。

 

「どうして僕は生き残れたのかは分からない。運が良かっただけか、はたまた何かの因果か。ただ、僕は海竜の姿を見るなり街から離れた。できるだけ遠くに逃げて……そして、助かった。他の人たちは、皆それさえ許されなかったって聞くけどね。
 僕は今でも覚えてるよ。あの海竜の怒りに満ちた姿を。人間に向ける殺意を、憎悪を。だから僕はその悲願を叶えるために呪いを手に入れたし、それを叶えるには……この子が必要なんだ。」
「アスティは何も関係ないだろ!?それに、海竜の悲願を叶えるなんて馬鹿げている!一体竜災害で何人の人が死んだと思っているんだ!」
「海竜にとって、殺り損なった数だろう?あの海竜は、もっともっと、それこそ世界全ての生物を殺したかったはずだよ。」
「馬鹿げている……それを、成そうとするなんて……」

 

とんだ狂人だと思った。
海竜に魅入られたか、身に受けた呪いの代償か。己の意志で呪いを受けたのだから、前者なのだろう。本気で海竜の成そうとしたことを引き継いで、まるでせいぎのみかたにでもなろうとしているかのようだ。
君は何も知らないんだな、とため息をつく。それから初め、アスティが見たときと同じ無表情をゼクトアルザスに向けた。

 

「君は呆れるくらいに何も知らないんだね。だったら余計に……この子のことは渡せないね。」
「生憎と、俺もお前なんかに渡す気はない。さっさと失せろ、このクサレ外道が。」

 

ゼクトも剣を握る。アルザスのものと比べると刃渡りが長く、かなり大きな剣だ。
これを室内で振るうとなると、回りの家具が確実に邪魔になる。こちらの方が、武器としては優位に立てる。片手剣でもそこまで適してるとは言い難いが。

 

「はぁっ!」

 

踏み込み、剣を振るう。それをゼクトは生身で受け、そのまま薙ぎ払うように剣を振り回す。
しゃがみ、回避する。が、遠慮も何もない一撃は家具を巻き込み、大きな破壊音を立てて木片と粉塵と化した。

 

「きゃあっ!」
「アスティ!!」

 

勿論、部屋の中に居るアスティに対しての遠慮もない。
自分の剣の攻撃範囲外ではあるが、相手の剣に対してはそうではない。大剣で力任せにそれを振るえば、この部屋のどこに居たって巻き込まれかねない。
早く決着をつけなければ。しかし、相手は鱗と身体の呪いを持っており、どうしたって長期戦になる。そもそもこちらに勝ち目があるかと問われれば、難しいと言わざるを得ない。
それでも。
それでも、大切な者を守るためであれば。

 

「てめぇは……てめぇだけは、許さねぇ!」
「―― !」
「海竜の悲願だかなんだか知らねぇけど……てめぇの勝手に、アスティを巻き込むな!アスティを傷つけるな!アスティはてめぇの道具じゃねぇんだ、これからも俺と、俺たちと共に過ごす仲間なんだ!
 てめぇみたいなやつに……アスティを好き勝手させてたまるかァ!!」

 

右手の甲に、額に、背に、胸元に、蒼色に輝く痣が生まれる。
それは、仲間の持つ呪いの印と、全く同じもの。
彼は気が付いていないのか、それに構うことなくしゃがみの姿勢から剣を上方向へと斬りつける。そのまま跳び上がり、ゼクトよりも高い位置まで跳んでから空中で反転し、そのまま地へと振り下ろした。
ざしゅ、と、有効打が入る。正面は逃れ、右の腰から肩にかけて、それから背に深い斬り傷を与えた。
一般人であれば重症と言えるほどの傷ではあるが、それでも彼にとっては軽傷なのだろう。平気とはいかずとも、普通に立っていた。

 

「……はっ、はははは……っははははははははは……!!
 あぁ、そうか、君は呪いこそ持たないが、その力を持っていたなんてなぁ!!」

 

面白おかしそうに笑い声を上げる。
今まで表情がなかった者の、突然の奇妙な笑い後には流石に少々引く。様子を伺っていると、ゼクトは剣を収めた。

 

「あぁ、これはだめだな、僕の方が部が悪い。敗者はおとなしく去れ、ってことかな。
 でも、僕は諦めない。海竜の悲願は僕が叶える。それは忘れるんじゃないぞ。」
「待て!お前を逃がす気はな――」
「また会おう。それから君、また迎えにくるから待っててね。」

 

スクロールを取り出し、唱える。きらり、一瞬光が瞬いたかと思った刹那、ゼクトの姿はそこにはなかった。
帰還の法。設定した場所に一瞬でワープする魔法。スクロールで持ち歩いていた、ということは普段彼は魔法を使わないのだろう。
静止の声は届かなかったが、それでもアスティを取り戻すことはできた。しばらく警戒していたが、他に誰もやってくる気配がないと分かるとアルザスはアスティに近づく。
傷つけられた様子はない。最悪の事態には間に合った。ただ、精神的に酷く傷つけられたことは、部屋に入ったあの様子から察することができた。
冒険者である以上、生と死はいつも隣り合わせである。今回のようなことも、きっと今後出てくるとは思われるが……それでも、記憶を新しくしてからそれほど経たない彼女にとっては、あまりにも酷だった。

 

「……ごめんな、アスティ。見つけるのが遅くなって。攫われたことに気が付かなくて。
 もう、大丈夫だから。もう、お前をあんな目に遭わせないから……」
「……ル……ザス……」

 

ぎゅっと、抱きしめる。少しでも安心させるために。少しでも大丈夫だと伝えるために。
怖かっただろう、よく頑張ったと。アルザスも、半ば涙声になりながら強く強く、アスティを抱きしめた。
その暖かさで、ようやく緊張が解け、恐怖が拭われたのか。紅の瞳からはぽろぽろと涙が零れ、泣きじゃくりながらアルザスの身体に顔を埋めた。

 

「……わかった……怖かった……!知らない、のに、何もっ……知らない、のに、いきなり、口づけされ、て、押し倒されて、触られて……っぐす……うあぁ……ぁああっ……!!」
「……うん。……大丈夫。……大丈夫だよ、アスティ。」
「ひぐ、ぐすっ……ううぅっ……ああぁぁぁぁぁあああああっ!!」

 

ただただ、大丈夫だと繰り返した。
これでアスティの傷が完全に塞がるとは思っていないけれど。
少しだけでも、ほんの少しだけでも力になれるのなら。もし、傷を癒すための薬となれるのであれば。
力になり切れないやるせなさを覚えながらも……アルザスは、アスティが泣き止むまで彼女を抱きしめた。

 

  ・
  ・

 

海鳴亭に戻る頃には、すっかり日が暮れていた。
帰る頃になって、アルザスは皆を無視して一人でアスティを助けに行っていたことに気が付いた。結果的にアスティを助けることができたものの、かなりの無茶を行ってしまったことは確かだ。帰ったらロゼあたりから小言をもらうことになるだろうなぁと考えながらも、2人は帰路についていた。
なお服は無理やり暴かれたこともあり破れていたため、今はアルザス上着をアスティが羽織っている。修繕はできそうなので、後でアルザスが直すことだろう。おかんかな?
戻ってくると、宿は何やら騒然としていた。扉をくぐるとカウンターに居たカペラとゲイルがすぐにアルザスとアスティの方へと駆け寄ってきた。

 

「よかった!アスアス無事だったんだ!」
「えぇ、特にこれといった怪我はしていません。すみません、迷惑をかけてしまい……」
「いーや、よく戻ってきてくれたぜ。あたいらも、アルザスを追っかけよーとはしたんだけどな……」

 

嬉しそうな表情よりも、どこか落ち込んだ表情の方が強くうかがえた。
それに首を傾げ、それから宿全体の調子も何やら張り詰めているような気がして、アルザスはカペラに尋ねた。

 

「そっちで何かあったのか?」
「う、うん……これどっから話せばいーんだろ。
 えっと……多分アルアルが会ってきたの、ゼクトっていう男の人だよね?」
「あぁ。オルカの背鰭というチームの冒険者のリーダーだと言っていた。」
「やっぱり。僕たち、その仲間に会ったんだ。ロゼロゼとラドラドはクレマンって人に。僕とゲンゲンはミュスカデおばあちゃんに。」
「ミュスカデ……おばあちゃん?」

 

こくり、頷く。表情が暗い理由はこれだろう。
流石に敵対者が自分の血縁者となれば、敵とはいえ戦いづらいだろう。アルザスは、そう考えた。

 

「うん。『角』と『喉』の呪いを持ってたよ。角は竜の生命力の象徴で、不労の力を授ける。喉……というより声、かな。魔性の旋律を紡いで人の心を弄ぶんだ。僕の額のこれは、命令を下すものだけどおばあちゃんのは呪歌が使えるようになった、って感じかな。似てるけどけっこー違う。」

 

僕の家系って皆吟遊詩人だから、おばあちゃんにはぴったりの呪いだよ、と困ったように笑って……それから、また落ち込んだ表情を見せた。

 

「あのばばあ、なんつーか変なやつだったよな……心ここにあらず、っつーか。意思がなさそうっつーか。」
「それが代償なのかもしんないね。あるいはゼクトってやつに何か逆らえない弱みでも握られてる……よーには、感じなかったなぁ。なんか、成り行きで仕えるようになりましたー、って感じな気がする。でもそこに、おばあちゃんの意志はない。そんな感じ、かな……」

 

自信があるわけではなさそうった。あくまで推測で、信憑性は薄いよと最後に付け加える。

 

「……僕の方はまだいーんだ。ちょっと足止め食らっただけだったから。問題はロゼの方。」
「ロゼが……どうかしたのですか?」
「あぁ。……クレマンってやつに、短剣で胸を一刺しされた。
「は――!?」
「致命傷……心臓からは免れた位置だけど、でも大怪我には変わりなくて今は意識不明。ずっとラドラドが付いてる。すぐに僕が応急処置したから、死ぬなんてことはないはず。」

 

カペラは癒身の法を会得している。いずれ旅に出ることが分かっていたため、村を出る前に習得していたそうだ。それで傷を塞いだものの、出血量が多く重症であることには変わりない。目を覚ますにはしばらく時間がかかるだろうと、カペラは説明する。

 

「くそっ、あいつら……俺たちの仲間を傷つけやがって……!アスティも、ロゼも……!」
「……」

 

ぎゅっと、強く拳を握る。アスティは俯きながら、アルザスの腕にしがみついた。
伏せ気味の瞳には、まだ恐怖の色が残っていた。それからまだ少し、身を震わせていた。

 

「ね。そっちが落ち着いたらでいーから、ラドラドの話聞いてあげてほしーんだ。きっと僕が話すより、アルアルが話した方がいいと思うんだ。」
「……カペラは?お前だって血縁者が敵にいるって分かったんだろう?気が気じゃないだろ。」
「ん、僕の方は大丈夫。それに、僕はそっちはもう整理ついてるから。
 僕は今更カモメの翼を離れたりしないし、おばあちゃんと戦う覚悟もできてるよ。僕は皆と縁を結んだ。僕にとっておばあちゃんはすでに居なくなった人で、縁を結んでない人。だから、僕にとっては他人も同然。敵対するっていうんなら、それは敵だよ。」
「……そう、か。逞しいな、カペラは。」
「それだけ、ここが居心地いいってことだよ。」

 

にへら、と笑ってみせた。
本当に、子供だというのにどこまでも芯が強くてそう簡単に曲がらない強さを持っている。それでいて、物事を客観的に捉える冷静さも兼ね備えている。もしかしたら、一番カモメの翼で冒険者に向いているのかもしれない。
その笑顔を見て、ゲイルが後ろからカペラの頭をばしばしと叩く。

 

「な!カペラは強ぇだろ?あたいとしちゃ、同じ村のやつを討つってことにゃ抵抗あんだけど……そんでも、仲間を傷つけられて黙ってるわけにゃいかねぇし、カペラがこう言うんだ、お守り役としてあたいもあのババアとは戦うつもりでいるぜ。」
「今じゃ、どっちがお守り役かわかんないけどね。」

 

なんだと!?と声を上げるゲイルに、ぷっと少しバカにするように噴き出すカペラ。
この2人は、オルカの背鰭の一人と関係してもさほど変わらなかった。あえて変わった点を挙げるとするならば、このチームに対しての想いが強くなった、だろうか。

 

「よかった、お前たちは変わらなくて。……少し安心した。もしかしたら、あっちに付くんじゃないかって。」
「昔からよくしてもらったー、とかだったら変わったかもしんないけどね。僕にとっておばあちゃんは、村一の吟遊詩人だった人で、今はもうこの世にはいないはずの人。呪いで生きながらえてるだけの、本当は死んでいるはずの人。じゃあ、もうバイバイしなきゃ。」

 

迷いはなかった。動揺がないわけではないが、心が揺らいでいるわけではない。
まっすぐ、アルザスを見る。再び敵対する日は来るだろう。そのときはカペラはアルザスに付くし、彼女を止めることに協力してほしい。そう、瞳で伝える。
それを見て、アルザスはゆっくりと、力強く頷いた。信頼されている。信じてもらっている。それが、一心に伝わった。

 

「それじゃあ俺はラドワのところに行ってくる。アスティ、少しここで待っていてくれないか?それとも一緒に来るか?」
「……ここなら、大丈夫です。カペラやゲイルが居ますし、私の知っている場所、ですから。」
「分かった。カペラとゲイル、少し傍に居ててくれ。……怖い目に遭ったところだから。」
「りょーかい。まっかせて。」

 

アスティは手を放し、カウンター席に座る。アルザス上着を着ていることや、今もなお怯えていることからカペラは大体何があったのかは察しているだろう。ゲイル?分かってへんとちゃうんかな。

 

「どこまでされたかは分かんないけどさ。よかったじゃん、初めてはアルアルが奪ってるんだから。」
「は!?え、ちょと待てカペラ待てお前突然何を
「え、だって初めてはほら、アスアスが小鹿のときに
あれカウント入るの!?でもあれは仕方なくやったことでおおおお俺は不本意だったというかいや不本意じゃなくて本意ではあるけどもいや何言わせんだよ!!?」
「……あれ、数に入れてもらえなければ私初めてはあの男にうば
「よし入れよう。あれが俺たちの初めてだ。いいな?」

 

突然なんつー話題になるんだ。和ませる気だったのか、安心させる気だったのか、それとも揶揄われたか。
とはいえ、張り詰めていたものが緩和されたのは事実。赤くなった頬をいつも通りに戻してから……それから、できるだけいつもの調子で、ロゼが眠る部屋へと向かった。

 

 

 

ノックをしたが、返事はない。ラドワはいないのだろうか、と思いながら静かに部屋に入る。
ただ聞こえていなかったようで、ラドワはその部屋の中に居た。椅子に座り、じっとロゼの顔を見ている。表情が、そこにはなかった。落ち込んでいるような表情でもなければ、心配で泣き出しそうな表情でもない。なんの表情も、そこには込められていないように思えた。
ロゼもロゼで、無表情で眠っている。出血が多かったからだろうか、青白い顔色をしていた。死んでいると言われて、納得してしまいそうなくらいには。

 

「隣いいか?」
「……あぁ、アルザス君。その様子だとアスティちゃんは助けられたのね。」
「あぁ、最悪の事態は免れた。……そっちは。」
「最悪の事態、ではないわ。……ロゼのおかげでね。」

 

椅子を持ってきて、ラドワの隣に並べて座る。一切、ラドワはアルザスの方へは視線を向けない。
ただじぃ、と、ロゼの表情を見つめていた。眠り続ける、彼女をただ見つめる。
何があったのかを、こんな状態でもラドワは話し始めた。酷く冷静で、落ち着いた声だった。

 

「まず、あなたがアスティを連れて来るように命じられた人物に、私とロゼは気が付いた。クレマン、っていう、ロゼの元仲間であり吸血鬼、って言ったらいいのかしら。ロゼが昔盗賊をやってたってことは知ってたわよね?」
「あぁ。あんまりロゼが話したがらないから、それ以上は知らないが。」
「充分。……ロゼって、竜災害で両親をなくして、生きるために仕方なく盗賊団に入ったの。仲間とは上手くやってたらしいわよ。けれど、ある日その仲間に裏切られたの。ロゼは海竜の呪いの大本を見つけて、盗賊団に報告した。呪いの大本に触れれば呪われ、力を得る代わりに精神的代償が発生するってことも調べた。まあ、それをどうするかって言うと、物好きにその情報を教えて高い金ぶん取るため、なんだけど。」

 

別に呪われてどうなろうが、彼女たちの知ったこっちゃないものね、と淡々と話す。
人を襲い、金目の物を奪うということを中心に行っていた。一方で情報を仕入れ、それを盗賊ギルドに売るということもやっていたらしい。海竜の呪いなんて、それこそ高値で売れる美味しい情報だろう、と。

 

「そこまではよかったの。けど、仲間に嘘の密告をされた。『盗賊の頭をこの呪いで殺そうとしている』、って。呪いの代償の詳細は漠然としてたのね。何か恐ろしいことが起きる、精神的な悪影響がある、その危険性を誇張されて伝えられた。結果、ロゼは見せしめとして呪いを付与されて、そのまま盗賊団を逃げ去った。
 ……クレマンは、その嘘の密告をした張本人よ。これは推測だけど、クレマンにはすでに海竜の呪いがあった。彼女の呪いは『目』と『爪』。目は、あらゆる者の正体を暴き、爪は急所を的確に抉る器用さですって。だから、盗賊団にとってロゼよりもクレマンを信じて、クレマンを置いておく方がずっと使えた。私はそう考えてる。」
「胸糞悪い話だな。」
「えぇ、とても。」

 

ただ、これで終わるなら胸糞悪い、で終わるのだけれど、とため息をつく。
それは、胸糞悪い以上に、あまりにも狂人の思想をしていたから。むしろ、胸糞悪いで片付けられる方が優しいとさえ思えた。

 

「続きがあるのよ。クレマンは、ロゼに濡れ衣を被せた理由。
 ――呪いを持って、一緒に頂点に君臨し、二人一緒に凶悪な盗賊として生きよう。」

 

目を伏せて、襲われたときの言葉を思い出す。

 

―― ロゼにゃん、アタシ、ロゼにゃんに一目惚れしちゃってたんだ。愛してるの、この世界の誰よりもずっとずっとずーーーっと、愛してるの!だから一緒になりたくって、誰にも邪魔されないだけの強さを手に入れて、そして一緒に二人ぼっちになれたら幸せじゃない!最高よ、とっても素敵なことよ!

 

「……ロゼを、私利私欲に使いやがって。
「…………」

 

確かな怒りが込められていた。
ラドワの感情は、全て彼女の中だけで完結していた。誰かに対する思いやりもなければ情もない。自分が良ければそれでいい、そんな彼女がロゼの受けた仕打ちに対して、怒りを覚えていた。
何かが、ラドワの中で変わってきているのだろう。あるいは、この一件で変わった。最も、ラドワにその自覚はないようだが。

 

「……あぁ、そしたらなんでロゼが刺されたのかってことになるわよね。
 ロゼ、私を庇ったのよ。本当は刺されて殺されるのは私だった。そのはずだった。けれど、ロゼはそれを庇った。」
「……ラドワ。」

 

感情が、ない。
無表情だった。悔しさも、やるせなさも、そこにはない。
けれど、アルザスはそれを冷酷だとは、思わなかった。

 

 

 

「―― ロゼ!?」
「……かはっ……、……ぁ、ラドワ……ぶ、じ……?」

 

数刻前。姿の隠したクレマンからの暗殺の一撃は、ラドワに向けられた。
しかし呪いによる機敏さと、これまでのやり口を知っていたロゼはそれを庇い、かつ急所を逸らした箇所にその攻撃を受けることに成功した。深々と短剣はロゼの胸元に突き立てられ、こぷり、口から血が吐き出された。

 

「あっちゃー、ロゼにゃん何で庇っちゃうかなー。うっかりロゼにゃんを殺しちゃうとこだったよ?」
「あなたっ……ロゼのことを愛してるって言っておいて……!」
「え、うん、言ったよ?言ったし変わんないよ?そんで、ロゼにゃんがこれで死ぬっても思ってないよ?はぁーそれにしても、こんなに血を零しちゃって……かーわいい!」

 

目的が外れて、彼女にとっての愛する者に短剣を突き立てたにも関わらず。
クレマンは、さぞ楽し気に笑うのだ。心から楽しそうに、きゃはははと、笑い声を上げるのだ。
崩れ落ちたロゼを後ろから支える。膝をついて、荒い息と血を今もなお吐き出す。彼女を回復する術を、ラドワは持っていない。

 

「ロゼ……なんで、庇って……!」
「……ば、か……庇わなかったら……んたが、死ん……」
「あ、もう喋んない方がいーと思うなー。あとちゃんと処置しないと死んじゃうかもしんないから、ちゃんと治療してもらってよね?」

 

流石に死んじゃうのはやだからね?と言いながら乱雑に短剣を引き抜く。
気遣いも何もそこにはない。びちゃり、嫌な音がした。

 

「あ゛、あ゛ぁ゛!!」
「んーーー!ロゼにゃんの血、おいしーーー!その辺の人間とは比べものんなんないくらいに美味しい!!やっぱロゼにゃん最高よ!!」

 

抜いた短剣に付いた血をクレマンは舐めとる。
目の前で今にも愛する者が死にそうだというのに、彼女は食事を行う。しかも短剣についた血だけでは飽き足らず、そのままロゼの身体に刻まれた傷に舌を這わせようとさえしてきた。


―― ざわり、ラドワの中で突き動かされる。

 

「――!」

 

ラドワの短剣が握りしめられる。杖の代わりとしても使えるが、主な使用目的はやはり、人を捌くためのもの。幾度となく殺人衝動を満たしてきたそれを取り出していた。
殺す。殺したい、ではなく、殺す、と。明確な意志に変わる。快楽でもなく嗜好でもなく、純粋な殺意となり、剣に込められる。
胸元にある印がかつてないほど光り輝き……短剣を、

 

「やめ、て……ラド、ワ……、……呑ま……ちゃ……、」

 

振るおうとして、ロゼが、その腕を握りしめた。
酷い話だ。目の前に殺すべき者がいるというのに、その者を殺すなと命じられる。
殺す、という明確な殺意を消化させてくれない。酷い話だ。とても、酷い話だ。
復讐を成立させてしまえば。止めなければ、ラドワは、呪いに呑まれるのだから。

 

「きゃは、きゃははははははは!!悔しいでしょー?ぶっ殺したいでしょー?いいよ、やっちゃっても。でもアタシは吸血鬼でアナタは殺しきれない。しかも、その短剣を振り下ろせばアンタは呪いに呑まれて戻ってこれなくなる。きゃはははははは傑作だわ!!ほら、ねぇ!刺していいのよ!やっちゃっていいのよ!そのとき死ぬのはアナタ、でしょうけどねぇ!!」
「っ……く、そ、がぁあああぁぁっ!!」

 

振るえなかった。ロゼが握りしめた腕は、震えていた。
ここまでいいようにしてやられたことはなかった。魔法で黙らせることも、力で黙らせることもできない。ただただ屈辱で、何もやり返すことができなくて。
ここで、がちゃりと扉が開く。入ってきたのはカペラとゲイルだ。

 

「ロゼロゼ、ラドラド……!?なに、が……!?」
「あっちゃあ、みゅーちゃん帰っちゃったかぁ。もーちょっと遊びたかったんだけど……でもこれ以上遊んじゃうと殺しちゃうし、今日はここまでかな!」
「待ちなさい!このままで済むと思ってるつもり!?」
「まさか。そっちこそ、このままで済むと思わないでよ?」

 

ばさり、蝙蝠の翼を背中から広げる。
変化の術による作り物。吸血鬼はその身をある程度自由に変化させられると聞く。蝙蝠や狼なんかが代表的か。

 

「じゃあね、ロゼにゃん。また迎えに来るから、そのときはいい返事聞かせてね!」

 

最後まで、耳障りな甲高い声を上げながら。
クレマンは闇に溶けるかのように、まだ雨の降る外へと消えていった。

 

 

 

「……ねぇ、アルザス君。
 私には分からないの。ロゼが、どうして私を庇ったか。それだけじゃない。どうして人は人を助けるのか。誰かの力になろうとするのか。私には、分からないの。」

 

冷酷だとは、思えなかった。
ラドワの話を聞いて、アルザスは確信した。人の心がないからこれでもなお無感情なのではない。
感情の整頓が追いついていないから。今まで抱いたことのない感情に戸惑っているから。
だから、上手く表現できないだけで、胸の内にはちゃんと人の心が芽生えている。今まで知らなかったものが、ロゼを通じることで成長している。
アルザスは、そう感じた。

 

アルザス君は、誰かを守ろうって気持ちが強いわよね。それは……どうして?自分がよければそれでいいじゃない。なのに、何で人のことまで気に掛けるの?ロゼだってそうよ。庇わなければ、こんな大怪我することなかったのに。」
「……自分が良くないからだ。目の前で親しい人が死んでいく姿は耐えられない。さっきまで一緒に笑っていたやつが、突然奪われる。俺は、それが耐えられない。それは、誰かのためなんじゃなくて、自分が耐えられない苦痛なんだ。
 見返りが欲しいんじゃない。感謝されたいわけじゃない。俺はただ……もう二度と、繰り返したくない。手から大切な人が零れ落ちていくことも。親しい奴が目の前で失われていくことも。俺の大切なものが、消えていくことを……俺は、もう繰り返したくない。」

 

それに抗う方法が、誰かを守るということだと、アルザスは言う。
守りたいという気持ちは、ただのエゴだ。アルザスにとってそれは存在理由であり、喪失の恐怖から取りつかれたかのように執着する、自分を守るための手段だ。
結局、誰かを守ることで、アルザスは自分を守っているのだ。
ロゼがラドワを庇った理由がこれと同じとは限らないけれど、と言葉を続ける。

 

「お前はロゼが。親しい者が傷つけられて、どう思った?」
「……屈辱だったわ。あそこまでいいようにされて。コケにされて。ロゼは前に言っていたわ、『誰かが力に振り回されるのを見て見ぬふりをするのも耐えられない』って。裏切られてから、力で押さえつけられることに強い反感を覚えるようになったのだって。今ならあぁ、あのときこんな気持ちだったのかなって、そう思うわ。」

 

ぽつり、ぽつり、話す。気持ちの整理に付き合うように、アルザスは黙って聞いていた。

 

「誰かを庇って自分が死ぬなんて、バカらしい。そう思うことには変わりないのよ。
 けれど、私はロゼにどうして庇ったのかと責めた。死んでも自業自得だって思う一方で、それが許せない私がいるのよ。それを責めるってことは、庇って大怪我してほしくないってことでしょう?」
「……それだけ。ロゼのことが、お前の中で切り離せなくなってるってことだろう?お前の中でロゼは特別な……戦友、なんじゃないのか?」

 

戦友、という仲が正しいのかも少し微妙だな、と困った表情でアルザスは頬を掻いた。
不思議な関係だと思っていた。一番彼にとっては戦友が近いと思ったが、それが的を得ているとは思わなかった。かといって、親友という関係も違う。確かに親しいのだが、何か違うとアルザスは思った。

 

「……特別、か。案外、そうなんでしょうね。私がここまで興味を持った人間って初めてだったから。」

 

ここで、ようやくラドワはアルザスの方を向く。
太陽の瞳を見つめ、僅かに笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、ちょっとだけ腑に落ちたわ。
 ロゼのことは任せて。起きたらちょっと皮肉を言ってあげるわ。あなた人の無茶を責めるくせに自分はなんて無茶をするんだって。」
「ほどほどにしてやれよ。ロゼも、きっとこれが最善だと思ってやったんだろうから。」

 

なんなら自分がロゼであれば、絶対に同じことをやってのけたに違いない。そう思うと、ロゼを責めることはアルザスはできなかった。
もう大丈夫だろう。そう思ってアルザスは立ち上がり、椅子を片付ける。部屋を出る前に、アルザスはラドワに声をかける。

 

「ロゼが起きたら呼んでくれ。全員で、それぞれの情報整理をしよう。」
「分かったわ。あとアルザス君、もし夕食になってもそっちに行かなかったら悪いんだけど持ってきてくれない?離れたくないの。」
「あぁ、分かった。任せろ。」

 

部屋を出る。それから、ぼんやりと考えた。
離れたくない。
思ったよりもラドワは心配性で、ロゼのことが大事なのだと。
……これから彼女の認識を改めよう。そんなことを考えるアルザスだった。

 

 

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