※ちょっぴりシリアスめだけど暗くはない
※後半が前半よりかなり短い
今日の空は青く、高かった。
ひとっ気のない一面の草原をのんびりと行くのは、とても気分がいい。
目線の遥か先には我らが根城、リューンの輪郭が浮かび上がっている。
その町の群影の中でもひときわ天を指すかの尖塔を、今日はくっきりと臨む事ができた。
昨晩、足早に駆けていった雨が、埃をすっかり洗い流したおかげだろう。
太陽は薄い雲のヴェールを纏って、いく筋かの光を地上まで差し伸べている。
その輝くひだに彩られ、厳かにリューンは佇んでいた。
目の前に広げられたこの一幅の絵画は、筆を置かれるという事を知らぬ。
常に新しいのに、常に完璧であり、移ろうどの一瞬にも隅々まで力が満ちている。
今、この場に居合わせる特権を思う存分満喫しながら、草原のしっかり濃い空気を、鼻から脳天へ届けとばかりに、思い切り吸い上げてやった。
目線を戻して軽く合図を送ると、ハセオは黙って、こちらの思った分だけ正確に歩みを緩めた。
本職の冒険者が全く舌を巻いてしまう話だが、気の張り詰めるこのひと時にも、彼の足取りからはおよそ『迷い』や『恐れ』が感じられないのだった。
悠然とした闊歩には風格さえ滲み、このにわかの相棒に闘志と自信を与えてくれた。
草ぐさがひときわ大きくざわめき、一陣の風が我々を追い越して行った。
追い風だ。
ふつふつと湧き上がる高揚に、武者震いをする。
……よし、行こう。
軽く息を腹に溜め、短い掛け声と共に、相棒に合図を送る。
ハセオは、嘶きも高らかに、まっすぐに駆け出した。
いざ、我々の舞台へ――
・
・
それは、一週間前のこと。
事の発端は、りんごの木箱と一緒にドカドカっとやって来たのだった。
「親父さん、こんにちは!りんご2箱持って来たわ!」
「おう、ご苦労さん。時間があるなら茶でも出そうか。」
宿に現れたのは、ほどほどに歳を取った女性だ。食材の仕入先の一つであり、海鳴亭のお得意様だった。
「いつもありがとうね。実は、ちょうど配達が済んだとこ。」
なーんちゃって、と女、ソウは笑う。お茶が楽しみだからいつもここを最後にするのだと。その言葉に気をよくしたのか、親父さんも嬉しそうな表情を零した。
「あー……おいしいなぁ。親父さんのお茶は、ほっとするわ。」
「茶の一杯くらい、いつでも飲みに来ればいいさ。」
そんな談笑の横で、カモメの翼たちは何をしているのかと言うと。
「お前らって、何か動物を飼ってたことってあるか?カペラは犬を飼ってたって言ってたな。」
「うん、こーんなおっきいの!」
突然始まったペット談義だった。
「私は動物を飼っていた覚えはないですね……そもそも記憶がないので、本当にないのかも分からないのですが。」
「あたいも犬飼ってたんだ。おとんが猟師だったから、狩りに出んのにそいつがいなきゃやってらんねぇの。犬ってすげぇんだぜ、動物を簡単に見つけてよ!」
ゲイルのところの犬は、そこまで大きな犬種ではなかったらしい。小型犬か、あるいは中型犬のサイズくらいを手で表現した。
「私は猫を飼ってたわよ。真っ黒で蒼色の瞳の猫。」
「うっわ不吉そう。あんたにお似合いね。というかそのうちぐっさりやりそう。」
「やらないわよ。もしやってるなら今頃家族の1人2人殺してるわ。ベリアルは可愛いうちのペットだったわよ。」
「名前が悪魔の時点でやっぱ不吉だわ!なんでそんな名前にしたのよ!!」
返答もサイコパスであれば名前もサイコパスである。
ラドワの家族はもしかしたら総じてサイコパスだったのかもしれないとさえ思ってしまった。実際はそんなことないです。平和な家族でした。
「アルザスは何か飼っていましたか?」
「飼っていた、とは違うが……騎士を務めていたころに、馬を支給されててな。何度も乗ったし、うまくやっていたよ。」
「へぇ、ということは馬に乗れるんですね!すごいなぁ……」
「あー……とはいっても、もう10年も前のことだし、今はもうすっかり鈍ってると思う。」
10年前、竜災害が起きた年だ。きっと愛馬を失ったのも、それが原因なのだろう。
察して、アスティはどこか申し訳なさそうな表情になった。喪失につながる話だったので、彼のトラウマを抉ってしまっただろうか、と。
しかしそんな憂いは次の言葉で台無しになる。
「あぁ、懐かしいな……ポチ。」
「待って、名前がおかしい。明らかに名前がおかしい。馬に付ける名前じゃないそれ。」
犬かなんかか。もうちょっとなんとかならなかったのか。そもそのネーミングセンスは誰のか、あんたのか?
色々ツッコミどころ満載な会話。今日もカモメの翼には緊張感がなかった。この緊張感のなくゆるゆるとした空気が、このチームの名物だ。
その名物の横で、亭主とソウは何やら真面目な会話をしている。ソウは少なくとも、いつもの調子だった。
「……そろそろ、家は落ち着いたのかい。」
「えぇ、もう大分とね。なんせ突然だったからね、ちょっとバタバタしちゃったけど。泣く暇もないくらいだったから、かえって良かったみたい。海鳴亭にもご迷惑かけちゃったわね。」
申し訳なさそうに苦笑する。カモメの翼はその会話が気持ち聞こえる程度にしか気にしておらず、今は好きな動物談義をしている。仲良しか。仲良しだな。
「水臭いのは今年のきゅうりで間に合ってるよ。まあ、こちらにできることがあったらいつでも声をかけてくれ。」
「うん。ありがとね、親父さん。」
そう言って、少し遠慮がちに微笑んだ。何か言いだそうか、このまま黙っていようか。しばらく考えた後、ソウはやっぱりさっそくお言葉に甘えちゃおうかな、と話し始めた。
「競技馬を買い取ってくれる所を知らない?
……できれば、馬を大事にしてくれる所がいいんだけど。」
「馬を?あぁ、そりゃまあ、当てがないこともないが。」
本当?と、ソウの言葉は明るくなる。
だが、どこかその言葉には陰りがあるような気がした。勿論好きな動物の話からマジカルバナナに話が変わって謎の盛り上がりが生まれているカモメの翼には関係のない話なのだが。
「お前さん。旦那さんの馬、手放すのかい。子供みたいに可愛がっていたじゃないか。」
「うん。そのつもり。……本当に。うちは子供もできなかったしね。本当は、ずっと傍に居てほしい。
でも、主人が亡くなってから店の売り上げがちょっと……その、厳しいっていうか。今のままじゃとてもやっていけそうになくて。競技馬は維持費がねぇ、結構かかるのよ。」
「アルザスと言やぁクソ真面目。」
「クソ真面目と言ったらアルアル。」
「アルアルといったら殺そうとしたら無駄に抵抗して足掻いてなかなか殺させてくれないけどアスティちゃんを人質にとったらころっとやらせてくれそう。」
「お前ら、お前ら、待て、俺のイメージで遊ぶな。」
どっと笑う。被害者のアルザスとさらっと人質に取られたアスティにとってはいい迷惑だ。
「一人じゃ、配達に出るにもいちいち店を閉めなきゃならんしな。」
「えぇ、まあね。でも大切なお得意様ばかりだしね。力仕事だけど、やりがいはあるわ。」
「うーん。まあ、それは何よりなんだが……じゃあ、いっそ荷馬にすればどうかね?それならお前さんの仕事の助けになるんじゃないか。」
「それはちょっと考えたけど……今更、荷馬には向かないし。ロバはもういるしね。
それに……そうしてしまうには勿体ない子だし。だから、どこかで良い引き取り手があれば、それがあの子にとっても一番いいんじゃないかと思って。」
ソウは、本当に馬を大切に思っているのだろう。
よくよく考えた上で手放すと決め、亭主に尋ねた。意志が強いことを感じ取り、亭主は勿体ないと思いながらもこれ以上引き留めることはできなかった。
「しかし、来週だったか。スティープルチェイスも近いのにな。」
「そうなの。主人も、あの子も毎日練習を重ねていたもの。出たかったでしょうね。
心残りだけど……でも、騎手を雇うお金もないし。」
仕方ない、生きてりゃこんなこと、売るほどあるわよ。
割り切ろうとする笑みだった。無理をして笑うような、そんな痛々しい表情だった。
それを見た親父さんが何やら思案に、ソウに尋ねる。
「ところで、スティープルチェイスの賞金はいくら出るんだったかな。」
突然の質問に、ソウは驚いた表情を返しながらも答える。
優勝すれば3000sp。結構な額だった。今のカモメの翼ではとても考えられないほどの大金だ。
「それだけあれば、手放さずに済むんじゃないのか。」
「そうねぇ……それに入賞した馬は箔が付くから、上手く利用すれば手放さないで済むわね。」
ま、うちの子は入賞経験がないけれど。肩を竦め、とても夢のような話よ、と言った。
「……あ、そうだ。代理申請取り消して、参加費返してもらいにいかないと……」
「代理申請?」
そんなものあったっけ?と親父は尋ねる。ソウはこくり頷いて説明した。
「えぇ。運営の人に事情が事情だし、馬が代わらないなら代理騎手を立ててもいいって、特別に声をかけてもらったの。
ちゃんと断って、参加費返して貰いに行かなくちゃね。」
「ふーん。ところでそのレース、参加人数は多いのかい?」
「いいえ、枠は6人よ。よく分からないけど、予選だとか、これまでの参加実績で決めるみたい。
今年は予選に通ったー!……って、大喜びしてたんだけどね。」
けれど、主人は結局あんなことになってしまったのだから、予選に通ったのに元も子もないわよねぇ、と困った表情を浮かべた。たとえ出場できるようになっても、出場する人がいなければ意味はないのだから。
「なるほど。……というわけなのだよ君たち。」
「火晶石で爆殺は溺死と同じくらい見た目的に美しくない殺し方。」
「溺死と同じくらい見た目的に美しくない殺し方と言えば……こ、絞殺?」
「絞殺は賛否両論よねぇ。首の跡が美しいって言う人もいるし。」
「いやでも絞殺は色々惨いわよ?私は好きな方法じゃないわね。やっぱり刺殺が一番美しくて華やかよ。」
「おーいそこそこ、過激なマジカルバナナで無視しない。過激を行き過ぎてただの殺し方談義になってんぞ。」
綺麗なまでのスルー。話題が話題だったのか、アルザスとアスティは割と引いていた。というかがっつり引いていた。
亭主の話を聞いていなかったわけでもなければ、ちゃんと全部聞いていたわけでもない。基本的には変な会話で盛り上がっていたが。
「おいお前ら、どうせ全部聞いてたんだろ。全部じゃなくとも大体は聞いてたんだろ。
どうだ、出てみないか、スティープルチェイス。馬はある。騎手はお前らから選べ。というかアルザス、お前乗馬経験あるんだってな?だったらいけるだろ?」
「ええええええ俺の話聞かれてた!?ってかいや待て待て待て、もう10年も前の話だ!それに競走馬じゃなくて、あくまで街の見回りや外回り用の軍馬だぞ!?」
競走馬と軍馬では訳が違う。しかもアルザスはブランクがある。経験があると言えど、初心者ではない程度のものだと考えていい。
流石にソウも無茶だ、というよりそんな考えはなかったというようにおろおろしている。
「お、親父さんちょっとちょっと、わたしはそんな……」
「ソウ。どうせ馬を売る気なら、最後にやってみたらどうだ。大丈夫、こいつらはこう見えてもやるときはやるんだ。」
どうせ暇だし。最後に台無しな言葉を引っ付けた。
「こう見えてってどう見てるんだ……しかも暇とかいいやがったし……いや、まあ……緊張感がないな。緊張感なく頼りないよな、そうだよな……」
「頼りないまでは言っとらんだろ。それに、勝ったら3000spだぞ?ソウが9でお前らが1としても取り分300sp!
うわっ、ヤバいなそれ!揚げじゃが食い放題じゃないか。わし、張り切って揚げるよ!」
「いやーーー300sp分はカペラが居てもちぃと食う自信ない。」
「いやいやその前に取り分おかしーから。」
「いやいやいや論点そこじゃない。」
ゲイル、カペラ、アルザスの3段ツッコミ。どきっ、ボケまみれの愉快なパーティカモメの翼にここまで一方的にツッコミをさせる親父さんすごい。
「親父、気持ちは分かるが適当なことを言うもんじゃないぞ。仮にも賞金のかかったレースなんだ。
確かに俺は馬に乗れるが、スティープルチェイスで通用するほどの腕はないと思うぞ。せいぜい一般的な騎乗スキルで、レース用のスキルなんて微塵にもないと思ったいいくらいだ。」
ところで、そもそもスティープルチェイスって何?聞いたことないんだけど?
馬のレースということは会話から分かる。しかしどんなレースなのかまでは分からない。アルザスの質問に、黙って聞いていたラドワが解説を挟んだ。
「スティープルチェイス(Steeple Chase)。野外騎乗レースよ。
スタート地点から、教会などの尖塔(Steeple)をゴールとして追う(Chase)ので、この名で呼ばれているらしいわ。大体郊外からスタートして、教会がゴールになることが多いみたい。」
何で知ってんの?というアルザスの視線。よくご存知ね!と、ソウは嬉しそうにラドワに拍手した。
ソウ曰く、郊外のみで行われるレースはちょくちょく開かれているが、郊外からリューンに入るレースは年に一度だけだそうだ。大通りの規制が必要なため、そう気軽に行えないのだろう。
「……親父さん。あなたに言われてハッとしたわ。私、本当はやってみたいと思ってる。」
「えっ、ま、」
「最後になるかもしれないなら、やってみたい。冒険者のあなた達に、お願いしたい。」
「いやいや待て待て落ち着け、落ち着け!さっきの話聞いてなかったのか!?」
「そりゃ、落ち着いてないわ。」
「これ皆大好きその場のノリってやつだ絶対ーーー!!」
だめだこの人早くなんとかしないと。
どうするよこれ、と皆が顔を合わせる。お構いなしといわんばかりにソウは続けた。
「でも大丈夫、ちゃんと考えてる。わたしはあの子の走る姿をもう一度見たいの。
もちろん、正式に依頼致しますわ。改めまして。マートウ果実店を営んでおります、ソウ・マートウと申します。亡き主人に代わり、競技馬ハセオの代理騎手っとして、一週間後の馬術障害物レース、スティープルチェイスに出てください。レースの賞金は、3位まで出ます。3位以内なら、賞金の半分を報酬としてお支払い致します。
1位3000sp。2位2000sp。3位1500sp。以上の半額。4位以下でも……そうね、300sp出します。
レースの参加費や、練習などでかかる諸々の経費はこちらが持ちます。どうかしら?」
「どうかしらって……」
「……4位以下なら、馬を手放して支払う気ね。」
「……えぇ。でもレースに出ないなら否応なく手放すのだから、気にしないで走ってください。」
ラドワの言葉の返答に、なるほどと短く言葉を繋いだ。
再び顔を見合わせる。ただ走るだけで300sp。悪くはない話である。
悪くはない話、なのだが。
「……依頼の概要は分かったわ。私はあんまり回りくどく言うのが好きじゃないから、あえて率直に言わせてもらうわね。
マートウさん。多少厳しくても、その条件で専門の騎手に依頼をかけた方がいいと思うわ。
それでも、私たちに依頼したいと?」
冒険者に頼む理由が、あまりにも思いつかない。
馬はよくても、乗り手は素人……とまでいかないだろうが、出場者と比べると明らかに腕前が劣るのは確かだ。亭主が勧めた冒険者だから、という軽率な理由で決めてしまうのは聊か勿体ない気がする。
が、あくまでそれは勝つ気があるなら、だ。ソウは勝ち負けはよく、亭主が勧めた冒険者に走ってもらいたいのだという。ラドワはじっと彼女の顔を見つめ、確認するように言葉を放つ。
「本当に分かってるのかしら?冒険者は専門の騎手ではない。あなたの愛馬に、必ずしも最善の扱いをする保証はできない。
それを踏まえた上でなお、我々に依頼したいと?」
どこか問い詰めるようなそれに、ソウは真っすぐ見て、返した。
「むしろ、本当の騎手ではないからいいの。
きっと、普通の騎手に頼んでもそれなりの結果しか得られないわ。それでは、出る意味がないの。それは上手く言えないけど、順位の事ではなくて……冒険者のやり方で走ってほしいの。」
「……はあ。」
訳が分からない、といった表情だった。
ラドワは感情論が苦手だ。至極合理的に、論理的に物事を考える。人として当然の感情が欠落しているとも取れる部分もあるだろう。
一言でいえば、道徳がない。人の心をしていないのだ。
「よく分からないけれど、私たちの、騎手とは違う要素こそ求めているということ?」
「えぇ、それにね。どんなにすごい騎手を雇おうが、何か起こるときは起こるもの。例え騎手が主人であったとしても、その事は変わらないわ。だからその点も気にしないで。」
どうか、お願いします。ソウは再び頭を下げた。
―― そして結局、俺が代理騎手となった。
マートウ家の競走馬、ハセオは鹿毛で、足ががっしりとした馬だった。大きな黒目が、廐の薄暗がりの中で静かに輝いていた。
逞しく、美しい馬だった。俺に、乗りこなせるだろうか。
・
・
その日の夜、宿の一室にカモメの翼が集まっていた。
今後の方針の相談と、それからラドワが何やら情報を集めると言い出したので、彼女の帰りを待つのと。すっかり暗くなり月が高く昇ってきた頃、ラドワは戻ってきた。
「ただいま。依頼人のマートウさんから、スティープルチェイスについてさらに話を聞いてきたわ。」
ご苦労様、とロゼが労いの言葉をかけるなり、ラドワはにやり、悪い笑顔を浮かべ始めた。
あっ、これは。皆が察する。
「えー、冒険者たる皆さん。依頼を受ける以上は、ベストを尽くしたいものよねぇー?」
絶対、よからぬことを、考えている!!
「……あんた、えらい意気込んでるわね。最初は渋ってたくせに。
こんな不利な条件でなんか思いついたわけ?あるいは本当にいらないこと思いついた?」
「いらないことって何よ。ちょっと面白い話が聞けただけよ。ってことで、皆聞いてくれるわね?」
これは逃がしてもらえないやつですね分かります。
とはいえ、話自体には興味があるので反論する者はいない。ラドワの話に耳を傾けた。
「まず。このレースって、出発地点は決まってるんだけど、目的地である聖北教会まではどんなコースを選んでもいいの。ルート取りの裁量も競技の内、というわけね。」
そして、出発地点がどこなのかは、レース当日まで選手に知らされない。選手は、とっさの対応が求められる。ラドワはそう説明して、更に言葉を続けた。
それはもう、楽しそうに。
「この二点を聞いたときに、少し突破口が見えたの。もしかしたらこの要素は、私たちの味方にできるかもしれないわ。」
「コースがきっちりしてるレースだったら、どー考えても素人には勝ち目がないもんね。けっこーワイルドな競技なんだね。」
なるほど確かにこれはいい条件かもしれない。咄嗟の適応力であれば、冒険者の得意分野であり必須スキルだ。例外などこの世の常。そもそも冒険者という職が、この世の一般職の例外と言えるような気さえする。
「それから、出発地点は伏せられてるものの、コースの全長は3km程度って目安があるの。」
「全速力の馬でしたら、ものの数分なのでしょうねぇ。」
アスティの呟きに、そこなのよ!とラドワは指をさす。思わずびくっと身体を震わせたが、彼女は気にしない。
「この程度の単距離なら……たとえ当日まで全容が分からないコースであっても、何らかの形でレースに出ないメンバーが騎手をフォローできる可能性がある。」
「はーい。他の選手を根こそぎ罠にかける。」
ゲイルのとんでも発言。あ、やる?やっちゃう?とラドワが悪乗りを始めたのでアルザスの無言のツッコミチョップ(弱)。対生命兵器の彼女らの過激発言は、どうしても洒落ではなく聞こえてしまうので困りものだ。
「ま、冗談は置いておいて。流石に直接手を下すわけにはいかないけど、間接的な手助けならチャンスがあるかもしれないわ。」
「なるほどー?やり方次第でトンビが揚げじゃがを攫う、なーんて展開になっちゃったりして?」
「ふふふ、あるいは。」
くすくすと笑う。悪いことを考えるときの笑みだ。
「ねぇ、皆。依頼人は勝ち負けよりもレースに出場さえしたらそれで満足、という節があるけれど。それに甘んじてるだけなんて、退屈だとは思わない?」
ラドワは面白いことが好きだ。いい意味でも悪い意味でも期待を裏切ることが好きだ。
そして、勝負事になると。負けず嫌いになる節が、顕著に出る。約束された勝利や平凡でそれなりの結果、というのはそそられないのである。
いくらか可能性がある。低くても、やり方次第ではもしかしたら。そんな僅かな可能性を、ラドワは大変楽しいと思うのだ。
「……この条件で勝ちに行くと言うのか?」
「えぇ。冒険者流でね。」
さらっと。本当にさらっと言ってのけた。
が、勝利が絶望的であれど、不可能な話ではない。こういった面白い話になると……カモメの翼は、皆が一致団結する。
「―― 言ってくれるじゃないか。」
「面白くなってきたじゃない。分の悪い賭けに変わりないけど、あたしは乗るわよ。」
「えぇ、臨むところってやつです。」
「わぁい僕も乗る乗るー!いい意味で依頼人を裏切っちゃおう!」
「あぁ、あたいもできるこたぁやってやんよ!ソウも観客も、皆脅かしちまおーぜ!」
「よし、流石カモメの翼よ、そうこなくっちゃね!」
一種の悪乗りともとれるやりとり。だが、カモメの群れは心を一つにし、逆風に立ち向かう。
皆が皆、楽し気な表情で。強きに逆らうという叛逆心を持って。
「そしたら、アルザスは当日までひたすら乗馬に専念してちょうだい。乗りこなすのが、依頼達成の最低条件だもの。
残りは情報収集よ。地道よ、覚悟してね。」
「他の選手情報とか、レース主催者元に問い合わせたり、かしら?」
「そこはざっと抑える程度でいいわ。どうせまともにやり合う気はないんだから。」
じゃあ、何を調べるのか。首を傾げる冒険者に、ラドワは口端を吊り上げる。
あっ、絶対めんどくさい話だ。
「地形情報よ。リューン半径3kmの地形情報を徹底的に集めるの。更に手分けして現地に赴き、自分たちの目で現状を確認するのよ。そうすれば、当日の作戦に幅が出るし、使われそうなコースの候補も浮かび上がってくるはずよ。
地道で大変な作業だけど、地図を過信したら駄目。半径3kmなら、手分けすればきっとできるわ。」
ほーらやっぱりめちゃくちゃ言い出したーーー
絶対めんどくさいやつじゃないですかやだーーーーー
「でもほら、うちは騎手のプロはいないけど、地形情報の収集のプロはいるでしょ?」
「はいはい、頼られるって思ってたわよ。ま、2、3人分の働きはしてみせるわ。
それに、地図が宛にならないことってのは、その道をやってきてる分よーく分かってるからね。」
レンジャーとして生きてきたロゼは、野外活動知識はもちろん地形情報収集や捜査にも長けている。今回の調査はロゼの本領発揮できる場面と言えるだろう。
任せて頂戴と、とんと自分の胸を叩いた。それから強気に笑ってみせた。
その姿を見て、頼りにしてるわとラドワは満足げに呟いた。それから、再び説明に戻る。
「当日は、メンバー皆でスタート地点に向かう。行き当たりばったりだけれど、この限られた期間、素人が勝負できる可能性に全力をつくしましょう。
皆、ついてきてもらうわよ?冒険者のお手並みってやつを見せてやろうじゃない。」
「―― あぁ、やってやる。『今度は』ただで終わったりしない。」
そして、レース当日までの慌ただしい日々が始まった。
口では何だかんだ言いながらも、他のメンバーはけっこう乗り気で各地の探索にあたってくれた。入賞を狙いにいこうというラドワの言葉がなければ、こうはならなかっただろう。
アルザスは、少しだけ私情を持ち込んでいた。
海風が吹く冷たい大地を、されど確かな暖かさがあった海辺を踏みしめる一匹の馬のことを思い出していた。
今はもういない相棒。今は海に還ってしまった、悲しい愛馬。
あのとき、届かなかった手を一度見つめて……首を横に振って、練習に励むのだった。
・
・
練習が始まって3日目の夜のことだ。宿のカウンターでカモメの翼は互いに情報を交換し、それから各々の部屋に戻る。アルザスとアスティは部屋に戻るなり、並んでベッドに座った。
「そっちの調査の方は順調か?」
「えぇ、まぁなんとか。こういったこと全く分からなかったのですが、ロゼがあれこれ教えてくれました。基本的には私はゲイルと一緒に調べ回っています。そちらは?」
「こっちも順調だ。大分勘を取り戻してきていると思う。」
カモメの翼はアルザスとアスティのみ2人部屋で、残りは個室で宿を取っている。宿代は高くついてしまうが、各々が我が強いため、各人が1人である方が何かと都合がいいのだ。夜突然部屋を出ていくラドワとか、下手すると闘争心を燃やしかねないゲイルとか。
アスティだけは独りがだめなので、アルザスと寝室を共にしている。アルザスもそれに不都合はなかったし、守りたい者が傍に居てくれることで安心感もあった。互いの利害は一致していると言える。
「……あの、アルザス。話したくなければ話さなくてもいいのですが。アルザスの重荷にはなっていませんか?」
顔を覗き込むようにして、アスティは尋ねる。何を指しているのか分からず、アルザスはきょとんとした表情を返した。
「まあ、騎手という大役を買って出ることにはなったけれど、一番馬の扱いに慣れているのは俺なんだ、当然回ってくることだと
「そうではなくて。……思い出しているんじゃないかと思いまして。かつて共に駆けた相棒のことを。」
「あぁ、そんなこと。確かに思い出すことはあるけれど、あいつとハセオは別の馬だ。だから何も気にしていな
「でしたら、何故そんな泣きそうな表情なんですか……?」
アルザスが言葉を言うより先に、アスティが言葉を重ねる。
泣きそう、と言われてもアルザスは分からなかった。俺が?どうして?と、そんな言葉を返すのだが。
目を細めて、眉間に皺が寄っているのだ。
「私はいつでも話を聞きますし、吐き出し口にもなります。いつも傍に居させてもらってるお礼……とは、少し違うのですが。
私は、アルザスに笑っていて欲しい。だから、そのためにできることはしたい。……よければ、話してくれませんか?」
カモメの翼の中では、アスティは最もお人よしで人の痛みを己の痛みとして感じ取るほどだった。
だから、というわけではないが、ずっと傍にいてくれる人が悲しそうな表情をするのは耐えられない。そのためにできることがあるのなら。アスティは、喜んで力を貸す。
自分を守ってくれる人を、アスティだって守りたいから。
「……そう、だな。それじゃあ、少しだけ甘えさせてくれ。」
窓の外を見た。遠く遠くの星を見つめながら、アルザスはゆっくりと口を開いた。
時折、思うことがある。
何故自分だけ生き残ってしまったのだろうと。全てを失って、守りたかった者を全て失って、それでどうして自分だけ生きているのだろう、と。
竜災害が起きて、1人で生きるようになって。それだけを考えながら、ただぼんやりと生きていた。その生きている時間は、とても生きていたと言えないほど無意味で空虚なもので。
死のうとは思わなかった。自分が死ねば、あの街で唯一残ったものが全てなくなり、ただの幻になるような気がして。本の中に、あるいは人の記憶にだけ残り、それも波が砂を攫うように儚く消えていってしまうような気がして。
愛馬は、ポチは。きっともっと走りたかったに違いない。もっと風と共にどこまでも行ってみたかったに違いない。今では推測でしかないけれど、あまりにも残酷に、この手からこぼれていったから。
ハセオは、そんな罪悪感を見透かしているような気がして。彼の瞳に映る自分が、とても悪いやつのように思えて。
「……自分でも、どうしたいのかが、分からないんだ。どうやって、ハセオに接すればいいのかが。」
「……なるほど。」
星を見つめるアルザスの表情は、今にも泣きだしそうになっていた。
愛馬の星を探しているのだろうか。死した者は星になる。そんな文句があったような気がする。
そんなことを考えながら、アスティは、
「……!?あ、アスティ……!?」
ぎゅっと、アルザスを抱きしめた。
「全部が全部、分かるわけではありません。もしかしたら私はとんでもなく思い違いをしているかもしれません。……だから、私の思った通りの言葉をあなたにぶつけます。
辛くて、当たり前です。怖くて、当たり前です。それは隠さなくていいんです。一人で抱え込むには、あまりにも重たすぎます。何千という命が失われたのですから。
アルザスは、よく頑張りました。一人で、本当によく頑張ってくれた……ありがとう。生きててくれて、ありがとう。きっとアルザスがここにいなければ、私は今頃、独りぼっちでずっと泣いていたと思いますから。本当に……アルザスと出会えてよかった。」
「―― ……、」
それは、アルザスも同じだった。
アスティを守ること。記憶を探すこと。それは、アルザスにとっては今や存在理由になりつつあった。何も守れず空っぽになってしまった者の、新たなる守るべき者。
怖かった。また失うことが、空っぽになるかもしれないことが。
「……ハセオと共に駆けていると、ちらつくんだ。あの海竜が、全てを攫っていったあいつが。俺が逃げろって言ったのに、あいつはその場を動かなかった。……バカだよなぁ、あいつ。逃げてたら……助かったかも、しれないのに……なんで、俺を置いて、いかなかったんだ……俺を、置いて、逝きやがって……」
「それほどに大事だったのですね、ポチは。……きっと、それはポチも同じですよ。アルザスが大好きだから、一人で逃げたくなかった。なんだ、あなたもあなたの馬も、そっくりじゃありませんか。お似合いですよ。」
「……あいつは、俺には……もったいないくらい、よく、できたやつ、だったよ……あぁ本当に……もう一度、一緒に……走れたらなぁ……」
「それは叶いませんが、今はその願いを別の形で叶えてくれる子がいます。だから、めいいっぱい甘えてきなさい。きっと、そうしてくれた方が、ハセオも喜びますよ。」
抱きしめたまま、孤独な守り手の頭を優しく撫でた。
彼の瞳から零れ落ちる透明な雫は、月明かりを受けてきらきらと輝いた。
それは彼の心のようにも思えた。とても暖かくて、優しくて、だからなんでも一人で抱え込んで、自分を責めて。助けて、という声も呑み込んで、ついつい強がってしまう人。
嬉しかった。重荷になっているものを話してくれたことが。吐き出し口になれたことが、嬉しかった。
しばらく、このまま。アスティはアルザスを抱きしめ続けた。
・
・
「ただいま。」
依頼を受けて6日目。ラドワが一足先に宿に戻り、カウンターにつく。ソウが来ていたようで、お互いに軽い会釈をした。
「配達ごくろうさま。もうすぐアルザスも練習から戻ってくると思うわ。」
「ありがとう。この後はずっと店にいるから。」
その会話を交わして、ラドワは羊皮紙を取り出す。調査した内容をそこに書き込んでおり、小さな文字がびっしりと埋め尽くされていた。読書嫌いの人間は見ただけで嫌になりそうなそれを横目に、ソウはラドワに尋ねる。
「他の皆はまだ外?」
「裏で水を被ってるわ。動き回ると汗だくになっちゃうもの。」
「あなた達、依頼のために毎日郊外を巡り歩いているのね。お疲れ様、どうもありがとう。」
仕事だから気にしないで、とラドワは返した。歩き詰めることには慣れているので、このくらいどうということはない。……地形調査ということで、ゲイルが途中で飽きかねないが。あれは頭を使うことは大の苦手だ。
実際に歩き回ってコースの予測は付くものなのだろうか?ソウは疑問に思ったが、候補はいくつか出たし、傾向もあるそうだ。その傾向について、ラドワは語り始めた。
「直接主催者元に出向いて過去のレースを調べてみたの。初期と現在のレースを比較して、ひとつの傾向に確信が持てたわ。
初期のころは森の奥だの、岩場だの、結構とんでもない所から出発しているわ。だけれど、徐々に草原やなだらかな丘陵、または街道に近いような地点へとスタートが推移していた。それに伴って、事故件数や各馬のゴールに対する時間のブレが、目に見えて減少しているの。」
彼女の説明から、意図的になされているってことよね?と、確認の言葉。こくり、頷いて……ここでようやく、ラドワはソウの方を向いた。
珍しく、真剣な表情をしていた。
「……あえて本音で話をするわね。あまり気を悪くしないで聞いてちょうだい。
元々スティープルチェイスとは、ゴールにたどり着くための効率のいいコース取りそのものを競うレースだったはずなの。ところが今ではこの前提が形骸化し、ただのタイムレースになっている。
理由は……想像だけれど、競技の度に何が起こるか全く分からない危険なレースでは運営も難しかった、そんなところじゃないかしら。」
「……ふぅん、知らなかったな。主人は何も言ってなかったしね。」
今のスティープルチェイスは、矛盾を抱えている。
実態はすでに形骸化されているのに、前提を手放すことができていない。本音と建て前がちぐはぐな状態となってしまっている。更にそのことがこれまで正されていない。誰も現状に疑問を持っておらず、持っていても正されていない。
それはきっと、これまで上手くやれているから。
「今回は、その隙に上手く付け込めたら……って、考えているわ。」
「えぇ、よろしくお願いします。」
「…………」
はぁ、とラドワは一つため息をついた。回りくどいことが苦手な彼女が珍しく回りくどい説明をしていた。不必要だろうか、それとも単純にめんどくさくなったのか。怪訝そうな瞳を向けながら、ソウに尋ねる。
「こっちから聞くのもなんだけど、私たちのやっている事に疑問や質問はない?
私たちは、ハセオを危険な目に遭わせるかもしれないって言ってて、その安全を絶対に守るって言えないって言ってるんだけれど。」
「……」
「だから、それを同意しているものと見るわよ。明日のスティープルチェイスに、心おきなく挑むための。」
「ラドワ。私は……」
「ただいまー。」
ここで、全員が宿へとぞろぞろ入ってきた。
はっきり言って、この上なくタイミングが悪い。何もこのタイミングに戻ってこなくても。
ラドワはそれはもうめちゃくちゃ不満げに呪詛を込めながら皆を……主にアルザスを睨んだ。びくっと肩を震わせ、えっあれ俺何かした!?と、きょろきょろする。アルザス君可哀想。
「つっかれたー!今日もくたくただよー!親父さーん!冷たいのちょーだーい!」
次に開口するわ、カウンターにべちゃーっとだらけて座るカペラ。奥に居る亭主に向けて大声を上げた。なんだかんだ元気なのでは?と錯覚する程度には声量がある。
「おぉ、お疲れ。ほら、井戸で冷やしたトマトを食え。」
「食っべるー!」
「え、そんなのあるの。私にもちょうだい。」
流石ラドワ、切り替えが早い。
「どうせ皆食うんだろ。ソウも食べていくか?」
亭主の言葉にソウはしばらく悩む。ちらりとラドワを見て、首を横に振った。
「ううん、店があるからもう帰るわ。ありがとね。
アルザス。ちょうどいいから、ハセオは私が連れて帰るわ。」
ソウの言葉に、分かったと首を縦に振る。
それからソウは、扉に手をかけて。きい、と軋む音がしたところで、振り返った。
「皆さん……私はあなた達に頼んで、良かったと思っています。こんなに頑張ってもらって。
応援くらいしかできないけど、どうか明日のレース、よろしくお願いします。」
「レースはこれからですから。任せてください。なんたってアルザスが騎手をするんですから。」
「お、おいおい俺はそんな
「だから、大丈夫。」
その言葉は、誰に向けたものだろうか。
アスティは、満面の笑顔で、そう言った。
不思議と、本当に大丈夫と思えてくるような、そんな錯覚を覚えさせるほど。
その言葉は、力強かった。
「……そうね。アルザス君が騎手だものね。
この上ない説得力のある大丈夫の言葉だわ。」
その意味までは、ソウは分からないのだろう。
きっと皆が慕うリーダーなのだろうと。きっとその程度なのだろう。
しかしその言葉はアスティやラドワ、それに他の者らにとってはなるほど、と思わされるものだった。
4日目からの、彼のハセオに乗る姿を皆は知っている。
一つ、覚悟が決まった、重荷が少し軽くなった表情をしていたと。
彼らは知っているから。
「ありがとう。私、当日はゴールで皆を待ってるから。それじゃあ、また明日ね!」
ソウはそのまま扉を開き、帰っていく。
それを見送って、彼女が目で、足音で追えなくなってから。
「……あは、はははは……あっははははははは……!!」
面白おかしそうに、けらけらと笑い始めるのだった。
流石に唐突すぎてなんのことか、と思ったが。その意味がアスティには分かったようで。
少ししてから、彼女もまた、大笑いするのだった。
それにつられるかのように、カモメの翼は、笑い声の大合唱となった。
アルザスだから、大丈夫。
そう、彼だから、大丈夫なのだ。